[第一話 サクラ咲く]

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No.03 桜花乱舞
 呼び声に応えて三つの式神の札を空へと放った。
「蒼花、白花、橙花っ!!」
 空に投げ出された札が発した光が、天に流星の軌跡を描く。
 一つは青。蒼花の名を持つもの。雲を呼び寄せ竜の形になり、空中に佇む。
 一つは白。白花の名を持つもの。金色の瞳にて邪気を捕らえる猫型の式神は、空でくるりと回転し降り立つ。
 一つは橙。橙花の名を持つもの。鋭い四肢で大地に降り立つ狼型の式神は、威嚇の吠え声をあげた。
 すでに喚ばれていた朱花も炎をまとう翼を広げた。
 四体の式神は東西南北に陣取って包囲する。
 邪気に完全支配されつつある里奈に、焦りの色がわずかに宿った。
 静夜は状況を見つめる。無理に無理を重ねているせいで、身体は急速に重くなっていた。両膝に手を置いて上体を支えながら「結界があっても、四つを同時に喚べるとは考えなかったんだ?」と邪気に告げる。
 風で一気に白煙を吹き飛ばして駆けこんできた智帆は、式神がすべて喚ばれていることと、久樹の炎を封じる位の余力のない静夜が結界を発動させたことを確認し「実力行使を選択したわけか」と呟く。
「やれ!!」
 雄夜が裂帛の気合いと共に式神たちに命じた。
 邪気はすぅっと目を細め、一歩下がって緋色の霧をまとった。静夜の考えた通り、寄生した身体を守ろうとしている。
 火炎と突風、濁流と岩石が邪気に襲い掛かる。邪気のような精神体のみを滅するのでなく、物質をも破壊する攻撃だった。
 初等部の子供たちの制止を振り払って飛び込んできた久樹は、そのあまりに苛烈な光景を、全体として見ることが出来たのだ。
 だからこそ、久樹だけが気づけた。
 少年たちが宿す異能力の光は見えなまま、里奈に襲い掛る恐ろしい異常現象に凍り付き「よせっ!」と叫んでいきなり走り出した人物を。
 丹羽は若いわけでもないし、身体を鍛えているわけでもないし、そもそも運動を苦手としている。なのにその動きはあまりに早かった。
「攻撃を弱めろ、このままじゃ邪気じゃなくってその男がやられるっ!!」
 腹の底から大声を出し、少年たちが状況にハッとした。
「戻れっ!」雄夜の叫びと共に、式神たちが強制的に札に戻された。
智帆の風と静夜の水の異能力は連携すらとれずに同時に放たれて、丹羽を守る為にまじりあい。
 ──閃光が生まれた。
 それを、彼女は、見ていた。 
 青と、翠と。ぶつかりあって弾けて、きらきらと舞うものを彼女が見ていた。
 綺麗、と思った。そんな彼女に、どこからか誰かと誰かが問いあっている声がする。
『ねぇ、本当に出来ないの?』
 ――そうだよ。だって、最後がなくなったから。
『でも、あんなに頑張ったじゃない』
 ――頑張ったからって、全部が上手くいくわけじゃないし。
『でも報われないよ』
 ――誰が?
『誰がって……』
 ――誰? 誰が、誰が? 誰が報われないの?
