[第三話 紅葉、舞う]

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No.01  秋の足音


 秋風にあおられて、四角い建物が今日も静かにたたずんでいる。静まった空気は張りついた氷のようだったが、不意に郷愁を誘う鐘の音が鳴り響いた。
 鐘が喧騒を引き起こす。四角い建物――白鳳学園高等部風鳳館は、活気を取り戻していた。
「ちょっと待ちなさい! 運動部組っ!」
 高い声を響かせると共に、ウェーブのかかった髪を耳の下で三つ編みにした眼鏡の少女が前の扉へと飛びだした。同時に短髪の少年も後方の扉へ駆け出す。
 教室を後にしようと鞄を持ち上げた男子生徒が、二人の突然の行動に目を丸くした。唖然とした顔で、前と後ろの二つの出入り口が封鎖されていることに頭を抱える。
「い……委員長?」
 焦った声を受けて、教室の出入り口に立ちはだかった二人がニヤリと笑った。
「今日こそ逃がさないからっ! 運動部の面々だけだからね、クラスを手伝わないのっ!」
 威勢のよい啖呵をきると、委員長と呼ばれた三つ編みの少女が胸を逸らせる。
「委員長! そりゃないよ、運動部って大変なんだぞっ!」
「なぁに、私に向かって文化部が大変じゃないっていうつもり? 私は文化部とは名ばかりの演劇部所属よ。ついでにブラスバンド部所属の子も手伝ってるんだからね!」
 矢継ぎ早に言葉を放り出す。三つ編みの委員長の発言に合わせて、数名の女生徒が手をあげた。ブラスバンド部所属というわけだ。
 形勢不利に気付いて、男子生徒は情けなさそうな顔になる。まるでお預けくらった犬のようだが、三つ編みの少女はまったく動じなかった。
「第一、運動部であるバスケ部の我が相棒、宇都宮だって手伝ってるんだから」
 とどめとばかりに言い放って腕を組む。後方の扉を封鎖した短髪の少年、宇都宮亮がひらひらと手をふって見せた。
「裏切りもの〜。お前、運動部だろ!? 運動部にとって、練習がいかに大事か知ってるだろ!?」
 こぶしを握りしめて力説する男子生徒に、亮は大袈裟に驚いた顔を向ける。
「裏切り者もなにも、お前んとこのバレー部と、俺んとこのバスケ部は、体育館の使用面積争いを日々繰り広げる仇敵同士じゃないか」
「なんだよ、それ〜〜」
「いやぁ、冗談はさておき、俺と北条は同盟を結んだ盟友なんだよ。相棒を裏切るわけにはいかなくってな!」
「なにが相棒だっ! クラスの投票で、委員長と副委員長に選ばれただけのくせに!」
「あれ? 面倒だって俺らに押し付けたの、誰だよ。なぁ、北条」
「そうよ。委員長推薦の時、声高に私と宇都宮がいいって言いたてたの、貴方自身よ」
「ひえぇぇ」
 頭を抱えてしまった男子生徒の姿に、クラスでどっと笑いが沸き起こった。運動部に所属する幾人かは早々に降伏を決め、学級委員長である北条桜に声をかけていく。
 通路側の教室最後列に自席を持つ秦智帆は、傍らに立つ宇都宮亮を座ったまま見上げた。
「おーい、亮」
「んー?」
 のんびりとした声を返し、宇都宮亮は日焼けした顔で智帆を見やる。
「学園祭の準備命令ってさ、俺にも発動?」
「今年は全員に手伝わせるって、北条燃えてるからなぁ」
「ふーん。北条がねぇ。で、一緒になって燃えているように見える宇都宮亮君の真意や如何に?」
 軽く眼鏡をはずすような仕草をしながら、たれ気味の瞳を亮に向ける。亮は額を抑えて「いたたっ」と短い声をあげた。
「同盟どころか、北条の下僕と生り下がったか。哀れな」
 両手を合わせると、智帆は拝む仕草をする。「やめろよっ」と亮がすねた声をあげたところで、ぬっと隣に影が現れた。
「あー? 雄夜?」
 智帆が合わせた両手を無理やりはがそうとしながら、亮が隣に突然に立った友人の名を呼ぶ。影ではないのだが影に見えてしまう大江雄夜は、切れ長の眼差しで亮を睨んだ。
「長時間は無理だ」
「……はぁ?」
 前触れのない雄夜の発言に、亮が首を傾げる。呆れたように智帆が肩をすくめると、軽やかな足音と共に、明るい笑い声が響いた。
