[最終話 閉鎖領域]

前頁 | 目次
広域領域【最終話】


 ぼそりと呟いた雄夜の頭を撫でて「今日はそうなるよ!」と胸を張り、康太は巧と将斗も抱きしめてから、久樹の前に立った。
「本当にありがとう。爽子ちゃんは寝ちゃったから後で言わないとだね。……あ、エネルギーを無理矢理補給させておく?」
 ゼリー飲料を渡されそうになって、久樹は笑って首を振った。
「そっとしておいていいかなと。康太先生、それに丹羽教授、本田さんもありがとうございました」
 久樹と爽子の寄り辺となってくれていた二人は、ほっとした顔をして笑っている。
「いい。帰ってきたのだ、無駄骨にはならなかったしな。連絡も入れてある、残りもすぐに駆けつけてくるだろう」
「え、いつの間に!? 仕事が早いですね丹羽教授」
「だから丹羽教授は凄いんですよ。それくらいは当然なんです。みんな凄い喜んでましたよ。あ、電話で泣いちゃったのは宇都宮くんです」
「へえ、泣き虫だったかあいつ」
 白花と蒼花から分けて貰った力のおかげで、元気そうなフリをしている作戦担当の二人組は平然としている。
「宇都宮くん、智帆と静夜は帰って来ませんでしたとか言われるんじゃないかって、気が気でなかったから、もう嬉しくってとか。言っていたみたいよ?」
 里奈のリークに二人は顔を見合わせ、少し悪い表情を静夜が顔に乗せた。
「そんなこと言ってたの? ちょっとあとで反省させな──え、なに、巧?」
 腕を引かれて、視線を向ける。
「ねえ、反省させるなんてこと、やっていいと思ってる? 俺、ものすごく心配したんだぞ」
「うん、ごめん巧」
 あっさりと謝った静夜に、将斗が「え、なにー? なにがあったの巧、静夜兄ちゃんを従わせるって、ええ!?」と動揺する。
「いやあ、俺たちはもう巧に頭が上がらなくってな」
「智帆兄ちゃんまで!?」
 仰天しすぎて口が空きっぱなしの将斗に笑みを向けて、静夜は雄夜の前で膝をついた。
「雄夜」
「なんだ」
「勝たせてくれて、ありがと」
「当たり前だ。──それから、静夜」
「うん?」
「やっぱり静夜は危なすぎる。これからは俺の側から離れるな。いや放さない」
 きっぱりと断言されて、ん?と静夜は眉を寄せた。
「え、なんでこの流れで、最初の過保護路線に戻るわけ!?」
「目を放したら死にそうだろ」
「幼児じゃないんだから! 却下! 智帆も笑わないっ」
 指をさして笑ってくる智帆を振り返り、それから二人は頷きあった。
「久樹さん」
 どこまでもゼロに近かった全員帰還の可能性を、現実につかみ上げたのは久樹と爽子が閉鎖領域で下してきた決断の数々のおかげだ。
 久樹は今になって限界を越えた能力を解放した反動で座り込んでいる。
 腕の中の爽子の髪をさらさらとくしけずる感触に癒されながら、めいめいの再会を見守る第三者を決め込んでいたので慌てて「なんだ?」と答えた。
「もっと威張ったらどうだ?」
「──へ?」
 ありがとうとか、助かったとか、そんな言葉が来るだろうと思って、どう返そうかとニヤついた気持ちが一瞬で消え、ぽかんとした。
「どういう意味だ?」
「今回の一件で、しみじみと再認識したよ。炎の異能力者ってのはとんでもない破壊者だなと。どっちかっていうと畏れ敬った方がいい存在だ。──なのにそういう雰囲気がなさすぎる」
 眼鏡の汚れを拭きながらの智帆の言葉を頭の中でオウム返しして「だから、俺にで威張れって?」と尋ねる。
「うん。でも威張ってる久樹さんって想像できないから、今、やってみてよ」
 唐突の無茶ぶりに、久樹は眉を八の字にした。
「いやそんな可愛くおねだりされても。無理だって。俺が威張ってるとかないだろ、ないない!」
「でもなあ。真実、最強の破壊者なんだよ。久樹さんは」
「そうそう。僕たちがまとまっても勝てないかも。特に爽子さんまで揃っちゃうとね」
 静夜と智帆が、久樹と爽子の異能力の恐ろしさを、伝えないようにしてきたことを、残りの全員が知っている。
 それをあえて口にしたのは、もう大丈夫だと“信じた”からだろう。
「味方でいてくれて、本当に助かったんだ。これからも頼りにしてる」
 ふわりと笑い、それから静夜は全員のことも見やった。
「雄夜や巧、将斗たちのこともだよ。全員帰還とか、完璧すぎるくらい。もう……」
 憂いと共に吐息を落とし、静夜が紅茶色の目を伏せてから智帆を見やった。
「あとは任せて引退してもいいよな俺ら」
「だよね」
「なんでそういう素直じゃない言葉になるのー。もー、いいわけないってー! あ、菊乃たちだ!」
 将斗が顔を輝かせ、手を振った瞬間。
 
