[第三話 紅葉、舞う]

前頁 | 目次 | 第四話 凍土
No.05  距離の問題
 ――他人のことではなく、自分達こそ互いをどう思っているのか?
「えっと……。行こうか、久樹」
「そうだな」
 まだ言葉という形にすることが出来ずに、二人は曖昧に言葉を濁して歩き出す。
 高等部風鳳館は、白鳳学園の中では日当たりの悪いエリアに建っている。その為、他のどの場所よりも早く紅葉が進み、赤や黄色の色彩が光を受けて、あでやかな雲母のようにきらめいていた。
「桜も綺麗だけど、紅葉も綺麗ね」
 爽子がほうっと息をつく。
 風鳳館の門を過ぎると、多くの人でごったがえしていた。賑やかな客引きの声も響き、爽子たちは先に進むのに一苦労する。特に子供たちは出店から漂う食べ物の匂いに惹かれるので、引き止めるのに一苦労だった。
 階段をなんとか昇って二年A組のある廊下に出たところで、四人はあるものを見つけて目を丸くする。
「えーっと。……あれって、もしかして……」
 道行く人々より、背の高い人物が佇んでいる。
 漆黒の髪に、澄んだ切れ長の眼差し。どこか幕末の志士たちのような雰囲気を持つ顔なじみの少年に間違いないのだが、その姿が奇妙だった。
 制服でも、剣道部の道着でもない。
 花をあしらった着物に、白い前掛けをしている。短い髪には、無理矢理とめたらしい櫛が飾られ、手にはお盆を持って仁王立ちしていた。しかもよくよく見れば、化粧をしている。切れ長の眼差し引かれた朱色のアイラインが、きりりとはまっていた。
「ゆ、雄夜にぃ!?」
 頓狂な巧の声に、ぐるりと雄夜が振り向いた。一瞬バランスを崩したのは、足に可愛らしい草履を履いている為らしい。
「いらっしゃいませ」
「はあ?」
 怒られると思いきや、予想していなかった返答に巧は首を傾げる。将斗は駆け寄ると、雄夜の着物の裾を掴んだ。
「ねえねえ、どうしたんだよー。雄夜兄ちゃん」
「俺は今日は看板娘だ」
「看板娘ぇ!?」
 大真面目に頷く雄夜の隣は教室の入り口だった。
 久樹が中をひょいと覗いてみると、茶屋の雰囲気を演出している教室内を、女装と男装の生徒が多数歩いている。
「男女逆転してるんだ」
「じゃあ静夜くんも女装してるの?」
 爽子の問いに、真剣に嫌そうな顔で雄夜は首を振った。
 どうやらあれ以上可憐になられては困ると本気で思っているらしく「させてたまるか」とはっきりと言う。
「自分が女装する以上に嫌なのね」
 しみじみとした爽子の声が聞こえたのか、教室内の生徒の一人が振り向いた。「爽子さん〜」と不気味な裏声を発したかと思うと、すたすたと近づいてくる。
「いらっしゃいませですわぁ」
 真っ赤なチークを丸く頬に入れた宇都宮亮がにっこりと微笑む。初対面の巧と将斗が、あまりの姿にショックによろめいた。
「ひどいワっ! どうしてアタシだけそういう反応をされるの〜」
 くねくねと体をねじりながら、亮は口元に手をあててみせる。どっと笑いが沸き起こったので、彼は機嫌よく手を上げて客をあおった。
「やっぱり似合わないヤツに女装させてよかったよね」
 会計役を務める大江静夜が、ひょっこりと姿を現して口を挟む。そろばんを片手に、北条桜も顔を覗かせた。用意が充分に出来なかったため、静夜は弓道部の道着のままだった。亮は大袈裟に溜息をつき、友人の細い両肩に手を置く。
「お前はやっぱり女装するべきだったぞ!」
「女が一人増えたなぁ程度に思われるだけだよ、亮」
「なにを言うんだ。あの美少女は誰だって評判になるさ。あーあ、見たかったな」
