[最終話 閉鎖領域]

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広域領域 No.06


 妨害かと身構えたが、咆哮は三メートル四方くらいだった視界をクリアにしてくれた。巨大な獣である豪が突進してくるのが見え、水を抱く風も吹いてきた。
「智帆かっ!?」
 久樹が名を叫ぶと、豪は咥えた智帆を久樹に向かって放り投げてきた。
「は!?」慌てて久樹は受け止めようとしたが「無理だって!」と巧が先に叫び、大地の異能力で重力を軽くし、智帆の体に激突の衝撃がこないようにする。
 智帆はすぐに体制を整えた。
「大丈夫なのか、智帆にぃ!?」
「そんなことはどうでもいい、時間がないっ! 雄夜、朱花を出せてるな!! そのまま進め!」
 構築された安全圏から少しでも離れれば、足元はすぐに底なしの沼に変わるほどになっていた。どうでもいいと智帆は言うが、久樹たちが留まっていなければ、豪がここまで無理をして連れてきた意味はなかったはずだ。
 それでも智帆は時間が浪費されたことが恨めしい。手で払う仕草で全員を叱咤し、前を向かせた。
 駆けだす一同から視線をずらし、智帆は豪を見た。
 勇猛に見えるが、侵食してくる闇のせいで、豪は存在するための力をかなり失っている。崩壊する世界をとどめる為に裏門で異能力を使い続ける智帆を守り、全力で戦い続けてきたのだから当然だ。
 それにしても閉鎖領域の崩壊は想定よりも早すぎた。祟りはもう閉鎖領域を持続させるつもりがないのだ。今の目的は智帆たちの道ずれで間違いない。
 豪が智帆に向かって一声吠えた。お前こそ早く行けと言っているようだ。
「最後まで獣のフリなのか? 一度くらい喋ってみせろ。──ありがとな」
 智帆は眼鏡のブリッジを抑え俯き、すぐに顔を上げて駆けだした。豪は再び咆哮をあげ合流するまでの道のりを守り、まだなんとか健在している鳥居に飛び込む。
 完全崩壊するまでの時間を稼ぎ、今後の存続を守るために、舞と同じくまひろと共あることを選んだのだ。
 道を切り開く朱花の炎は、勢いを落とすどころか激しさを増して道行を守っている。式神の翼から逃れて襲い掛かる闇は、雄夜の刃が断ち切り続けていた。
 頼もしい限りだが、それに甘えているだけの久樹ではもうない。
「爽子、俺の炎を増幅して雄夜に渡せないか!?」
 遅れがちの爽子を引っ張って進む久樹が問いかける。
「やってみるっ。久樹の異能力を使いすぎないように、私ので補強するから」
「──普通に考えたら、雄夜の役目を俺がやった方がいいんだ。だけどな、俺にもわかんないけど、まだ違う気がするんだよっ」
「わたしも同じ、よ。久樹が全力を使い切るべき場所は、今じゃないって感じてるの」
 苦しいから休憩させろと訴える心臓をなだめすかしながら、爽子は懸命に久樹の炎を自分の中へ集め、己のモノと混ぜ合わせて増幅していく。
 限界を越えて異能力を使うのなら、燃料に出来るのは命だけ。
 そう言ったのは誰だったか。いや、誰が言ったのかなんて思い出す必要はない。少年たちの異能力を生命を喰らい奪ったことがあるから、命の有効性を実感として知っている。
「嗚呼、もう、本当に嫌な能力!! でも今は感謝してる、雄夜くんっ!」
 行く道を切り開く漆黒の後ろ姿に増幅した炎を受け渡す。負荷はすぐに身体に来て、爽子の足が崩れそうになる。
 そんな幼馴染を、久樹は何度も引き上げて引っ張った。
 どれくらい進んだのだろうか。
 見慣れた景色はどこにもなく、木々や建物だったものも、靄が凝っているようにしか見えない。それらに久樹たちが近づくと、ざわざわと音を立てて近づいてくるが、触れられずにはすんでいた。
 駆ける足元の三十センチ四方にプレートのような大地が現れては消え、身体には被膜のように淡い光が包んでくれている。それが底なしの沼となる地面や、迫りくる闇から守ってくれているのだ。
 ──それが最初は円形のドームのような空間が守ってくれたことを覚えている。
 ──鳥居を越え、智帆と合流後、巧と将斗の声が聞こえないことも分かっている。
 競り上がる不安をねじ伏せ、視線を初等部組へと流した。二人は苦し気に口を半開きにして、倒れる前に足をただ出す、という繰り返しを必死に守っているようだ。
 手助けしてやりたいが、崩れかけた爽子の重みが再びかかる。正直、誰もが限界なのだ。助けたい相手が多すぎる。どうしたらと焦ったところで、さわやかな風が頬に触れた。
 最後尾の智帆と目が合った。
 巧と将斗のフォローは気にするなと言われているようで、久樹は前を向く。
