[第一話 サクラ咲く]

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No.02 緋色の残像


 指を持ち上げ、里奈は「なんなのよ」と先程に似た言葉を繰り返した。茫然とした瞳は、非現実的な光景に釘付けにされている。
 里奈は、四月一日から正式な学生課員として働き始める。今はまだ入る前で学生課にくる必要はなかったのだが、自主的にやってきて雑用を手伝っていたのだ。
 轟音が響いた時も、里奈は学生課にいた。
 ――なにが起きたのだろう?
 好奇心が胸を締めて、里奈は立ちあがった。幼馴染みを連れた斎藤爽子が来た時に少し休憩を取って以来、休んでいない。ならば休憩がてら、様子を見に行こうと思いたったのだ。
 里奈が姿を現わしたのは、こういう理由だった。
 彼女の佇む位置からは、土の壁に足元を覆われた緋色の娘の足先は見えない。
 それでも娘が空に浮いているのだと、里奈はどうしてか確信していた。
 双子は里奈を見ていたが、静夜が唐突に戦慄を覚えて緋色の娘に視線を戻す。
 あどけなく、緋色の娘が安堵の笑みを浮かべていた。
 不気味さがなくなったことに驚いた静夜の前で、緋色の娘の輪郭が崩れ始める。まるで空気に溶け込むかのように、輪郭はさらに希薄になり、離散し、そして緋色の霧となって大気に広がった。
「何が……?」
 意味がわからずに呆然と呟いて、ある可能性に思い至ってハッとする。
 水の結界で攻撃を防がれ、式神たちによって滅殺される予感に、緋色の娘は怯えていたのだ。
 なのに安堵したというのなら、状況を逆転し、自分たちの排除が可能だと踏んだということ!
 残られた緋色の霧が急速に集まり、球体を作りだした。そこから緋色の光りを放ち、狂ったように回転を始める。
 まるで消防車の赤いライトだ。
 息が止まりそうな焦りが静夜の胸を焦がす。とにかくどんな攻撃が来ても防がねばと思うが、雄夜との距離が遠い。
 走り出そうとして足がもつれた。一気に無理の反動が来たことを知る。早鐘のように鼓動が鼓動がドクドクと打ち、体が重くてたまらない。長距離を、短距離のペース配分で何本も走ってしまった後のよう。
「雄、夜っ!」
 細い声を絞り出せた。雄夜が反応したので「こっちにっ!」となんとか続ける。
 駆けて来た雄夜に伏せろと伝え、従った片割れの背に覆い被さる。
 とうに限界をむかえた状態で、防衛の為に重ねられる結界は小さなものだった。
 緋色の霧が集まり形となった光球が、銃弾のような速度で放たれる。それはすぐに結界に激突し、剣の鍔迫り合いのように激しくせめぎ合った。
 身体にかかるあまりの負荷に静夜の息がつまる。視界もホワイトアウトしかける中、緋色の光球が跳ね返された。
 貫いてくる勢いは消滅せぬまま、三日月の軌道を描いて方向を変えて一気に突っ込んでいく。
 薄れる意識を必死につなぎ止め、静夜は体を起こし。
 ──目を見開いた。
 軌道を変えた光球の先で、本田理奈が立ち尽くしている。大きく開かれた瞳にあるのは、はっきりとした恐怖の色。
「右側に動いて!!」
 静夜の叫びに我にかえり、里奈は動こうとして足をもつれさせた。そのままバランスを保てずに転ぶ。
 緋色の光球は、そんな里奈の背へと速度をあげる。
 ――巻き込んでしまった。
 自分たちに対する攻撃だったのに、闇雲にはじくことで、逸れた攻撃が誰かに牙をむくことを考えるべきだったのに!