「本気で嘆くなよ」
 静夜に呆れられても、亮は負けなかった。「やっぱり今からやるべし!」と強く言い寄ってくる。その光景のおかしさに笑いながら、桜は久樹たちに向き直った。
「いい時に来てくれました」
 奥のテーブルに二人を案内しようとするが、巧と将斗は静夜の友人達を見つめている。自分達の知らない”友達”と話しているのが、当たり前のことなのに不思議に感じられたのだ。
 子供達の視線に気付いて振り向くと、静夜は二人の側に歩を進める。
「紹介してなかったよね。あの変な女装男が亮で、こっちが桜だよ」
「女装男言うなーっ!」と抗議する亮を無視する。
「でね、亮、桜。こっちが巧で、こっちが将斗」
「だから俺の抗議を無視するなよ」
「なんのことかな」
「さてはお前、俺が女装しろって言い続けるから、さりげなく怒ってるな!」
「僕じゃなくって、多分怒ってるのは雄夜だろうね」
 にこりと微笑んで、静夜は亮に背を向ける。ズモモモという奇妙な音と共に、背後に雄夜が迫りつつあるのを、亮は確かに感じた。
 桜は驚いた表情で、静夜を見つめている。
「――今」
 先日、桜と呼んで欲しいと懇願した。結局”北条”と呼んでいたので、ダメだと思っていた、その答えがそこにある。
 彼女の驚きに気付かずに「よろしく」と巧と将斗が頭を下げる。桜は我に返って、あわてて返事をした。
 静夜が笑いながら、奥の席を示す。
「立ってないでさ、桜の勧める席に座っておきなよ。そこが一等席なんだしね」
「一等席?」
「ちょっと面白いことがあるんだよ」
 意味深に囁いて立ち去ろうとした静夜の肩を、背後から伸ばされた手が不意につかんだ。
「静夜くん!」
 続けざまの大声。
 驚いて振り向けば、デジカメを構えた秋山梓が立っていた。
「秋山!? いつからそこに居たんだよ。休憩じゃなかったっけ?」
「うん、休憩中なの。だからね、こうして雄夜くんを見てたの。そうじゃなくって、静夜くん、一体何時から桜の事を名前で呼ぶようになったの? 亮君も聞いたよね!?」
「聞いた。いや一体どういう心境の変化なんだ? 静夜」
「さあ? 別に、特に亮に言うことはないかな。ねえ、桜」
「う、うん」
 こくこくと頷く桜を、「相棒が変だ」と言って亮が疑惑の眼差しを向ける。梓は目を輝かせて「下の名前で呼ぼう普及委員会の努力が実ったのね!」といきなり言った。
「なにそれ、秋山」
「普及してるのよ。全員が名前で呼び合うようにしましょうって。それが完璧に広まったら、雄夜くんにも”梓”って呼んでもらえるじゃない」
 目が輝いている。ついていけない発想に脱力した時、不意に鈴を転がす音色が響いた。カンッとなにかを叩いた音も続く。
 静夜たちは驚かないが、久樹たちは驚いて顔をあげる
「なんだ?」
 目の前の壁に掛かっていた御簾がするすると上がった。教室の中央を区切る壁の真ん中にあった窓に掛けられていたものだ。
 幾人かは何が起きるか知っているらしく、身体を前に乗りだす。
 御簾の奥に、二枚の畳がひいた部屋を模した空間があった。
 火鉢が一つ、衣桁に掛けられた着物が一つ。そして長い煙管を手にした振袖姿の女が脇息に片手を預け、どこか気だるげな表情で座っている。
 結い上げられた髪には、かんざしが美しい色を散らしていた。面には白塗りの化粧と、朱色の紅を差している。ふっくらとした唇に、女は時折煙管を挟むと、高い音をさせて火鉢の淵に叩いた。そのたびに、袂の懐剣に飾られた鈴が高く音を響かせる。
