[第三話 紅葉、舞う]

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No.01  不調和


「え?」
 ふっ飛ばされてきた生徒を押しのけて、下敷きになった残骸を持ち上げた。苦虫をかみしめた表情を浮かべる智帆を、なにがなんだか分からないという顔で男子生徒が見上げる。
「俺?」
「そう。お前等、なんだって喧嘩なんてしてたんだよ」
 眼鏡のない素の瞳では、人が居ることは分かっても、細かい部分は分からない。自然目を細めて睨む形になるので、男子生徒は大袈裟に震えて見せた。
「まった! 瞳の暴力反対!」
「なんだよそれ」
「雄夜が睨んでるのはいつもの事だけど、智帆に睨まれるのはいつもの事じゃないから怖いよ」
「仕方ないだろ、見えないんだから」
 壊れた眼鏡を智帆が見せつけると、ぐぅと男子生徒はうめく。
「うう、弁償モノって奴? 智帆、それって幾らくらいすんの?」
「三万円」
「さーんーまーんー!? 嘘だろ!?」
「レンズが金額プラスされるやつだったし、フレームも高かったんだよ。まったく、少しは負担しろよ」
「します。させて下さい」
 ごめんっ!と、彼は両手をあわせる。それから背後でおきた派手なくしゃみに目を丸くする。
「何やってんの、お前等?」
 智帆を拝んでいた生徒が振り向くと、濡れネズミのクラスメイトが派手なくしゃみをしていた。
「なにやってんのじゃない! なんでお前だけ濡れてないんだ。っつーか、なんでまた俺たち濡れてるんだっ!」
 額に張り付いた前髪をかきわけた一人が、どこか傲慢な雰囲気で一同を睨む智帆と、ひらひらと手を振っている静夜を見つける。
「しーずーやーっ!」
「はーい」
 にっこりと笑顔で返事をする静夜に、彼はわなわなと身体を震わせた。
「もしかして、また静夜か!?」
「だって性懲りもなく喧嘩してたから。うわー、怖い顔で近寄らないでくれる? 怖いなぁ」
「嘘をつくな、嘘を!」
「え、どうして嘘だと思う?」
「そこで上目使いになるなっ! 首を傾げて、意図的に可愛い顔をするな! 俺はそっちの道には進みたくない!」
「僕だって進んでないよ。まったく人のせいにするなよな。第一、水をかけられたのなんて、また喧嘩してたのが悪いんじゃないか」
「また?」
 最初の興奮が去って、彼は周囲をぐるりと見渡した。ここが何処なのかに気付いて、濡れネズミと智帆の眼鏡を潰した面々は狸にばかされたような顔になる。
「あれ?」
「ちなみに、もう五時間目始まってるから」
 笑顔で静夜は腕時計を持ち上げてみせる。彼の背後では、智帆が厳しい目つきのまま一同を観察していた。
「嘘ーっ! な、なんでだ!? 俺ら、今日はパンでも屋上で食べようかって話しててさ」
「うん。でも食べてないみたいだね。袋に入ったままだし」
「ああ、俺が苦労して買ったカニクリームコロッケパンがっ!」
「どうせ遅れてるんだから今から食べれば?」
「えーん。そうする。ビニールに入ってて良かった」
 涙を押さえるようなフリをしながら、買ってきたままだった袋からパンを取りだして食べ始める。他の生徒も同じように食べだしながら、不思議そうにお互いを見やっていた。
「屋上にいたんだ?」
 静夜が尋ねると、そうだよとめいめい返事が来る。
「今日は暖かいし、外で食べれるのもそろそろ終わりだなとか話しててさ。風鳳館はどっちかっていうと日当たりが悪いから、紅葉はじまるのが早いよな。裏手のなんて特にそうだから、折角だからそれを見ようってことになって」
 どうしたんだっけと、愛しそうにカニクリームコロッケパンを食べる生徒が、ハムカツサンドを食べる生徒に尋ねる。
「裏手のフェンスの方にいったよ。そうだ、下でなんか光が見えてさ」
「ああ、見えた見えた。なんだろうって全員で見たんだよな。その後はもう、濡れネズミだよ。お、俺らはUFOにでもさらわれたのか!?」
 大袈裟にのけぞって、彼は静夜をみやる。寝ていれば美少女に見える少年は、軽く肩をすくめた。