「手伝うのはいいけど、長い時間は無理。剣道部にいかなくちゃいけないから、って意味だよ」
 柔らかい声と共に、女生徒の制服を着ても違和感がない大江静夜が智帆の机の前に立つ。
 大江雄夜、静夜の双子に挟まれて、ようやく宇都宮亮は納得した声をあげた。
「ああ、運動部員にも手伝わせる!って言ってる北条に対する答えな。了解、雄夜は時間の都合をつけてなんとか手伝うと。静夜は?」
「僕? ちょっと忙しいんだけどな」
「却下。双子は運命共同体っていうだろ。俺の好意をフルに動員して、お前らは一緒の時間にしてやろう。智帆もそうするか?」
「俺に拒否権はないのか?」
「ない。科学部が、学園祭で手抜きすることは知ってるからな。えーっと、大江雄夜、静夜、智帆は参加、と」
 手にしていた紙が挟まれたボードに亮が名前を書き記していく。三人は肩をすくめ、同時に北条桜を見やった。
 高等部二年A組の学級委員長である北条桜は、演劇部に所属している。外見は長い三つ編みに眼鏡をしている為におとなしく見えるが、おとなしいのは見かけだけだ。リーダシップに富み、初等部のころから学級委員に関わって今に到る。
「亮も北条には勝てないんだもんなぁ」
 しみじみと智帆が呟く。ボードに字を書き付けながら、亮は方眉を持ち上げた。
「そういうお前らだって、逆らわないじゃないか。ってことは、北条に勝てないんだろ?」
「でも負けもしないな」
 しれっと智帆が言い放つ。雄夜は表情を変えずに、ただ状況を見つめていた。
 突然、静夜が笑い出す。
「そうそう、負けはしないよね」
「そうかぁ? 負けるだろ、智帆だって北条にはさ」
「違うね。智帆は我等が委員長に戦いなんて挑まないよ。挑まなければ」
 言葉を一旦切る。悪戯な静夜の声に、目に見えて辟易した表情を亮が浮かべた。
「負けることはないってかぁ? なんか詐欺くせー」
「光栄光栄。俺は将来、だまされたことに誰も気付かないまま終わる詐欺師になるのが夢だからさ」
 会話に入って、智帆が腕を組む。「なんだそりゃ」と亮が呆れた声をあげた。 
「被害者がいないんだ。犯罪にもならない」
「正確に言えば、犯罪ではあるけれど立証はされないだよね。亮もすでに智帆に騙されてるのかも」
 静夜に言われて、亮は心底真剣な眼差しで考え込む。だがすぐに緊張を落とし「まあ、いいや」と肩をすくめた。
 興味を覚えたのか、佇んだまま沈黙していた雄夜が亮の顔を見やる。何故だと尋ねられていると理解して、バスケ部に所属する副委員長は口を開いた。
「なに、智帆が俺の不利益になるような事はしないって知ってるからさ。騙されてても、まぁいいかと思うわけだ」
「智帆を信用してるな」
「雄夜のことだってしてるぜ〜。おや、智ー帆くん。何をそんな嫌そうな顔をしてるのかな?」
 青臭い亮の言葉に、目に見えて智帆が不機嫌そうになっていくので、亮が勝ち誇った顔で尋ねる。雄夜はちらりと智帆を見下ろし、静夜は「智帆、初めての敗北」と笑った。
 何か気の利いた台詞の一つでも返そうと智帆が口を開いたとき、どっと拍手の音が室内に響き渡った。
 驚いて全員拍手のした方をみやると、大柄の男子生徒たちに拝まれて、学級委員長の北条桜が腕を組んでいる。怒っているフリをしているが、目は笑っていた。
「じゃあ、時間が出来たときには手伝うって約束するのね? 放課後が絶対に駄目って分かってるときは、昼休みに手伝うと」
「約束する! 俺のバレーボールにかけて」
「じゃあ、俺はサッカーボールに?」
「ええ!? なら、俺はピンポン玉にっ!」
 良く分からない会話になっている。
 額を抑えて呆れている相棒の北条桜の元へと、宇都宮亮は歩き出した。取り残された三人は、顔を見合わせる。頬杖をついて、智帆が口を開いた。
「雄夜なら何にかける?」
「なにに? ――剣」
「雄夜、剣道部が使うのは竹刀だろ」
「剣にかける」
 強情に言い張る。将来はこいつ絶対に抜刀術にも手を出すなと考えてから、智帆は静夜に視線を流した。
「なに、僕? 部活に関係するものにかけるんなら、弓。科学部所属の智帆は何にかけるんだよ?」
