[第一話 サクラ咲く]

前頁 | 目次 | 次頁
No.04 桜花乱舞
「分かった。それで雄夜が納得するならいい。言っとくけど久樹さん、雄夜がどんな手段を使うかは分からないからね」
「――そ、それは一体どういう」
 告げられた言葉に久樹は返事に詰まる。
「具体的には分からないよ。でも引き出せれば問題ないんだな、とか考えるだろうし。勿論、好意を持っている相手の為なら怪我のないようにって考えるだろうけど。まさか久樹さん、すでに雄夜を怒らせたりしてないよね?」
 だとしたら怖いよ、と言葉を続ける。久樹の背後で、保健室の一件を知っている子供たちが声を殺して笑った。
 おのれガキ共と内心文句をたれつつ、久樹は乾いた笑みを顔に張り付かせる。
「いや、その、なぁ。あ、あははは」
「やってるんだ。――本当に、何があっても僕は責任取らないからね。さて、ここまでクリアしたら問題はあと一つだ」
 静夜が腕を組み、なにかを考えている智帆に視線を向ける。
「智帆、久樹さんの持つ炎の能力を引き出せたとして、邪気を炎で滅せる可能性はどれくらいあると思ってる?」
「そうだな。まあ、十パーセント程度ってところか?」
「十もあるかな?」
 雲行きの怪しい会話に「大丈夫なの?」と爽子が不安な言葉を落とす。
 すぐ側に居る子供たちが見上げた。巧は爽子となら話したいが、久樹とはお断りなので、かわりに将斗が口を開く。
「あのさー、爽子姉ちゃん。あの本田さんの中に入った邪気って、どんどん強くなってるんだよ。それを滅ぼすってことは、もちろん、すっごく沢山の力がいる。静夜兄ちゃんと、智帆兄ちゃんとで、雄夜兄ちゃんの朱花の能力をフルに引き出せれば、出来ることだったけど」
 将斗はじいっと、爽子の隣に立つ久樹を見つめた。
「今の爽子姉ちゃんの幼馴染みくんだと、俺たち以下って感じだもんなー」
「……。あのな、俺は織田久樹っていう名前があるぞ」
「うん。知ってるー。でも名前呼ぶほど知りあいじゃないじゃん?」
 にこやかに笑って、将斗は肩をすくめた。がっくりと久樹が肩を落として「名前で呼ぶくらいの知り合いには格上げしてくれよ」と頼んでくるので、分かったよーと答えた。
「でも俺、説明とか苦手ー。なあなあ巧、変わってよー」
「なんで俺なんだよ」
「だって爽子姉ちゃんも聞きたそうだから。いいじゃんかー」
「ううう。俺って……。あんたって、異能力のコントロールに問題がある俺たちより駄目なわけ。雄夜兄ちゃんに異能力を引き出して貰ってもさ、使いこなせないじゃん。引き出すのもコントロールも頼りきりじゃ、強くなった邪気を相手にするには弱いよ」
「それそれ! レベルが足りない、スキルが足りないって感じ。さっすが巧ー!」
 ゲーム好きの将斗らしい感想だ。久樹と爽子も理解して顔を見合わせる。
「じゃあ、本田さんはどうなってしまうの?」
「だから今、智帆にぃと静夜にぃが考えてんだ」 
 巧は爽子を見やった。
「前に静夜にぃが言ってたけど、邪気は人が抱えた感情から生まれてるんだ。だから、邪気ってのは解決されていない何かを、持ってる場合が多いんだって」
「えっと、例えばどういう感じ?」
 腰を屈めた爽子が、巧の眼を見つめて尋ねる。すぐに頬を赤く染めた少年の反応に、俺の幼馴染みは罪作りな奴だと久樹は思った。 
「えっと、怒ってる時って、怒る理由があるわけだし。憎んだ時だってその理由があるよな? これを少しでも解消してやれれば、邪気の力は弱まるんだって」
「邪気が弱まる」
 そうなんだ、と爽子は呟く。考え込んでいる高等部の二人に視線を向けると、こちらの会話に興味をひかれたらしい智帆と目が合った。
「まずは弱体化させないと話にならないからな。静夜の封印も、雄夜の朱花も使えない、使えるのは久樹さんの炎だけって状態じゃ猶更だ」
 気が向いたのか智帆が説明をしてくる。
