[第三話 紅葉、舞う]

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No.02  不調和


 授業終了後、自転車でバイクを抜く特技持ちの大江雄夜は、大量の荷物を持ち帰る女生徒を後ろに乗せ、ついでに犬の散歩紐も持って、学校と送り先の家を何度も往復していた。
 差し入れを約束していた爽子には、延期になった時点で連絡をいれてある。
「というわけで八時。智帆、時間っ!」
「ああ、緑子さんがっ!」
 チャイムの連打で姿をあらわした智帆を、双子は無理矢理に扉から引き剥がそうとする。往生際が悪い態度に、双子は珍しそうに智帆を見下ろした。
「何事も執着しすぎることをしない智帆が珍しいよね。でもさ、今何が起きてるかわかってるだろ? 今回の一件が目立つことになれば、僕らの立場って結構命取りだよ」
「分かってるさ、そんなこと」
「しゃがみ込んだ体勢で威張られても説得力がね。雄夜、いっそ抱えていこうか」
「いいぞ」
 片割れの意見に頷いて、本気で智帆を抱え上げようと雄夜が屈む。魔手を素早く後ずさりしてかわすと、ツーポイントではなく全フレームの見慣れぬ眼鏡のずれを直して、智帆は立ち上がった。
「それが予備の眼鏡? なんかカラフルだね」
 フレームはダークレッドだ。
「前に一目ぼれして買ったんだよ。でもこれで学校には行けないだろ? だから予備だったのさ。でもしばらくはこれで過ごさないとな」
「踏み潰されたほうは?」
「帰りに店にもってったよ。おかげで、眼鏡がまた小さくなってしまう」
「なんで?」
 双子は同時に不思議そうな顔をした。興味津々の表情を受けて、智帆は眼鏡を外した。
「普段かけてるのって、レンズに穴あけてネジでとめてるんだよ。だから、今のより一回り小さいのじゃないと、新しいフレームに対応しないのさ」
「大変だね、眼鏡ってのも」
「保険が適用されるべきだと俺は思う」
「目が悪い人多いからね。智帆はコンタクトにしないんだ?」
「俺はよくモニター睨んだまま寝るからな。危ないだろ、コンタクトだと」
 目に張り付いたら大事だよと溜息をつきながら、智帆は観念して靴を履き替える。雄夜が気難しい顔をした。
「智帆、寒いぞ」
「へ? ああ、少し寒いかな」
 玄関脇にかけたハンガーからジャケットを取って着込むが、雄夜の表情は晴れない。静夜が肩を竦めた。
「雄夜は寒がりだからね。それじゃあまだ寒いだろって言いたいのさ。でもこの時期からマフラーってのもね。真冬はどうするんだろうって毎年思うよ」
「そういやぁ、雄夜は寒さに弱いっけ」
 夏に暑さに弱いことを二人は雄夜に馬鹿にされていたので、ここぞとばかりに責め立てる。雄夜は唇を引き結んだ。
「はいはい、今年は冬にゆたんぼを買ってあげるよ。じゃあ、行こう」
 電気が煌々と照らし出す廊下を進む。同じ階には久樹をはじめとする面々も住んでいるので、気付かれないようにと全員沈黙した。
 エレベーターを降り、エントランスを出ると、恐ろしい程の静けさが広がった。智帆がわずかに体を震わせる。
「学校で怪談話が多いっての、頷けるよな」
「生気が抜けてる感じがさ、ちょっと怖いかな」
 寮生活を続けても、唯一なれないのが夜の重さだ。
「寮生が、夜に外に出ないのもこのせいだろうな」
 二人に答える代わりに、雄夜は走り出した。
 ――用事を早く済ませてしまいたい。
 施錠された高等部風鳳館に入るには、雄夜の式神である大地の橙花の式神を使役する。物質を抜けうる式神が中に入り、窓の鍵を開けさせるのだ。
「あれ? 誰かいない?」
 静夜の緊張した声が、一同の足を止めた。雄夜は2.0の視力をいかして、遠方を確認する。
「爽子さんだ」
「ええっ!?」
 自分たちを疑っている学生課の本多里奈かと考えてた二人は、目を丸くする。
 風鳳館の校門に寄りかかっていた爽子も、三人に気付いて顔を上げた。一同に足早に近づいく表情には怒りが浮かんでいる。
「爽子さん?」
「どうしてっ!?」
 突然に声を荒げて、三人はびくりとした。高校生たちの反応に爽子は我に帰る。
「ごめん……」
「いや、いいんだけど。爽子さん、なにかあった?」
 気を取り直しての静夜が問うと、爽子は恨めしそうな顔をした。
「何かあったの?って、私たち聞いたよね」
「ああ、うん、聞いたね」
「あとで話すって言ったのに、何も話してくれなかったよね」
「まだ何も詳しいことは分かってないし」
「それが嫌なの」
 爽子の態度はおよそ彼女らしくない。同時に彼女の言動に動揺した高校生たちもらしくなかった。
