[第三話 紅葉、舞う]

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No.02  秋の足音


「……遠い?」
 梓の言葉を聞き逃せなくなって、整った顔に緊張の色を静夜が宿す。話すことに懸命になっている梓はそれに気付かず、そうなの、と強く言葉を続けた。
「遠いっていうか、なんだかよそよそしい感じがするの。……って、ごめん! 私、何言ってるんだろうっ!」
「別にいいよ」
「でもっ! 静夜くん、お願いだから」
「言わないって。雄夜には言わない。これでいいんだろう?」
「本当?」
「わざわざ雄夜に、僕らは仲悪そうに見えるらしいよ、って言えると思う?」
「仲悪そうには見えてないって!」
 だからね、と必死に取り繕う言葉を探そうとした梓の目の前で、静夜は有無を言わせない強さを瞳に浮かべて首を振った。
「人が何を感じるか。それは自由なんだから。秋山が、気にやむことはない。僕は部活があるからさ。じゃあ」
 ひらりと手を振って、静夜は軽やかに走り出した。梓は「あっ」と小さな声をあげて、続けて待ってと言おうとしたが、遅かった。
「静夜くん、早い」
 階段の手すりから身を乗り出して、すでに下に降りてしまった静夜の姿を探す。呼びとめられないと悟って溜息をつき、梓は廊下を歩いていく生徒たちの好奇心に充ちた視線を無視して、階段に腰をおろした。
「どうして私、こんなに一言多いんだろう。もう、デリカシーがなさすぎ」
「それが秋山なんじゃないか?」
「そうなのよね。昔から一言多い。しかも多い一言が致命傷をあたえる!って言われて……え?」
 一体今、誰と会話をしていたのだと秋山梓は疑問を抱いて、顔をあげる。隣に両手をポケットにつっこんで、少年が立っていた。
「ち、ちちちち、智帆くんっ!」
「何時からそこにと続くなら、三秒前から。ちなみに何時から近くにいたのかというと、秋山が大江雄夜論をぶってたところからだな」
「大江雄夜論……」
「いやぁ、面白い考察だった。雄夜の見方も色々あるもんだな。俺には思いつかなかった」
「智帆くん」
「盗み聞き最低!って叫ぶならナンセンスだな。あんな大声でまくしたてたら、誰だって興味を持つよ」
「……誰だって?」
「誰だって」
 うんうんと肯く。梓はおそるおそる立ちあがると、智帆の背後を見やる。
「だ、誰もいないじゃないっ!」
「通りすぎていった奴らだよ」
「だったら、立ち止まってまで聞いてる智帆くんのほうが性格悪いっ!」
「そんな最初から分かってることを大声でいわなくても」
「いやーっ」
 智帆にあっさりといなされて、真っ赤になった梓は階段を駆け降りた。とてもではないが、気分が悪くて六時間目を休んだ生徒とは思えない。
「雄夜を好きになる女がいるなんてねぇ。思わなかったな」
 楽しそうに呟いた後、智帆も階段を降りようと足を踏み出す。けれど三段も降りないうちに、肩を思いきり掴まれて足をとめた。
「おや?」
「おや、じゃない。智帆っ!」
 少しばかり息のあがった声は、聞きなれた宇都宮亮のものだ。
「亮くん。この程度の距離で息があがるなんて、バスケ部の練習サボりすぎなんじゃないか?」
「走って息があがったんじゃない。さりげなーく智帆が逃亡したから、驚いたんだろ。今日はお前も手伝ってけって!」
「雄夜と静夜は許したくせに。文化部蔑視はんたーい」
「なにが反対だ! 最近科学部に顔みせてないくせにっ」
「おや、何故亮くんがそんなことを」
「科学部に、俺の友達もいんのっ! ほら、手伝えよっ」
 智帆の腕を握って、教室に引きずろうと亮が力をこめる。眼鏡の下のたれた目を楽しそうに細めて「宿題」と突然に言った。
「へ?」と、亮が首を傾げる。
