[第二話 灼熱を逃れて]

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No.04 現か真か

 吐息に声が被さった。
 椅子に腰掛け、思案にふけっていた秦智帆がそれに気づいて、視線を泳がせる。
 内藤医院の一室。智帆の視線の先で、ベッドの中でもぞもぞと動いていた塊は、突然何かに抗うような激しい動きを見せた。しばらくそれが続いた後、布団の中からむっくりと起き上がってくる。
 ぼうっとした目のまま、ぼさぼさになった赤茶の髪を、子供の手がかき回した。
 おかれている状況が分からないらしい。まばたきをし、周囲を見渡して、初めて秦智帆に気づいた。
「……あれぇ、智帆にぃ」
「よぉ」
 間抜けな声に軽く返事をし、智帆は黙り込む。機関銃のように喋る印象を相手に持っていた巧は驚いて、首を傾いだ。
「智帆にぃ?」
「具合はどうだ」
「具合? ……あ、あーっ! そういや、俺っ!!」
 はっと目を見開くと、巧は今更だが緊張を目に走らせた。陽炎に何かがあると思い、調べようと炎鳳館に戻った。その際にどんな目にあったのかを思い出したのだ。焦る巧に、智帆は静かに大丈夫だと告げる。
「俺らのミスだった。悪かったな」
 突然に告げられた智帆の低い声。巧は慌てて智帆を見ると、なぜか視線から逃れるように彼は目を伏せてしまう。
「あのさぁ、もしかして智帆にぃ、図書館でのこと言ってる?」
「まぁな」
 智帆の声がさらに一段低くなる。
 ようするに智帆は気にしているのだ。最初に邪気が動いているかもしれないと告げたというのに、動かないでいたことを。結果無事だったとはいえ、巧が意識を失う羽目になったことを。
 黙りこむ智帆の様子に、彼もまた子供なのだと痛感させられて、巧は困って眉を寄せた。
 彼が知る智帆という人間は、決して揺らがない存在だった。補足するなら静夜もだ。
 だからこそ、つい彼らに依存しがちになってしまう。それを巧はずっと良くないと思いだしていた。
 強いだけの人間も、迷わない人間も、間違えない人間もこの世には存在しない。
 大人でさえも迷って、途方にくれて、しまいには自らを死に追いやってしまうような世の中だ。まだ成人もしていない智帆たちが、揺るがないわけがない。強いわけがない。単に、強くあろうとしているだけだ。
 年少者である自分たち二人が、年嵩の少年たちを頼るのは仕方がないと巧は思う。けれど頼り切るのは嫌だった。有事の際、結局は年かさの少年たちが解決してしまったとしても、自分自身でも考えるようにしていたいと思っている。
 ――負担になるだけは絶対に嫌だ。
 沈鬱な表情を智帆が浮かべるのは、守るべき対象を守れなかったと考えているからだ。庇護してくれる親の役目など、期待していないのに。
「なあ、智帆にぃ」
 極力明るい声をだして、巧は勢いよくベッドから降りて笑った。
「俺、大丈夫だったんだし、もういいじゃん。その代わり、これからは一緒に考えてくれれば良いし。俺だと、考えても良く分かんないんだもん」
「……分かった」
 驚いた顔で巧をしばし見つめて、苦笑まじりに智帆は笑った。手に持っていた巧のお気に入りの帽子を、智帆は頭に乗せてやる。
「考えるだけなら、暑くても出来るしな」
 同時におどけた口調になる。それで何があったと続いた言葉に、扉が開く音が重なった。
 薄暗くなった室内に走る、雪明りのように淡く白い光。
「あっ!! 白花だっ!」
 光に誘われて振り向いた巧の声が跳ね上がる。
 入ってきたのは大江静夜で、肩に大江雄夜の式神である風の白花が乗っていた。歓声をあげた子供に向かって、白花は首を上げてみせる。金色の瞳がじっと巧を見つめた後、にゃあ、と鳴いた。
「わー、俺、こんなに普通にしてる白花って初めて見た」
「まぁ、式神が出てる時っていうのは、普通じゃない状態の時が多いから」
 穏やかに笑って、静夜はネコ型の式神の首の後ろを持ち、巧へと差し出す。抱くことを促されたのが分かるので、さらに巧は目を輝かせて、両手を伸ばして白花を抱きとめた。
「やわらかいなー」
 頭をなでる巧の手が心地よかったのか、にゃあ、と再び白花が鳴く。人語を解するし、話もするくせに、わざわざ猫っぽい声をだしてやるあたり、サービス精神旺盛な式神だ。
 巧が大喜びで白花を抱いている隙間をぬって、智帆が静夜に目配せをする。巧と智帆の間で会話が行われ、とりあえず和解がはたされたことを理解して、静夜はうなずいた。