「そこまでなの……? ところで、静夜くんはどうしたの? 考えているっていうよりも、悩んでいるみたいだけど」
「……え? うん、邪気があの人の中に入れたことに引っかかったのを思い出したんだけど。分かった気もしたのに、考えだすと答えが出なくって」
 うーんと、静夜は首をひねったが、理由を探るにも情報が少ないと息を付いた。
「邪気が姿を見せたポイントとか、桜を咲かせた事実とか。緋色の肌襦袢を着ていたこととか。ヒントはあるんだ。だから時間さえあれば、ちゃんと調べて原因を探すことも出来たと思うけど。今は時間がないし」
 風の障壁を見やる。
 飛び出した丹羽を守る為に水の結界を動かしたとき、智帆もまた風の守りを大学教授へと向けていた。連携が取れていなかっただけなのだが、それが偶然にも水と風の異能力を掛け合わせることになって、結界の能力を持つ風の障壁が生まれたのだ。
 だが──これもいつまで持つかは分からない。
「あ、そうだ。静夜にも言っておこう」久樹が声を上げた。
「──何を?」
「情報提供……になるか分かんないけどな。夢を見たんだ。満開の桜の下、深紅の肌襦袢の女が殺すって呟いていた。彼女が立つのはぎっしりと敷き詰められた死体の上だったよ。そいつは笑って、俺は──刺された」
 思い出してもぞっとする。
 腹部に走った灼熱の衝撃と、痛み。
「刺された? それに死体の山があったって?」
 久樹の言葉に興味を示した静夜が目を細めて、光景を思い描く。
「そんなの、現実感がなさすぎる。それが意味することって――」
 静夜がごちた声に触発されて、式神を召喚する札を握り締め沈黙を続けていた雄夜が顔を上げた。低く「静夜」と呼ぶ。
「雄夜?」
「俺が最初に見た時は、現実感のある普通の女にしか見えなかった。──ただ、その後だ。普通の女と、普通じゃない肌襦袢の女が交互に入れ替わり続けた」
「普通と、普通じゃないのが交互に?」
「最後に、攻撃を仕掛けてきた肌襦袢の女だけになたった」
 それだけ告げて、雄夜はまた黙りこんだ。静夜はもどかしさに眉をしかめる。
「なあ智帆、どうみても普通じゃない光景が現実にあるとしたら何だと思う? 普通の人が、普通じゃなくなる。それって……」
 桜がいきなり散って、緋色の娘が立って、足元は大量の死体が転がっている。これが現代日本で普通に起きる──なんてありえない。
 眼鏡のブリッジを押さえ、静夜と共に考えこんだ智帆が「そうか」と呟くと共に、静夜の腕を強引につかんで引き寄せ、間近で囁く。
「演じている、だ」
「――演じる?」
 現実において、非現実的なものを”見せる”もの。
「それじゃあ!」
 静夜の上げた声をきっかけにしたのか、風の障壁の奥にある禍々しい気配が膨張した。
 ――邪気が目覚める。
 智帆はすぐさま風を操る体勢に入った。巧と将斗も息を整える。俯き無言を貫く雄夜も話は聞いていたようで、ごねずに久樹の側についた。静夜は里奈の心を守る為に水の力を集めつつ「爽子さん」と年上の友人を呼ぶ。
「――わたし?」
 役割を与えられていなかったので、とりあえず応援に徹するしかとこっそり思っていた爽子は驚く。
「学生課にいって、彼女の事を調べてきて。僕と智帆の考えがあってるなら、彼女は大学の時に関係したサークルかなにかで邪気にかかわることをしたはず」
「本田さんが関わったって……?」
「きっと三年前だ。大学部の学園祭でおかしな事件があったって聞いたことがある。それからなんとかしてデータを、紙でもなんでもいいから持ってきてっ!」
「それって、どういう?」
「だから彼女、ええっと本田里奈さんが、あの邪気とどんな関わりを持ったのかが知りたいってこと。きっと……映画とか演劇とか、そういうのだと思う。とにかく急いでっ!」
 静夜の声に打たれて、爽子は走り出した。
 その、背にした場所から。
 風の障壁の内部から、すべてを打ち壊し、すべて飲み込む為の轟音が響いた。
