[第二話 灼熱を逃れて]

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No.06 灼熱を逃れて
「とにかくだ、最優先すべきは手駒の増加。これにつきる」
 悪人のように低く囁きながら、友人の体を背負って、秦智帆は足を炎鳳館へと向けた。
 炎鳳館は、最初に機械の故障が相次いだ場所だ。邪気の気をそらせるために走らせる将斗と菊乃、一箇所ずつ陽炎が立つ場所の浄化を果たすこととなった久樹と巧とに、智帆が最後に向かえと言っておいた場所でもある。
「邪気はかならず菊乃ちゃんを追いかける。ようするに今、炎鳳館で暴れる奴がいるとしたら」
 低く、一人ごちる。
 智帆の周囲をたゆとう風は、走り出した将斗と菊乃に向かって、邪気の黒い手が伸ばされつつあるのを教えてきていた。暑さに目の前が歪むのを耐えて、智帆は体内に眠る異質な能力に集中する。
 風が、彼に応えてたわんだ。
「今日ばっかりは風さんよろしくっ!とか言いたくなるな、まったく。――居た」
 炎鳳館の門扉の奥で、佇む影がある。
 あたかもそれは炎のような。
 もしくは暗い力の塊のような。
「――雄夜」
 かすれる声を唇からだし、智帆は息を潜めた。冷静にならねばと智帆は考えるのだが、理性よりも感情が恐怖を訴えて、皮膚があわ立つ。背負った友人の細い体を一旦下ろし、腕で抱えて静かに威圧を与えてくる彼を睨んだ。
「――雄夜」
 もう一度、低く呼ぶ。
 雄夜の体が震えた。双子の片割れの姿に、ほんの僅か、動揺したとでもいいたげな動き。
「まだ大丈夫だな。悪いけどさ、雄夜。今回ばっかりは、雄夜を遊ばせとく余裕ないんだ」
 のそりと、雄夜の影が動く。
 普段の彼の、二倍にも三倍にも見える影の重圧に気おされながらも、智帆は両足を踏みしめた。両腕に風を呼ぶ。ココアブラウンの髪と、腕の中で静かに眠る紅茶色の髪が巻き上げられて、狂ったようにはためいた。
「雄夜っ!」
 一声、吼える。人もまた、獣であるのだと認識させる鋭さだった。
 踏み出した足に、大地に牙をむかせる橙花がいる。従える風に反旗を翻させようと、瞳を燃やす白花もいた。炎宿らす鳥が空を舞う。水で全てを覆いつくさんとする鱗持つ竜もいた。
 大江雄夜に従い、彼の心を破壊への欲望で満たす異質なる存在たち。
「なあ、静夜」
 向けられる全てを風で受け止め、智帆は眠れる友人に囁いた。
 伏せられた睫毛はぴくりとも動かず、唇が声を返すこともない。無論、向けられた声を聞いているわけもない。だが、智帆はすばやくソレをいった。
「一応いっとく、ごめんな!」
 言葉を吐き出すと共に、勢い良く静夜の体を前に突き飛ばした。
 まがまがしいまでに巨大な威圧感をまとっていた雄夜が、ほんの一瞬、瞳を凍らせた。漆黒の瞳に理性の色が戻り、自らが操る式神たちの攻撃によって滅ぼされようとする双子をみとめ、恐怖にいてつく。
「雄夜っ!」
 その隙こそが、智帆が求めた一瞬だった。
 守りにも使っていた風を止め、力を両手にのみ集中させ、すでに確認しておいた位置へと放る。
「風に対するは風。――白花っ!」
 風を従える式神が、風を奪われる。――真なる風の操者に、支配されていく。
 元は邪気であった彼らを支配することは、式神たちが身に宿す破壊衝動を引き受けることと同義だ。当然、智帆の中に破壊衝動の影がしのびよったが、彼はそれを一笑に伏した。
「雄夜が耐えられるものを、俺が耐えられないわけがない」
 自信たっぷりに呟いて、力ずくで雄夜に従う白花をねじふせる。高い声を一つ放ち、白花をかたどっていた光が離散した。空中で光ははじけ、智帆の手の平に札となって落ちて来る。
 ついでとばかりに残る式神たちも風で縛り、わずかずつだが破壊衝動を自分にも流れるようにする。
「よし、と」
 安堵の声を上げて、智帆はそのままたたらを踏んで尻餅を付いた。
「静夜っ!」
 同時に切羽詰った声があがる。