「やめ……!!」
 叫びの途中で、緋色の光球は里奈の背を直撃した。悲鳴すらあげることなく、里奈の体は落雷を受けたかのように震え、そのまま崩れ落ちる。
 後悔を募らせながら、静夜もまた意識を手放した。


 拳を握り締めて、織田久樹はいきなり顔を上げた。
「やっぱりダメだ!」
 声をあげ、周囲の少年たちの前で胸を張る。
「さっき、丸め込まれたけどな、やっぱり納得できないって気づいた!!」
 異常な状況と、異様に口のたつ智帆に畳みかけられて、異能力だとか自分も持っているなどと納得させられた。そんなもの、やはり常識的に受け入れるべきではない。
「また初めに戻るのか。往生際が悪すぎるのか、納得にたる現実をなかったことにする能力にたけているのか、久樹さんはどっちだ?」
 しおしおとしていたはずの久樹の反撃に、智帆は動じもせずに澄ました顔をした。
「どっちでもない! ──信じられるかお前の言ったこと全部!」
 理論的な反論でないのは理解しているが、それでも首を振る。勢いのまま智帆の両肩を掴もうとして、先に大きな音が統括保健室で響いた。
 驚いた全員の視線の先で、川中将斗が椅子から転げ落ちたのだ。
「将斗くん!?」
 慌てて駆け寄りしゃがんだ爽子は、将斗がひどく怯えて震えていることに気づく。なにがあったのと続けられなかったのは、将斗が「危ない!!」と先に声を上げたからだ。
 将斗の瞳に爽子が映っていない。どこか別の場所で起きている、恐ろしい現実をまさに目撃している、そんな様子だった。
「将斗っ!」
 中島巧が爽子と将斗の間に割り込んで「なにが起きてる!?」声を上げ、従兄弟の肩を掴んだ。
 巧がびくっと身体を震わせる。将斗が見ている何かが見えたわけではないが、緊張感を共有したのだ。澄ました表情しかしていなかった智帆が真剣な顔になり、久樹を押しのけて前に見た。
「何を見ているのか教えろ、将斗」
「襲われてるっ。凄い炎だよ、なんだよあれー!?」
 将斗は激しく首を左右に振った。
「蒼花と白花がいるのに、押されてっ! それにあいつ、なに、変な女がいるよ。すごい、紅い奴が……」
 将斗の目がさらに見開かれ「やだよー!」と叫び、危機の光景から逃れようとぎゅっと目を瞑る。
 智帆は安心させるために、将斗と巧、双方の背に手を置いた。
「場所は何処だ」
「さっき、爆発があった、とこだよー」
「分かった。いいか、お前たちはここで待ってろ。動くなよ」
 厳しく言い置いて智帆は立ち上がると、窓から外へと飛び出した。
「智帆にぃ!」
 待ってろと言われても、巧も雄夜と静夜を助けに行きたい。けれど「雄夜兄ちゃん、静夜兄ちゃん!!」と叫び続ける従兄弟を置き去りには出来なかった。背にさすり、なんとか落ち着かせようとする。
「無事でいて……」
 不安に震える巧の声に、呆気にとられたまま固まっていた爽子が我に返った。
「ねえ、こんな時にごめんね。その──なにが起きているのか、教えてくれない?」
「……でも」
 迷うように巧は視線を久樹に向ける。
 爽子は久樹の意見に同調する傾向にあると巧は気づいている。だから説明をしても、無駄なのではと思ったのだ。
「巧くんが今から言ってくれること、わたしはちゃんと信じるから。だからお願い、教えて」
「──本当に?」
「うん、約束する。ねえ、本当に将斗くんは今、誰かが炎に襲われているところを見ているの?」
「将斗は光りの視点を、自分のものとして受信できるんだろうって静夜にぃが前に言ってた。あ、言っとくけど、いつもじゃないよ。覗き放題とかなわけじゃないし。──知り合いがピンチになっていて、助けが必要な時だけだよ」
「助け?」
「だって、このままじゃヤバイ!!って時って、必死になるじゃん。助かる方法を考える、それが強い意志になって広がるんだ。それが知り合いの意思だったら、将斗は拾えて、視点が変わる」
 震え続ける従兄弟の背から手を外さず、何度も何度も巧はさすってやる。
「蒼花と白花がいるのにって、将斗が言っただろ?」
「うん。それ、たしか智帆くんが言っていた雄夜くんの式神よね。蒼花ってわたしが見た、青い色をした大きな蛇……じゃなくって、竜よね。──襲われているのは雄夜くんなんだ」
 巧は子供らしい華奢な首を横に振った。
「静夜にぃもだよ」
「──? だったらどうして心配をしているの? 爆発からわたしたちを守ってくれたのが静夜くんなんだから、何も心配することなんて」