 風の障壁を食い破って現れた色は禍々しくも美しい、艶めいてすらいる緋色が、学生課のある白鳳館へ続く爽子の道をも染めていく。
 走っているからではなく、爽子の心臓が激しく跳ねていた。調べる為とはいえ、まるで逃げ出しているようで、心が強打された気持ちになる。
「早く、早く、調べて――」
 戻らなくちゃと繰り返した。
 もっと早く走れればよかったのに、そんなことまで考えながら三年前と繰り返す。
 学生課には生徒たちの活動に関する記録は、デジタル化されて大量に残されている。とくに部活動やサークル活動の実績は重視されていた。
 白鳳館に辿り着くと爽子はすぐに資料室を目指した。人気の少ない館内は静かで、彼女が走る音がやけに高く響く。途中で学生課の課員に「端末を借ります」と告げて、自分の生徒証明カードを取りだした。
 生徒達が自由に使える端末は三台。
 学生カードを端末に接続しているカードリーダーにかざした。ピッという音と共に、ブラックアウトしていた画面が生き帰り、パスワード入力画面が現れる。
 冷静にパスワードを打ちこみ、爽子は三年前の学園祭のデータが入力されているデータベースを選択した。
「検索単語は……えっと、所属サークルと、本田里奈で大丈夫かな」
 滑らかな指の動きでキーボードを叩く。すぐに結果が表示された。本文の一部が表示されている一覧をざっと確認し一つを開く。
 ――本田里奈。サークルには所属せず。
「え?」
 自分が見た文字の意味を一瞬理解できず、爽子は唖然とした声を出した。里奈はサークルに入っていない?
「嘘。それじゃあ」
 冷や汗が額に伝う。
 他に三年前の学園祭に関わっている可能性はないだろうか。試しに名前だけで検索をかけたが、検索結果が多く出過ぎて、情報を拾うには適さない。
『映画とか演劇とか、そういうのだと思う』
「三年前の学園祭。それから映画か……演劇?」
 画面を睨んでぶつぶつと呟く爽子が気になったのか、端末を借りることを告げた中年の女性が「三年前の学園祭で演じられるはずだった、お芝居のことを調べているの?」と声をかけてきた。
「──え?」
 三年前に演じられるはずだったお芝居がある?
「それって──そうです、それです!」
 女性課員は笑って、爽子の操作する端末に手を伸ばした。
「舞姫っていう演目よ。オリジナルの台本でやるはずだったの。ええっと、そうそう、これね」
 慣れた手つきで演劇サークルのデータを呼び出してくれる。画面に現れたのは写真で、十人前後の男女が笑って映っていた。
「私ね、もうずっと白鳳の演劇サークルが好きなのよ。三年前は個性的な子たちが集まっててね。白鳳の演劇サークルはいつでも良い演技をするんだけど、あの時が一番役者が揃っていたと思うわ」
 懐かしがる女性課員の話しを聞きながら、爽子は写真の男女を一人ずつ確認していく。日本人形のような髪型の、派手な顔立ちの美人に目を止めた。
「綺麗な人」
「その子は榊原さんよ。準主役の舞姫役だったのよ」
「舞姫役?」
「緋色の肌襦袢に、舞扇を持ってね。練習を見たこと有るけれど、そりゃあ似合っていたのよ」
「緋色の肌襦袢に、扇子」
 ぞくりと、肌が粟立った。
 ――間違いない。
 でもどうしてだろうと爽子は悩む。静夜は里奈が邪気にかかわっているはずと言ったのだ。なのに邪気と関わりを持つのは里奈ではなく榊原という女性だ。写真の顔に朱の隈取などが施されたら、邪気と良く似ている。
 さらに写真を凝視する。映っている人物を数え、横にある名前も数える。それで数が違うことに気付いた。写真に映る人物の方が、名前の数より多かった。
「――あれ?」
 榊原という娘の隣に、曖昧に笑っている童顔の娘がいた。腰までありそうな長い髪に、眼鏡をかけている。特別目を引くような顔立ちではない。
 だが、誰かに似ていると思った。――でも、誰に?
