[第三話 紅葉、舞う]

前頁 | 目次 | 次頁
No.03  距離の問題


 ――風に気をつけて。
 彼の双子の片割れは別れ際に言った。
 風を操る主である、風使いの友人のことを彼らは信頼している。ならばこの風は、自分達を出口に導くものであると雄夜は信じた。
 疑いを深められてはたまらぬと、雄夜は実際に見える非常口を目指すと全員に伝える。隣でじっと彼を見詰めていた梓は、非常口ではない別の何かに気付いたのではと思ったが、口にはしなかった。
 亮がぽんと手を打つ。
「そっか、外の階段があるよな。そこから外に出れるんだ」
「――ああ。今はもう足元が危ないから走るな。全員手を繋いで行く」
「全員!?」
 雄夜らしからぬ提案に、全員がぽかんとした。
「あそこの非常口までは随分と暗い。はぐれた奴が出て分からなくなる位なら、手を繋いでおいたほうがいい」
「あ、言われてみりゃあそうか」
 雄夜たちが今まで走ってきた廊下は、月明かりが入ってきている為に周りを確認することが出来た。ただここから非常口までの距離は随分と暗い。手を繋ぐのは悪い提案ではなかった。
 一人ずつ手を握り合う。その間も、雄夜は意識を更に研ぎ澄まして風を探していった。単に流れているだけに感じる風だが、意識すれば流れている場所と流れていない場所とがあると分かる。風が導く道以外を踏めば、取り返しのつかぬ事になるかもと彼は思った。
 慎重に前に進む。雄夜の緊張が伝染してか、手を繋ぎあって続く生徒達も意識を張り詰めさせているようだった。一歩、一歩、探るように前に進む。
 非常灯の独特の光が雄夜の額を照らした。
 それでもまだ慎重を崩すことなく、雄夜はそっと手を伸ばしてノブを握る。
 出られるのか、出られぬのか。躊躇した後、雄夜は一気に扉を開けた。
 新鮮な空気がどっと流れ込んでくる。
 さらりと乾いた秋の風だ。冬を内包した風が、ここ二三日でぐっと色づきを深めた紅葉の葉を飛ばしている。高等部風鳳館の紅葉は、なぜか他の地域よりも早く色づくことで有名だった。
 しんと静まった外の気配には、異変の影など何一つもない。
 続いていた生徒達から歓声がもれ、次々と外の階段に出て行く。気の早い生徒は駆け足で階段で降りていくのを見つめながら、雄夜は扉を開けたまま全員が出終わるのを待った。
「なあ、雄夜……」
 最後の一人である亮が、呆然とした声で友人を呼ぶ。雄夜は振り向いて、切れ長の眼差しを見開いた。
 先ほどまであったはずの、荒れ果てた校内がなくなっていた。
 廊下の電気は煌々と灯されている。廊下は真直ぐに伸びており、亀裂が走った気配など何一つなかった。
「な、んだ?」
 愕然となる。先ほどまで確かにあった崩れた廊下はどこに行ったのか。――そして。
「静夜っ!」
 悲鳴に近い声をあげて、雄夜は再び中に入っていこうとした。その腕に慌てて飛びついて、梓が声をあげる。
「雄夜くんっ! 落ち着いてっ!!」
「離せっ!」
「離さないっ! 入ったらダメだよっ。静夜くんが桜を探しに行った場所とここは違う。何でかよく分からないけど、違うよっ!」
「――違う……」
「変だと思ったの。だって、私たちが作ってた大道具とかなくなってたでしょ? 違ってたのは、さっきまで居た場所だよ。だってほらっ」
 梓はすっと指を伸ばす。長く伸びた廊下と、廊下の先に見える二年A組。遠いのでよくは見えないが、廊下よりの窓には、幾つかの大道具が立てかけられているのが分かった。
 先程までいた、崩れた教室には存在していなかったものだ。
「桜がどこにいっちゃったのか。ううん、私たちがさっきまでどこにいたのか。それを考えないと。でもその前に、みんなを家に帰したほうがいい。亮君だってそう思うでしょう?」
 突然に話題を振られて、亮は驚きながらも頷く。
「そうだな。俺、ちょっと帰るようにって言って来る。それから三人で探そう。北条と、静夜をさ」 
 言いながら、亮は思い出していた。
 白鳳学園で不思議なことが立て続いているという噂。それに関与しているのが寮生であるという話。そして昔から不思議な所を多く持ち合わせていた、大江兄弟と智帆の存在。
 奇妙なことに関与している。その、生徒は?
