――停止。
邪気に体を乗っ取られ、支配されていた本田里奈の体が硬直して、停止した。
三年前に、舞姫という芝居をやろうと考えた演劇サークルの面々が居た。初めてのオリジナルの舞台に意欲を燃やしていた彼らだったが、完成を間近に控えたある日から障害が発生したのだ。
クライマックスに差し掛かると必ず邪魔が入る。それは雷であったり、豪雨であったり、最終的には怪我人まで出てしまったのだ。
「舞姫は本田さんが書いた小説が元なの。シナリオにしたのもそう。──そしてね、私たちがみた邪気と同じ顔をしていた人がいた、それが舞姫役の榊原さんっていう女性よ」
爽子がプリントアウトしたものを広げる。
「うーん、雰囲気が違うからあれだけど。確かに同じかなあ。化粧でわかんない」
首を傾げる巧に、雄夜が「同じだ」とあっさりと答える。
「すげぇ、雄夜にぃって化粧する前の顔がわかんの!?」
「邪気と普通が交互に入れ替わるのを見た。──元を見ているだけだ」
どこかのんびりとした会話が行われているのは、里奈が動きを停止したことと、周囲を浄化の炎が守ってくれているからだった。
「なんか綺麗だなー、この炎」
将斗が言うと「そうか? そうだろ? いや俺もそう思ってな」と久樹が嬉しくなって答えたが、そんな場合?という爽子の視線を受けて「悪い」という。
「でも爽子さん、凄いことしたよね」
静夜に言われて「え?」と爽子は驚いた。
「いやだって。核となった感情の元をしめす名を呼ばれたら、邪気は個として確立しだすと思うけど」
「本田さんの中に潜んでいる状態で、それが行われるっていうのもな」
衣服についた汚れを払いながら、智帆は静夜と共に里奈の様子を伺った。
停止している里奈の瞳の奥底で潜んでいた、炎のようなナニかがはがれ落ちていく。
「あ、あ」
喉を震わせ、里奈は虚ろだった瞳を見開いた。だらりと下げていた手を持ち上げ、押しつぶすように頭を抑える。
「あ……あ、ああ……っ!!!!」
それはまるで獣の咆哮だった。
「彼女の心は保てているけど……」
静夜がかすれた声で痛ましそうに囁いて、吐息を落とした。
里奈の変化に驚いたのは久樹と爽子で「なに!?」と叫ぶのを、智帆が肩をすくめることで答える。
「拒絶反応だよ」
個を持ってしまった邪気は、里奈の感情のフリなどもう出来なくなる。里奈は里奈の中に完全な異質があることを気づき、それに激しい嫌悪と拒絶を示したのだ。
連続的に獣じみた呻き声をあげ、里奈は背を丸める。
「浄化の炎のおかげで、邪気よりも本田さんの心の方が有利だ。消される心配はないだろうけどな」
「けど?」
少年の微妙な言葉尻に、久樹がひっかかって問う。智帆は問いの意味がわからない風で、そ知らぬ顔をした。
久樹は少し黙り、質問が悪いのだろうと見当をつける。
「智帆、静夜がさっきいった個を持つってなんだ? 邪気が個を持ったから、あんなにも苦しんでいるのか?」
「──まあ、そうなる。邪気はあやふやで、怒りだとか、憎しみとか、衝動だけで構成されてる。邪気は憤るけれど、その理由は分かっていない。持ってるのは人間の方だからな」
斜に構えた仕草で、智帆は唇の端を手の甲でぬぐった。ざらりとした感触がするのは、唇の端と手の甲の両方に、血で固まった砂がついていたからだ。
「名前には大きな意味があるんだ。それが独立した個であると、認め存在を与える。名前がなければ、久樹さんは多くの中の一人にすぎない。だがそれが織田久樹って名前を持つものなら、存在の重みは大きくなるだろ」
「そんな大層なもんか、名前って」
「少なくとも、俺らはそう考えてる」
久樹の疑問を軽くいなした。雄夜は無言のままで頷く。静夜は口を開かなかった。
「多くの人々の感情が集まって生まれるのが邪気だ。大量に集まった後、ずば抜けて激しい感情が核となって繋ぎ合い形を持つ。ようするに感情の集合体だな。だけど核となっている一つが、独立した個性を持ってしまったらどうなるか」