 どこかで聞いた気がして、どこかで自分が答えた気もする、そんなことを思いながら、彼女は瞬きを繰り化した。
 どうしてだろうか、なにかが見えているのに、輪郭がはっきりとしない。
 それで初めて、彼女は自分がとめどなく涙を溢れさせていることと、やけに体が痛いことを自覚した。
「本田くん。怪我をしたのか?」
 ――優しい声がする。
 心に染み渡る。「怪我は?」と再び優しく問われて、首を左右に振った。
「教授……」
「立てるか?」
 優しいのだがそれより厳しさの成分のほうが多い丹羽らしい確認だ。
 あちこちに走る痛みを我慢して起きあがり、里奈は溢れたままの涙をぬぐう。どうしてか風が下から上へと吹いており、たわんで持ち上げられた髪が濡れていた頬に張り付いて、化粧が落ちるのが悩みどころだった。
 持ち歩いている小型の鏡とハンカチでなんとか体裁を整え、里奈はようやく顔を上げて「──え?」ぽかんとした。
 妙なことになっている、と次に思った。
 下から上へと拭いて里奈の髪で遊ぶ風が、ごうごうと凄い音を放って風の壁を作っていたのだ。それが二人を取り囲み、天を貫くように続いている。
 正面や右、左、そして背後も見やったが、どこもかしこも風の壁があってその先を見ることが出来ない。
 足元を見やり、アスファルトを見つけて首を傾げた。
「あの──教授、ここはどこでしょうか? 私、部屋に伺っていましたよね?」
 教授室に居た記憶を彼女は持っていない。
「覚えていないのか?」
「覚えていないって、なにをです?」
 丹羽の物言いに疑問を覚えて、里奈はあらためて彼を見上げて息を飲んだ。
「教授っ! どうされたんですか!?」
 丹羽はお洒落ではないが、だらしない格好をする人間でもない。だというのに今の教授の髪はやけに乱れ、背広にいたってはかなりくたびれていた。
 しかも頬やら手やらが、煤で汚したようになっている。
 やれやれと丹羽は吐息を落とした。
 それはやけに、里奈にこのままでは単位をやれないと宣告してきた時に似ていた。だから落ち着かなくなって「あの、本当になにが?」と弱く繰り返す。
「どうやら、いつもの本田くんだな」
「いつものって、なんですか? 違う私とかいるんでしょうか」
「覚えていないのなら今は聞かん。あとで思い出せ」
 ぶっきらぼうに命令し、丹羽はいきなりアスファルトに腰を下ろした。「先ほど、立てるか?とおっしゃったのに……」と呟いて目を丸くし、けれど里奈も習って隣に座ってみる。
 二人を取り巻いている風はかなり激しく、触れれば怪我をしそうだと思った。
「これって、待っていたら静まるんでしょうか? 珍しいつむじ風……の中? でもここまで一か所で留まっているなんて? ……どうしよう、私、そろそろ戻らないと呆られてしまうのに」
 風の壁を前にぼやき続ける里奈に、丹羽はひそかに混乱する。元教え子の変わり様と、何も覚えていない様子が理解できなかった。
 

 久樹が危険を知らせた少年たちは、揃って苦しげな息を繰り返していた。すぐそばまでたどり着き、風の壁を見上げる。
 邪気の気配はあまり感じられない。
「感じない?」
 邪気の存在を知らなかったのに、異能力を自覚した途端に察知している自分がおかしかった。
「で、これからどうしたらいいんだ?」
 異能力を自覚したら、使い方が分かるようになると期待したのだが、そうは都合よくならないようだ。
 相談をと久樹は視線を巡らせる。
 智帆は中腰の姿勢で、膝小僧に両手を乗せていた。静夜は浅く早い呼吸をくりかえし、苦しそうに胸元を抑えて地面に膝をついている。
 異能力を酷使しすぎている。
 なんとか智帆は立ってはいたので、伺うような久樹の視線に気付いていた。だが声を掛けてやらず「大丈夫か」と消耗が最も激しい静夜に問いかける。
「駄目かもしれない」
 悲観的な返事に目を細め、けれど静夜の視線が真っ直ぐになにかを捉えて眉を寄せていたので、それを追う。
 雄夜が一人、歩いては何かを拾い、また歩いては拾うのを繰り返していた。
 総力での攻撃命令中に、無理矢理に戻ることを命じられた式神たちを召喚する為の札だ。彼の骨ばった手は、鮮やな色に染められ、なにかを滴り落としている。
 ──真紅だった。その、鮮やかな色は。
「雄夜っ!?」
 驚いた智帆を、静夜が制した。
