[第二話 灼熱を逃れて]

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No.02 屍のない死
 立花菊乃の寝顔は、いたって穏やかに将斗には見えた。
 ペアガラスがぴたりと窓枠にはりついて、外界の音を遮断している。代わりにクーラーの稼動音が、子守唄のように低い唸り声をあげていた。
「幸恵姉ちゃん」
 極力声を落として将斗がかけると、幸恵はなんとか笑みと分かる程度に表情を動かす。
「将斗くん」
 名を呼び、幸恵は将斗に手招きした。
 おずおずと部屋に入っていく子供の姿を見守りながら、久樹は壁に背をつけて、低く息を吐き出す。傍らに佇んでいた爽子が振り向いて、幼馴染みを見上げた。
「深刻そうな顔してるね」
「まぁなぁ」
 久樹は携帯電話を取り出すと、使用はせずに手の中で弄ぶ。
「将斗が言うには、やっぱ邪気が関連してるんだってよ。今回のも」
「また?」
「確実らしい。だけどな、見ることしか出来ないからな、将斗は。菊乃ちゃんが危ない目にあって、動揺してる」
「将斗くん、気にしてるんだ」
「そりゃそうだろ。しかも相手は自分を慕ってくれる年下の女の子だ。自分の力で守れなかったら、そりゃあ悔しいだろ」
 我が事のように、唇をへの字に曲げる。久樹の様子を見守っていた爽子が困ったように笑った。
「実感こもってるね、久樹」
「……まな」
「私ね、ちょっと考えることがあるんだ」
 幼馴染みとの間にあった僅かな距離をつめる。
「智帆くんとか、静夜くんが言ってたでしょ。ああいう力っていうのは、同じ異能力者でなければ感知することもできないって。そして、久樹は炎だった。――じゃあね、私は?」
「あ?」
 突然の言葉にぎょっとして、久樹は傍らの爽子を見詰める。
 常に毅然としている爽子が、迷子の子供のように見えて久樹は更に困惑した。
「将斗くんは少なくとも視ることが出来る。久樹の異能力は炎だって分かってる。じゃあ私は何だろう。そう考えるの。春先からずっとね。あの時全てを助けたくて、久樹の異能力は一時的だったとはいえ顕現したわ。でも、私のはしなかった。その時はなんにも思わなかったんだけど、後々になって思ったのよ。なんで?って」
「……潜在的に力を持ってて、一生表に出ない奴もいるって智帆たち言ってたろ」
「うん。でも、潜在的に持ってる力って、逆に言えばきっかけがあれば表に出るものなんじゃないかな。あれって、よく考えなくったって、すごいきっかけだったよね。邪気に乗っ取られた形になった本田さんと知り合いだったのは私。久樹よりも、もっともっと、彼女を助けたいって思ってなくちゃいけないはずだった」
 心の中にためこんだ、今だに形になりきっていない気持ちを、どう言葉にすればよいのか。うまい方法を見つけることが出来ず、焦れて爽子は両手を組んだり開いたりを繰り返す。
「力ってね、あれば凄いよね。で、あればもっともっとって思う。大切な人の危機を見ることが出来る。それだけでも凄いって私は思うけど、将斗くんはそれだけじゃ足りないって思ってるよね。久樹はこんな状態になった時、みんなと一緒になにかを解決する手段を探せるように、力を自在に操れるようになりたいって考えてる。そういうのを望む気持ちって、底がない」
「爽子?」
「ごめん、それが悪いっていってるんじゃないのよ。誰かを守りたくて、だから力が欲しいって思えるってことはね。誰かに解決してほしいって思ってるんじゃなくて、自分で解決したいって思ってるからじゃないかな。だからね、優しいと思う。でもだからこそ怖い」
 言葉を切り、ぎゅっと手を握りしめる。顔をあげ、真摯な眼差しを久樹に向けた。
「力があるってことは、普通の人よりも誰かを守れる力を多く持っているってことよね。でもね、力は力なのよ。守るためだけに存在する力ってあると思う?」
「力を自在に操ってる、静夜とかの力がそうじゃないのか?」
「でも、破壊も出来るよね」
「え?」
「力そのものに、守りも攻めもないんだよ。ようは使い手の気持ち次第。なにかを守るときには、かわりになにかを壊していることが沢山ある。智帆くんが突風を吹かせれば、それによって手折られる花があるわ。静夜くんが水を呼べば、流される虫たちがいるかもしれない。雄夜くんの式神は、攻撃手段を多く持つの。あのね、久樹」
 眉をぎゅっと寄せ、苦痛を耐えるような表情を爽子は浮かべる。
「覚悟が居るの。普通の人が持ってない力で、何かを守るには覚悟が。それによって傷つくものがあっても、その事実に打ちのめされたら駄目なのよ。ある意味、凄く非情にならなくちゃいけない。私には、将斗くんたちが完璧な攻撃能力をまだコントロール出来なくて良かったって思う気持ちもあるの。だってあの子たちは凄く優しいから。守ることが、他を傷つけることにもなりうるなんて知ったら、打ちのめされちゃうんじゃないかって思う。智帆くんたちが、あえて力を自在に操る方法を教えないのって、そういう事じゃないかな。きっと……特別な力を使って何かを守ることのを怖さを、もう知ってしまっているだろうから……」
「そういう考え方も、確かにあるか」 
 低く答えると、久樹は視線を将斗が消えていった部屋に向ける。
 力が使えず、守りたい相手も満足に守れない。
 そんな状態の将斗がどんなにか辛いだろうと思っていたのだが、力が使えれば使えたで、別の問題も発生してくるとは考えていなかった。
「なんか爽子の考え方ってさ……」
「なによ」
 声に突然におどけた色が入ったので、爽子が警戒して久樹を睨む。
「お母さんみたいだな」
「……産んだことないわっ!!」
「分かってるって」
「――久樹」
 また、爽子の声に真剣さがこめられる。久樹は表情を切り替えた。
「……私の力が目覚めなかったのがね。自分で解決しようって考えてなくて、誰かに解決してほしいって思ってるからだったらどうする?」
「爽子?」
「あんなに大きなきっかけがあったのに、私は何も出来なかった。――何故って考えていたら、足元がぞっと冷たくなったのよ。私は卑怯な人間だったの? 誰かに守ってもらって、自分が傷つかなければ、誰かが傷ついても良いって考えているのだとしたら?」
「そんなことを考えてるのかよ、爽子」
 久樹は穏やかな笑みを浮かべ、問いかける。
 子供のように強く、爽子は首を振った。
「思ってないわ。思ってないと思う。私だって力があるのなら、守りたいの。誰かが傷ついてるのに、自分だけが守られてるなんて嫌よ」
「俺が知ってる爽子は、そういう奴だよ」
「そう……思ってくれる?」
 珍しく吐き出された、幼馴染みの弱い言葉。
 真剣に答えずに逃げれば、一生後悔する羽目になる気がして、久樹は表情を改めた。
「勿論」
「ありがと」
「しっかし難しいよな。力があったほうがいいのか。力がないほうがいいのか」
「そう思う。本当、難しいわ。でも、とにかく――守りたい人のことは守れた方が良いのよ。それがどんな手段でもね」
 目を細めて囁いて、爽子は視線を久樹が手の中で弄んでいた携帯電話に落とした。
「それでどうするつもり? 答えは出た?」
「なんだ、ばれてたのか」
 突然の言葉に驚く様子もなく、久樹は苦い笑みを浮かべる。
 邪気による障害が発生すれば、対応手段をもたぬ久樹は相談するしかない。だが、常に年下の高校生たちに頼る現実は、ひどく惨めで、すぐに連絡を取ろうとは思えなかったのだ。
「このまま取り返しのつかないことが起きたら、あいつらはあいつらなりに守れなかったって悩むだろうからな。しばらくは面倒かけるしかないってことだよな」
「うん。そう思うよ」
「了解。俺はあいつら呼ぶからさ、メシを完成させておいてやってくれ」
「まかせてっ」
 明るく笑って、爽子はキッチンへときびすを返す。久樹は迷いなく、秦智帆の携帯番号を呼び出して掛けた。