 煙管からは煙はでていない。格好だけのなのだが、仕草が妙にはまっており、女は色香すら漂わせていた。
 爽子は「まさか……」と絶句する。巧と将斗は、女がしどけなく床に散らす着物の裾の上を、悠然と歩く亀に目を丸くした。
「――誰だあれ?」
 ぽかんと久樹があげた声に、爽子と子供達が微妙な顔をしたのに気付かず、彼は腕を組んだ。
「凄い美人だけどさ、茶屋に花魁ってなんだよ。ツッコミどころしかないくらい、滅茶苦茶だぞ。……でもあれだな、なんかどっかで見たことがあるような?」
 すこしずれた感想を洩らしながら、久樹は首を傾げて腕をくむ。
 背後で双子とその友人達が、必死に笑いをこらえていた。補足すれば、花魁自身も笑いを堪えていたりする。
 

 文化祭は無事に終了した。
 後片付けの生徒が帰宅し、校門がしまれば、もう完全に祭りは終わるのだ。
 毎年のことだが、文化祭の終わりは秋が過ぎ去ったことを意味しているような気がして、物悲しくなる。その為なのか、月夜の下に佇む校舎もひどく寒々しく映った。
 非常灯の光だけが点々とする風鳳館の暗い廊下を、校舎に忍び込んだ双子が歩いている。つい先日の出来事など嘘のような静けさに、雄夜は目を細めた。
 獣の咆哮をあげて消えた邪気は、全て学園の中に取り残された生徒の感情が生んだものだったのだ。
「雄夜、今回の邪気を作ったのってさ。僕らに対する、怒りだったよ」
 静夜がぽつりと言う。雄夜は首を傾いで、片割れの言葉を待った。
「学校ってさ、表向きは楽しそうに見えても、実際には色々あるよね。うちのクラスにはあんまりないけど、他はどうだろうと思ってさ」
「思う必要があるのか?」
「必要って……」
「自分たちが知る必要があるものから、目をそらしたことはない。知って、対処をしてきた。だから今がある」
「対処をしてきた、か」
「知ろうとしても、知ることが出来ないことを、背負う必要などない」
 怒りさえも秘めた強い言葉に、静夜は驚いて顔を上げる。雄夜は口を真一文字に引き結んだまま、そうだろといわんばかりに睨んできた。
「そうかな」
「そうだ」
 雄夜の断言に、気圧されるように頷いて、静夜は紅茶色の瞳を細めた。そのまま沈黙が降りてきて、二人はただ階段を上る。屋上に続く扉が見えたところで「智帆はどういうつもりだろうな」と、雄夜が言った。
「さあ、智帆の気まぐれは良く分からないから」
 苦笑しながら、キィときしむ音と共に、普段は施錠されている鉄扉を開く。途端に突風が吹き込んできて、二人は慌てて手を持ち上げて目を庇うようにした。
 地に落ちていたはずの真紅の紅葉が、全て風に誘われて舞い上がっている。
 真紅の乱舞。
 天にまたたく星の光と、月が落とす仄白い光の中で、それはあまりに幽玄な光景だった。
「すごい……」
 紅茶色と漆黒の髪を風にさらわせながら、二人は鉄扉の外に出る。
 風と真紅の乱舞の奥で、長い影を落とす少年が、フェンスに背を預けて佇んでいた。
 細いフレームの下にある理知的な瞳が細められ、微笑んでいるように見える。
「せっかくの秋だから、風と落ち葉で今回の侘びにさせてもらおうかなと。ここだったら、目撃者なんて誰もいないだろ?」
 悪戯っぽく言って、智帆はフェンスから離れて歩いた。
「ちゃんと謝っておきたかったんだよ。ごたついたせいで、なあなあになってたからな。ごめんな、俺のせいで色々と大変な目にあわせてさ。静夜がまだ変だっていってるの、きいとけばよかったよ」