手と手を胸の前で合わせて、智帆は「こんな風に」と呟いて勢い良く手を離した。
「分離するだけだ。違う感情だと分かったら、そうでないものは出て行くしかない。だから」
ちらりと、智帆は里奈を見つめる。
先ほどまで唸っていた彼女は、頭を押さえてうずくまっている。どす黒い、霧のようなものが彼女の身体から立ち上り、次々と離れていくのが見える。
――あれが。邪気を構成していた、誰かの残したマイナスの感情たちなのだ。
「本田さんっ!」
爽子が駆け寄って里奈を支えようとするのを、智帆が腕をつかんでとどめる。
「凄いことをしたって静夜が言ったのはな。邪気の核となっているモノの名前を間違えたら、大変なことになるからだ」
足を止めて、爽子が勝気そうな漆黒の瞳を智帆に投げる。
「間違えたら、その……どうなっていたの?」
「邪気の怒りが倍増する」
「そうなの!?」
「まぁな。だから俺も静夜も、予測だけじゃ口に出来なかった」
今更のように青ざめた爽子を庇って「終わりよければ全て良しだろ」と久樹が口をはさむ。智帆はため息をついた。
「だから、静夜が警戒をまったく緩めていない意味を分かれよな」
「──へ?」
「終わってないんだ」
「い、やぁぁぁぁ!」
智帆の語尾に、里奈の凄まじい絶叫が重なった。
『どうしてなの?』
彼女はいつも、そう言って目を伏せるのだ。
夢の中。桜が咲く頃に現れて、そう呟く。
桜色に染められた指先が、弾劾するように私を指差し。
そして、似合わぬ赤に染められた唇が『どうして』と繰り返す。
「やめて」
私はいつもそう訴えるだけだ。
あれは三年前のことだった。
姉のように思っている榊原は、私が書く小説の唯一の読者だった。
誰かに読ませたいわけではなかった。ただなんとなく、自己表現の一つとして書いていただけだったのだ。思ったことをだらだらと書き綴っているだけで、面白くも何ともないと思っていた。
事実、榊原が私の話を、面白いと言ったことはなかった。
それでも読んでくれるのは、身近な人間が小説を書くのが珍しかったからかもしれない。
それなのに、榊原が言ったのだ。
「この舞姫、芝居に使ってもいい?」
私はあまりの言葉に、驚いて声も出なかった。
榊原は完璧主義の女性で、実際完璧になんでもこなす人だった。ゆえに何かをする時には、常にベストを尽くせる材料を求める。
そんな彼女が、芝居に私の話を使いたいなどと言い出すことなど、まずありえないと思っていた。だから尻込みをして断っていたけれど、途中から。
芝居に使われるなんて素敵だな、と思ってしまった。
それを他のサークル員に見せると言われたとき、私はラストの推敲をしていなかったことを思い出したのだ。
「なら、少し治す」
私はそう言った。
「完成じゃないの?」
榊原はそう尋ねた。
「うん」
何の気なしの、答えだった。
けれど榊原の中で、その言葉は大きな意味を持ったらしい。
私が書いた小説のラスト部分は、不完全なものとなった。推敲ではなく、完全に書き直すべきものとなったのだ。
無論、書き直すことなど出来なかった。
私は最初からそのラストしか考えていなかったし、それ以外のラストを考える能力も持っていなかった。けれど榊原がそう思いこんだ以上、私は書き直さねばならない。
「でも、いつ完成させられるかは分からないの」
私は、本当のことが言えずにそう答えた。
榊原は首を傾げ「完璧な最後を作るには、時間がいるってことね」といった。
納得してくれたとほっとしたが、彼女は完璧な笑顔を向けてくる。
「現時点ではこれで完璧なのだものね。だから約束するわ。貴方が書き上げたら、それで芝居をしましょう。勿論、他の演劇のメンバーでってことになるけど」
笑った榊原の笑顔は、すぐに思い出すことが出来る。