 はっと、静夜と智帆は顔を見合わせる。
「感情を激させる邪気」
「なに?」
 緊張を走らせた二人に、事情を察した雄夜が爽子の腕を引いた。校門の横に立つ電灯が、突然不可思議な点滅を始める。
「まさかあの光って」
 静夜がじっと目を凝らしたので、慌てて智帆は友人の目を覆った。
「見るなってばっ!」
「え?」
「あれは、俺らにも作用するっ」
 校門から遠くに退避し、智帆は校舎を睨んだ。
「まずったな、これじゃあ簡単には近寄れない」
「式神だけで対処するか?」
 一人状況が飲み込めない爽子をそのままに、雄夜が提案する。智帆は悩む様子で、静夜を見やった。
「そうするか?」
「それしか方法はないかな。僕らが近づけないなら。よし」
 片割れの肩を叩く。
「雄夜、朱花と蒼花だけで行こう。式神の見る情報とこっちを繋ぐことと、蒼花の破壊衝動は引きうけるから。雄夜は朱花に全力を」
「了解した」
 機敏に動く友人の前で、なにか他にするべきことはと考える智帆の肩を、部外者にされた爽子がつかむ。
「だから、人の話も聞いてっ!」
「うわぁ!」
 耳元での大声に智帆は悲鳴を上げた。
 双子がぽかんと目を見張る。爽子はキッとした眼差しを、容赦なく二人にも向けた。
「三人だけで、なんでも解決しようとしないで。なんでいつも、何もかもを背負い込もうとするのよっ」
 悲痛な訴えに、雄夜は不思議そうに首を傾げる。
 状況を判断し行動の方向を決めるのは、智帆と静夜の二人であるべきだと雄夜は考えている。無責任なのではなく、託した相手を命がけで信じるのが雄夜の生き方なのだ。
 智帆と静夜は困惑していた。
「あの、そ、爽子さん?」
「なにか反論がある? だってそうでしょう。智帆くんも静夜くんも、何か起きたときになにも言ってくれない。解決の見込みが出来て初めて言うのよ。こういう事があるって」
「結果として、そうなってたかもしれないけど」
 静夜の紅茶色の瞳は動揺の色が濃い。
「私たちが頼りないことは知ってるの。特に私なんて、力はあるみたいだけど、なんの役にも立ってないし」
 瞳に苦悩をたゆとわせる爽子を前に、智帆は咳払いをした。智帆と静夜は爽子の能力が解放されていることに気づいている。
「爽子さんと久樹さんを、単なる役立たずだなんて思ってないよ。意図的に仲間はずれにするほど俺等は暇人でもない。静夜に俺が相談するのは、誰より一番身近であり、俺と同じレベルで物事を見ているからさ」
「それは、そうだと思う」
「だから決して俺らだけで背負おうとしているわけじゃない」
「でも結果としてそうなっているでしょう? ねえ、智帆くんたちには分かるかしら。方向を決めて、対処するって行為はね、それに従う者の全ての責任を背負うってことと同じなのよ」
「それはそうだろうさ。俺らの判断ミスで邪気を解決できなかったなら、責められるべきは俺と静夜だ」
「……そうよ。だから嫌なの。お願い分かって」
 勝気な彼女には珍しい、儚い表情で首を振る。
「邪気ってね、全員が真剣に接するべきことだと思うのよ。誰かが捨てたマイナスの感情が邪気となり、人に悪影響を与えるようになっていった。結果だけ見れば、邪気ってとってもひどい存在よね。でも実際はどう? 春と夏に出会った邪気は、二つとも悲しかった。怒りと憎しみと悲しみは、隣あわせの悲鳴だったのよ。だから思った。邪気を解決するのは、ひどく重いことなのだって」
「その感じ方は間違っていない」
 傍観者を決め込んでいた雄夜が口を挟む。爽子はありがとうと小さく言って、微笑んだ。
「今までの解決方法を見てて、そう思えたのよ。一生懸命に、邪気が安らかであれるようにと動いていたから。今までは成功だったからいい。でも、それがもし失敗したら? そう思えたら怖くなったわ。失敗したら、強制的に排除する方法を取るわけよね」
「それしか方法がないなら」
「その時はね、邪気を強制排除したことで、苦しんで悩むのは貴方たちだけになってしまうんだわ。それが嫌なの。すべてを背負わせたくない。こうしようと思う、こうかもしれない、そういう風に貴方たちが感じたことを言ってほしい。私達は聞いて、意見を出して、同意することで、決定する責任を一緒に背負いたい」
 ダメかなと締めくくって、爽子は高校生たちを一人ずつ見つめた。雄夜は少し頷き、静夜は瞳を伏せ、智帆は腕を組む。
 沈黙がしばらく横たわった後、智帆は腕を解いた。
「すこしびっくりしたかな。爽子さんがそういうふうに感じてたとは考えてもいなかったし。自分達は部外者なんだって意識があるんじゃないかって思ってた。なんだ、爽子さんたちを部外者にしていたのは、俺らの感じ方のせいだったのか」
