[第三話 紅葉、舞う]

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No.04  不調和


「あれ、出ないなぁ」
「先に静夜にぃたちの家にいってるんじゃないか?」
 爽子の隣をさりげなく押さえながら、巧が声を上げる。「そっか」と言って走り出すと、将斗は双子の家のチャイムを鳴らした。
 扉はすぐに開き、静夜が顔を覗かせた。
「時間通り。お腹一杯食べたあとの将斗は格別に元気だね」
「静夜兄ちゃんは眠そうだなー」
「爽子さんから事情は聞いたろ? 今日一日微弱とはいえ、邪気を静める結界を張ってたんだから、眠いのは仕方ない」
 子供のように静夜が愚痴る。将斗は背伸びをして年上の友人の頭を撫でて、部屋の中に入った。まず顔ぶれを確認する。それは迎え入れる静夜も同じで、二人は同時に「いない」と声を上げた。
 本日八時に再び集合を約束したはずの、秦智帆がどこにもいないのだ。
「智帆の奴、なに考えてるんだろ」 
 静夜の苛立ちに驚いて、久樹と爽子は顔を見合わせた。静夜に対しては、争いをあまり好まぬ優しい性質の持ち主だと思っていたのだ。逆に巧と将斗は落ち着いている。
「静夜、その怒ってるのか?」
「智帆の奴、乗り気じゃ全然ないみたいでね。別に気にかかることがあるみたいなんだ。大切なことなんだろうけど、ちっとも言ってくれなくって」
 言いあぐねた様子で口をつぐむ。「面白くないんだ?」と、すこし悪戯っぽく爽子は尋ねた。
「智帆くんが、自分達をないがしろにしてる気がして」
「別にそういうわけじゃあ……」
「そうかな? 私にはそう見える。ちょっと嬉しいかな」
「……ええ?」
 きょとんとした静夜の手を、爽子はぎゅっと両手で握る。
「静夜くんってマイペースでしょう? 他人のことを気にして、怒るとかってしないのかと思ってた。優しいんだけど、誰がなにをしても受け入れちゃう無関心さもあるのかなって。でもやっぱり、ほっとかれたら怒るし、気にもするんだと分かって嬉しくて」
 そう思わない?と久樹は漆黒の瞳を向けられて、肯いた。
「智帆とはまた違う感じだけどな。あんまり他人に興味はなさそうだな、とは思ったな」
 幼馴染み二人のいきなりの言葉に、静夜はすこし冷めた眼差しになった。かわりに、ベッドを占領していた初等部の二人が悲しそうになる。実際、心がひどく苦しかった。
「あのさぁ、そういう言い方って結構ひどいよ? それにさ、静夜にぃだって、智帆にぃだって、すごくいろんな事を気にしてるんだしさ。気にしてなかったら、邪気なんてほっとくよ。そんな風に思って、しかも言うなんて、ちょっとひどいよ」
 大好きな爽子がそんなことを口にしたのも辛かったのだろう。しょんぼりと巧がうなだれてしまったので、かばわれた静夜のほうが慌てた。
 久樹と爽子は自分達の失敗に、大慌てで首を振る。
「ごめんっ。あのね、他人を気にしない人間だって思ってたわけじゃないの。そうも見えるなって思っちゃって。だからこそ嬉しかったのよ。他人のことを気にして、心配しすぎて怒ってる静夜くんが見れて。ごめんね、誤解するようなこといって」
「僕が気にしないのは簡単だけど、雄夜がね」
 巧の頭をくしゃくしゃ撫でて、なにやらぶっそうな事を静夜は口にする。
 必死に謝っていた二人は、視線を感じておそるおそる振りかえった。壁を背に、腕を組んだ雄夜が立っている。切れ長の眼差しは剣呑な気配をたたえて、じっと二人を睨んでいた。
 身内に向けることのない、本気の怒りを感じ取って固まる。このまま凍りつきそうになった大学生の肩を、ベッドから降りた将斗が叩いた。
「もう二度と言わないでよー」
「ごめんね」
「俺が言われたんじゃないし」
「でも、傷つけちゃったから謝りたいの」