「こういう感じの友達はいないし」
 ――本田里奈は三年前に邪気とかかわってしまっている……。
「あっ!」
 女性は里奈だった。
 眼鏡と長い髪のせいで印象が違っているが、この顔は確かに本田里奈だ。
「本田さん」
「あら、本田さんの知り合いなの? 今年彼女が学生課に配属になるでしょう。だから、最近この舞姫の話題になったのよ。だから私も三年前の演劇って言われてすぐわかったんだけど。あのね、舞姫の元になった小説は本田さんが書いたそうよ」
「本田さんが書いたんですか!?」
 繋がった。
 確かに本田里奈は舞姫に関係していたのだ。
「本田さんの小説でやりたいって榊原さんが言ったらしいわね」
「榊原さんと、本田さんは友達だったんですか?」
「そうね、姉妹のようだったって聞いたわ」
「そうなんですか。あの……演じられるはずだったって、どういう意味ですか?」
 尋ねると「それね」と残念そうに呟いて、マウスを手にして別のファイルを表示させて横に並べた。一つはシナリオ形式で、一つは普通の小説だ。。
「小説はラストがないのよ。舞姫のシナリオの方はちゃんとあるんだけど」
 おかしいと思わない?と女性課員は言う。
「未完の小説だったならわかるのよ。でもね、本田さんは『本当は終っていました』って呟いたのよ。吃驚したから聞き返したけど、はぐらかされちゃってね。──本田さん、どこか寂しそうだったのよ。だからもしかして、小説の最後を変更するのを強要されたのかなって思ったのよね」
「強要って……穏やかじゃないですね」
「芝居の為に書いたシナリオのほうが良いってが決めつけられてしまったとか? だから小説の最後は消されてしまったのよ」
 うんうんと大袈裟に呟きながら、絶対そうよ、本田さんが可哀想ね、と女性課員は締めくくる。
 爽子はなんとなく納得できずに、首を傾げた。
 芝居の為にラストを変えるのは別に珍しくないと思う。わざわざ小説の最後を消せと強要なんてするだろうか?
「それでね」
 力のこもった女性課員の声に、考え事を中断させられて、爽子は視線を向けた。
「変なことが起こり始めたのよ。練習中、奇妙な声が聞こえて来たり、誰かが居るって騒ぎ立てる生徒が出たり。舞台を怖がって、大学にこなくなった生徒もいたらしいわ。それでも練習は続けられたけど、最後に怪我人が出た」
 奇妙なことばかりが起きて、居ないはずの誰かが見えた。
「結局はそれが原因で中止になったの」
 残念そうに告げて、女性課員は学生課の中へ戻って行った。くらくらとしながら爽子はラスト付近のシナリオと小説、あらすじと写真もプリントアウトする。
「本田さんが書いた小説。なくなったラスト。そして中止になった舞台」
 出てきた十枚ほどの紙を掴んで、爽子は走りだした。
 ──あの邪気は、誰が残した感情から生まれたのだ?
 分からない。分からないが、これを持っていけば全てが解決するような気がして、爽子は急ぐ。
 舞台は野外ステージ――大学部水鳳館前に予定と記してあった。
 
 
 強烈な熱が周囲を走った。
「巧っ!!」
 将斗の声が響いて、巧は勢い良く地面に両手を付けた。邪気の力を削ぐ方法がわからない以上、反撃をしても無駄になる。
「盾になれっ!」
 望む効果を、具体的に命じる。将斗は巧の肩に手を置き、持っている力を従兄弟に注ぎこむようにした。
 邪気の目覚めと共に、里奈の心は今にも食いつぶされようとしている。それを止めるべく、静夜は残る力を振り絞って彼女の心に水の守りを注いだ。
 里奈の隣では、普段と変わりない様子から、再び激変した元教え子に丹羽教授が唖然としている。
 里奈の心を戻す時に助力が必要になるが、今の丹羽は邪魔な存在だった。また突発で動かれたら厄介だ。だからといって丹羽に大人しくしてくれと説得するわけにはいかない。
 異能力でもって派手に対抗しているのは、丹羽に異能力が見えないからだ。奇妙な力が使えるだなんて説明するつもりは静夜にも智帆にもない。
 だったら方法は一つだ。静夜が智帆に目配せする。
「了解。ちょっと荒業だけどな」
 智帆が不敵に笑い、突風でもって丹羽をはるか後方に吹き飛ばす。
「無茶苦茶すんな、あいつら」
 久樹は目を剥いた。静夜は特別に可愛いが、智帆だってどちらかと言えば可愛い顔立ちだ。その上、作戦担当でもあるようなのに、口ではなく先に手が出るのはちょっぴりショックだ。
 ふんっ、と傍らの雄夜が鼻を鳴らした。おそらく馬鹿にされた──のだろう。
 邪気は緋色の霧で周囲を満たしながら、強烈な熱と共に、炎を放ってくる。
 身体が焼かれると思うたびに、隆起してきた地面が盾となって現れる。
「あー、あっついー! 巧、大丈夫かー!」
 将斗がはあはあと息をしながら叫んだ。
「これじゃもうすぐ俺たち蒸し焼きじゃんか!! どうやったら熱も防げる!?」
 巧の異能力ではこれが限界だ。
 溢れだしてくる汗をぬぐいながら、久樹は智帆と静夜を見やった。涼しい顔をしているかと思ったのだが、二人とも顔が上気している。暑さにかなり弱いようだ。
「なあ、いつまで耐えていればいいんだよ!?」
 少年たちを弱らせる強烈な熱から解放してやりたくて、久樹が切羽詰った声をあげる。それは丁度、隣に居る雄夜に訴える形になった。
「知らん」
 久樹の問いを、雄夜は退けた。
 視線を向ければ、雄夜は眉をしかめ、ぐっと唇を真一文字に結んでいた。まるで、静夜と智帆以上に、痛みを堪えるような顔だった。
 ――いや、実際に耐えているのか?
