[第二話 灼熱を逃れて]

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No.03 屍のない死
「倒れた?」
 強くなった声が発した、無視し得ない単語に、静夜と巧が一斉に智帆を見返した。智帆は二人の視線に気づき、落ち着けというように、手を振った。
「分かった。すぐ行く」
 手早く会話を済ませ、智帆は携帯電話をしまいこむ。すぐに、鋭い視線を静夜に向けた。
「将斗と一緒に居た女の子が倒れたらしい。どう考えても奇妙な状況でさ」
「――菊乃ちゃんが?」
「ああ。将斗は大丈夫だって話だから、巧は落ちついとけよ」
「大丈夫だよ」
「よし。じゃあ、行こう!」
 鋭い声とともに、三人は同時に走り出す。
 同じ場所が目的地であるはずの康太は、どんなケーキが良いかなぁと悩みつづけていて、彼らが走り出したことに気づいていなかった。
 

 昔のお話。けれど、本当はそれほど昔ではないお話。
 紅蓮の炎が全てを包み、人の生活の場を灰燼と化させてしまったときの、お話。
 ずっと、ずっと、少女を探していた少年がいた。
 同じ場所を、違う場所を、何度も何度も少年は探していたという。
 そんな――お話。


 秦智帆、大江静夜、中島巧の三名は、弓弦から放たれた矢のような勢いで走っていた。寮生全てが帰宅する白梅館のロビーに駆け込んだと同時に、かすれた絶叫が響き渡る。
「菊乃っーーーっ!!」
 女性の声だった。
「菊乃?」
 前へと進もうとする足に力をこめ、踏ん張って体を止める。智帆と静夜が顔を見合わせる中、弾かれたように突然、巧が入り口から外に戻った。
「菊乃ちゃんだっ!」
 幼い少女の走りとはとても思えぬ速度で、パジャマのまま駆け去っていく姿が見える。追いかけようとして、窓から飛び出した従兄弟を巧は発見した。
「将斗っ!」
「巧!?」
 声をかけられて、将斗がハッとした顔をする。外に飛び降りた将斗の足は白い靴下のままだ。
 続けてロビーから智帆が飛び出してくる。静夜の姿はなく、唯一まともな戦闘要員となりうる双子の片割れを呼ぶために携帯電話を取り出していた。
「将斗っ! 今、何があった!」
「菊乃がっ!」
 強く首を左右に振る従兄弟の側に巧は駆け寄る。将斗が飛び出してきた窓から、菊乃の姉の幸恵が体を乗り出してきた。悲鳴に驚いて駆け寄ってきた、斎藤爽子の姿もある。
「爽子さんっ! 将斗の靴持って、すぐにこっちに回ってきてっ!」
 巧の声に爽子は驚きの表情を顔から追いやり、顎を引く。何度か騒がしい会話が響いて、中に織田久樹も居たことを巧は知った。
「巧っ! 菊乃さ、さっきまで寝てたのに。突然起き上がってさ。ごめんね、ごめんね、って、うわごとみたいに繰り返したと思ったら、いきなり幸恵姉ちゃんを突き飛ばしてさー」
 将斗は混乱のままに叫び、強く巧の両肩をゆさぶる。混乱の度合いに巧は面食らった顔をしたが、言葉の途中で顔色をかえた。
「突き飛ばしたって、菊乃ちゃんが幸恵姉ちゃんを?」
「本当なんだよー!! 菊乃の手が触れる前に、幸恵姉ちゃん吹き飛んで」
「吹き飛んだ?」
 子供たちの会話に割って入り、智帆は眉をひそめる。
 知的な雰囲気の眼鏡の下で、考え込むように細められた眼差しを、将斗は見上げた。
「うん。それは確かだよ。手は触れてなかった」
「じゃあ、なんらかの力が発生したな。間違いない、菊乃ちゃんは邪気の干渉を受けたんだ」
 断言し、困ったように智帆は腕を組む。
「しかしなんだよ。春先には、邪気が本田さんの心に入り込むような事がおきたよな。今回は、邪気の影響を受け過ぎた女の子の登場か? 簡単にでかい力をもった邪気が生まれすぎだよ」
 言葉を吐き捨て、智帆は菊乃を追って走り出そうとした将斗の肩を強く握り締めた。
「痛あっ!! なにすんだよ、智帆兄ちゃんっ!」
「将斗が今行って、何が出来るっ」
「そんなこと、言ってる場合じゃないだろーっ! 菊乃、こうしてる間にも危険な目にあってるかもしれないんだぞっ!」
 浮かびあがって来た涙を、大きな瞳一杯にためて全身で叫ぶ。痛々しい姿だが、智帆は同情することもなく、強く首を振った。