 真剣な瞳に、うんと肯く。
 静夜は久樹に必死に謝られて困惑気味だった。雄夜は病み上がりの巧が辛そうなことに気づいて、横になるようにと声を掛ける。
「もう八時半だねー。智帆兄ちゃん、なにしてんだろ」
 手持ち無沙汰そうに時計を見上げて、将斗はぼやいた。三十分の遅刻に眉を寄せ、静夜は玄関に向かう。
「どこに行く?」
「ちょっと探してくる」
「探す当てはないだろう。そろそろ来る」
 言葉少なに止めたところで、暢気なチャイムの音が響いた。
「来た」
 玄関に走ろうとした静夜を、雄夜が阻止する。
「行くな。喧嘩になる」
 低く静止して、雄夜が玄関に向かった。静夜はバツが悪そうに唇を噛む。
 玄関からは「遅くなった」と智帆の声と、「何をしていた?」と尋ねる雄夜の声が響いてきた。
「今日の夜に帰るって聞いたもんだから、慌てて駅まで見送りに行ってきたんだ。とりあえず俺が頼んだことは、地元で調べてみるって言ってくれたんだけど、本当に調べてくれるのかどうか」
「何を調べてる?」
「怖い顔するなよ。って、怖い顔なのは静夜か」
 雄夜の追及をかわしたものの、部屋の奥に静夜の不満げな眼差しを見つけて、不愉快そうに肩をすくめた。
「遅れたのは悪かったよ。だけどさ、八時過ぎるかもしれないとは言ったよな、俺」
「そうだね」
「俺がやってること、全部話さなくちゃいけないってワケじゃないだろ」
「そりゃそうだよ。智帆の行動を監視する気なんてない」
 かみ合わずに、会話はどこか冷え冷えとしている。
 このまま傍観している場合ではないと、久樹は二人の間に割って入った。
「智帆、静夜は不安なんだよ。お前の態度があまりにいつもと違うから、今回のことに乗り気じゃないんじゃないかってな」
「信用ないな。事件に困ってるのは同じだぞ。乗り気じゃないわけが……」
「だから! 早く解決しようとしてるんだろっ」 
 間の久樹を避けて、ついに静夜は苛立った声をあげた。
 二人はここまで激しくぶつかり合ったことがない。大抵は言わずとも理解できたのだ。それが初めてこうも乱れて、智帆と静夜が誰よりも困惑している。
 途方にくれる片割れと友人の肩に、雄夜は手を置く。
「邪気の影響を受けているな」
「俺らが?」
「邪気の発生がいつかは分からない。邪気は人の心に悪影響を及ぼす。俺達が気付かない間に、ゆるゆると影響を受けた可能性はある」
「たしかに一理あるか。雄夜も色々考えるんじゃないか」
 智帆がちらりと皮肉をぶつける。
「お前達が普段通りだったなら、俺が考える必要はない」
「思考を放棄するなよ。しっかしやりにくい。静夜と壁が出来るだけで、こんなにやりにくくなるなんてな。俺が悪かったと認めるから、とっとと始めようじゃないか」
「智帆」
 鋭い声を静夜が投げる。
「ん?」
「邪気の影響だったで済む話じゃないよ。僕はね、智帆になんでも話せ!とまでは流石に思わない。でも少しは話せよとは普通に思ってる」
「それが束縛じゃないとするなら、なんだ?」
「……心配なんだよっ」
「俺を!?」
 びっくりした声をあげた智帆の表情には、心配されることに慣れていない者の困惑があった。見守っていた雄夜と久樹は、智帆の様子に目を見張る。
 静夜は吐息をついて、かぶりを振る。――能力を持つ者が側におらず、常に己を疑って生きてきた智帆の中に残された傷を垣間見た気持ちになったのだ。
「ああ、もう、そんなの当たり前だろ。とにかく、今は本題に入ろう」
 こんなにも多くの目があるところで続ける話題ではない。静夜は智帆の手を引っ張ってテーブルにつかせた。ベッドで横になっていた中島巧も起きて、全員で囲む。
「風鳳館の様子を、ここに映し出すから」
 静夜が滑らせた細い指の軌跡に従って、テーブルが水の鏡に変じて行く。どこまでも深い泉に似た水。同時に青き水の力は、雄夜の体をも包み始める。