 他人に真っ直ぐに謝ることに慣れていない少年の、精一杯の謝罪に、静夜は目を見張る。なにか口にしようとした瞬間、先に横手で声が上がった。
「俺には謝るな」
 雄夜は言って、片割れの背を押す。
「智帆が謝るなら、静夜にだけでいい」
 さあどうぞとばかりに背を押されて、静夜は面食らった。
「もう、いいって。今、充分に謝ってもらったし。それよりさ、何かあって大変なんじゃないのか? 一人で問題を抱えてるとかさ」
 心配そうな静夜の声に、智帆はさらりと首を振る。
「困ってたわけじゃない。調べたいことがあっただけなんだ。言ったろ?」
「緑子さん、だっけ?」
「そうそう」
 ニヤリと笑って、智帆はそのまま腕に下げていた籐の籠を前に出しだしてくる。中はぴたりとはまるガラスの容器と、水と、カメがいた。
「……ち、智帆?」 
 見覚えはあった。文化祭で智帆が自ら持ち込んできた、カメだ。
「緑子さんだよ」
 垂れ気味の目に楽しげな色を浮かべて、明るくさわやかに智帆が言い切る。
「み、みどり、みどりこさんって……」
 めまいでも起こしたようにバランスを崩した静夜を支えた雄夜の顔も、怪訝な表情で満たされていた。
「俺と緑子さんが出会ったのはさ、洪水の翌日だったよ。四万十川はどうなったろうと見に行って、水草を必死にくわえている緑子さんに出会ったんだ」
「あ、あのね、智帆」
「まさにこれは運命だと……いてっ」
 籐の籠を持ち上げた智帆を、思わず雄夜がぽかりと叩いたので、彼は眼をむいた。
「なんだよ雄夜」
「いや。変だったから、思わず」
「変ってなんだよ。大事な緑子さんのことなんだぞ? 緑子さんがどこで生まれて、どこで育って、どこにご両親がいるのかがやっと分かったんだ。こんな大切なことって……あれ、静夜?」
 美少女のような顔立ちの少年は、うつむいて体を震わせている。隣りの雄夜がハッと表情を強張らせると、まるで逃げるように後ろに下がった。
 智帆は良く分からずに、友人の肩に手を伸ばして、はたかれた。
 驚いた智帆の視界に、完全に据わってしまった静夜の目が映る。
「……この……」
「え?」
「こんの馬鹿ーーっ! 何かに巻き込まれてるんじゃないかと思って心配してたら、よりによってカメの出生を追ってただって!? 僕らがあんな目にあってたってのにさ、カメっ!」
「静夜!? なんでお前が、口より先に手を出すんだよ。性格違うぞ、キャラ違うぞっ!」
 さしも冷静な智帆も驚いて、向かってくる攻撃から緑子さんの入った籠と頭を庇って懸命に逃げる。最初こそ反撃していなかったのだが、静夜の一方的な主張に腹が立ってきたらしく「緑子さんのルーツを探るのは、俺の重大な事柄だったんだよ!」だとか言って反論が始まった。
 口達者で頭の回転の速い二人の口論なので、飛び交う言葉は小難しい。けれど子供同士の喧嘩にしか見えなかったし、次第に二人が笑いをこらえるような表情になってきたので、雄夜は口出ししなかった。
 かわりに、智帆が器用に退避させたカメの緑子さんの入った籠を持ち上げる。
 中のカメはひょっこりと顔を覗かせて、雄夜を不思議そうに見つめる。
「かわいいな」
 雄夜はカメを見つめて、なにやら楽しそうだった。
 ――本当は、爽子の能力だとか、久樹の力だとかについて、話し合う必要があったんじゃないんだろうか?とは、一応三人とも思っていた。
[完]

 

[完]

後日談


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