「そうかもね。なんか埋め込まれてるかも」
「いーやーだー」
「はいはい。それにしても、仲良しお笑いグループのお前達が喧嘩するなんてさ。北条が知ったら真っ青になるよ」
「だろうな。委員長、心配するよな」
 でもなんで喧嘩になったのか分からないんだよ、と彼は続ける。首をひねる彼等を観察していた智帆が、軽く息をついた。
「決まりみたいだな」
「残念だけどね」
「さしずめ感情を激させる邪気ってところか?」
「そんな感じかな、確かに」
 小声で肯いたところで、静夜の携帯がメール着信を知らせた。雄夜からだと呟いて中をみて、静夜は笑顔になる。
「智帆、僕らは運がいいいよ」
「なんだよ」
「五時間目自習だって。北条が廊下で言われたらしいから、大量の欠席者がいるなんて先生はまだ気付いてない。戻ろう」
「そうだな。聞いたろ、行くぞっ!」
「俺、濡れてるんだけど」
 情けなさげな訴えに、智帆がニヤリと笑った。
「お笑いグループたるもの、濡れるくらいは十八番じゃないとな! 教室戻ったら、ジャージにでも着替えろよ」
「はーい」
 のそのそと立ちあがると、走りだした智帆と静夜の後を彼等は追った。他のクラスに気取られぬように、忍び足で戻ってきた一同を迎えて、学級委員長の北条桜が目を丸くする。
「静夜くん! いきなりいなくなってるからびっくりしたよ。わ、何してるの!?」
 ぽたぽたと水を垂らしている男子生徒に、桜は呆れた声をあげる。面目なさそうに、彼等は手をあわせた。
「委員長! ごめんっ! なんか俺ら、また喧嘩してたみたい」
「喧嘩? どうして?」
 静夜が想像した通り桜は青くなって、手をあわせる面々の前に膝をつく。
「それが面目ないことに、またすこーんと記憶が抜けてんの。無意識にどつき漫才の練習してたかな」
「練習なら忘れないでしょ」
「そんなんだよなあ。でも俺らが喧嘩する理由なんてないし」
 当事者ながら、なにがなんだか分からないと首を振る男子生徒の前で、桜はしかめっ面をした。
「一体なんなの? 殴り合いの喧嘩なんて、みんなする性質じゃないよね。なんか、ついに変なことが、風鳳館にもきたって感じ」
「ついに?」
 溜息交じりの桜の呟きを耳ざとく聞きつけて、智帆が問いを向ける。勝気な学級委員長はうん、と頷いた。
「私たちが二年になるちょっと前かな。そのあたりから、なんだか変なことが起きてるって話なの。見た子は少ないらしいんだけどね。変なことは確かにあって、どうもそれに関係している生徒がいるって話」
「関係してる生徒が誰か、噂流れてる?」
「そこまでは聞いてないな。ただ、ばらばらだっていうのは聞いた。初等部の生徒もいれば、大学部の生徒もいるって。そういえば……」
 軽く首を傾ぎ、膝を伸ばして立ち上がる。
「高等部の生徒も関係してるって話を聞いたことがある。ねえ、宇都宮」
 濡れネズミで飛び込んできたクラスメイトに頭をかかえたもう一人、副委員長の宇都宮亮を呼ぶ。亮はタオルをかき集めていた最中で、ん?と体を向けた。
「なに?」
「このところ起きてる変な出来事に、高等部の生徒も関与してるらしいって話を聞いたことない?」
「あるよ。寮生だって噂も聞いたな。まさか智帆たちじゃないだろうな」
 亮が尋ねると、死角に立っていた雄夜が息を飲んだ。彼を観察していた恋する女子高生・秋山梓が驚いた顔になる。
 秦智帆と、大江静夜は、二人揃って表情を消して互いを見やる。
「……智帆?」
 二人の態度の変化に、亮が驚いて友人を凝視した。
「なんで」
 小さく、かすれて消えてしまいそうな声を智帆が出す。
「え? まさか本当に……」
 亮の声も、緊張にかすれた。
 昨日の喧嘩を治めてみせた際の、恐ろしいまでの冷たさを宿した静夜と雄夜の瞳が、なぜか亮の脳裏に鮮やかに蘇る。
 ――奇妙なことが起きている。
 白鳳では昔から奇妙な出来事がよく起きるので、関係者たちはある程度不思議なことへの耐性を持っている。