 双子の片割れの危機と、白花が札に戻ったことで、雄夜が心の自制を取り戻したのだ。智帆に突き飛ばされて地面に倒れこんだ静夜を、震える手で雄夜が抱き上げる。
「だーいじょうぶだよ、雄夜。静夜はお前の力のせいで、倒れたわけじゃないしな」
 尻餅をついてしまったら、もう二度と立ち上がることが出来なくなって、智帆は地べたに座り込んだまま声を上げる。瞳に怒りを震わせて、雄夜は智帆を睨みつけた。
「何があったっ! それに、白花になにをした!?」
「俺の力は風。その気になれば、白花を俺の眷属として支配下におくことは出来るんだよ。――出来ればしたくないけどさ。静夜のことなら俺は無実だぞ」
「無実だって?」
 今にも絞め殺しにかかってきそうな形相を雄夜がする。やれやれと智帆は首を振った。
「説明は後。事態収拾にむけて、俺たちはもう動き出したんだからな。雄夜、残った式神の全てで、将斗と菊乃ちゃんを助けてやってくれ。今の俺じゃもう、風を操れない」
「――智帆が風を操れない、だと?」
「あのなぁ雄夜。そろそろ現実を把握してくれ。お前は破壊衝動を抑えられずに暴走した。静夜は外部からの力の干渉によって、限界以上に力を引き出されて倒れた。久樹さんの炎は再度目覚め、巧と共に分散している邪気の核を浄化してる。──今、囮となって走り回っているのが将斗と菊乃ちゃんだ」
「――囮? あの邪気に、将斗たちだけで立ち向かわせたのかっ!?」
 声が剣呑な響きをたたえる。
 流石にいらだって、智帆は激しい視線を彼に向けた。
「だから、すぐに防御に入れっていってるんだよっ! 今までは俺が風で援護してた。だがもうムリだ。俺の力は、お前の破壊衝動を消すために使い切ったんだからなっ!」
「――智帆、が?」
「そうだよ。静夜が心配なのは分かる。だけどな、今の状態じゃ、将斗たちの援護に入れる余力を残してるのって雄夜だけだろ? 分かってくれよ」
 疲れたように言って、智帆は両手を伸ばした。雄夜は珍しく困った顔をしている友人を見やり、眠っている双子の片割れを見つめる。指先を口元にもっていけば、ささやかにゆれる空気の流れが皮膚に触れて、ようやく雄夜は納得した。
 手を伸ばしている智帆に静夜を託し、そのまま顔を上げる。
「将斗だな」
「そうだよ」
 うなずいた智帆の声を聞きながら、雄夜はすぐさま式神たちに命令を下した。
 

 将斗が握り締める手から熱が伝わってくる。
 命の形といっても良いぬくもりを感じながら、将斗は走っていた。
「菊乃、大丈夫?」
「うん。まだ走れるよ」
 力を分散して存在する邪気を浄化するために、久樹と巧は最初に学生課のある白鳳館への道を選んだ。ならば逆方向へと走るしかない。
 炎鳳館は危険すぎると智帆が言ったのを将斗は正確に覚えている。ならばと、高等部のある風鳳館へと足を向けた。
 智帆たち三人が通う高等部には、しばしば足を向けたことがある。地の利もないわけではないので、選択は正しいように将斗には思えた。
「将斗くんっ!」
 菊乃の声が、一つ、高くなる。
 振り向けば、雲のように広がる暗き闇が背後に生まれていた。
 ――きくえちゃん、と。
 音ではない音が、脳に響いてくる。
「いやっ!」
「菊乃っ!」
 手を繋ぎあった少女の悲鳴に、将斗は足を止めた。握り締めている部分に力を込め、引き寄せて小さな腕で抱き込む。
「菊乃っ!」
 もう一度叫ぶ。恐怖に瞳を奮わせた少女は、真摯な眼差しで将斗を見つめた。
「うん。菊乃は、菊乃よ。きくえじゃない」
「そうだよ、菊乃。行こうっ」
 黒い雲となって忍び寄る邪気から逃げるべく、再び二人は走り出す。カラスの大群がさしせまるかのごとく、ざわざわと音を立てて近づき来る脅威に、突如風が襲い掛かった。
「あっ!」
 風にあおられて、菊乃が驚きの声を上げる。将斗は安堵の息を漏らした。
 ――智帆が従える、風の力だ。
「大丈夫、絶対に大丈夫だ!!」
 必死に励ます。菊乃はただこくりと頷いて、きれる息と震える足を引きずって走った。
 風にあおられた邪気の重さ。
 きくえちゃん、きくえちゃん、と泣く子供の悲哀。