 ──桜吹雪が光と共にあふれた。

 一瞬で桜の花びらに全員が囚われる。
 とっさに閉じた瞼を久樹が広げると、そこには異能力者である七人だけが揃っていた。爽子も意識を取り戻し、慌てて周囲をきょろきょろと確認している。
「舞!」
 舞扇を手に、艶やかに笑う緋色の娘を見つけた。
 それだけでなく、嬉しそうな漣と、ふさふさと尻尾を振っている豪も見つける。
「漣」「豪」めいめいに彼らを呼ぶ声が上がった。
 別れてしまった彼女たちとの早い再会に喜びつつも、康太たちや、駆けつけてきていた面々の姿がないことに久樹は不安になる。
 小さな竜巻が起きて、まひろが現れた。
「あれが、俺ら側の意思?」巧が声を上げた。
「狐の耳に尻尾とか! 可愛いなーいや、かっこいいかなー?」
 将斗は純粋にきらきらと目を輝かせている。
『まひろだ。そなたらの名前は知っているから、言わずとも良い。それより言っておかねばと思うことがあってな』
「それは?」
『わたしと同じ存在だったものが、異能力者たちの敵となったことを反省しているのだ。とても』
「あ、うん」
『だが、異能力者たちを排除する側のただの人間が、怖い目にあった事は反省しない』
 きっぱりとした断言に、なんと答えればいいのかが分からない。
 久樹と爽子があいまいな笑顔を向ける中、まひろは残りの異能力者たちを一人ずつ見つめていた。
『わたしはずっと見ていたから、知っている。今までになにがあったのかも。これから先にも起きるだろうことへの懸念もだ』
 まるで全てを受け止める母親のような優しさでまひろは微笑んだ。
『わたしに共に在る舞と漣、豪をくれたであろう。だから安心して良い、そなたたちが帰ってこれる場所は存続し続ける。ただ力の回復を待つのでは時間がかかりすぎるのでな、燃料を確保することにした』
 わかるであろう、緊迫した事態に菓子を食べていたそなたたちならと続ける。
『エネルギーは大切なもの、ですわね、漣』
『うん。世界を固定するには沢山の燃料がいるよ』
 邪気であった二人の姉弟のような雰囲気はかわらず、そこにふさふさとした尻尾をゆらせた豪がまじって『がう』と吠える。
 すっかり四人で打ち解けたようだ。
『ゆえに貰いに来た。なに、簡単なことよ。この一年、こちらの白鳳学園で起きた邪気と異能力に関する記憶のすべてを貰い受ける。そなたたち以外の全ての人間からな。エネルギーとして相応しいだろう?』
 もの凄く良い案です!という自画自賛にあふれた表情をまひろがした。
「白鳳学園で起きた、邪気関連の全部の記憶!?」
 スケールの大きさに爽子が目を丸くする。
「ちょっと待て、俺たち以外の人間って、そこに例外はあるのか!?」
 慌てて叫んだ久樹に『ない』とまひろが返す。
 康太先生とか幸恵とか例外が欲しいと募る久樹を、智帆と静夜がぐいと押しのけた。
「記憶を奪うだけでは辻褄があわなくなるだろう。どういう方針か分かっていないと、俺たちだけ違う記憶で浮くことになる」
「邪気が起こした物理的な被害までは消せないはず、どうやって帳尻合わせするの?」
 二人からのほぼ同時の問いに、まひろが満足そうに頷く。
『さすがわたし。最初の人選は確かであったな』
 妙に褒めて欲しそうなまひろに、がうがうと豪がすり寄ってやる。
