[第三話 紅葉、舞う]

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No.03  不調和


 翌日は、午前中にしとしとと冷たい雨が降り続け、夕方を迎えていた。何か起きるかと身構えていた一人、二年A組の担任教師の村上は、放課後の職員室で拍子ぬけした表情でお茶を喫する。
「村上先生、どうしたんですか?」
 のんびりとした声に振り向けば、全学園を統括する保健医・大江康太の姿があった。村上は目を細め、持ち主が帰宅した隣の席を示す。
「ちょっとクラスが不穏な感じで、どうしたのかしらって心配中です」
「へえ、その割には拍子ぬけした表情だ。今日はなにもなかったんです?」
「当たりです。そうだ。康太先生の甥っ子の静夜くん、今日は随分と具合が悪そうでしたよ」
「しーちゃんが? それは珍しい」
 目を丸くして、康太は示された椅子に腰掛ける。
「雄夜くんのほうが、年に何度か高熱を出して寝込みますよね」
「ユウくん……ああ、すみません。雄夜は小さい頃は体が弱かったんですよ。今は随分強くなったんですが、まだ時々」
「小学校の頃は休みがちだって、中学の先生から連絡を貰ってます。最初は静夜くんのことかと思ったのに、雄夜くんだったから私驚いて」
 当時の驚いた顔を再現する村上に、康太は破顔する。
「雄夜みたいに苦しんでいる小さい子供を、助けれたらいいなぁと、昔は小児科医を目指してたんですよ。気付いたら保健医におさまってましたが」
「仲良かったんですね」
「両親が早くに逝ったので、兄弟関係はばっちりでしたよ。兄が父親に見えるときもあります。その兄に、二人をちゃんと見ているようにと厳命されてまして」
「だったら」
 悪戯っぽく笑うと、村上は彼女が作成する生徒一人一人の資料を持ち出して胸に抱えた。
「簡易家庭訪問が出来ますね。康太先生、尋ねてよろしいです?」
「ええ、どうぞ」
 ほんわかと笑う保健医に、なぜか鋭い視線を送る。
「秦智帆を含む三人。怪我が多いことに気づいてます?」
「男の子同士の喧嘩って、怪獣決戦並ですよねえ」
 昔二人の喧嘩を仲裁しようとして大変な目にあったこともありますと力説する康太を、やんわりと村上は静止する。
「怪我をしているのは、たんなる喧嘩が原因だと考えてるんですね」
「それ以外の理由で怪我なんてしていたら、兄にお仕置きされてしまいますよ」
 浮かべている微笑を崩さぬ穏やかさだが、どこか硬質な響きがあった。なんらかの拒絶を感じ取って、村上は切り口を変える。
「白鳳は怪奇学園だって噂、知ってますか?」
「あれ、新しい七不思議ですか? 知らないなぁ」
「残念ながら七不思議は変わってませんし、日曜日の学園祭出し物のお化け屋敷についてでもありません。現在流れている噂ですよ。”白鳳の生徒が関わる、奇妙な出来事が存在する”ってね」
「噂話はいつもありませんか? なにか特別なことでも?」
「奇妙な出来事が実在する証があるって続くんですよね、この噂」
「証?」
「修理が必要なものが、異常なほどに増えてるってことです。康太先生、春に桜が異常な開花をし、その後燃やされたことを覚えています?」
 ――春先の異常開花。
 村上は目撃していないが、大江康太は桜の異常開花も、燃やされた桜も目撃している。けれど康太はなにも言わずに、ただやんわりと頷いた。
「随分騒ぎになりましたよね。原因はわからなかったらしいですけど」
「あの桜の周囲の物、実際に早くに壊れましたよ。近くにあったベンチは全滅して、アスファルトも少しずつ張り治しています。大学部の丹羽教授の部屋も、物が壊れているそうで」
「変な話ですけれど、どうしてそれを私に? 家庭訪問中の話題であることを考えると、村上先生は私の甥っ子とその友人を疑っていますか?」
「丹羽教授から、あの子達が何か関わっているのではと言われています。それになにかに巻き込まれているのでは?って心配で。あの子たちは本当に責任感が強すぎて、あの強さこそが脆さに感じられるんですよ。あの子達は全てを自分の責任に受け取るでしょうから」
 白鳳学園で一番の仲良しクラスをまとめる教師は、預かる生徒の特性をかなり把握している。彼女から見れば、三人は傷つきやすい子供だった。
