[第二話 灼熱を逃れて]

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No.04 灼熱を逃れて
 彼女が最初に感じたのは温もりだった。
 続けて光を感じる。
 光は、四散していた思考の集合を促し、彼女の心は外へ向こうとしていた。
 目覚めの前に訪れる、僅かなまどろみにひどく似ている。
 覚醒を手繰り寄せる間、彼女は声を聞いていた。
 それはきくえちゃんと呼びかける声で、先ほどまで子守唄のように聞いていた音でもある。
 心地よく感じていたはずのソレが、今は酷く彼女の意識を波立たせる。一言で言えば、違和感が首をもたげているのだ。
『菊乃』
 目覚めを呼ぶ声がする。
 声に意識を向ければ、感じる温もりはさらに暖かさを増す。大空に浮かぶ太陽に焦がれる植物のように、今、彼女の意識は声に惹かれていた。
 行きたい。そこに行きたい。――目覚めたい。
 瞼を開ける。
 瞳に写る光景は、ぼんやりと曇り、焦点が定まらなかった。目が悪い人には世界がこう見えているのだろうかと彼女が考えていると、あやふやな視覚の変わりに、触覚が現実を伝えてくる。
 頬に手が当たっている。
 ほっとした瞳で、こちらを見ている少年の姿が見えた。
 全ての輪郭が淡く溶け出しているというのに、その顔だけははっきりと分かる。
「……さと……将斗くん」
 かすれた声は音にならなかった。復唱して彼女は笑う。両手を伸ばして、覗きこんでくる少年の首に手を回した。「うわっ」という声に、少し疑問を抱く。
 こんな声だったかな?
 疑問をさらに膨らませようとしたが、その前に、首に回した手をはがされた。
「菊乃ちゃんっ! ごめん、俺、将斗じゃないんだっ」
「ふえ?」
「ごめんな、俺、巧なんだ」
 改めて瞬きを繰り返す。
 周囲が次第に輪郭をとり始める。更に瞬きをし、覗き込んでくる綺麗につりあがった赤茶の瞳を確認し、立花菊乃は真っ赤になった。
「ごめんなさいっ!」
 驚きと気恥ずかしさのあまりに、思い切りよく上体を起こす。巧は器用にのけぞって菊乃との衝突を回避し、立ち上がった。
「大丈夫。将斗と勘違いするワケ、分かるしさ。菊乃ちゃん、立てる?」
 そういって、巧は手を差し伸べる。素直に手を握り、菊乃は周囲を見渡した。
「……ここ、校舎?」
 水の力の発動後、おぞましい赤に塗りつぶされていた炎鳳館は、今は静けさを取り戻している。巧は頷いて、斎藤爽子の下へと歩き出した久樹の背を見やった。
「菊乃ちゃんは、なんでここに来たのか覚えてるか?」
「ううん。覚えてない。……私、お家にいたよね?」
「いたよ。将斗と一緒だったんだろ?」
「そうなの。ねぇ、将斗くんは?」
 不安げに周囲を見渡す。巧の眼を通し、将斗がこちらを見つめている気配を、菊乃は感じ取っていた。
「白梅館で待ってるから、行こう。久樹さん、そっちいいか?」
「ん。大丈夫だ」
 背に投げられた言葉に、久樹は肯定を返す。床を滑らすようにしたとはいえ、幼馴染みを放り投げてしまったのだ。少々の罪悪感と共に、久樹は壊れ物のように爽子の体を抱き上げる。
 炎の異能力は、当たり前のように久樹と共にあった。使えるときと、使えないときの差の激しさに、久樹は強い疑問を抱く。
 封印されていると、少年達は言った。
 では一体なにが、炎を封じているというのだろうか?
