[第三話 紅葉、舞う]

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No.02  遠き言葉

 
 日に日に衰弱する秋の太陽が完全に没した頃、秦智帆は自宅のある白梅館の十階のエレベータを降りていた。廊下を少し進んだところで足をとめ、驚きと共に肩をすくめる。
「どうしたよ、静夜。家出?」
 智帆が落とした声に、静夜は不機嫌そうに顔を上げた。
 太陽が没して肌寒くなった外気の中で、陶器のような白い頬はどこか寒々しい。返答を聞く前に智帆は扉を開け、外見ほどの繊細さの持ち合わせがない友人を押しこんだ。 
 智帆の部屋は雑然としている。
 汚いわけではないし、整頓されていないわけでもないが、物がとにかく多すぎてごちゃごちゃしていた。
「まるで秘密基地だよね。もしかして智帆、部屋を電脳基地にする気なわけ?」
「それをするには先立つものが足りないんだな」
 本気で部屋をコンピュータで埋めようと考えたことがある返事に、静夜は少し笑う。
「で、何があったんだ?」
 座椅子が一つしかないので、智帆は適当にベッドの掛布団をはいでマットレスを指差した。すとんと腰をおろした静夜に、冷蔵庫から出した牛乳のパックを差し出す。
「そのまま飲めって?」
「グラス全部使って、まだ洗ってないんだ」
 しれっと言って、智帆は喉でくつくつと笑う。何だよと静夜が問えば、牛乳をいきなり出されることの方が変じゃないか?と返されて、少年は唇を尖らせた。
 静夜は身長があまり高くない事を気にしている。毎日牛乳を飲んでいるのはそのためだ。ウーロン茶のペットボトルに直接口を付けて飲みながら、拗ねた友人を見やって智帆は笑った。
「悪い悪い。で、一体何があったんだよ?」
「帰ってくるまでに、クラスの誰かから話を聞いた?」
「別に。何かあったのか?」
 真剣な色が瞳に浮かぶ。静夜は渡された牛乳パックをもてあそびながら、慎重に口を開いた。
 突然起きた喧嘩のこと、桜が語った喧嘩にいたる経緯、チカチカする光を見ていて、感情が激してきたという男子生徒の言葉。
 そして、本田里奈が抱いた疑惑。
「なるほど」
「また何かが起きてるとしか思えない。実際、変だったよ。冷静になった奴等全員に聞いたら、同じことを皆言った。突然どうしようもなく腹が立ってきたってね」
「邪気の仕業、か」
「だと思う。他人に対する憤りを核とする邪気が力を持てば、人はその影響を受けてしまうからね。でもさ」
 乱暴に切って、静夜は首を振る。
「どうにも気になって、さっき風鳳館を確認してきた。でも僕と雄夜には、問題を起こせるほどの強い力は感じられなかったよ」
「なにもか?」
「平穏そのものだね」
 智帆はうめいて、目を伏せる友人を見やる。
「……なあ、爽子さんの力について静夜はどう考えてる?」
「話題が飛んでない?」
「いいから、答えろよ」
「どうって言われてもさ。逆に問い返したいくらいだよ」
「却下だな。俺は静夜の意見が聞きたいんだ」
 相手の逃げ場を封じる智帆の話法に困惑して、静夜は眉を寄せる。口を開けようとした瞬間、智帆の手に静止された。
「他の奴等が居るときじゃないとって言葉なら聞かないからな。俺は、静夜と二人で話したかったんだ」
「分かったよ……」
 問うほうも、問われるほうも、何故か泣きべそをかく寸前の子供のような顔をしていた。
「爽子さんはさ、完全に異能力に目覚めてるよね。しかも無自覚に使ってる」
「やっぱ、そうなるか」
 ――夏の事件で気付かされたのだ。
 織田久樹の能力は、彼以外の何かの意思によって封じられている。その”封じ”に、斎藤爽子が関わっているのだと。
「今考えれば、変だったんだよ。春に雄夜が久樹さんの力を引きだそうとした時、何か別のものに阻止されたって言ってた。久樹さんが初めて力を使えたのは、爽子さんが本田さんを救って欲しいと思っていた時だよね」
「夏の時だって、爽子さんの意識がなくなると同時に、久樹さんは自由に力が使えるようになってるな」
 智帆は目を細める。
「静夜、夏の時に倒れたろ? 静夜から奪われた水の力は、勝手に久樹さんを助けた。これも奇妙だ」
「彼女の異能力は、他者に関与できるものかもしれない。鍵みたいな」
「封じる鍵でもあり、解放する鍵でもある、か」
「智帆は推測して、どうするつもりだった?」
「本人に言うかどうかか? 仮定が正しいとしても、俺らが言うべきことじゃないだろ」
「久樹さんだよね」
「だろうな。ま、このまま様子を見てるしかないな。話を戻そう。しかしなんだろうな、邪気の気配はあらずとも、邪気の仕業と思われる事件が起きるってのは」
「普段は力を持たないで、いざという時に力を発揮する邪気がいるって考えられないかな」
「いざという時だけ?」
 不審そうな智帆に、静夜は皮肉っぽく唇をゆがめる。
「最近、邪気の大判振る舞いって感じだからね。何が出てきても変じゃないって思えるんだ」
「確かに異常か。この発生状況は」
「異常だよ。僕は白鳳に来るまで、こんなにも凄まじい力を持つ邪気に出会ったこともなかったのに」
「静夜?」
 息を飲み、智帆は友人を見つめた。
 織田久樹が白鳳学園を去った年に、彼らは同じくして白鳳学園に転入してきた。私学への途中入学は珍しいにも関わらず、彼らは互いに聞いたこともなかったのだ。