「俺? 俺は勿論」
「勿論?」
「この類稀なる頭脳に」
 智帆がニヤリと笑む。雄夜は呆れた目をして、突然さっさと廊下に出ていった。
「智帆、じゃ、類稀な頭脳に依頼するから、僕らがなに手伝えばいいのか北条と亮に聞いといてよ」
「はいはいっと」
 手を振りながら投げられた智帆の別れの挨拶を背に、静夜はのんびりと歩き出した。先に出た雄夜を追いかけようとは思わず、そのままゆっくりと歩き続けて、ふと足をとめる。
 壁にぴたりと体を寄せて、階段の下を熱く伺っている怪しい少女がいた。
 うなじの線が僅かに見える位置で髪をぶっつりと切っている。裾は日本人形のようにまっすぐに揃えられていた。見覚えがかなりあって、静夜はやれやれと目を細める。
「秋山」
「――えっ!?」
 背後から投げられた声に、少女は全身で驚きを露にして振り向いた。
「あ! 静夜くんっ!」
「何をそんな怪しい格好をしてるのかな。それに、六時間目に気分が悪くなったって言ってたんじゃなかった?」
「そ、それはっ……」
 しどろもどろになりながら、静夜が秋山と呼んだ少女――秋山梓――の視線が階段下をさまよう。静夜は溜息をついて、ひょい、と体を手すりから乗り出させた。
 秋山梓の唇が、あ、という形に丸く開かれる。気にせず「雄夜」と静夜は呼んだ。
 僅かな声を聞き漏らさず、雄夜は双子の呼び声に顔をあげる。続けて、なんだと問いたげに首を傾げた。
「今日さ、帰り一緒に帰ろう」
「……? じゃあ、校門でまってる」
「また後で」
 静夜が軽く手をふると、雄夜は答えて僅かに笑った。
 背後で、息をかすかに飲む音が響く。
 静夜は軽やかに身を返し、細い両手で口元を覆った秋山を悪戯っぽく見やった。
「あれ、どうかした?」
「……静夜くんっ」
 幼い仕草で、梓が白い頬をふくらませる。
「なに?」
「知ってるくせにーっ。私が何をしてたのかも、どうかしてるのかもっ」
「そりゃあね。でも、勝手に知ったわけじゃないよ。秋山が僕に教えたんだし」
「だって、相談したかったんだもの。一番頼りになりそうだったの、静夜くんだって思ったんだよ」
 意地悪しないでと全身で主張する梓に、静夜は苦笑して、大きな瞳を軽く細めた。
 彼の目の前にいる秋山梓に関わらず、クラスメイトの女生徒たちは、恋愛事情を静夜に相談することが多い。不思議すぎると考えこむ静夜に、智帆は「異性でありながら、同性の友人のように思えるからじゃないか?」と言ってのけたものだった。
 梓が好きな人が居るから力になって欲しいといって言ってきた名前は――なんと大江雄夜だった。
「前に聞きそびれたんだけどさ」
「なぁに?」
「雄夜の何処がいいの?」
「どこ? どこって……そうね、やっぱり一番いいのは優しいところかな。あのね、知ってる? 雄夜くんって犬が大好きなのよ」
 目をきらきらと輝かせる梓に、静夜は禁じられた問いを掛けてしまったと額を抑える。
 梓は静夜の困惑をよそに、犬を前にしたときに見せる顔だとか、眠そうにしている午後の授業の顔だとか、剣道部で見せる鋭い姿勢だとか、日直の時にはさりげなく優しくしてくれることだとかを、例をまじえ――しかも例にあがる事項の再現は一つの会話とて省略することなく――口にしていく。
「あ、秋山、ごめん、ストップっ!」
「え? どうして?」
「いや、秋山がどれだけ雄夜が好きかどうかは分かったよ。でもそんなに詳しく言ってもらわなくっても、僕は知ってるわけだし」
「やだっ! そうだった。ごめん、静夜くん」
「いや、いいよ」
「時々忘れちゃうの。雄夜くんと静夜くんが双子だって事」
「まぁ、顔、全然似てないしね」
「そうじゃなくって。静夜くんと雄夜くんって、性格も似てないでしょう? なんていうのかな、普通双子って、一卵性でも、二卵性でも、もっともっと根底で似てる部分があるように感じるの。でも、静夜くんと雄夜くんって、どこか遠い感じがしちゃって」



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