「……俺さ、雄夜たちのこと友達だと思ってるから。それは、何があっても変わんないよ」
 まとまらないままに呟くと、亮は螺旋階段を下りていった。外から無事な風鳳館と二年A組の姿を確認してしまって、驚愕している生徒達をまとめて帰すために。
 梓は雄夜の隣に残って、そっと彼を見上げる。
「ごめんね、偉そうなこといって」
「――いや、いい。感謝してる」
「感謝?」
「色々と。今日のことで、秋山を見直した」
「えっと……なんで?」
「しっかりしてるなと。俺は外見で人を判断するところがある。静夜にはよく怒られるよ」
 目を細めて、雄夜はしんと静まった校舎を見やる。それが迷子の子供のように見えて、梓は驚くと同時に納得した。二人の間には壁があるように彼女は感じてきたけれど、実際はやはり独特のつながりを持つ双子なのだと。
「大丈夫よ、見つかるって。桜も静夜くんもしっかりしてるもの」
「見つける」
「うん! あ、亮君が戻ってきた」
 梓が明るい表情で手を振る。雄夜はなんとなく励まされた気分になって少し緊張を解くと、彼は静かに炎の朱花を呼んだ。
『お呼びで?』
 轟と燃える炎をまとう鳥が舞い降りる。唇の中だけで「智帆たちが来ているはずだ。朱花は久樹さんの補佐を」と、雄夜は囁いた。
 梓と亮と行動を共にする以上、問題の根本にある邪気の浄化に尽力することは不可能に近い。ならば少しでも、浄化能力を持つ織田久樹の力を引き出すきっかけになればと雄夜は思っていた。


 双子の片割れを振り返ることなく、静夜は走っていた。
 二年A組の扉はすぐに見え、すぐに中に飛び込んだ。先ほどの激震のためか、床に降り積もった塵芥が再び空中に舞い上がって視界をつぶしている。二度、三度と咳き込むと「誰かいるの?」と呼ぶ声が響いた。
「北条、どこ?」
「え!? 静夜くん? え、なんで?」
 ひどく驚いている声に、静夜は憮然と聞こえた方角に体を向ける。目を凝らすと、倒れた扉に足を挟まれた桜を確認することが出来た。
「あのさ、北条。誰か取り残されてるんじゃって心配になったんだろうけどね、一人で戻ることないだろ?」
 ため息交じりに首を振って、静夜は桜の前にかがみこんだ。
 倒れた扉の上に、倒壊した瓦礫が乗っている。足そのものを押しつぶしているわけではないが、くるぶしが引っかかって抜けなくなっているのだ。
「あ、あのね、静夜くん……」
 北条桜は、他人の心配はするけれど、逆に心配されることが少ない少女だった。
 自分を助けようとしている静夜に何を言えばいいのかが分からず、ただ端正な横顔を見つめている。
「これで足、出せるよ」
 瓦礫をのけおえて、静夜は扉の端を持ち上げた。
「痛い?」
「大丈夫……なんだけどっ!!」
 桜が立ち上がった拍子に、蓄積した埃をジャンパースカートが巻き上げる。二人とも埃で真っ白になって、咳まじりの悲鳴を上げた。
「と、とにかく廊下に出よう。ここよりマシだから」
「そ、そうだね。えっと……」
「北条? あ、眼鏡か」
 おろおろと周囲を見渡す桜の仕草に、ピンと来て静夜は薄暗い教室内を見渡した。フレームの折れた眼鏡を見つけて、かがみこむ。
「眼鏡壊れちゃってるね。これじゃあ掛けれないかな。北条、足元は見える?」
「あ、うん。まあなんとか。物がどこにあるか位は分かるよ、細部までは分からないけど」
「だったら安全とはいい難いよね。転ぶと大変だから」
 ごく自然な動きで手を差し出されて、桜は戸惑う。
 静夜が固まった桜を促すように首をかしげた。
 硬直しているのも奇妙なので、おずおずと手を伸ばす。途中で、するっと手をとられた。
 静夜の手は、見かけの華奢さの通り、女性のもののような繊細さだった。それでも、大きさが違う。まるでお互いに手を繋いでいるというよりも、包まれているような感覚を覚えて、桜はふっと子供の頃を思い出していた。
 桜がまだ、三姉妹の長女ではなく、一人っ子だった頃のこと。思う存分、親に甘えていた頃のことだ。
「北条?」
「え、あ、ううん。ごめん、なんでもない」
「そっか、手をつなぐの嫌だったよね。ごめん、じゃあ」