 こんなにも厳しい態度を取る智帆を、巧はあまり見たことがない。一歩下がって二人を見守り、何度もまばたきをした。
「将斗」
 更に叫ぼうとする将斗に、智帆が冷徹な声をかける。
「だって、だってさ。行ってやりたいじゃんか。役に立つとか、立たないとか、そういう問題じゃないじゃんかっ!」
「行って何も出来なくて、邪気に菊乃ちゃんを取られたらどうするんだよ」
「そうさせたくないから、行くんだよーっ!」
「そうだろ。助けるから意味があるんだ。お前が助けるんだろ、将斗っ」
 厳しい声を将斗に飛ばす。さらに口を開こうとした智帆の肩を、叩く手があった。ぐっと、唇を引き結んで智帆は言葉を飲み込む。
「やめろよ、智帆。こんなことになって、手を打たなかったのを悔やむのはいいけどさ! それって、将斗に対してきつすぎるよ」
「――静夜」
「雄夜もすぐに降りてくる。智帆がいいたい事は分かってるけど、その言いようって流石にダメだ」
 双子の片割れにすぐに表に出るように伝え、遅れた静夜だった。彼は三度ばかり、あやすように智帆の肩をたたく。
 大江静夜と、秦智帆は、白鳳学園に集まっている異質な能力を持つ者たちの中で、頭脳の役割を担う少年達だった。二人の性格は、どちらかといえば智帆が攻撃的で、静夜のほうが柔らかい。――切羽詰った状況に追いやられて、性格の違いが生む行動の違いが顕著に出ていた。
「将斗。菊乃ちゃんは助ける。でも助けるためになにをすればいいのか分からないんだ。だから将斗が視て」
「――視る?」
「将斗の異能力は視る力だ。それを最大限に使う。炎鳳館が閉じているのは僕らも見た。ということは、今回の邪気が最も力を発揮するのはあそこだと思う。だから十中八九、菊乃ちゃんは炎鳳館に行ったはずだ。閉じられた炎鳳館を将斗なら見ることが出来る、そこに菊乃ちゃんがいるから。彼女の走った経路を伝え続けるんだ」
 見続ける為に、将斗が動くわけにはいかない。
 落ち着いて一ヶ所にとどまり、意識を研ぎ澄まさねばならないのだ。
「でもさ、そんなこと言われても」
 将斗はまだ、危機におちた人間以外の光景を見たことがない。泣き言を口の中で将斗は噛み殺し、唇を噛んだ。静夜は柔らかい笑みを浮かべる。
「僕が手伝うよ。だから行くなって智帆が言ったんだ。情けないけど僕らは大立ち回りがやれるような状態じゃない。だからここから上手くいくかどうかは、将斗の異能力にかかってる」
「――俺の?」
 眉をぎゅっと寄せて、将斗は覗き込んでくる静夜の顔を見つめる。
 そうしている間に、将斗の靴を持った爽子と久樹、心配のあまり蒼白になっている幸恵、若いくせに目の下にクマを作った雄夜が駆け出してきて、それぞれ足を止めた。
「分かった」
 強く、少年というよりは大人の男のような目をして、将斗は頷く。
 将斗の凛々しい様子に、何故だか久樹が嬉しそうな顔になった。そんな彼を不思議そうに見てから、雄夜は巧の側に立つ。
「巧。お前は俺と一緒に行動する」
「雄夜にぃと?」
「ああ」
 頷いた巧の首筋に雄夜が手を伸ばす。手元が淡く発光し、脈打って純白の猫が現れる。彼を守るためにつけられていた、風の式神の白花が現れて召喚前の札に戻る。
「今回は、邪気の浄化に朱花は使えない。なにか攻撃を仕掛けられた場合は」
 いったん言葉を区切り、指に別の札を挟み込んだ。静かな仕草で掲げて「橙花」と雄夜が囁く。
 ぐらりと空間がゆれて、狼の形を取る大地の式神が現れた。
「燈花は巧と同じ属性だ。同調し、補いもする。それで攻撃を防ぐんだ」
「俺が?」
 静夜と智帆が、将斗を頼る発言を口にする光景を、一人取り残された気持ちで見ていた巧の顔に明るさが宿る。表情はあまり変えないまま、けれど強く雄夜は「そうだ」と答えた。
「今回は使える力があまりに少ない。なら、使えるものは全部使う。大丈夫だろ?」
「任せろよっ! 俺だって役に立つから!!」
 勢いこんで返事をする。視線をむけてきた将斗と目があって、巧はやんちゃな笑顔を向けて頷いた。
「よし。じゃあ」
 号令しかけた智帆の肩を、ぽんっ、と叩く手があった。
「お前ら、意図的に俺を無視してるだろう」
 恨めしそうな声。それも当然だろう、家から飛び出してきたものの、完全に存在を無視して話を進められれば、こういう顔にもなる。