 それでも不思議では済まされない”異常”の連発に、噂は確実に広まりつつあった。年初めから続く奇妙な出来事に関与している生徒がいるらしいと。
 ぐるぐると亮が考え、つられるように桜までもが深刻な表情になった瞬間、智帆が笑いだした。
「亮が新聞部に転部してたなんて知らなかった」
「はぁ?」
「いやぁ、校内の噂をそこまで詳細に調べようとしていただなんて。寮生が関与してるだなんて、どこで仕入れてきたんだよ」
「仕入れるって。あのなぁ、智帆! 俺はてっきりお前らが関与していたのかと!」
「俺ら? なんで俺らが関与してるんだよ。俺は単に、頭が凄く良いだけの高校生だよ」
「うわ、感じ悪っ! 普通自分で頭良いって言うか!?」
「事実だし。なあ」
 ニヤリと笑って、智帆が同意を求める。静夜が笑い出すと、雄夜が口を開いた。
「俺は運動神経抜群なだけの高校生だな」
「雄夜ーっ!」
 大声を出しながら、ぐるりと亮が振り向く。雄夜は犬にも似た仕草で首を傾げると、「違うか?」と真顔で尋ねた。
「いや、確かに、お前は運動神経いいよ。抜群に」
「ああ」
「そうそう。雄夜くんって、スポーツしてるときすっごく素敵だよね」
 きらきらと目を輝かせて、片思い少女秋山梓が手を組む。まわりは梓が自分の世界に入ってしまったと溜息を付いたが、雄夜だけは困惑気味に彼女を見ていた。
「俺はスポーツしてる時だけなのか……」
 ぽつりと落とした呟きは、小さすぎて誰の耳にも届かない。
 立て続けに笑いのツボに入って、静夜はまだ笑っている。北条桜が近づいて、心配そうに背をさすった。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫。智帆も雄夜も笑わせるし。それより、放課後は?」
 ちらりと桜は視線を流して、亮から渡されたタオルで濡れた髪を拭きつつ、ジャージに着替える面々を確認する。
「今日はやめにしておく。明日は部活優先日だから、改めて、明後日にやるってことで先生にお願いしようかな。今日は、各自家での衣装作りをお願いすることにする」
「それがいいかもしれないね。でも、僕に衣装作れっていわれても困るから」
「期待してないよ。静夜くん、前に外れたボタンをつけようとして、手に針を刺してたし」
「いや、康太兄さんに頼みに行くのもなんだか恥ずかしいし。町子さんにお願いするのもまだ変な気がしたし。だから自分でするかなぁって思って」
 困り気味の静夜の前で、桜は手を自分自身に向けた。
「じゃあ今度は私に言って。こうみえて私、裁縫得意なんだよ。演劇部の衣装も大体私が作るんだから」
「学園祭の衣装も、北条がかなりの数を作ってるんだって?」
「任せてよ。綺麗に仕上がってるから」
「綺麗にね。とはいえ、着たところを考えると……」
 桜は悪戯っぽく肯いた。
「きっと楽しいよ。でも、私としてはね」
 いったん切ると、桜はぐるりとクラスを見渡す。相棒の亮、唇を引き結ぶ雄夜、機関銃の如く喋り続ける智帆、最後に静夜に視線を戻した。
「勿体ないなって思うわけ」
「いや、それやっても絶対に面白くないから」
「そうかなぁ。気が変わったら言ってね。急いで作るから」
「はいはい」
「はい、は一回でいいわよ」
「はい」
 素直な返事に、桜はよしと笑った。
「善は急げよ。五時限目が終ったら言ってみる。あれ? そういえば、代理こないね。宇都宮、自習監督の先生ってどうなってるの?」
 桜の呼びかけに、息がぴったりと合う副委員長が振り向く。
「そういやぁこないな。ちょっと職員室見てこようか」
「頼める?」
「ああ。ちょっと待ってろよ」
 ひらひらと手を振ると、亮は廊下に飛び出した。そのまま走る足音が響くと思いきや、唐突に亮のマヌケな悲鳴があがる。
「宇都宮!?」
 驚いて桜は廊下に飛び出す。目の前に差し迫った物体を見つけて、息を飲んだ。
「ひいっ!」
「悲鳴上げないの、委員長」
「せ、せせせせ、先生っ!?」
「はい。貴方達の担任の村上です。やっと落ち着いたの?」