 ほっとした爽子に「大丈夫じゃないよ」と巧が力なく否定する。
「巧くん?」
「俺と爽子さんを助けるのと騒ぎにならないようにするので、静夜にぃは凄く無理をしたんだ。だから眠っちゃったんだ、今、目が覚めるわけがない!!」
 叫んで、巧は将斗の背に置いていた手を放して、久樹に指を突き付ける。
「あんたのせいだからなっ!」
 激しく糾弾する巧の目には涙が浮かんでいた。
「ちょっと待てよ。なんでいきなり俺のせいになる!?」
 うろたえながらも、久樹は否定したい気持ちが先行して巧を拒絶する。
「智帆にぃに説明されて、一度は認めたくせに。あんたの炎のせいで、いろんなものが活性化して──あの気持ちの悪い女、あれは人間じゃないんだぞ」
「いい加減にしろよ、人間じゃないっていうなら、あれは何だっていうんだ?」
 さらに威圧する声を続ける久樹に「やめて」と爽子が割って入った。
「そんなことをいってる場合じゃないよ、雄夜くんと静夜くんが襲われてるかもなんだから。智帆くんに説明されたことがあっているかどうかだって、ここでは分からないでしょ。人じゃないかもっていうのもそうよ」
「爽子、なにを言い出すんだよ。少し考えれば有り得ないってわかるだろ? 俺たちが見たのは──ええっと、そう、見間違いだ!」
 かたくなに否定し続ける久樹に、巧がついに感情を爆発させた。
「ふざけんなっ! 爆発を起こして、あの女に炎の能力を与えちまった張本人の癖に!!」
「俺はな、火が苦手なんだ。実をいうとライターも使えない。そんな俺が、炎の異能力を持っているだなんて、どんな笑い話だよ。──変な能力が使えるって言ったのはお前たちだ。なるほど、その変な力ってやつで俺を騙してるのか」
 深いため息をわざと落として、久樹は巧と将斗に背を向けた。
「騙すってなんだよ、なんで俺たちがそんな面倒なことをしなくちゃいけないんだよ!」
「うるさい、子供のいたずらに付き合っていられるか。爽子、ほっといて早く白梅館に行こうぜ」
「わたし、行かないから」
 厳しい声に否定されて、驚いて振り向く。
「わたしはね、久樹の首を絞めてきた女の子のことをはっきりと見てるの。爆発だって見た。──なにより巧くんたちはわたしを騙したりしない。久樹は知らなくても、わたしは知ってる。みんな不器用なだけで凄く優しい」
「爽子──」
「ありえないって思っちゃうのはわかるよ。だから確かめるの。緋色の肌襦袢を着てた子が人じゃないのか。――久樹の影響を受けた存在なのかどうか」
「──爽子まで、俺のせいだっていうのかよ」
 久樹の声のトーンが下がっていく。裏切られたと感じて傷ついていると分かるが、一歩も引かず、真っ直ぐに爽子は幼馴染みの目を見つめた。
「だって智帆くんの説明は筋が通ってた。荒唐無稽な話だって、頭ごなしにただ否定するほうが間違ってるでしょ」
「そういう問題じゃないだろ」
「落ち着いてよ、久樹。わたしは久樹を責めてなんていない。でもね、信じたくないって気持ちだけで、逃げていいことじゃないでしょ。ちゃんと見極めなくちゃいけないことよ」
 前を向けと言ってくる爽子の言葉に、久樹は空を見上げた。
「――まったく」
「止めても無駄なんだから。私が頑固だってこと、知ってるでしょ?」
「知ってるよ。ああ、嫌になるくらいに頑固だよな。――分かったよ」
 実をいうと、久樹は怒るのがあまり得意ではない。なのに似合わぬことをしたせいで、心拍がとんでもなく早くなっている。深呼吸をして、巧の前で膝を落とした。
「俺が悪かったよ。強引に言い包められたって思ったら、納得がいかなくなって。つい意固地になって、八つ当たりまでした。本当に悪い。──俺ら、ちょっと見に行って来るな」
「――はぁ?」
 仲直りの的な反応を巧に期待しなくもなかったので、久樹は肩を落とす。
「いや、だからさ。ちょっと様子をな」
「……あんたって、馬鹿なんだ?」
「あのなぁ」
「だってそうだろ? なぁ、俺たちの話し聞いてたか? あんたの力は、肉体を持たない存在――邪気に力を与えるんだぞ。あんたが行ったら、あの変な女の力が増して、もっと被害が大きくなっちまうじゃんか」
「俺は炎の異能力を持ってるってこと、まだ認めきれてないんだけどな」
「だから持ってるんだって! あの女は邪気なんだ!」
 猫のようにつり上がった目に強い光をたたえて、巧は久樹をにらみつける。