「白花はしばらく、巧につけておくよ。将斗の守りは僕がする。悪いんだけどさ、今から炎鳳館に付いてきてくれないかな」
「炎鳳館に?」
「さっき、将斗と菊乃ちゃんを帰らせたんだ。何かあったらマズイと思って、結界を張っておいた。それが一度、発動してる」
「発動って……え、じゃあ、将斗は!?」
「大丈夫だよ。さっき、久樹さんから電話があった。将斗は今日、とりあえず菊乃ちゃんの家に泊まることになったって、巧に伝えて欲しいってさ。連絡があったのは、結界が発動した後のことだから。大丈夫なのは間違いない」
「そっか。良かった」
 安堵の息をついて、巧はスリッパのまま扉へと向かう。
「巧?」
「だって、行くんだろ?」
 不思議そうな声を投げる巧の屈託のなさに、静夜と智帆の二人は顔を見合わせた。
 巧の身におきたことは、将斗の取り乱し具合からいって、かなり恐ろしいことであったと二人は理解していた。いくら元気が売りの巧でも、今回の邪気に怯えて、尻込みするのではと心配していたのだ。
 想像以上にたくましい巧に、二人は頼もしいなと思う。
「行こう」
 答えて、智帆と静夜もゆっくりと外へ歩き出した。


「変ね」
 彼女は声を漏らして首を傾いだ。
 伸びた髪の毛先が首筋にかかる。そろそろ髪を切りにいかなくちゃと思いながら、彼女は首を振った。
「炎鳳館って、確かにここが校門だったはず」
 それを証明するように、初等部炎鳳館と記された看板が、彼女の視線の先にはきっちりと掲げられている。
「本田君。なにをしてるんだ」
 落ち着いた低音が耳に届いて、女は目を大きく開いた。世界で一番好きな声だ。半ば反射的に手を動かして、彼女は髪を整えてから振り向く。
 春先に起きた事件において、邪気を生み出す原因に大きく関与していた本田里奈だ。今は正式に学生課に勤めている。声をかけてきた男は白鳳学園大学部で教授の地位にある男で、彼もまた、春先の事件の目撃者であり最終的には当事者となった。
「丹羽教授こそ、どうされたんですか?」
「私は夕食の買出しだ。それで、どうした」
 丹羽の言葉に手元を注目してみると、近所のコンビニの袋が下がっているのが分かる。やけに存在感のある色とりどりのカップラーメンに、人知れず里奈は息をついた。
「教授。高血圧になりますよ」
「――。本田君は私に自炊しろというのかね」
「それは無理だと思いますけれど。せめて、寮の食堂で取ればよろしいんじゃないんですか?」
「駄目だ」
「どうしてですか?」
「あそこは口うるさい。たかが一種類の野菜をのけただけで、好き嫌いはダメですよと抗議が入る」
「教授。なにが嫌いなんですか?」
「嫌いではない、本田君。食するのに労力がいるだけだ」
「それを嫌い、っていうのだと思います。教授」
 子供みたいと笑って、里奈は再び視線を背後に向ける。
「教授、子供たちから入った連絡は、本当に荒唐無稽なことだったんです。ここのところずっと続いていた、突然陽炎が出たとか煙が吹き上げてきたよりも、もっともっと不思議な連絡……」
 里奈の声が低くなる。
 それが里奈が緊張した時の癖だと知っている丹羽は、眉をひそめて、初めて彼女が見つめていた炎鳳館を見やった。
 夕焼けに照らし出された、無人の校舎。
 長く伸びた影は、本来ならば校門から中へと伸びていくはずだった。
「――なんだと?」
「ない、ですよね。私の眼の錯覚じゃあありませんよね」
 そこに、校門がなかった。
 校舎を囲っているコンクリートの無機質な灰色が、校門があった場所をも塗りこめてしまっている。里奈と、里奈の影が、まるで向かい合っているかのように、ただあった。
「……奇怪だな」
「そうですね。あら、教授」
「ん?」
「奇怪つながりです。彼らがこっちに来てますよ」
 里奈の視線の先で、智帆、静夜、巧の三人がゆっくりと歩いてくる。三人はまだ、里奈たちに気づいてはいなかった。
 里奈と丹羽は異能力を保持していない。ゆえに、春先に起きた事件で目撃した異常現象の半分を引き起こした光などは見ていなかった。それでも彼らに呼応するように起きていたのは分かるのだ。
 だから彼らを不思議と思う気持ちを二人は持っていた。
 巧が一番先に、自分たちを見つめている人影に気づいて顔を上げる。
「あれ、あそこにいるのって、学生課の姉ちゃんじゃないか?」
 声につられて、顔を上げた静夜が、困ったように眉をしかめた。
「嫌だな。春先に起きた舞姫の事件のおかげで、あの先生、僕らを疑ってるっぽいんだよね」