「これっぽっちも分からん」
 首を振り、幼馴染みを抱えたまま早足で進む。少年と少女は小走りになった。巧が菊乃に説明をしているのに気づき、久樹は耳をすませる。
「幽霊がいるんだ」
 最初に耳に飛び込んできた分かりやすい言葉に、盗み聞きを図った久樹は笑い出しそうになる。小走りでいた巧は振り向き、敵意むき出しに久樹を睨んだ。
「巧くん?」
「あー、ごめん。んとさ、幽霊がいんのな。それが、なんか菊乃ちゃんを気に入ったらしいんだよ。それで、ちょっとマズイことが色々とさ」
「……菊乃、捕り憑かれちゃったの!?」
「そんな感じだったんだけど、今は大丈夫だろ? 怖かったときのこと、覚えてないなら思い出さなくっていい。解決はしてないけどさ、解決してみせるし。菊乃ちゃんのことは、絶対に将斗が守るよ」
「将斗くんが?」
「そ。――幽霊が菊乃ちゃん狙ったの、俺と将斗のせいだし」
「え?」 
 声が突然重なる。菊乃だけではなく、久樹も驚いたのだ。
 巧は子供の顔には似合わぬのだが、沈鬱げに眉をひそめる。口を開くのをためらう様子で、水の浄化によって障害物がなくなり、楽になった通路の先に見える昇降口を睨んだ。
「俺らさ、怪談話をしてたんだよ。久樹さんも覚えてるだろ」
「怪談話?」
「そうだよ。俺らのクラス、担任が高橋っていうんだ。高橋って凄い怖がりなんだよな。だからもっと怖がらせてやろうと思ってさ。白鳳学園に子供の幽霊が出るんだぜ、って話を吹き込んだんだ」
 日差しが強い日だった。太陽の日差しはアスファルトを焦がし、陽炎がゆらゆらとゆれている。打ち水はすぐに干上がって、陽炎の発生を促していた。
 久樹はその日、家庭教師を受け持つ生徒の親から、息子が熱を出したので日を変えて欲しいという電話を受けたところだった。予定が突然になくなり、手持ち無沙汰で寮へと戻っている途中で、川中将斗と出会ったのだ。
 担任の教師を、怪談話で怖がらせるんだと将斗は言った。暇を持て余しかけていた久樹は、楽しそうだと、計画に乗ることにしたのだ。
 確かに怪談話をし、担任の教師を怖がらせた。
「巧?」
 乾いた久樹の声を、巧は無視する。瞳の色はあくまで険しく、真剣だった。
「怖い話するとさ、幽霊がよってくるって良く言うじゃん。嘘だと思ってたけど、本当だったみたいでさ。あの時、どんな女の子だったんだろうなって話になったとき、俺らが菊乃ちゃんみたいな感じの子だったんじゃないの?って言ったのがいけなかったんだ。幽霊、本当にいて、間違えたんだよ。菊乃ちゃんと、きくえをさ」
「きくえっ! うん、そう、そう言ってた」
「やっぱり。そう、言ってたんだよな」
 きゅっと、巧は唇を噛む。深刻な少年の顔を、語られる言葉に、久樹は混乱していた。
 本当に幽霊の仕業のように思えてくる。
 だが久樹は知っていた。あの怪談話が――作り話であるということを。
 間違いない。高橋に語って聞かせた怪談話の元を作ったのは久樹自身なのだ。そこに巧と将斗が修飾を加えたので、菊乃に良く似たきくえが登場したというわけだ。
「……嘘が、本当になった?」
 邪気は、人の負の感情から生まれる。炎は邪気に力を与える。――ならば、炎とは負の感情から邪気が生まれる力をも、促進するものであるのだろうか?