『自然現象に立て続けに襲われたということにする。くわしい改竄の情報はそなたたちに渡すよ。まあシナリオのように感じるであろうがな』
「──二重記憶になるわけか。久樹さんと爽子さんと将斗、うまくごまかせるか?」
「えー、俺たちだけ名指しで心配なのー。ひどいー しかも巧は大丈夫ってことー」
 しょんぼりする将斗の肩を巧がたたいた。
「菊乃ちゃんの記憶も書き換わるんだよな。なあなあ、でも夏の事件って、自然現象で処理しきれないと思うんだけど」
『それはあれだ、もとより幽霊ということになっていたのだ、それを固定させればよかろう。幽霊目撃情報を増やせばたやすい。他の季節に起きた事件も、幽霊は有効であろうし、集団幻覚なども有効であろうな。わたし天才だな』
「誰だ、まひろの存在を確立するときに、妙なキャラクター付けしたのは」
 呆れた智帆に、不思議な稲荷神社として確立させた自覚のある爽子の目が再び泳いだ。
『──必要なことであろう?』
 まひろが穏やかに諭してくる。
『似た事件は今後も起きるが、これからは我らがおる故、人間どもに気取られずにすませられよう。──たしかに邪気の起こした事件がなければ発生しない感情や関係もあろう。それらは消滅しているか、小さくなっているかだ。それでもそなたたちには必要だとわたしは思うよ』
 あれほどの異常現象が続き、異能力の目撃者を大量に生み出してしまった現実が残るよりも、ずっと。
 智帆と静夜は失われるものに心で謝罪して、将斗たちを見やる。
「いいよ」
 きっぱりと肯定したのは巧だった。
「巧ー?」
「だって俺たち、生きてるんだし。将斗は菊乃ちゃんとまた関係を作れるよ。だってみんなが忘れてくれるなら。俺たちはまた」
 にっと巧は元気いっぱいに笑った。
「白鳳学園に通えるようになる!」
「そっかー、そうだった! いいよね、雄夜兄ちゃんも!」
「消せる記憶は、白鳳学園で起きた事件の数々だけか?」
 雄夜の確認に、まひろの狐耳がたれた。
『──嗚呼、悪い。白鳳学園という繋がりのあるものしか消せぬのだ。ここに来るまでの』
「いや、いい。むしろそれでいい」
 雄夜は手を伸ばして、静夜と智帆の腕をつかんだ。
「あれがなかったら、俺たちが出会うこともなかった。だからいい、俺は今が好きだ」
 ストレートな感情の発露に、ほんと無口な人間ってのはたまの破壊力が凄すぎると智帆は苦笑する。
「久樹さんと爽子さんは、いい?」
「いや、本当にいいのか? 関係がなかったことになるのは、智帆たちの方が……」
「──? 俺は秋山が強いことを知っている。それで問題ないだろ」
「亮に弱ってるところを目撃された事実がなくなるのは好都合だな」
「異能力者であることも、起きたことも知っているのに、受け止めてくれたって事実は僕らの記憶には残っているから」
 あっさりとした返事が、強がりなのか、本音なのかは分からなかった。
 ただそれでも。
 たしかに大量の目撃者たちの記憶は、ないほうが良いのだ。
「だったら。最後の決断は、俺がする」
「久樹さん?」
「だってそうだろ。辛い記憶を抱えて、それでも前を向けるようになったきっかけの人たちの記憶まで消すんだぞ。そんな決断、させたくない。俺が──俺と爽子で背負う」
「うん。背負わせて」
 すっきりとした顔で笑って、二人はまひろに「消してくれ」と言った。