 ――何故、転入してきたのか。
 ――白鳳に来る前はどこで何をしていたのか。
 尋ねないことが暗黙の了解のようになっていた。それをあえて破ったのだから、智帆の困惑は当然だと静夜は考える。
「智帆に聞きたいことがあるんだ」
「聞くなといっても、聞いてくるんだろうな」
 余裕を取り戻した態度で、智帆はペットボトルに唇をつける。静夜は首をわずかに傾いだ。
「こんなこと話す機会なんて、なかなかないし。……僕はさ、能力の高い邪気を見たことがなかったんだよね。それだけじゃない、雄夜以外の異能力の持ち主に会ったこともなかったんだよ。僕はなにも知らなかった。邪気のことも、この力についても」
 何もねと重ねて告げる静夜の言葉に、智帆の肩が震えた。「俺もさ」とあえぐように同意する。
「何も知らなかったのに、白鳳に来て俺は多くを知ったよ。教えられたんじゃない、資料があったんでもない。突然に入ってきたんだ、俺の中に邪気と異能力に関する知識が」
「……白梅館の裏門に出現した、白鳳神社で?」
「そうか。静夜も……か」
 眉を寄せた友人の前で、静夜は肯いた。
「あの神社って、なんだったのか」
「しかも今はないときてる」
 おかしいよと首を振って、静夜はどこか切羽詰まった眼差しになる。
「白鳳学園は変なんだ。まるで、邪気と異能力を知り尽くしている場所のように思えてしまう」
「俺らと邪気を知っている場所?」
「僕らは偶然に出会ったんじゃなくて、まるで仕組まれたように思えるんだよ。集められたんじゃないかって」
「……俺もずっと不思議に思ってたよ。なんで、俺らはここにいるんだろうってさ。巧や将斗みたいな子供がわざわざ寮に入ろうと考えるか? 奇妙すぎるんだ。俺の力はなんなのか、俺は一人なのか、同じ力を持つ奴はいないのか。ずっと探して、でも会えなかった。なのにここに来て会ったんだ、一人どころか四人も!」
 仲間に会えたことを賭け値なしに喜んだ時期が終われば、ただ疑問が残った。何故?と。
 立ちあがると静夜の隣に腰をかける。二人分の体重を受けて、ぎしりとベッドが抗議の声をあげた。
 智帆の部屋はワンルームで、隣に座らずとも距離は近い。だが今の彼は、友人との近さをより求めていた。
「俺はさ、静夜と雄夜がここに来るのを決めたのも変だと考えてる」
 突然の言葉に心底驚いた様子で、紅茶色の目を静夜が見張る。智帆は言葉を選んだ。
「静夜には雄夜が。巧には将斗が。久樹さんには爽子さんが居ただろ。誰にも話せずに一人だったのは俺だけだ」
「あっ……」
「俺の持つ奇妙な力を認める”誰か”は一人もいなかった。だから正直な話、俺の思うままに風が動くってのは、俺の妄想なのかと考えたくらいだったよ」
 眼鏡の下で、智帆が苦しそうな色を瞳に浮かべる。隣の友人が、今は遠い過去に心を飛ばしたことに、静夜は気付いてうつむいた。
 誰にも尋ねることも出来ず、誰も持たない力に怯えてすごす日々は、一体どれほどの孤独だったのだろうか?
「昔さ」
 ぽつりと静夜が口を開く。
「自分達の主人になるべき雄夜をね、式神はずっと見守ってたんだ。でも式神は誰にも見えてなかった。だから雄夜が僕に聞いてきたんだよ。これは嘘なの?って。見えるよって答えたら、雄夜は本当に嬉しそうで。なんでだろうって不思議に思ってた」
「妄想じゃない、現実だって認められたようなもんだからな。雄夜が嬉しかったのはよく分かるよ。俺だって、雄夜の式神を見たときは叫びだしそうなくらい嬉しかった。俺が初めて見つけた、俺の気が違ってるわけじゃない証拠みたいなもんだったし」
 静夜の肩を智帆は軽く叩く。不幸語りをしたいわけじゃないのだと言って。
「これで俺が邪気や異能力に関連する出来事を、必死に集めたのは自然の成り行きだって分かったろ? ここで質問だ。お前等はなんで白鳳に来ようと思ったよ」
「ここで変なことが頻発してるって聞いたから、確かめようと思って」
「静夜、それは変だ」
「変?」
 智帆の突然の断言に、静夜は面食らう。
「白鳳で起きた事柄は、目立つ事件ではなかったよ。不思議なことが起きてないかって噂やら怪談やらを集めまくって、ようやく見つけた出来事だったからな」
「でもさ、実際」
 反論しかけた静夜を、智帆は制する。
「静夜たちは異端だったが、家族に受け入れられていたよな? 康太先生の態度を見ていれば分かるよ。そんなお前等が、居ない可能性の方が高い仲間の情報を必死に求めたとは思いにくい。ならなんで知ってる? なんでここに居るんだよ?」
「え……ええ?」
 智帆の語気が強くなるにつれ、静夜は落ち着きを失っていく。細い指を額に当て、必死に考え込む素振りを見せた。
「駄目だ、分からない」
「静夜?」
「智帆がここに居るのは必然だった。巧と将斗も同じように探したんじゃないかな。力のコントロールが出来ない状況って、家族との間に溝が出来やすいものだからさ。僕等はそうだったよ。コントロール出来るようになって初めて、関係は次第に回復していって、僕等は普通に暮らしてた。そうだよ、普通に幸せだったと思う」
 なのに何故、ここに居るのだろうと呟いて、静夜は頭を抱え込んだ。智帆は友人の背に手をおいて、低く囁く。
「静夜たちに、白鳳のことを教えたのは誰だ?」




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