「ところで、その邪気ってなんだ? 初耳な気がするぞ」
「そりゃそうだよ。さっき智帆にぃ言ってなかったし」
「よし、教えてくれ。爽子も知りたいってよ」
 とても分かりやすい少年の恋心に付け込んで尋ねると「うう」と呻き、巧はちらりと爽子をみやった。
「教えてくれる?」
「──邪気ってのは、人の心の塊なんだって。普通は心の中にあるんだけど、それが溢れてしまうんだって。そして場所に残ることがある」
 説明が難しいのか、巧は言葉を切って、少し考え込んだ。
「人が沢山いる所は、沢山の感情が飛び交うから溢れるものも多い。それが誰かが残した激情だったりすると、溢れたものも大きくなる。普通は時間の経過と共に消えるけど、消えなかったものが集まったりするんだ。それを俺たちは邪気って呼んでる」
「――邪気ねぇ」
「なんだよその不満そうな顔は。説明しろって言ったの、あんただからな!」
「いや、だってなあ。誰かが残した感情が集まったからって、なんで邪なんて言葉をくっつける必要があるんだ」
「だって良くないからな、あれ」
「どういう風に?」
「大きな邪気がいる場所は、ひどく嫌な感じになるんだ。人の性格が変わったり、植物が枯れたりさ。邪気が育っていくと、形を持つこともあるんだ」
「形を持つ──あれ、そういうことか? お前らの言う邪気が人間の形になったものが、襲ってきた女だって思ってるのか?」
「そうだよ。察し悪いな、あんた」
 だから様子を見に行くなんて考えるなよと言い捨てて、巧は将斗の顔を覗き込む。
「なあ、将斗。見えてるものを教えてくれよ」
「……女が消えて、光になった」
「光って?」
 意味が分からずに問うと、将斗と視線があった。それで、ここではないどこかに行っていた視点が、戻ってきたと理解する。
「雄夜兄ちゃんの様子がおかしくなったんだ。暴走する手前って感じ? そしたら静夜兄ちゃんが起きて、そこからは凄かったな。式神も全部、喚んでてさー。大丈夫だってほっとしたら、一般人が入って来ちゃって」
 静夜が目撃した、緋色の娘の安堵した表情に、将斗も寒気を覚えたのだ。
「変な女が赤い霧みたいに溶けたんだよ。それが集まって、紅い光を点滅させる光の球になって。──銃弾みたいに、静夜兄ちゃん達に襲いかった」
「それで、どうなった?」
 恐る恐る尋ねるが、将斗は「ごめん」と首を振った。
「見えてたのはそこまでわかんないんだよー。なあ巧、様子を見に行こうぜ」
 将斗は立ち上がって、巧の手を引く。
「待てよ、智帆にぃはさ、ここに居ろって言ったんだ」
「なんだよー、ダメって言われてたのに、爽子さんを助けようと異能力を使ったくせに。ここに来て良い子ぶるなって、巧だって気になってるんだろー!」
「うっ」
 図星をさされた巧が息を呑む。
「怒られるときは一緒だろ、な、巧ー!」
 ニヤリと笑ってくる従兄弟に「そうだよな」とうなずいて、統括保健室の扉に向かおうとして絶句した。
 久樹と爽子がドアを開け、怪しいほどに爽やかな笑みを浮かべて待っていたのだ。
「なにやってんの。って、わわっ!」
 呆れた声をあげた巧の手を爽子が強く握った。
「なになにー?」
 爽子さんと手を繋げて良かったなーと言いかけた将斗の手は、久樹がとる。
「仲直りも出来たところだし、一緒に出発だな!」
 二人は子供たちの手を強引に引いて、有無を言わさずに走り出した。
「ダメだって!! 爽子さんはともかく、あんたは行っちゃダメだよっ!」
「いや、俺だけダメって言われてもな。わかるだろ、お前たちに置いて行かれるのが怖い気持ち。爽子もだろ?」
「巧くんが一緒に居てくれると安心だから」
 微笑む爽子に「爽子さんがえげつなーい」と将斗が声を上げる。
「あ、安心って。安心って!!」
「巧の負けだよねー。ま、いいじゃん。向こうでなんかあったら、智帆兄ちゃんと巧でどうにかすりゃいーし」
「そんなに簡単な問題か!? 雄夜にぃと静夜にぃがどうなってるか分かんないんだぞ!」
「でも、爽子姉ちゃん怖いっていってるぞー?」
「そうなの、とっても怖くって」
 畳みかけられて、巧は口をただパクパクとする。
「あー、もう! 何があっても知らないからな!! ちゃんと俺の側にいろよなっ!」
 完全にヤケを起こして叫んだ。



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