 丹羽教授と本田理奈と別れ、閉ざされた炎鳳館の内部を探る方法はないかと、智帆、静夜、巧の三人は思案していた。
 それを白梅館に向かっていた大江康太が見つけて、足をとめる。
「しーちゃんたち、ここで何してるんだい?」
 まだ寝ていないと駄目だよという含みが、声にこめられていた。
 静夜はゆっくりと振り向き、叔父の康太を確認する。簡単な診療具の入った鞄に気づき、尋ねようと声を出すより早く、横手で間抜けな音が上がった。
 携帯の着信音だ。
 気勢をそがれた静夜が隣をみやる。智帆はごそごそと携帯を取り出した。
「智帆、なんで三分クッキング?」
「久樹さん専用」
 聞くか?と、智帆は携帯を静夜の耳元へと伸ばす。大げさに静夜は眉をひそめた。
「それより、早く出なよ」
「それもそうか」
 ようやく着信にする智帆を見やりながら、少しだけ怒っている康太の前に巧が走り出す。普段は暢気な保健医である康太だが、生徒が無理をすると怒ることを、巧は良く知っていた。
「元気になったから、帰ろうと思ったんだ。将斗の奴さ、一人にしたら外からお化けがっ!! とかいって寝れなくなりそうだしさ」
「んー? 本当に元気になったのかい?」
「うん。ほら、顔色いいでしょう?」
「そうだねぇ。確かに顔色はいいみたいだ。仕方ないなぁ、町子さんには後で言っておくよ。まーくんがねぇ、幽霊が怖いんじゃ仕方ないかぁ」
 どうもずれている返事をしつつ、康太はうんうんと顎を引く。
「内緒だけど、あいつ、怖い話をすると夜トイレに一人でいけなくなるんだよ」
「そうだね。そういうのを見たりすると、夜に一人でトイレにいくのはちょっと嫌になるよ」
「大人なのに……?」
「ダメだよ、たっくん。大人と子供を区別しちゃ。怖いものは、大人になったって怖いんだ。むしろ怖いものって、大人になると増えていくよ」
「ふ、ふーん」
 本当はよく分かっていないのだが、康太の奇妙な説得力に巧は首を引く。その後で少し考え込んで、くるりと大きな瞳を動かした。
「こーた先生、まさかそういう時、トイレ誰かに一緒にいってもらうの?」
「やだなぁ、僕は一人暮らしだよ。誰も一緒にきてはくれないんだよね。だから、歌いながら行くことにしてるよ」
「近所迷惑な気が……」
「そうかなぁ? 別に怒られたことはないよ。ちょっと壁をたたく音が聞こえるだけだよ」
「それ、むっちゃ怒ってるんだと思うよ。こーた先生」
「あれ? そうだった? じゃあ今度、ケーキでも持ってお詫びに行くとしようかな」
 どんなケーキが良いだろうねと、うきうきとした表情になった康太の前で、智帆の顔色が変わる。

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