『了解した』
 まひろの袂が揺れる。 
 舞の花びら、漣の雨、豪の咆哮が重なって、光りはやわらかく広がっていった。

 
 康太は空を見上げた。
「おやあ、なんで私はここに居るんだろう。それに猛烈に、しーちゃんたちにケーキをたくさん買ってこなくちゃって気がするのはなんでかなあ」
 そんな事を突然に思ったのかが、本当によくわからない。
 白鳳学園で集団ヒステリーと思われる事件が起き、過呼吸で倒れた生徒たちの対応に走り回っている時に沸き上がってくるなんて。
「うーん、いつもならちょっとそこまでって出かけるんだけど。今はダメだなあ。落ち着いたら、そうしよう」
 よし、と言って。
 康太はまた走り出した。
 途中、首を傾げている丹羽教授と、学生課の本田里奈とすれ違う。
 この二人は春に起きた桜の異常開花とボヤ騒ぎをきっかけに、超級ヘビースモーカーの教授が里奈の為に禁煙をした衝撃事件とを重ねて、近々結婚するのではないかと囁かれている。
 康太は校内のゴシップに詳しそうに見えるのだが、その実まったく詳しくない。だから事実はわからないがお似合いだろうなあと思うだけだ。
 康太が特に気を配る白梅館の住人である立花幸恵と菊乃の姉妹にもすれ違った。彼女たちは問題なく元気そうなので「今日は休校になっただろう? 寮に早く戻るんだよ?」と声をかける。
「うん! お姉ちゃんと帰るとこなの。でも、将斗くんとも帰りたいなあって菊乃、思うの」
「心配ありがとうございます、大江先生。携帯がつながらないので、少しだけ探してみようかと思ってます。でも大丈夫です、ちゃんとキリはつけますから」
「もし会えて、一緒に帰れたら、ご飯をみんなで作って食べようよお姉ちゃん! 菊乃、将斗くんにお味噌汁を作ってあげるの!」
「うん、喜んでくれるね。では大江先生、また」
「またね」
 手を振って送り出す。
 途中では、全員の無事を確認している高等部らしい生徒が見えた。覚えがある顔ばかりなのは、彼らが甥っ子の静夜と雄夜のクラスメイトだからだ。
「おーい委員長! 三人がいないぞ」
「あ、また? もう、どうして変なことが起きるといなくなっちゃうのかな」
「だって雄夜くんは正義感が強いんだものっ。かっこいいから助けに行こうとしちゃうのよ、ヒーロー的な!」
 きらきらと目を輝かせる梓に、やれやれと亮は肩をすくめた。
「秋山、相変わらずの妄想力だな。最近は結構、雄夜に存在を認識されてるじゃないか。ここから先は告白とかしろよ」
「こ、こく、告白!? ええええええ、そんな、断られたら立ち直れないんだからっ! 簡単に言わないでよッ!」
 きゃあきゃあと騒ぎだした梓に、桜がため息を落とす、
「もう、宇都宮。梓を煽らないでよ。でも私も告白しちゃえばいいって思うよ?」
 さらっと笑われて、梓は頬を膨らませる。
「桜〜。そんなこと言うと、ばらしちゃうんだからね。桜がちょっと静夜くんのこと気になるなって思ってるの。もし桜が静夜くんに名前で呼んで欲しいとか言ってみたりするなら、私もすぐに告白してくるよ!」
「──こほん。はい、全員の安否確認が出来たので。ここで解散です!」
 わかりやすくごまかして、桜はパンっと手を叩いた。
「了解、またな!」
 しーちゃんとユウくんのクラスの子たちは大丈夫そうだ、と思いながら。
 康太はここからやらなければいけない沢山を頭の中でリスト化しつつ、さらに歩き回っていた。


 正門のところに立って、久樹たちは白鳳学園を見つめていた。
 さやさやとそよぐ風は冷たいけれど、とても穏やかだ。気温はまだまだ低いのだが、春を内包していることがよくわかる。
 きらきらとした輝きを放ち続ける水晶のようなソレを、生み出した本人である静夜が拾い上げた。
 もう、限界だったのだろう。
 静夜の手の平の上で、光の粒となって消えていく。
「さて、と。これからどうする」
 智帆の確認に、静夜はくるっと正門に背を向けた。
「まずはあれかな」
 指を一本たてて、顎の辺りに添える。
「久樹さんと爽子さんは寮に戻って、辻褄あわせで戻してくれたこっちの記憶を元に、提出課題とかの確認じゃない? 出てたってことになるから課題はある、でもやってないのが現実なのだし。あと雄夜たちは復習とかが必要だけど、それより」
 はあ、とため息を落とす。
「無理をしすぎたので、また病院送りな気がする」
 正直、すっごく、身体中が痛いんだけどと静夜がため息をついた。
 だよな、そうだった、アドレナリンで忘れてたーなどという声が、透き通るような青空に次々と響く。
 冬の事件で負った大怪我のせいで、痛みなどが残っている状態でフル稼働してきたのだから当たり前だ。
「それって、大変すぎじゃない! もう、行くよ、病院に!」
 慌てだした爽子を見やりながら、久樹はそっと、これからを思った。
 これからも邪気は事件を起こすだろう。けれど。
「俺たちなら、この先もなにがあっても大丈夫って思うんだよ」
 久樹は笑った。
 ようやく全員が、対等の仲間になったから。
 大丈夫なことだけは絶対だ、と。


『完』


 
 前頁 | 目次