 手が、離れそうになる。
 慌てて桜は手をぎゅっと握り締めた。
「いいの! このままで、いい」
「北条? いや、北条がいいならいいけど」
 追求はせずに、静夜は手を引いたまま桜と共に教室を後にした。埃が充満してきた教室よりも廊下は快適で、少し安心したような表情で振り向く。
「北条って、智帆よりは目がいいんだね」
「どうして?」
「智帆だったら、固まって動かないんだよね。眼鏡が見つからないと。本当になんにも見えないし、距離もつかめないから怖いんだって言ってた。前なんて、眼鏡探してくれって電話してきたこともあったよ」
「視力悪くなりすぎると、染みなのか段差なのかも分からなくなるからね。それにしても静夜くん、梓とか宇都宮は?」
 無人の廊下に驚いて、桜は辺りを見回している。静夜は目を細めて首を振った。
「逆側の非常階段に向かったと思う。こっちに残ってるのは僕らだけだよ」
「こっち?」
「さっきの地震で床が割れたんだ。北条がいなかったから、僕はこっちに来たけどさ」
 とにかく別の出口に進もうとして、ふっと静夜は息を呑んだ。
 飛び散る白い視界の中に、塵芥ではない”モノ”が浮遊するのを見つけたのだ。
「邪気?」
 驚いて意識を研ぎ澄ます。そうすれば、今まで気づけなかったことの方がおかしかった程に、多くの邪気が浮遊しているのを認めた。排除した光の玉の邪気よりも弱いが、間違いない。
 学校には多くの感情が存在している。
 子供たちに与えられた学校という世界は狭くなりがちで、悩みも似た傾向を持ちやすくなる。たとえば成績のこと、教師のこと、友達のこと、恋愛のこと、進路のこと。これらが邪気を生み出しやすい環境にしているのは否めないが、幾らなんでも邪気の数が多すぎた。
 なにかが邪気を増幅させているのだろうか?
 息をつめ、意識を絞り、静夜は学園を包み込む邪気の気配を探ろうとする。
 そうして一つ、おぞましい悪意を見つけて息を呑んだ。
 桜の手をとっていない方で、口元を押さえる。胸がむかついて、ひどい吐き気がした。
「どうしたの?」
 心配そうな声に、静夜はのろのろと首を動かした。
「なんでもない」
「ないって、静夜くん」
「なんでもないから。とにかく、行こう」
 桜を促して、まるで逃げるように走り出す。
 先ほど捕らえた邪気の悪意が、静夜にこびりついていた。
 間違いなかった。自分たちはこの邪気に、憎まれて、呪われて、恨まれている。
 二年A組は、学園中の人間に仲良しクラスだと知れ渡っている。
 人間関係の問題を一つも抱えない恵まれた環境は、当然だが珍しいもので、学園に通う生徒全員に与えられた恩恵ではなかった。
 苦悩し、泣き叫び、学校にこれなくなった生徒も、やはり存在している。
 そんな者たちから見れば、二年A組の生徒たちだけが箱庭の中で守られているように見えて、恨めしく思うのも仕方ないことかもしれなかった。
 逆恨みだと糾弾しても意味はない。本人が辛い環境にいればいるほど、恵まれた環境にある者を妬む気持ちもまた増えていく。
 ――妬みと、憎悪は、やがて邪気となる。
 二年A組の生徒たちに牙を剥くために。
「ねえ、やっぱり苦しそうだよ! 無理、してるんでしょ?」
 引かれた手を逆に引き返して、桜は足を止める。
「……北条」
「話しにくいこと? どうしてそんなに苦しそうにしてるの」
 二人の視線はまっすぐにぶつかり合った。
 薄くいれた紅茶の色をした少年の瞳が、今、悲しみにうちひしがれていると桜には感じられるのだ。
 繋いでいない方の手で、桜は静夜の手を包み込むようにした。
 何をいえばいいのか分からないし、何を言っても違うような気がする。
 それでも、目の前にいる静夜が辛そうでたまらなかった。
「大丈夫だよ」
 やっと、言葉を思いつく。
「え?」
「大丈夫、大丈夫、大丈夫。静夜くんも私も大丈夫。だから、笑って」
 まっすぐに見詰め合っていた目をふと細めて、桜は微笑む。いつもは眼鏡のレンズの下にある彼女の瞳は、きらきらと輝いていた。
「大丈夫だって思っているほうが、解決できる。そうでしょ?」
「あ……」