「怪我を雄夜がしたんじゃない。――式神が……」
 声が震えている。
「静夜?」
 少女のような見掛けのせいで、儚い印象を他人に与えるけれど、彼がとても強い心を持っていることを智帆は知っている。けれど今の静夜は怯えている、それが智帆を不安にさせ、衝動的に肩を強く揺さぶった。
「――智帆?」
 怪訝そうに名を呼ばれる。そこに、智帆を不安がらせた怯えの色はなかった。我に返って手を離し、まじまじと静夜を観察する。
 やはり普段と変わった様子はなかった。
「いや。……雄夜が怪我をしたんじゃないなら、あれは何だ?」
 取り乱したと思われるのは癪だ。冷静に問うて、改めて雄夜を確認する。彼の手をじっとりと濡らすものは血にしか見えない。
「無理矢理に戻したことで、邪気を攻撃したエネルギーが式神に跳ね返ってきたんだ。ある意味、血と同じだ。──式神がどれほどの苦痛を受けたかを示してる」
 札を拾い終わった雄夜が、じっと手の中を見つめて立ち尽くした。戦闘の間中も、ぴったりと寄り添って離れないでいるシベリアンハスキー犬のスイが、心配そうに太もものあたりに額を擦り付ける。
「攻撃をすることで、邪気の力を削ろうと思ったんだ。──でも、もうその手が取れない」
「――そこまでの状態なのか?」
「式神たちが受けたダメージは重すぎて、回復に一ヶ月はかかるんじゃないかな。その間、形すら取れないと思う」
 静夜はふっくらとした唇を噛んだ。
「人が飛びだしてきて、攻撃を中止せざるを得なくなるって考えてなかった──ごめん、同じ失敗の繰り返した。邪気に向けられた攻撃を考えなしに防いだせいで、あの女の人に向いてしまったばかりなのに。──させちゃいけないことを、雄夜にさせてしまった」
「式神が死んだってわけじゃないだろ」
「そう、だけど?」
 怪訝そうに揺れた瞳に、智帆は静夜の怯えがどこにあるかを把握する。
 邪気に対する術を無策に失わせたと悔いていると本人は思っているようだが、それが違う。静夜は雄夜が大切にするものを傷つけてしまう事態を恐れ、それが実際に起きてしまったことに脅えているのだ。
 雄夜に守る対象にされていると憤るが、静夜も片割れを守らねばと無意識に思っている。ようするに揃って互いに過保護な双子なのだ、これは根が深い。
「……気持ち悪すぎ」
「気分悪いって、大丈夫? まあそりゃそうだよね、あれだけの風を使ったら。飴ならあるけど」
「いや、持ってるので間に合ってる。──とにかくここからどう巻き直すかだな」
 首を振ったところで、子供たちが爽子と共に駆け寄ってきた。
 風の障壁を見上げ圧倒されていた久樹が振り返り「爽子、こっち来たら危ないぞ」と声をかける。
「久樹だって危ないでしょ」
「そりゃそうだけどな。爽子が危ないところにわざわざいるってのはなあ」
 なんとか説得を試みる久樹と爽子をそのままに、巧と将斗は悲壮に立ち尽くす雄夜を見つめ「智帆にぃ、静夜にぃ」と呼ぶ。
「俺らに出来なること、なんかない?」
 真剣に尋ねられて、顔を見合わせる。それぞれで巧と将斗の頭にポンっと手を置いた。
「次に邪気が攻撃を仕掛けてきたら、元気なのはお前らだけだしな。まあ出来ることだらけなんだが」
 大地を操る巧の異能力は、水の結界ほどの効果はないが、邪気の力を弱めることが出来る。遠くの光景を視ることが可能な将斗の異能力は光で、これも本来は邪気を弱めることが出来るのだ。
「好みじゃないなぁ」
 嫌そうな智帆の呟きに、静夜が同意する。
 久樹としばらくやりあったが、当たり前の顔で残り続ける爽子が「ねえ」と声を上げた。
 なんとなく、雄夜を除いた全員の視線が集まる。
「元気なのは巧くんと将斗くんだけっていうけど、久樹も元気だよね?」
「──へ? ああ、元気だけど」
「本田さん……じゃなくって、邪気に炎を引き出された時って、久樹も意識をしていたの? その、使い方が分かるようになったのかなって」
「それなあ。いや、分かんないんだよな。体の奥にある何かを無理矢理浮上させられた気がして、ひたすら不快だっただけで。俺は何もしてない」
「そうなんだ。──でも、誰かに引き出して貰うことは出来るってことよね。だったら、智帆くんと静夜くんだったら、久樹の異能力を引きだして使うことは出来るんじゃないの?」
 聡明そうな瞳をくるりと動かして提案する。