「ごめんっ」
 眠りに付こうとしていた激情を呼び覚まして、邪気としての形を与えることがどんなに惨い仕打ちであるのか、痛いほどに理解して将斗は泣きたくなった。
「でもさっ! 菊乃をやるわけにはいかないんだよーっ!」
 叫ぶ。
 途端、吹き付けていた風が突然にやんだ。
 しん、と静まる気配。二人を守っていた風が掻き消えた現実に、将斗が目を見開く。同時に後方に追いやられた邪気が再び力を取り戻す気配に、少年は戦慄いた。
 ――守りたい。
 手を握る、このぬくもりの相手を守りたい。
「菊乃っ!」
 抱き寄せた少女の小さな頭を抱きこんで、将斗は必死に自分の中の異質な能力に意識を集中させた。
 彼の力は光であり、光は道を示す道標でもある。
「あっ!」
 菊乃が声を上げた。
 陽が没して迫ってきた闇夜と、忍び寄る邪気によって埋められた黒が、突如閃光に切り裂かれたのだ。
「将斗くんっ! 稲妻がっ!」
「――いな……づま……?」
 呆然とした顔で、将斗は菊乃が見つめる天を見つめた。
 本来、将斗たちが使用する異質なる力そのものは、一般の人間の瞳には映ることはない。だが、異質な力が呼び寄せた、自然界に存在する現象は目撃できるのだ。
 菊乃は、空を走った稲光を見つめた。
 将斗は、空を走る光が、邪気を駆逐するのを見た。
「あれが、俺の……?」
 呆然と空を見守る将斗の瞳に、急速で接近してくる赤い影が走った。あっ、と声を漏らし、同時に笑う。
「将斗くん?」
「大丈夫だ、絶対に大丈夫だからな、菊乃。おれがぜーったいに守ってやるから!」
「うんっ!」
 ぎゅっと、また、握り合った手に力を込める。
 空を飛来してきた赤い影――炎の朱花は二人の姿を認めると巨大な翼を広げて、子供たちを保護下におく。
 光に阻害され、炎の鳥の邪魔が入っても、邪気はただひたすらに菊乃を追う。
 作り話から生まれた邪気。
 たった一人の少女をひたすらに求めて、死んでいった魂の慟哭から生まれた邪気。
 ――それだけが、この邪気の全てだった。
 

 将斗と菊乃が朱花に守られながら走っている頃、織田久樹と中島巧はすでにいくつかのポイントを浄化し終えていた。
「わっけわかんねぇ。久樹さんってさ、一度覚醒すると簡単に力使えるのなっ!」
 普段、統括保健医である大江康太がいる保健室の一角に炎をむけた久樹を睨んで巧が叫ぶ。
 久樹はゆっくりと振り向き、照れたように笑った。
「いや、なんかもう、溢れてくる感じなんだよな、身体の底から」
「普段使ってない分がたまってるとかっ!? ったく、不便だよ、使えるんならいつでも使えてたらいいのによっ!」
 ぶつぶつと文句をいいながらも、巧は浄化されまいと攻撃してくる力を大地の盾で防ぐ。
「俺もソレを考えて仕方ないんだ。俺は、多分――いや絶対に、炎を嫌ってるわけじゃないんだ。炎が目覚めた時、思うんだ。これを失ってはいけない、目をそらしちゃいけないってな」
「ふぅん。ま、俺もそうだけど」
「巧もなのか?」
 驚いた表情で久樹は巧の顔を覗き込む。大きなつり気味の眼差しに真剣さを満たして、巧は頷いた。
「そうだよ。これは、俺そのものを構成する大事な要素の一つなんだ、って思えるんだ。だからさ、色々あるけど……俺はこの力から目を逸らすなんてこと、出来ない。……出来ないんだよ」
 呟いた声が、まるで子供のものではなく、苦悩のみで満たされて老人となった人間のようで、久樹は眉を寄せる。巧はそれに気づかずに、強く首を振った。
「静夜にぃや、智帆にぃもそう言うよ。多分雄夜にぃもそうなんじゃないかな。だってこの力も自分なんだし。だから嫌なんだよ。久樹さんが、まるで炎を否定しているみたいに見えるのが」
 少年たちが、何故自分に敵意に似た感情を向けるのかを、久樹はずっと知らないでいた。ただ漠然と、炎が邪気に力を与える存在であるから、邪魔だと思っていると考えていたのだ。
 けれど。それは――。
「――巧」