 これは今日、静夜が桜に言った言葉だ。
 大丈夫だと思っていないと、苦しくなるから。だから良い方向に物事を考える事にしているのだと。
「そうだね。大丈夫か」
 ――少なくとも桜は、自分自身が不幸になったとしても、代わりに誰かを恨むことはしない少女だ。
 肩の力がふっと抜けた。
 静夜の表情の変化を敏感に気づいて、桜は視線を廊下の奥へと移す。
「非常口、目指すんでしょ?」
「そりゃあ勿論。なにせほら、ここはぜんぜん快適じゃないからさ」
 二人はうなずくと、手をつないだまま走り出した。
 いくつかの教室を後にし、いくつかの水のみ場を後にする。
 目指すのは廊下の終わりで、ほとんど距離はない。にも関わらず、非常灯の元にたどり着くことが出来なくて、桜は眉を寄せた。
「なんでっ!?」
 体力には自信を持つ桜の息が弾む。
 静夜は永遠に続く廊下が邪気の仕業だと悟って、ほぞを噛んだ。
「少し休もう。北条、大丈夫?」
「う、うん」
 心配げな眼差しが自分に向けられていることに、改めて恥ずかしなった桜はうつむいた。背を壁につけ、そのままずるずるとしゃがみこむ。
 静夜は言わない。”委員長なら一人で大丈夫”と。 
「あのね」
 衝動的に、桜から言葉がついて出た。
「私ってね、もうずっと委員長ってだけ呼ばれてきたの。変な話なんだけど、別のクラスの子にまで委員長!って呼ばれたりするんだ。色々頼られもするし。それが嫌ってわけじゃないんだけど、時々……不安になる。私はそんなに立派な人間でもないのになって、思っちゃうから」
 漠然と桜が胸に抱えていた、形にもなっていなかったはずの不安が、こぼれ落ちるように唇からついて出て行く。
 静夜に訴えるべきことではないと、桜は分かっていた。なのに、口をつぐむことが出来ない。
「なんで全部私が決めるのかなって思って、怖くなることも多いの。全部の責任を背負うことなんて出来ないのに、気付いたら色んな責任を背負ってる。さっき一人で教室に戻ったのもね、怖かったからなんだ。誰かが取り残されていたら、”委員長がいたのにどうして?”って聞かれそうだって思ったから」
「そっか」
「怖くなるなんて変だよね。私ってば、強い人間のはずでしょ」
「あのさ、北条」
 苦しそうなクラスメイトの隣に腰掛けると、静夜は真っ直ぐな瞳を彼女に向けた。
「強いだけの人間なんてさ、いると思う?」
「え?」
 ふっと顔をあげる。静夜はどこか透明な表情をしていた。
「いないんじゃないかなって、思うんだ。本当はさ、みんな弱いんだよ。北条はさ、泣く前に対処しようと立ち上がるから。だからね、一見すると”強い”のかもしれない。でもそれって、誰かが勝手に抱いた感想なんだよ。北条は強いんじゃない。たんに、頑張りやさんなだけだよ」
 強くあることが当然だと思われた人間が、どれほど辛いかを静夜は知っていた。――彼自身、両親に”静夜は大丈夫だよね”と言われて、強い子供であることを求められていたから分かる。
「なにもかも平気な奴なんていないよ。僕だって雄夜だってそうだし、智帆だってそうだよ。みんな、君たちは強いからいいよねって笑うけどさ」
「……静夜くん、私、頑張ってる?」
「少なくとも僕はそう思っている」
 静かな断言に、桜は自分の頬がかぁっと熱くなるのを感じた。それと同時に泣き出したくなって、慌てて額を膝につけて突っ伏す。
 けれどまだ一つ。
 あと一つ、静夜に聞いて欲しいことがあった。
「静夜くんにね、お願いがあるんだ。変なお願いなんだけど、いいかな」
「いいよ、北条のお願いなら」
「静夜くんにね、桜って呼んで欲しいの」
「――え?」
「あ、他意はないのよっ。ただね、ほら、私って委員長!ってだけ呼ばれちゃって、桜って呼んでくれるの梓ぐらいだから。だから、名前で呼んでくれる人が増えるといいなぁって」
 慌てて早口になる桜を前に、静夜は少し笑う。
 答えようとして、手を伸ばした。瞬間。
 ――激震。



 前頁 | 目次 | 次頁

竹原湊 湖底廃園
Copyright Minato Takehara All Rights Reserved.