 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして、子どもたちが顔を見合わせた。
「なあ、それってさ智帆にぃ。大地の異能力を使う時に、制御を手伝ってくれたのと似てるんじゃん? 出来るんじゃ……」
「俺も巧と同じ意見ー! 智帆兄ちゃんと静夜兄ちゃんなら出来るって」
 ぱあっと晴れやかになったが、静夜が「待って」と制した。
「盛り上がりに水を差したくないけど、ただ攻撃するだけじゃ意味がないんだ」
 爽子が不思議そうに首を傾げた。
「どうして?」
「邪気の力を削ぐのに失敗した。風の中で大人しくしているのは、邪気が考える以上の攻撃を僕たちが出来ると知って、力を蓄えてるだけだと思う。あの女の人の奥底に隠れたんだ」
 ちょっと待ってくれよと久樹が口を挟んだ。
「だったら邪気を引きずり出せばいいだろ?」
「今の僕らでどうやるんだよ? 邪気の力を削いで、まさにそれをしようとして。──失敗したのに」
 大体、里奈の中に邪気がどうして入れたのかも分かっていない。
「あれ?」
 引っかかって、静夜は眉を寄せた。なにかが分かった気がすると同時に、少し前にも似た瞬間があったのを思い出す。
「えっと……」
 考え込む静夜の肩を久樹は叩き、顔を覗き込んだ。あまりに距離を詰められてのけぞった少年に、早口で告げる。
「邪気を引きずりだせないなら、邪気が同化した時に消滅させるってのはどうだ?」
「それも駄目だよ」
「また駄目なのか」
 あれも駄目、これも駄目ってなんだよとぼやく久樹に、静夜は目を丸くして、駄目な理由をまったく言っていないことに気づく。
「──あのね、邪気が完全に目覚めるっていうのは、体を奪われている女性の心が食らい尽くされたってことだよ。そこから邪気を浄化しても、心が戻らない」
「は?」
 間抜けな声を久樹が声を上げた。「待って!」爽子が悲痛な声を上げる。
「それってどういうこと?」
「言葉通りだよ。二度と彼女の意識は戻らなくなるだろうな」
 外した眼鏡のレンズを拭きながら智帆が言う。軽い口調だが、内容は重い。衝撃によろめいた爽子を、久樹が支えた。
 子供たちも神妙な顔つきになっている。
「絶対にあの女を助けたいんだよな。爽子さんは」
 智帆がさりげなく重要なことを確認する。こくこくと爽子は何度も肯いた。
「当たり前。そりゃあ本田さんは顔見知りっていう程度だけど、それでもよ」
「なるほど、なら、俺と静夜は久樹さんの異能力を制御する役目は負えないな」
「どうして?」
「今の静夜じゃ邪気を強引に封じることは出来ないけどな、消えそうな彼女の心を結界で守ることは出来る。俺はこちらから仕掛ける久樹さんの炎が、彼女の肉体を壊さないように風で防ぐ。爆発を引き起こしたときのことを考えると、物質も焼き尽くすものしか使えないだろうからな」
 久樹は振り分けられていく人数を、指折り数えた。
「邪気が仕掛けてくる攻撃から俺たちを守るのは巧だ。ただし一人でやったら暴走する、だから将斗が助けてやれ。出来るよな?」
「お、俺!?」
 ぽかんとした将斗を智帆が強く見つめる。「う、うん。やってみる」と二人は頷いた。
「これが久樹さんが炎の異能力を使う前提での動きだ。でも一人じゃできない、だったらもう分かるだろ。手が開いてる奴は一人しかいない」
 智帆の視線が雄夜を見やる。静夜が慌てて「待ってよ」と声を上げた。
「雄夜がどうして久樹さんの異能力の制御に力を貸すと思えるんだよ。双子の片割れとしては言いたくないけど、雄夜は協調性のあるほうでもないし。──見えないかもだけど、雄夜は悲しんでるんだ、今は何もしたく……」
 静夜の言葉を、智帆は手を上げて封じた。
「拒否するなら代理案をよこせ」
「……ちょっと、考えつかない」
「だったら却下だ、これで行くしかない。爽子さんが拝み倒せよ、雄夜は律儀なんだ。ご飯を作ってあげたでしょう? とでも言えば折れる」
 私が?と尋ねる爽子に智帆が肯く。静夜は眉根を寄せて友人に詰めよった。
「ねえ智帆、雄夜はたしかに義理堅かったりするけど。そこまで単純じゃ」
「ないか?」
「うっ」
 見事な切り返しに、静夜は言葉をつまらせた。分が悪い。しばらく押し黙って、首を振った。

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