「俺も知らない」
 雄夜は同じ言葉を繰り返して、ただただ拳をぎゅっと握る。
 少年達は特別な能力を持っているが、だからといって特別な人間というわけではない。彼らは普通の少年なのだ。普通に笑うし、怒るし、怖がるし、恐れもする。
 式神を失ってなにも出来ず、双子の片割れと友人たちが苦痛に晒されている現状をただ見ているのは辛いに決まっている。
「悪い」
 突然に謝られた雄夜が、驚いて久樹を見た。久樹は彼の肩をポンッと叩き、改めて鋭い眼差しを盾となった土壁の奥にいる邪気の方角に向けた。
 邪気をここまでの存在にしたのは、久樹の中にあった炎が原因だ。──どうしたらいい?なんて聞いている場合じゃない。
 久樹は気合を入れる為に、自分自身の頬を手で叩いた。
「俺が炎を使えるのが前提なんだ、この状況は。だから教えてくれ、俺の力を、俺が引き出すにはどうしたらいいと思う?」
「……分からない。気づいた時には式神がいた」
 今度の返事は、ぶっきらぼうではあるが、突き放してくるものではなかった。ちゃんと聞けば、雄夜だって答えてくれる。むしろ突き放していたのは──。
「俺だ」
 心がまっさらに戻れば、少年たちに反発ばかりしたのは何故だろうと思う。それが暖かな気持ちを呼び、漣のように胸を満たし、心の奥底にある炎を感じた──と思った瞬間。
 久樹はハッと息を飲み、背筋に冷たいものが走る。
 ──何かを、見た。
 巧が大地を呼び寄せて作り上げた土壁の上だ。
 ――黒い。揺れている。黒く細く長いもの。ぞろぞろと張り付く黒。
「……か…み?」
 人の髪だ。ずるずると動いて、移動している。
 ──誰もソレに気づいていない。
 背筋の冷たいものが戦慄となり、駄目だと思った。あれは絶対に──駄目な……。
『殺すの』
 声が響き、久樹はそれが出現するのを見た。
 土壁の上に徐々に表れる人の顔。二つの目玉がきょとりと動き、久樹を捕らえる。赤い唇がニヤリと笑った。
「──!!」
 己の奥底にあった、感じたばかりで暖かかったはずの炎が急速に引き上げられてくる。久樹の意思ではない、あの邪気が、あの緋色が、再び炎を強奪しようとしている。
 炎を奪われたから、邪気は力を増した。
 だから少年たちはこんなにも追いつめられている。本田里奈の心が消し潰されようとしている。
 ──駄目だ。
 自分の炎が、再び邪気を増幅させるなど、絶対にさせられない。
「誰が、お前なんかに炎をやるかっ!」
 恐怖を跳ね除けて、久樹は里奈の中に在る邪気を睨み叫んだ。
 凄まじい炎が久樹の周囲を業火に突き落とす。
 恐いと思ったが、どうしてか肌が焼ける感触はなかった。煙もない。そういえば自らの力は、自らを傷つけないと少年達は言った。それを実感する。
「これが俺の炎……」
 むしろ心地よいくらいで、久樹はそっと瞼を閉じる。
 邪気の緋色とは異なる、けれど似た赤い色の霧が、夜のとばりのように降りてきた。

 前頁 | 目次 | 次頁
竹原湊 湖底廃園
Copyright Minato Takehara All Rights Reserved.