 無視されたのは爽子も幸恵も同じだが、二人は靴を届けに将斗の元へと歩き出す。
「あれ、久樹さん、いつからそこに?」
「雄夜と同時にだよ」
「伝令、ありがとうでした。いやぁ、助かりましたよ」
「そのうそ臭い敬語をやめろ」
 珍しくすごんでみせる久樹の前で、智帆は肩をすくめる。
「久樹さん、春先は大活躍だったのに、今は役に立たないから。俺、足手まといって嫌いなんだなぁ」
「だから、ふざけた口調でとんでもなくキツイことを言うんじゃないよ」
「……まぁ。そりゃそうなんだろうけどさ。んー、久樹さんもなんかやりたいんだ」
「当たり前だ。俺だって役に立ちたいぞ」
 ふんっ、と胸を反り返らせて威張る久樹に、智帆はとことん胡散臭そうな眼差しを向ける。
「そのセリフってさ、将斗とか巧と同じレベルなんだけど」
「うるさい」
 俺もちょっと思ったという言葉は飲み込み、久樹はちらりと智帆を見る。くつくつと笑うと、仕方ないと智帆は降参した。
「久樹さんと爽子さんは、雄夜と巧と一緒に。勿論、炎は邪気に力を与えることは忘れずに、奪われるのは禁止な」
 指を一本、ぴんと立てて言う。それがまるで諸注意を告げる教師のようで、久樹は笑った。
「おい雄夜。久樹さんが暴走したら、遠慮なくぶったおしていいからな」
「分かった」
「ちょっと待て、いい雰囲気からのその会話はなんだっ!」
「当然の保険だろ」
「おおおい!」
 悔しがる久樹に構わず、剣呑な指示をあっさり雄夜は受け止めて、巧と頷き合う。将斗の肩に手をおいていた静夜も立ち上がり、心配など一つもしてない視線を片割れに向けた。
 将斗と巧も「やろう」と頷きあう。
「あーもうなあ、いいよ。期待してくれなくても頑張るさ」
 ぼやいた久樹の背に、ぽんっと触れる手があった。
「サチ?」
「菊乃……どうしたんだと思う?」
 ぼんやりとした声を出しながら、幸恵はじっと菊乃が走り去っていった方角を見つめる。
「菊乃が……突然反抗期になって、それで家出した……ってわけじゃあ、ないよね」
「幸恵」
 隣に立っていた爽子は囁くような声を出す。手を伸ばし、かすかに震えている幸恵の肩を抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫よ、幸恵。私たちが絶対に菊乃ちゃんを連れて帰ってあげる。だから、頑張ろう」
「頑張る?」
「うん。――もし……」
 言葉を、爽子は飲み込む。
 ――邪気に魅入られて、我を忘れているのなら。
 本田里奈の心を呼び戻したのが、丹羽教授だったように。おそらく、立花菊乃の心を強く呼び戻せるのは、姉の幸恵と、片恋の相手である将斗だけなのだ。
「なんでもない。でも、ただ本当に」
「……頑張るわ」
 全てを説明しきることなど出来ない爽子の言葉を途中で遮り、幸恵は冷静を取り戻した眼差しで肯いた。
「よし。じゃあ、改めて。今度こそ仕切りなおし」
 少女のような顔に鮮やかな笑みを刻んで、静夜が幸恵には聞こえぬように小さな声で全員の注目を集める。
「将斗と僕で菊乃ちゃんの位置をつかむ。雄夜、戦闘に入るまでは蒼花を出しておいて。水同士の共鳴を利用して、場所を伝える」
「そんなことが出来るのか?」
 驚いた雄夜に、静夜は頷いた。
「それが春のことがあってから、やれることが増えている気がするんだよね。理由はわからないんだけど。とにかく菊乃ちゃんを見つけたら、無理やりここにさらってきて。邪気に影響された状態のままでいい」
「魅入られた状態のまま?」
「仕方ないよ。雄夜の式神だと、邪気に攻撃は仕掛けられても、菊乃ちゃんを正気に戻せないから。朱花は炎そのものではないからね。僕の持つ水と、お姉さんと、将斗の声が必要だと思う。菊乃ちゃんを取り戻しにいっている間に、智帆は」
 言葉を切り、静夜が視線を智帆に向ける。親指を突き立て、ニヤリと智帆は笑って見せた。
「陽炎がたった場所だな」
「うん」
「よし。じゃあ、散開っ!」
 雄夜は巧の手を取って、菊乃が消えた方角にまずは走り出す。慌てて、久樹と爽子も走り出した。


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