「ま、しみったれた話は今はなしっ! 早くしないとさ、将斗が危なくなるだろっ! 次はえっと、どこがいいだろ。とにかく行こう!」
 威勢のよい声を上げて、巧が走り出そうとする。その腕を殆ど無意識につかみとって、久樹は少年と向かい合った。
「なんだよ!?」
 巧が声を上げる。
 何を言いたかったのか、驚きに揺れる巧の目を見て形になる。息を整え、これ以上はないほどに真剣な瞳をして久樹は巧と目線を合わせた。
「俺は、炎を嫌ってなんてない。今回のことで分かったんだ。俺の炎は、俺以外の何かによって封じられてる。――俺は、炎を奪われているんだ」
「奪われてる?」
 炎の異能力を否定しているように見えて、腹立たしかった。異能力の否定は、すなわち少年たちそのものの否定につながるから。
「俺は、否定しない」
 宿っている異能力も、少年たちも。
「……。分かった。信じる」
 久樹の声にひそむ真剣さに、真剣さで答えて、巧は頷いた。
「だから、次っ! 行こう、……えっと」
 先に走り出して、保健室の扉から飛び出す寸前に振り向いた。「久樹にぃ!」続けてそういって、笑う。
 一瞬絶句する。走り出してから、久樹は巧の言葉を思い出して、快さげに笑った。


 炎鳳館に残る大江雄夜は目を伏せていた。静かに佇む黒い影の肩には、青い光を宿す水の蒼花がとどまっている。
 足元には座り込む智帆がいて、その彼の腕の中で静夜が眠り続けていた。
 将斗と菊乃には炎の朱花を、邪気の浄化具合を確かめるためには大地の橙花を差し向けていた雄夜は、ふと顔を上げた。
「どう?」
 ゆっくりと顔を智帆が上げる。暑さに弱い彼の顔には、はっきりとした衰弱が見て取れた。けれどそれについては、雄夜は沈黙を守る。
「邪気が浄化されつつある」
「そうか。上手く行ってるわけだ」
「……智帆」
 静かに呼ばれて瞳を向けた。周囲を取り巻く闇と同じ色をした雄夜の両眼が、ひたりと智帆を見据えていた。
「今回の邪気、炎の浄化ですませていいのか?」
「――ああ、それな」
 ふう、と息を吐き出す。
「久樹さんにそれをさせるのは惨い気がするな。あの邪気が、どんなに切ない存在であるかは、生み出した張本人たちには分かってるだろうし。炎の浄化は、激情の元となった感情を焼き尽くす効果がある。普通ならそれでいいよな、激情が消されれば、静けさに戻ることが出来る。だけどな、今回の邪気には元々がない。――最初から激情だけだ」
 炎の浄化は、激情しかもたぬ邪気を殺すことになるだろう。
「でもな」
 こんこんと眠り続ける静夜に視線を移す。
 水の癒しの中に邪気を封じて、静かに、ゆるやかに、浄化していくのが上策だ。
「無理だろ。静夜は当分おきないし、蒼花じゃそこまでは出来ない」
「蒼花の力を静夜に注ぐ。そうすれば、起きる」
「雄夜? 今、なんて言った?」
 信じられない言葉を聞いたとばかりに、智帆が目を見開く。
 大江雄夜は、双子の片割れの静夜を、幼い頃に死の寸前まで追いつめてしまった過去を持つ。以来、その出来事が彼の心に深い傷口を残し、双子だというのに対等な立場を保つことが出来なくなったのだ。
 雄夜は、必要以上に静夜が無理をすることを厭う。けれどたった今、雄夜は言ったのだ。
「……それは、静夜にかなりの無理をさせる事を意味するって分かって言ってるか?」
「――分かってる」
「なぁ雄夜。それは一体どんな心境の変化だよ。今の言葉、静夜が聞いたら喜ぶだろうけど、俺にしてみたら「なぜ、なに?」って聞きたいとこだよ」
「邪気を力ずくで滅すれば、巧と将斗が泣く。――あいつらが泣くのを見たら、静夜も泣く。助けてやれなかったと、きっと悔やむ」
「合格」
 ニヤリと笑って、智帆は手を叩いた。
 雄夜は片眉をあげて、友人の態度をねめつけた後、膝を落とす。低く、蒼花に囁いた。
 竜が舞う。
 闇夜に浮かぶ月の光をきらきらと受けて、光を放つ。
「静夜」
 そっと、雄夜は片割れの名を呼んだ。 

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