 呆れた溜息と共に、二年A組の担当教諭は桜の横をすり抜けて教壇に立つ。大慌てで生徒は席に付き、澄ました表情を浮かべた。
「今更お行儀よくしてもね。私、結構前から廊下で聞いていたし。というわけで質問。君はなんでジャージなのかな?」
「えっと、その、そう! 水は何故地面に落ちるかの実験をば」
「へーえ。それで? 水はどうなったのかしら?」
「なんと落下しました!」
「あら、どうして落下してしまったの?」
「重力に引かれるものですからっ」
「そうね。でもそれって、みーんな知ってるわよね?」
「えーーっと」
 言葉に詰まる生徒の前で、村上は情けなさそうに首を振る。
「言い訳もうまくならないと。それにしてもまったく困ったわね。みんな共犯者って顔で息もぴったりなのに、また喧嘩でも起こした?」
「それは。えっと」
「違ってる?」
「違ってないんですけど、覚えてません。名探偵殿」
「探偵になるには助手がいないとねぇ。覚えてないのは本当なの?」
「本当なんです。静夜と智帆に止められて、初めて喧嘩してたことを知りました」
 しおしおと語る生徒を前に、村上は長い溜息をついた。
「素直に話されちゃうのも困りものだね。話さないんだったら、話すまで集合禁止!とかいえるのに。じゃあ、喧嘩した理由も分からないのね?」
「先生、信じてくれるの!?」
 ぱっと明るい顔になったジャージ姿の生徒に、村上は「そりゃあね」と答える。
「漫才の練習してましたって言われたら、納得してしまいそうよ」
「じゃあ、そ、そういうことで! 納得してっ!」
 両手を打ち鳴らせて拝む。他の生徒も一斉に習って、最後は雄夜までもが真似をした。
「もーう、結束力強いんだから。私が庇える範囲までよ?」
「心します」
「じゃあ、残り時間は原因でもゆっくり考えてなさい。委員長、放課後はどうするの?」
「今日は止めます。そこで先生」
「分かってます。明後日でしょう? 仕方ない、許可しましょう。その代わり条件は今日と一緒よ?」
「はい」
 ちゃんとやりなさいねと言い残し、村上は教壇から立ち去る。理解の有る教師の背に拍手を贈りながら、生徒は一斉に委員長を注目した。
「というわけで、今日の放課後はとりあえず中止。また変な喧嘩が起きたら困るし。もう起きないって信じたいけど、なんとなく今日は嫌な感じがするじゃない? だから衣装担当の子は、悪いんだけど家に持って帰ってやってくれないかな?」
 桜の言葉に、教室の方々から「仕方ない」とか「自転車組送っていって」だのと声が上がる。特に反論はなく、頼れるA組の委員長は頷いた。
 一人教室の隅で腕を組んでいた雄夜は歩き出し、智帆の腕を掴むと静夜を目で呼んだ。
「何があった?」
 二人を前にすばやく尋ねる。片割れは目を細めた。
「また喧嘩。あと、邪気を確認したよ」
「いたのか」
「当たっても嬉しくないことは、よく当たるよね」
「今晩はどうする?」
「風鳳館に忍び込むしかないかな。騒ぎをみんなの前で起こすわけにはいかないし。噂も流れてたって分かっちゃったしさ。警戒してたんだけど、あれだけ大きいのがたて続けば当たり前か」
 参ったと、二人して息を落としてから智帆に視線をやる。先程から会話に入ってこない眼鏡の小年は、目をそらした。
 ピンと来て、静夜は智帆の腕を掴む。
「まさか今晩まで来ないとか言わないよね?」
「えーっと。緑子さんがさ」
「却下。なに、僕と雄夜に押し付けようって考え?」
「いや、そういうわけじゃあ」
 のらりくらりとかわそうとする智帆を、ぐいと雄夜も掴んだ。
「智帆」
「睨むなって。せめてさあ、八時くらいにしてくれよ。どうしても連絡を付けておきたい人なんだ」
「緑子さんねえ」
「今度ちゃんと紹介するから、許してくれって。な?」
 素直に頼まれて、双子は互いの顔を見やる。智帆が真剣であることは確かだったので、仕方なく「八時に」と同時に言った。



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