「三人の担任になることが決まった時に、私は驚きました。あの子たちが怯えているように見えてね。あの子たちの担任に私がなれたことは、幸運だと思いました」
「先生は、生徒の心を掴むのが上手いですからね」
「年の甲でしょうね」
「先生、ところで何歳ですか?」
「あらダメですよ、私の年齢は学園七不思議の一つだそうなので。そう簡単には言えないんですから」
 ふふと笑って、村上は背筋を伸ばした。
「私は担任として、生徒たちが何を背負うのかを知りたいと思います。話して欲しいけれど、話してもらえなくても、理解を諦めるつもりはありません。彼らが他人を傷つける子供たちではないことを私は知ってますから」
「傷つけることはしないと思っても、気になると?」
「二年A組で喧嘩が起きる。気になりますよ、やっぱりね。明日の居残りを許可したことを後悔してもいます。明日、私は夕方からいないから」
「ああ、だったら。私が放課後に様子を見にいきますよ」
「頼めますか? 康太先生なら安心ですから」
「どういう意味でですか?」
「色々と」
 意味深に囁くと、村上はふっと顔を上げた。
「喋りこんでしまいましたね。暗くなり始めました。でも雨雲が遠くにいったせいか、綺麗な空だわ」
 小さく村上が呟く。視線の先では、闇に飲まれ始めた空が佇んでいた。


 白梅館の一室で大江雄夜はぼんやりと外を眺めていた。
 普段は賑やかにしている時間だが、今はシンと静まり返っている。彼の背後には、学校から帰ってきた途端にベッドに倒れこんだ双子の片割れがいた。
 雄夜は、眠る静夜があまり好きではない。
 無防備になると、片割れは脆い存在に見える。それが嫌で、昔は近寄ることさえしなかったのだ。今でも脆そうな外見はやはり苦手だが、異能力を持つ仲間たちに出会い、事件を乗り越えるようになってから、少し考えが変わった。
 人の脆さは外見や性別によって生まれてくるものではない。それに気付いてからは、雄夜は世界で一番頼れる相手は静夜だと考えている。
 窓辺から視線を引き剥がして静夜を見たが、身体を丸めたまま起きる気配もない。さてどうしようかと思ったところで、ためらいがちなノックの音が聞こえた。
 チャイムではなく、ノックであることに疑問を覚えて雄夜は玄関に足を忍ばせる。画面を表示させると、バスケットを片手にした斎藤爽子が映った。
「爽子さん?」
 急いで扉を開けると、爽子は軽く笑う。
「静夜くん、寝てる?」
「帰ってきてからずっと」
「やっぱり。疲れるって言ってたから、夜まで寝てるんじゃないかしらって思ったの。雄夜くん、これ」
 はい、とバスケットを渡す。
「お弁当。少しお腹に入れておいた方がいいと思って」
「ありがとう」
「これぐらいしか、私に出来ることないしね」
 声を落とし目を伏せる。それが自分自身の非力さを責める時の静夜の仕草に似ていたので、雄夜は開いている手で爽子の肩を掴んだ。
「自信を持っていい」
「え?」
「爽子さんと久樹さんは、すぐにこれは変だって怒るだろう。それがあるから、俺たちは気づけるんだ。誰かを置いていってるんだって」
「誰かを、置いていっている?」
 突然の言葉に、爽子は食い入るような視線を雄夜に向ける。切れ長の眼差しは、視線を真っ向から受け止めた。
「俺たちはずっと、自分のペースでなんでもこなしてきた。自分が出来ることを勝手に各々がやるのが当たり前だった。爽子さんたちに会って、待ってくれって怒られるようになるまでは」
「もしかして、褒めてる?」
「ああ」
「なんだか、足を引っ張っているって言われている気もするんだけど?」
「言ってない」
「……ありがとう、雄夜くん。じゃあ、また夜ね」
「爽子さん、巧は?」
「うん、もう元気。昨日一日寝たら、すっかり元気になったみたい。今日は沢山ご飯も食べたしね。夜の集まりには大丈夫そう。今、将斗くんもきてる。そういえば」
 立ち去りかけた足をとめる。
「智帆くん、まだ帰ってないのね。お弁当いる?ってメールしたら、外で食べてくるからいいって。誰と会ってるのかしら」
「緑子さんに関係している人かな」
「え!? 緑子さんって誰!?」
 ぎょっとした爽子の前で、雄夜は大きく首を振った。