「俺がやってやってもいいんだけどなぁ」
「ま……まじめにか!?」
「ちゃんと適当に間違えて、お前がしたようにやってやるよ?」
「え、えっと、それは」
 無視できない取引の申し出に、一瞬智帆を掴む亮の手が緩む。それを見落とさずに、軽やかに振り払うと、智帆は走りだした。
「また明日なーっ」
「あーっ! 智帆、こら、待てっ!」
「俺は逃げ足は早いぞ」
「そんな事自慢すなっ! おい!」
 亮の制止の効果はなく、あっという間に智帆の姿は階段の先に消えていく。唯一の救いは「宿題は本当にやっといてやる」という声が届いてきたことだけだった。
「また負けた」と亮は呟いて肩を落とす。その肩を軽く叩かれて振り向けば、軽やかに笑う北条桜の姿があった。


 白鳳学園の各施設をつなぐ道路沿は、大量の桜が植えられて、見事な桜並木を作りだしている。その桜並木に見守られて各校舎に入ると、別の樹木が建物を包み込んでいた。
 高等部風鳳館の周囲は、紅葉と楓が堂々とした姿を天へと伸ばしている。高等部の学園祭は毎年、紅葉した木々の華やかさに包まれていた。
 日陰側の木に揺れる木葉の色を見上げながら、初等部六年の川中将斗がゆっくりと歩いていた。隣を、頬を紅潮させた立花菊乃が軽やかに歩く。
 将斗の従兄弟である中島巧は、三日前から風邪を引いて寝こんでいる。めったに病気をしない人間が病気になると、慣れてない当人はひどく辛く感じるらしく、巧は寮に住む生徒の為にある一時入院施設に移されていた。今は統括保健医の大江康太の保護下にある。
「菊乃、本当に俺、今日菊乃の家に泊まるのかー?」
 共に高等部を目指して進みながら、将斗が困ったような照れたような声をあげる。菊乃はひどく嬉しそうに、「うん!」と元気良く答えた。
「でもさ、いくら幸恵姉ちゃんが良いって言ってもさ、姉妹の家に俺が押しかけるってのはどうかなー」
「どうして? だって、お姉ちゃんが菊乃に、巧くんの事を聞いて、今日呼んできてって言ったのよ。将斗くんが来ないほうが、お姉ちゃんはがっかりすると思うよ」
「うーん。確かに幸恵姉ちゃんならそういうだろうけど。でもなー」
 女の子の家に泊まりに行くなんて気恥ずかしいと答えればいいのだが、それを言うと菊乃が傷つきそうで将斗は言えないでいる。
「いいの、いいの! ねぇ、早く、静夜お兄ちゃんの所にいって、今日は菊乃の家に泊まるって言いにいこう!」
 本当に楽しそうに幸せそうに菊乃が笑う。彼と巧が原因で、菊乃を危険な目に合わせてから、将斗は菊乃のおねだりに弱い。うーんうーんと唸りながら、弓道部のある方向へと素直に進んでいた。
 弓道部の道場は、紅葉に覆われた木立の中にたたずんでいる。屋根のある部分と、木立の奥にある空の下にある部分との差が何故だか神秘的な雰囲気を作りだして、姿勢を正したくなる気持ちに二人をさせた。
 二人の視線の先で、正座をしている大江静夜がいた。日本人離れした容姿には似合いそうにもないのだが、袴姿が妙にはまっている。息を整え、弓を取り、矢を放つまでの仕草が、まるで舞いの所作のように美しかった。
「わぁ、すごーいっ」
 菊乃の目が輝く。
 弓道部に属する生徒たちが、作法通りに矢を放つ中でも、静夜の仕草はひどく目立つ。しかも矢は的のど真中を見事に貫いていた。
「あれ?」
 弓をおろして、静夜は小さな来訪者に気付いて声をあげる。照れた顔をしている将斗と、頬を紅潮させる菊乃とを交互にみて「ああ」と彼は言った。
 そのまま、道場からおりて二人の元へと歩いてくる。
「将斗、今日は菊乃ちゃんちに泊まり?」
「な、なんで分かるんだよー、静夜兄ちゃん!」
「いや、菊乃ちゃんが嬉しそうだし。わざわざ僕に言いに来たんだから、それしかないかなって」