彼女は完璧主義者だ。
自分が約束したことなら、なんとしてもそれを履行する。その為には、多少病的な執着心を見せることを、私は知っている。
だから。
だからだからだから。
『どうして?』
彼女が目の前で呟き、私は首を振る。
『どうして、私には終わりがないの?』
怖い。
怖いの。
だって……。
「いやぁぁ、ごめんなさい、ごめん、ごめんなさいっ!!」
里奈は大声で叫んだ。
呻くだけだった里奈の豹変に爽子が後ずさる。
「なにが起きた!?」
爽子を後ろに庇って、久樹も里奈の豹変に眉を寄せた。
「邪気が彼女に語り掛けて、それに反応してる」
静夜が紅茶色の瞳を上げ、鋭さを宿して里奈を見ている。
「舞姫って、最後まで芝居が出来なかった榊原さんの憤りでしょう? 本田さんは確かに関係者だけど、でも」
「僕は邪気は舞姫そのものだって感じてるけど」
「舞姫、そのもの?」
「役者さんっていうのは、その役になりきることが出来るんでしょ。舞姫という新たな存在が生まれてもおかしくないよ。舞姫は最後まで演じて貰えず、途中で放り投げられてしまった存在だ。命を全うできなかった舞姫は、いつまでも最後を求めて演じ続けるしかなかった」
現実を生きる人の心を元に邪気は生まれるのに、現実からほど遠い。
──だからこそ、それは。現実で演じられるはずだった、虚構世界に生まれた形だ。
「芝居のクライマックスを迎える直前の、舞姫の台詞を言っているんだと思う。久樹さんが見た夢も、きっと」
「なんだって?」
久樹は慌てて、爽子が持ってきた台本を確認する。
最後の舞台設定は、人の死体が敷き詰められた地面の上に、満開の桜の花びらが散り落ちるとなっている。──それは確かに、久樹が見た夢の光景そのままだった。
「……なら、本当に。舞姫……本人?」
久樹の呟きに頷いて、静夜は痛ましそうに目を伏せる。
里奈はさらに絶叫し、誰もいない空間に、ごめんなさいとただ繰り返す。
「──不思議なことばかりが起きて、舞台をすることが出来なくなった。それをした邪気は、舞姫じゃない。──きっと、本田さんの心が生んだ別の邪気だったんじゃないかな」
──邪気は誰かの心の中に入ることなど出来ない。
もしそれが可能だとしたら。それは、邪気を生み出した感情の持ち主か、邪気が憤っている相手そのものであるか、だろう。
里奈が舞姫の芝居を潰した本人であり、舞姫を生み出した本人でもあれば。邪気が人の心に侵入することも可能だろう、と思ったのだ。
「どうすればいいの!? 本田さんを助けてあげないと!」
「このまま炎がすべてを浄化し尽くすまで待てば、終わると思うけれど」
目を静夜が伏せる。その仕草に嫌な予感を覚えて、爽子は力いっぱい少年の肩を掴んだ。
「浄化が終わったあと、本田さんの心は無事でいるの?」
「……僕は彼女の心の強さを知らない」
「強くはない」
突然、入ってきた大人の声。
驚いた一同が振り向くと、汚れてしまった背広を払いながら、くしゃりとした煙草を指に挟んだ男が歩いてくる。
全員、すっかり忘れていた。本格的な戦闘に入る前に吹き飛ばしておいた、丹羽教授だ。慌てて久樹が周囲に視線を巡らせ、ここを囲んでいた炎の高さはそれほどでもなく、頑張れば飛び越えられそうだと確認する。
「……あんたは」
雄夜が驚いた声をあげた。
「他人を、あんただの女だのと呼ぶものではない。無口なのは構わんが、礼儀がたりんぞ」
続けて名乗ってから、丹羽はすたすたと歩いて里奈の前に立つ。
「本田君」
里奈の目は虚空を睨んだまま、丹羽の声に反応せず「ごめんなさい」と繰り返す。深く息を落とし、今更汚れるのを気にしても意味がなくなったズボンを地面に降ろして膝をついた。
「君の悪い癖だな。悪い部分は理解しているが、それを認めようとしない。悪い部分に気付けぬ者は手に負えんが、気づいて治さんのはより性質が悪い」