 智帆は皮肉っぽい表情で「静夜は?」と友人の肩を叩く。
「久樹さんや爽子さんがいかに僕等を否定してないって言ってくれても、僕等が否定してたんじゃ意味がなかったよね。二人はこっちに歩み寄ってきたのに、僕らが近寄ってなかったなんてさ。考えたこともなかった。ごめん」
 智帆と静夜が謝罪するのを不思議そうに見守って、雄夜は首を傾げた。
「否定していたのか? 俺は否定してなかったぞ」
「さすがは動物的な直感の持ち主。二人が僕らに歩み寄っていたのを、匂いで感じてたんだ」
「匂い? 俺はスイと同じか」
 ぶつぶつと呟く片割れを無視して、静夜は爽子に向き直る。
「じゃあ、ざっと説明するよ。久樹さんに電話して、家に集まらせて貰おう。今日やろうと思っていたことは明日にする。それまで、風鳳館には水の結界で守ることにする」
「そんなことが出来るの?」
「今回の邪気は一つじゃないらしくてね。個々の力はそれほど強くもない。弱い結界を風鳳館の中に張っておいて、邪気がなにかに干渉しようとした時だけ、結界を強めることにしようかなと。あ、毎日そうしておけばって考えはなしだから」
「え、ダメなの?」
 案の定驚いた爽子に、静夜は苦笑する。
「疲れるんだよ。明日はきっと、風邪なの?って聞かれるに違いない」
「そうそう。で、可哀想に静夜を見て女の子だと思って一目ぼれする可哀想な男子生徒が生まれるわけだ」
 ちゃかす智帆を、静夜が睨む。
「そんなの僕のせいじゃないね。しかしやけにからむね、智帆」
「べーつに。まあ、そういう事で戻ろう」
 久樹に電話をしながら白梅館へと戻る。途中で爽子に、なんでここが分かったのかと尋ねれば、夜の居残りが中止になったのを聞いてもしやと思ったからだと彼女は言った。
 家についてまず、眠っている巧と、立花家に泊まりに行っている将斗には、後日もう一度全員で集まる機会を持つことを約束した。
 風鳳館内で邪気が発生していること。人の感情に作用し、仲のよい者同士が喧嘩をしたり、心に秘める感情などが爆発する可能性を説明する。
「秘めてる感情を爆発させるってのは?」
 久樹が差し出す紅茶を、猫舌の為に一人口をつけられない静夜は、両手でマグカップを包み込みながら、言葉を捜した。
「うーん、相手に感じていた強い気持ちを暴露してしまうのに似てるかな。たとえば、こういうところが嫌い!とか治して欲しい!とか思ったことをそのまま言っちゃうとか」
「素直になっちまうってことか?」
「ちっちゃな子供みたいにね。男の方がより影響を受けやすい上、僕らにも作用してるみたいで。明日、風鳳館内の様子を探るのは、僕らの家でやることにしようかと」
「お前らの家で?」
「目撃者を作りたくないんだ」 
 強く静夜が言うと、雄夜も隣で頷いた。智帆は肩を竦める。
「俺らのことが噂になってるんだよ。春前から奇妙なことが続いていて、それに関与する生徒がいるらしい。しかも寮生らしいという話まで伝わってる。学生課の本田さんや、丹羽教授はずっと俺らを疑ってるし。久樹さんを霊能者だと思い込んだ立花姉妹だってあれって感じるかもしれない。目立つのは命取りなんだよ」
「俺らが疑われると、どうなる?」
「まず噂がたつよな。変な奴が居る、変なことが起きる、そういえば最近嫌なことがある。そうなってくると大変さ。何が起きても、俺らが悪いように噂されるようになる」
「智帆、それは、その……」
「俺は経験者だよ。静夜たちもそうだった。将斗と巧はまだそこまでひどくなかったが、家族がそういう目で見てた」
「え!?」
 久樹と爽子は同時に目を見張る。 
 どこか斜に構えている面々の、そうならずにおれなかった背景を初めて知ったのだ。平気な顔であることが、二人には辛い。
「あ、あのさ」
「ストップ」
 軽く智帆が手を上げる。
「同情なんていらないな。第一、ここではまだそういう目にあってない。俺たちが考えるのは、そういう目に遭わないように気をつけるってことさ」
「俺たち?」
「あれ、仲間はずれにされたくないんだろ?」
 ニヤリと智帆が笑う。久樹はなんだか嬉しくなったらしく、がばと両手を広げて彼を抱きしめた。爽子も飛びつくようにして静夜に抱きつく。抱きつかれた方は同時に「ぎゃあ!」と悲鳴をあげた。
「……俺は?」
 なにやら切なげに雄夜が呟いたので、智帆が久樹の腕の下で「変わってやる!」と叫んだ。静夜のほうは真っ赤になって「離して〜」と悲鳴を上げていた。



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