「といってもな。炎鳳館を確認しておきたいのは事実だし。ここで逃げ出すのも変だろ」
 同じように困った顔で智帆と静夜が小声で話し合う。なので俺が教科書を忘れて取りにきてるってことにしたら?」と巧が提案した。
「頭いい巧。放課後、誰もいない学校にいくのって、一人じゃ嫌なもんだからね。それは説得力ある」
「だろだろ? 将斗は結構怖がりだから、前に本当に付き合わされたことあんだ」
「ふーん。将斗って、幽霊とか怖いんだ」
 それは知らなかったと静夜が続ける。そうしている間にも、距離はつまり、教授と学生課員の前で足を止めた。
「三人揃って、どうしたの?」
 里奈は、舞姫の事件直後、揺り戻しのように精神的に不安定な時期を繰り返していた。近頃ようやく落ち着いて元気になっている。こうやって気軽に話しかけてくる明るさも戻っていた。
「教科書忘れたから、取りに来たんだよ。先生と姉ちゃんは?」
「ちょっと生徒たちから変なことがあったって連絡が立て続いたから、様子を見に来たの。丹羽教授は買い物の帰りですって」
「そうなんだ。で、変なことがあったって、何?」
 怪訝そうな顔で巧が首を傾げる。その背後で、なんの気なしに顔を上げた静夜が、はっと目を見開いて智帆の腕を引いた。
「智帆っ!」
「あん?」
「……なんだろ、あれ」
 指差した先には、コンクリートの壁。智帆は垂れた目をしばたいた後、ちらりと友人を見やった。
「壁」
「そんなことは見れば分かる。巧、そこって、前から壁だったっけ?」
「え? ――ええ!?」
 腕を引かれ、校門のあたりを指差されて見た巧は、大きな目を丸く見開いた。
 里奈と丹羽は、演技とは思えぬ少年たちの驚いた様子に目を見合わせる。
「なんだ、何も知らなかったのね」
「何も知らないもなにも。一体いつ工事したんです、これ? これじゃあ炎鳳館に入れないですよ」
 静夜のあきれた声に、里奈は腰に手を当てた。
「学園がこんな工事するわけないでしょ。良く分からないんだけどね、突然こうなったんですって。電話してきた生徒によると、突然凄い勢いで色々なものが歪んで。急激に出口がなくなっていくような気がした、って言っていたの。で、実際に外にでて炎鳳館の方を見たら」
「入り口が、本当に消えていたと?」
「そう。変な話でしょ? 陽炎が至る箇所で発生している、っていう話だけでも変なのに」
 なんだか不思議なことが沢山おきすぎて、苦情がいっぱいで大変と里奈がぼやく。間髪入れずに仕事だろと丹羽が言ってよこしたので、里奈はぷうと頬を膨らませた。
「本田さん、陽炎が出た場所って記録してますか?」
 智帆が口を挟む。その強い語気に不審そうな顔になり、里奈は「ええ」と頷いた。
「他の課員は、ほっとけばいいわよって言うんだけど。春先にあんな事があったから、どうしても気になっちゃって。陽炎が出たって連絡が入るたびに、場所をメモしておいたの。家においてきた手帳に書いてあるわ」
「本田さん、それ、見せて貰ってもいいですか?」
「いいけど。どうするの?」
 伺うような目で、里奈は智帆を見た。興味深そうな視線を、丹羽も向けてくる。疑惑を増やすことは分かっていたが、今回は気にしないことにした。一つ一つ調べればいいのだが、今回に限っては、調べに出られる人員が少ない。
 すでに情報があるのなら、それが欲しい。
「いや、別に。そこにいったら、陽炎が見れるかもしれないじゃないですか。面白そうだし。代わりに、変なことがあったら連絡しますよ」
「――うーん、丹羽教授はどう思います?」
「危険なことをしないと約束するならば、教えてもいいと思うがな」
「教授がそうおっしゃるなら。じゃあ、あとで電話するわ」
 寮で暮らす生徒たちは、全員学園から携帯電話が配布されている。里奈は学生課員なので、智帆たちの電話番号を調べるのは簡単だった。早く帰りなさいねと言い残して二人は立ち去る。
 取り残された形で、三人はめいめい閉ざされた炎鳳館を見つめた。
「まさか、こんなことになってるなんて。さっき、将斗の身を守るために発動した結界って、これが原因だったのかな」
「多分な。しかし、なんで炎鳳館が閉じる? 情報がなさすぎて、よく分からないな」
 二人、困惑しきった声を出す。夏の暑さの中では、どんなにやる気を出したといえども、思考能力の低下は防げない。機敏さにかける年嵩の少年たちの声を聞きながら、巧はただ、自分の通う閉ざされた校舎を睨んでいた。

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