だから君の論文は、詰めが甘くなるのだと丹羽は続ける。
何をいきなり言い出すのかと一同が呆気に取られる中、なんとなく、雄夜が目を細める。それがほっとしたときの表情だと分かるので、静夜が不思議そうに首を傾いだ。
「あの女……いや、本田里奈は大丈夫かもしれない」
「そうなの、雄夜?」
「おそらく」
そのまま口をつぐむ。恩師って奴かと、会話を聞いていた智帆が言った。
里奈はまだ奇声をあげながら、ごめんなさいを繰り返している。丹羽はそれに呆れることなく、隣で膝をついたまま、言葉をかけ続けていた。
「本田君」
もう何度目かはもう分からないが、里奈の名を呼ぶ。不毛に思える繰り返しだが、ふと、里奈の目が丹羽の顔を捉えた。
「きょ、うじゅ」
掠れきった声が、すがるように丹羽を呼んだ。
丹羽は「どうした」と普段通りに答え、悩んだ素振りをみせてから、元教え子の両肩に手を置いた。
「私、私、教授。ごめ、ごめんなさい……」
「誰に謝っている。謝罪は、謝罪すべき相手にせねば効果はない」
「だって、教授、私」
怯えきった目が、空をさ迷う。そのまま瞳孔が開いて行きそうな予感に、丹羽は里奈の肩をぽんぽんとする。はっと身体を震わせて、彼女は丹羽に抱き着いた。
「教授、私、邪魔したんです。本当は終わってたのに、終わってたって言えなくて。楽しみだったんです。それは事実だったんです。芝居は見たかった。でも、芝居が完成したら。私、書けもしないものを書かなくちゃいけないって思って。だから、怖くて、完成が近づくたびに怖くて!! でも楽しみだったのも事実だったのに!」
夢を見る。
桜が咲く頃になると、夢を見るのだ。
いつも同じシーンを繰り返す舞姫。
彼女は私を弾劾する。
――どうして、終わりを、迎えさせてくれないの?と。
「有り得ないって思ってたんです。だって、私が嫌がるだけでどうして雷なんて落ちるんですか。そんなの有り得ない! なのにそれが起きて。夢の中で舞姫は私を弾劾するんです。私が、邪魔したって」
「それで、今はどう思っている」
「……。私が、邪魔したのかもって」
「それに謝っているのか?」
「だって、舞姫は私を憎んでる。分かるんです、私の中に舞姫がいて、私を呪っている! 怒ってるんです!!」
「怒っているから、謝るのか?」
「それは、ち、違います」
「ならどうして謝る?」
「だって私も、本当は舞姫を見たかったから。見たかったんです」
丹羽の背に手をまわしたまま、里奈はついに泣いた。ぼろぼろと涙を溢れ出させる。丹羽は幼い子供にするように、彼女の背をさすってやる。
「浄化を止めろ」
突然、雄夜が凛と告げた。
名前を呼ばれたわけではない。けれど自分が促されたのだと正確に理解して、久樹は炎を静める。
「桜」
里奈の体がぽうっと発光し、あでやかな緋色の霧がさざめいて広がった。
桜の花びらが舞う。はらはらと、あでやかに、舞って一つの形を作る。
「桜、サクラ散る」
緋色の娘が佇んでいた。
緋色の肌襦袢に、舞扇を持っている。足元にはぎっしりと死体が並び、その上に満開の桜が花びらを落としていた。
「私は千人目の呪者。そして一人目の生贄」
舞姫が囁いて、そっと歩を進める。
久樹は握り締めていた台本の存在を思いだした。舞姫が口にした台詞が記してある。その後には、相手役の男の台詞があるはずだ。
舞姫はただそっと、久樹を見つめていた。
──そうか、と思った。
ここから先こそが、中途半端で投げ出されたことに悲しみ続け、邪気となってしまった舞姫が求めた最後なのだ。
台本を持ち上げてる。舞姫に続く台詞が、はっきりと記してあった。
「時はそれほどまでに、憎むものだったのか?」
久樹が台詞を読むと、舞姫はふと笑んで、更に進んできた。
「時はすべてを醜くする。人は時の呪縛から逃れられない」
「だから殺すのか?」