 将斗は今、静夜の家で厄介になっているのだ。
「久樹さんが抱えてる課題が終わったら、そっちに行くとはいってたけどさ。菊乃ちゃんが一緒ならそうじゃないんだろう?」
「う、うん」
 夏の事件以降、将斗は久樹と非常に仲が良くなっていた。どうせなら彼の家に泊まりに行って一緒にゲームで遊びたいと思っていたのだが、久樹は現在課題を抱えて唸っている。
「それに、幸恵さんが課題おわったのって言って、昨日、嬉しそうにお茶に誘ってくれたし」
「あ、幸恵姉ちゃんは終わってたんだ」
「そうよー。お姉ちゃん、レポートって得意なの。あれだけは、爽子姉ちゃんよりも、久兄ちゃんよりも早く終わるのよって、菊乃に自慢してたもの」
 お姉ちゃんっ子の菊乃が、かわいらしい声で姉のことを誇らしそうに語るのを、静夜は優しい目でみやった。
「じゃあ、幸恵さんに、将斗をよろしくって伝えておいてよ。将斗、着替えはもって行けよ」
「静夜兄ちゃんーっ」
「止めて欲しいわけじゃないんだろう? いいと思うけどな、菊乃ちゃんの家に泊まりに行くのも楽しいだろうし」
「ま、まあ、そうだけどさー」
 楽しいよね、と必死に訴える菊乃の眼差しを感じながら、曖昧に将斗が答える。静夜は年下の友人の背を押した。
「嫌じゃないんだったら、変に照れることないさ。菊乃ちゃん、幸恵さんによろしく」
「うん! 行こう、将斗くんっ」
「あー、うん。静夜兄ちゃん、またなー」
 同時に手を振ると、二人は走りだした。白鳳学園内とはいえ、高等部の中に入ったことなど数えるほどしかない。菊乃はもの珍しそうに幾度も足を止めては、専用のグラウンドを見やる。乗馬部の優雅な姿が、遠くに見えた。
「馬って綺麗だなーって、菊乃は思うの」
「菊乃は中等部にあがったら、乗馬部に入るのかー?」
「うん! 将斗くんは今と同じで、サッカー部に入るの?」
「そのつもりだけどなー」
「巧くんと二人でボール蹴ってるの、楽しそうだものねっ! そっかぁ、サッカー部かぁ。……うん」
 次第に声が小さくなって、足を止めて少女はうつむいた。まさかまた何かあったのかと将斗が緊張する。
「菊乃?」
「あのね、将斗くん。菊乃ね、本当は乗馬部には入れなくっても良いって思ってたのよ」
「なんで?」
「だって! 菊乃、本当は将斗くんと同じ部活に入りたいの。サッカー部だったら、マネージャーになりたかったの。でも、菊乃が中等部にあがったら、将斗くんは高等部にあがっちゃうんだもん」
「あー。そっか」
 顔をゆがめる菊乃の隣で、将斗は自分達の年齢差を思いだす。
「四歳違うんだもんなぁ。すれ違いになるわけだ」
「そうよ。将斗くんの卒業式でなけるの、今年だけなんだから。一緒に学校に行ったり、帰ったり出来るのも、今年だけなのよ」
 言い募るうちに悲しみが溢れてきて、菊乃の瞳に涙が膨れ上がった。
「将斗くん、卒業しちゃうんだから。菊乃を置いていっちゃうんだから」
「いや、別にさ、置いてくわけじゃないし。同じ白鳳だし、同じ寮にいるし」
「でも、でもね、菊乃ね」
 こぼれる涙をなんとかぬぐいながら、つっかえつっかえ、菊乃が声を振り絞る。将斗はなんと声をかけていいか分からずに、右往左往するばかりだった。
 ぬっと、唐突に手ぬぐいが差し出された。
 二人仰天して顔をあげる。道着に竹刀を持った大江雄夜が、ひどく鋭い眼差しで将斗を睨んでいた。
「ゆ、雄夜兄ちゃん!?」
「女の子を泣かせるな」
「へ?」
「泣かせるな、将斗」
 短い言葉の中に、ひどく怒っている響きを感じ取って将斗は我に返る。慌てて差し出されている手ぬぐいを受け取って、菊乃の手に握らせ、自分は雄夜に向き直った。


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