「俺にもよく分からない。落ち着いたら紹介すると言ってたが」
「彼女かな?」
「さあ」
「分かったら私にも教えて」
 約束、と言って踵を返す。ほんの少し先の自宅に戻って、爽子は玄関に増えた靴に笑った。
「久樹、来てるの?」
 中に声をかけると、一斉に返事があがる。
「よ、爽子お帰りっ」
「爽子さんっ! なんでこいつまで来るんだよっ!」
「諦め悪いぞー、巧」
「なんだか、家族に迎えられている気分。結婚したことないのに」
 笑いながら中に入る。
 爽子の幼馴染の織田久樹、初等部に通う中島巧と川中将斗が、窮屈そうにテーブルを囲んでいた。巧はすねながらカレーを口に運び、将斗は幸せそうに食べていたが、久樹の前に皿はない。
「久樹、カレーよそって食べればよかったのに」
「いえいえ、一応人様の家ですから」
 今更の遠慮をいぶかしむ爽子の前で、久樹はニヤリとする。わざと仲の良さを強調する久樹に巧はむくれ、将斗は気にせずカレーのおかわりをした。
「久樹兄ちゃん、菊乃の家でヤなこと聞いたよー」
「嫌な話?」
「んとな、菊乃と幸恵姉ちゃんのトコに、夏になにかあったの?って聞きに来る生徒が結構いるんだってさー。これって結構、ヤだよな」
「嫌なのか?」
「そりゃそうだよーっ。久樹兄ちゃんは危機感ないなぁ。幽霊って本当にいたのね〜って幸恵姉ちゃんが言ってる間はいいけどさ。もしアレが、俺らに関わってるって思われたら一大事なんだぞー」
「そういえば、昨日智帆たちも言ってたな。噂になるのは恐いって」
「怖いよー。本当に危険だから、いつも気を付けてるんだ」
「ねぇ」
 デザートのプリンを手にした爽子が口を挟む。巧が顔を上げた。
「静夜くんたちが警戒し始めたのって何時からなの?」
「春の事件が終わったあとから警戒はしてたよ。俺と将斗と違って、静夜にぃたちはかなり嫌な目にあったことがあるらしいからさ。春のあとなんて、丹羽教授がどんな人間なのかを調べて、警戒がいるなって言ってたくらいだよ」
「そんなに前からっ!?」
「爽子さん?」
「……驚いちゃって」
「静夜にぃと智帆にぃはかなり用心深いんだ。俺らは誰よりも臆病なんだろうなあって、二人とも言ってた」
 瞳を曇らせる巧と同時に、将斗も頷く。
「どっか距離があったよなー。雄夜兄ちゃんはそんなことなかったから、最初は雄夜兄ちゃんと遊びたくって会いに行ってたんだ。今は全員大好きだけど」
「将斗が一番好きなのって、菊乃ちゃんだろ」
「うわぁ! 巧、いきなり変なこと言うなよーっ!」
「変なこと? ふーん、じゃあ菊乃ちゃんにそう伝えておくよ。変なことって言われたと知ったら、きっと泣くだろうなぁ」
「やーめーれーっ」
 顔を真っ赤にして、将斗は巧に飛びかかる。初等部の生徒同士の喧嘩に、久樹は自分のプリンを持ち上げて立ち上がると、爽子の隣に立った。
「風邪が治ると、途端におとなしくなくなるな」
「今まで動けなかった分、テンション上がってるみたいよ?」
 くすくすと笑う幼馴染の横顔を盗み見て、久樹は「昨日言い忘れたけどな」と言葉を継ぐ。
「なに?」
「夜に一人で出かけたりなんてするなよな。学園内だって、夜は安全じゃないだろ。ふらふら女一人で歩くなんて、危ないぞ」
「ありがと。あーあ、早く智帆くんたちともこういう風に、砕けた感じで怒ったり文句言ったり出来るようになるといいな」
「どうでもいい相手じゃなくなるほど、口挟みたくなるもんな」
「私のこと、馬鹿にする?」
「しないよ。俺もあいつらの首根っこ掴んで、ちゃんと相談しろ!と訴えるとしよう。最近思うんだけどな、智帆と静夜って人見しりするんじゃないか?」
「あの二人が!? でも言われてみると、高校の友達と一緒の時と態度違うよね」
「かなりな。っと、そろそろ時間だ。将斗、巧、行くぞ」
 掛けられた声に、将斗が振り向く。
「よし、巧、今日の決着はまた明日な!」
「なんの決着だったっけ?」
「忘れた」
 転がるように外に出る。一番に飛び出した将斗は、爽子が靴をはいて鍵を施錠する頃には、智帆の家のチャイムを鳴らしていた。



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