「殺す。時がすべてを壊す前に」
くるりと舞姫は肌襦袢姿で舞った。舞扇に合わせて、頭上から降りしきる桜の花びらの数が増す。
「けれど、君は私を殺していない」
「殺す」
「殺せない」
久樹は一歩、舞姫との距離を詰めた。台本に書いているわけではなかったが、そうしたいと思ったのだ。
「君を裏切った恋人も、君を励ました親友も。君の家族も。君は誰も殺していない」
「殺したわ」
少女のようなあどけない顔に、怒りをこめて舞姫が久樹を睨む。
久樹は前方を指差した。まるで照明が存在しているかのように、彼が指差す先は明るくなった。
「なら、あれは?」
桜の下に埋もれた人、人、人。
彼女が殺した、人々の影。
「私が殺したのよ。時の呪縛から救うために」
「でも、生きている」
「生きてなどいないわ」
「そういうなら、確認するといい」
強く言うと、舞姫は首を振る。
「無駄なことよ。貴方を殺すのが先」
「そうかな。でも、ほら。あの人たちの胸は上下している。息をしている」
「してないわ」
「殺せていない。君は結局、殺せていないんだ」
そう告げて伸ばした手は、舞姫の肩を捕らえることが出来た。
──ああ、存在している。そう、思う。
そのまま久樹は舞姫の身体を回転させて、光へと向ける。
「ああ」
舞姫が囁く。まるで泣き出す寸前の声だ。
「時が――」
「呪縛は続いたままだ」
そして、と久樹は言葉を続ける。
これが手元にある台本の、久樹が読むべき最後の台詞だ。
「君も、呪縛を受けたままだ」
桜が散る。
雨よりも細かく、降りしきる花。
「桜、散る」
舞姫が、歌うように呟く。
久樹は指先に炎の力を集め、一気に開放した。
──桜と共に在った邪気が、炎によって浄化されていく。
光の中で消えていく邪気を久樹はただ見守った。
「久樹!」
心配そうに駆け寄ってくる幼馴染みの顔に現実を取り戻し「爽子」と呼んで、衝動的に彼女を抱きしめる。
「終わった。舞姫は、終わりを迎えたんだ」
「そうだったの?」
終わったんだよと繰り返し、久樹は爽子を抱きしめたまま離さない。
「あのさ、二人が仲良しなのはいいんだけど。ここには教授もいるし、怪我人もいたりするわけだよ。状況は把握している?」
意地の悪い声に慌てて身体を放すと、行儀など知らぬとばかりに地べたに座り込んだ智帆が笑っていた。彼の背中に寄りかかっているのは静夜だ。
丹羽も座っていて、抱き着いた形のまま眠ってしまった里奈を困惑顔で支えている。
「ところで君、織田君といったか。君が最年長だな」
「え、あ、はい」
「ならば今回の一件。あとでレポートにまとめて私に提出したまえ」
「は?」
「レポートだ。最低二十枚」
「そんなまた、ご冗談を」
「私は冗談は言わん。誰か携帯電話を持っているだろう。内藤医院に電話だ」
口をぱくぱくさせる久樹を尻目に、丹羽が指示をする。
雄夜は無言で番号を呼び出し、連絡を取り始めた。
どうやら静夜は寝入ってしまった。智帆は腹が減ったと空を見上げてぼやくので、巧と将斗が「ハンバーグ!」「とんかつー!」と叫んでいる。
終ったんだと爽子は思った。
満身創痍の少年達を一人ずつ見つめて、せめてご馳走を作ってあげようと、心の中で思ってから、久樹を見上げた。
どうしてか凛々しく見えて、爽子は少し笑う。
「ねえ」
「ん?」
なんとなく、楽しい気分になった。
「私ね、丹羽教授のレポートは手伝わないから」
「なに!?」
「だって、舞姫は元々貴方を求めてたみたいだもの」
「は?」
「見て、これ。この人が舞姫の相手役だった人よ。ちょっと久樹に似てるよね」
「……。爽子、俺が文章苦手って知ってるだろ」
「うん。私は得意よ。頑張ってね」
にこやかに笑う。
久樹は嘘だろとさらにぼやき、空を見上げる。
空は、今は穏やかな青空を取り戻していた。
[第一話 サクラ咲く 完]
後日談