「雄夜に結界?」
 久樹が不思議そうな声を上げた。
 高校生たちの会話を昨日聞いていた爽子が「雄夜くんにかかる破壊衝動を減らすためだって」と囁く。
「なあ、ちょっと待てよ。俺らにも風鳳館の様子が見える必要があるってのは分かる。でも、なんで静夜がやる?」
「――え?」
 爽子を除く全員が、久樹の声に静止した。
「だってそうだろ? 雄夜の式神は、それぞれの属性と同じ性質をもつ俺らの力を伝達できるんだよな。だから、静夜と水の蒼花とで力を共有できる。ってことは、風の白花は智帆の力を伝達し、炎の朱花は俺の力を伝達し、大地の橙花は巧の力を伝達する」
「それがどうかした?」
 静夜は面食らっていた。
「だって変だろ。静夜の力は”向こうの様子を俺らに見せる”為に使うよりも、浄化に使ったほうが良くないか?」
「そりゃあそうなんだけど。でもさ」
 中継はしなくちゃいけないんだしと続けようとした静夜を、久樹が手を持ち上げて止める。
「月が出てる。光は窓を多く持つ風鳳館を照らすし、廊下には非常灯だ。行くのは炎の朱花で、光源に問題はない。ここには光ある場所を視る将斗がいる」
「――あっ!」
 高等部の三人組が驚きの声をあげた。初等部所属の二人組は目を輝かせる。
「そっか! 将斗の力って上がってきてるから、誰かの危機じゃなくても遠くを視ることが出来る。実際夏には、将斗が見ているものを共有した事もあるんだった」
「でも、俺が見たものを形にしたのは静夜兄ちゃんだったぞー」
「そうだっけ」
「うん、そう」
 急激にしぼむ風船のようになる。智帆は黙って、静夜を見やった。
「なんで全部自分達でやろうとするんだって昨日言われたけどさ。その答えって、これだと思うか?」
 ひどく微妙な問い。
 彼等は、中島巧と川中将斗が持つ能力が、月日を重ねる毎に強くなっていることは理解していた。それでも、非常時以外は戦力と見なしていなかったのだ。
「勝手に僕らだけでやろうとしてるって非難されるのも、仕方なかったのかな。智帆、巧のサポートは任せた」
 テーブルの上に作り出した水鏡を消失させる。智帆は項垂れている子供達の肩を叩いた。
「将斗のサポートは俺がする。巧、お前もだ」
「え!? 俺も?」
「将斗の力に最も干渉できるのは巧だろ。お前らの力は上昇してる。コツさえつかめれば、巧のサポートだけでも可能さ」
「本当にっ!?」
「俺が保証する。久樹さん、ありがとな」
「別に礼を言われるほどのことじゃ……ありがと?」
 珍しい言葉に驚いた久樹に、智帆は皮肉っぽい笑みを向けて手を振る。爽子は傍らを見上げて、「嬉しそうね」と肘で幼馴染み小突いた。
「なんかこう、ちょっと感動したと思ってさ」
「そうね。久樹達の距離って、ちゃんと縮まってる」
「嬉しいよな」
「……うん」
 頷いた幼馴染みの、微妙な声のかげりを珍しく見落として、久樹は少年達の動きを見守った。
 雄夜の呼び出した式神が、雄大な翼と淡く光る鱗とを空中に舞わせて飛び立つ。静夜は水をまとい、智帆は子供達の両手を取って何事かを囁いていた。
 風が、さらりと吹いた。
 冬の外気が内包する鋭さによく似た、秋の夜の冷たい空気が部屋を包む。持ち上げられてはためいたカーテンの奥で、煌々と夜を照らし出す満月が、白き光を闇夜に放っていた。
「光が……」
 差し込む光を前に、風が小さな粒子となっていく。瞳には普段映らない、大気中に眠るありとあらゆるものがきらめく感覚に圧倒されて、爽子は目を閉じた。
 光。それは光が道を駆けあがる感触。
 再び瞼を押し開いた時、そこに光のスクリーンが生まれていた。



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