 嫌な汗が、久樹の背を伝っていく。
 その場にしゃがみ込みたい衝動を抑えてる。走っている面々はすでに昇降口を飛び出し、校門近くまでたどり着いていた。行きに封鎖を破ったので、きちんと外に繋がっている。
 外に飛び出す寸前で、窓ガラスが割れる音が響き渡った。
 音につられて、久樹が振り向く。
 窓を打ち破って外に躍り出たのは、黒いシルエットだった。邪気ではないのだが、なぜかひどく獰猛なものを感じさせる、大江雄夜だった。
「雄夜っ!」
 声を枯らして叫ぶ。雄夜はちらりと振り向くと、凄まじい眼差しを向けてきた。彼を守って、炎の朱花、水の蒼花、風の白花が飛び出してくる。
「雄夜?」
 普段から雄夜のまとう雰囲気は鋭利で、静けさとは縁遠い。だが鋭利ではあっても、狂犬のような鋭さではないはずだった。例えるなら、日本刀の清廉さに似た鋭さだ。
 なのに今の雄夜からは、獰猛さだけが伝わってくる。あまりの猛々しさに背が震えた。巧が眼を見開いて首を振り、早く走れと叱咤を飛ばす。
「破壊衝動が、理性を食い破ってる」
 隣を走る菊乃が聞いても、意味が分からない言葉を巧が久樹に飛ばす。告げられた言葉が秘めた意味の重さに、久樹は蒼白になった。
「ちょっと待て、そんな素振り、俺と別れたときは毛ほどもなかったぞ」
「俺と別れた時だってなかったよっ! 全然大丈夫、って感じがした。でも……なんか分かる。さっきまで、俺もなんでも出来るって気がしていたんだ。実際、なんだって出来た。でも今は違う。いつもと同じだ」
「いつもと、変わらない……」
 言われてみれば、先ほどまで盛んに起きていた瞳の色が変わる現象が、ぴたりと収まっている。久樹の炎が目覚めると同時に、少年達の力は落ちて──いや、元に戻っていた。
「どういうことだ? これは何を意味してる?」
「ねぇ、巧君たち、何を話しているの?」
 意味の分からぬ会話に、菊乃が不安そうにする。巧は息を整え、なるべく優しく聞こえるように声を出した。
「幽霊ってったら、やっぱり霊能者だろ。実はこの兄ちゃんは霊能者なんだぜ」
「ええ?」
「巧っ!?」
 菊乃と久樹が声を上げる。二人とも驚きの声だが、意味合いが違う。菊乃は純粋に驚いているが、久樹はなんて事を言い出すのだという、抗議の入った驚きだった。
「で、あの後ろの兄ちゃんも実はそうなんだ。色々と協力してもらって、菊乃ちゃんにとり憑こうとしている霊を払ってもらうつもりなんだよ」
「そうなんだ。……霊能者……」
「大丈夫。嘘っぽい奴も多いけど、この兄ちゃんたちは本物だから」
 まことしやかに巧が断言する。異能力の存在などあかせないのは事実だが、まさかこんな作り話をでっちあげられるとは思っていなかった久樹は、口をぱくぱくさせていた。
「じゃあ、お姉ちゃんの友達の爽子姉ちゃんも助けて上げられるの? 爽子お姉ちゃん苦しそうだよ」
「当然。爽子さんはこの兄ちゃんの幼馴染みだから、助けるさ」
「良かった」
 ほっとして、菊乃はあどけなく笑ってみせる。今更否定が出来るわけもなく、久樹は頭を抱えたい気持ちを抑えた。
 白梅館まで続く一本道へと入る。立派な枝振りを見せる桜並木の奥から、すでに夕闇が始まりだす道を走ってくる影があった。高い声が、盛んに名前を呼んでいる。
「お姉ちゃんっ!」
 真っ先に菊乃が反応を示す。巧が手を離すと、かけてくる人影にむかって手を振った。
「菊乃っ! 菊乃、大丈夫っ!?」
 駆け寄ってきた立花幸恵は、腕に飛び込んできた妹を抱きしめ、乱れた髪を手櫛で整えてやった。その拍子に、友人である織田久樹と斉藤爽子に気づいて目を見開く。
「……久君、さっちゃんどうしたのっ!?」
「ちょっとな。サチ、悪いけど家で爽子を見ててくれないか?」
「別に、いいけど。お医者さんにみせないで大丈夫なの?」
「しばらく様子を見てからと思ってさ。――で、菊乃ちゃんはもうすこし借りるから」
「えっ!? どうして!?」
 抗議を含む声をあげた姉の顔を、妹が見上げる。
「あのね、菊乃ね、幽霊に取り付かれちゃったんだって。それをね、消さないとダメなんだって。お兄ちゃんたち、霊能者だから、出来るんだって」
「霊能者? 久君、そうだったの?」
 心底驚いている幸恵の眼差しに、久樹は息をつく。
 昔からの学友である幸恵は、幽霊やら超能力やらが存在すると、素直に思っている性質なのだ。このまま頷けば、久樹は確実に霊能者であることにされてしまう。けれど否定の権利を持っていなかった。
「あ、ああ、まあな。転校している間に、ちょっとさ……」
 泣きたい気持ちを必死に抑え、爽やかに見えるように笑ってみせる。幸恵はしばらく考え込み、「久くんのことなら、信じるわ」と答えた。




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