 ひときわ大きな靄を曲がると、大きな直線に入った。それで共同施設である白鳳館を抜けたのだと分かる。「あと少しだ、頑張れ!」久樹が全員を励まし、心なしかスピードがあがった。
「久樹、あそこ! 光が見えるわ! でも……」
 ぜえぜえと息を切らす爽子の声に、ようやく統合保健室の扉を見つけた。
 たどり着くべきゴールだ。けれど歓喜より先に、雄夜の舌打ちが響く。
 此方と彼方を繋ぐ唯一の扉のある空間は戻るべき世界からの力で守られているが、それでもまるで火にくべられた写真のように、禍々しい黒の穴が複数あけられている。
「侵食が始まってるのか!?」
 間に合わなかったらという心配が、一気に嫌な汗になって背筋を伝った。
 もう見えているのだ。本当にあと少し、なのに黒い点が広がって門を飲み込む方が早い気がしてならない。
 もうダメだという気持ちにねじ伏せられる寸前。
「まだ、間に合う、から! とにかく急いで!」
 涼やかに響く鈴の音と共に、水の結界が統括保健室の扉の上に降り注いだ。
「静夜!?」
 豪が咆哮で闇を祓った時と同じように、久樹たちの視界が確保される。それで帰還する為の扉からまだ遠い位置で、胸を押さえている華奢な姿を見つけた。
「結界なんて作っていられる状態じゃないんだろ!?」
 死ぬ寸前に見えた静夜に久樹が焦る。
「貼ってなかった、ら、もう、飲み込まれ、て、いたんだって!! 僕の状態とか、そういうの、どうでも、いいから、早く行く!」
 かぼそいのにどうしてか通る声に怒られた。
「でも消耗しすぎだろ!? どんな無茶してきた、静夜!」
 戻るべき世界と繋がる為の力をも侵食してきたことで、二つの世界は急速に離れようとしている。だから静夜は正門で、閉鎖領域の崩壊を食い止めると同時に、世界を繋いでいる力にも異能力を注がねばと気づいたのだ。
 その時に静夜が思ったのは、このまま動けずに戻れなくなることよりも、扉を目指す仲間たちが間に合うかどうかだけだ。それでも出来るのは、雄夜がなんとかしてくれると信じて、とにかく支え続けるしかなかった。
 静夜が目的を切り替え異能力の使い方を変えたことに、質量を持つ物資に形を変えて攻撃してくる闇をはじき返していた漣が気づいて眉を寄せる。
『──だめ』
 静夜にこれ以上のことをさせては死んでしまうし、此処を離れられなくなっても帰れなくなって死なせる結果になる。
 ただ漣には閉鎖領域を支え、世界を支える力の補強までをする力はなかった。
『でも、ダメ。やだ』
 静夜を助けたい。漣は果たせなかった約束への後悔と追憶を核にして、邪気にまでなった存在だ。今度こそとにかく、約束を果たしたい。
『絶対、ダメ!』
 膝を折ってしまった静夜の腕に漣は縋りつく。
 ──雄々しい咆哮が響いた。
 それから鮮やかな桜の花びらまでもが注いでくる。
 今は此処にいないはずの、舞と豪の力だ。
 静夜が顔を上げたのは、ずっと前から知っているような気がする、まひろの気配を感じたからだった。
 ……『漣』
 白鳳神社に残った舞の声が、花びらを通して響いてくる。
 ……『漣の力もまひろに。一時的ではありますけれど、わたくしたちの力を渡せれば、まひろは世界を強固に出来ます。帰るべき世界との繋がりも補強出来ましょう』
「まひろって……?」と漣ではなく静夜が呟いて、意識を澄ませた。
 漣は舞の言葉に目を輝かせる。
『──!! 守れるなら、僕の力でもなんでもあげる!! 今度こそ約束を守るんだ』
 叫んで手を伸ばそうとした漣の手を静夜が懸命につかむ。
「待って。それって、閉鎖領域の住人になるってことだよ。約束を果たしたことにならない」
『静夜さん?』
「漣も帰らないとダメだろ」
 血の気などとっくに失った顔で、それでも強く尋ねてくる。
『将斗が帰れるなら、約束は果たせるよ。それに僕は消えるんじゃない。舞と豪と一緒に、おかしくなった閉鎖領域を元に戻して、静夜さんたちが帰ってこれる場所に住むだけ』
 漣はぎゅうっと静夜の手を掴んだ。
 繋いだ手が離れてしまって、炎の中で大切な少女とはぐれた慟哭から生まれた漣は、手を放すことで、大切な人を送り出すための力になれる事が嬉しかった。
「なんでそんな、満足そうな顔をするんだよ」
『だって、嬉しいから』
「──僕と智帆のこと、責めるべきなんだ。鳥居が僕たちが呼んだ時に、ちゃんとしていれば。ここまで大事にならなかったのに。色んな目に合わせないで済んだのに」
 空の青さを忘れた世界を仰いで、静夜は「ごめん」と言った。
 漣は笑って、彼の力を舞と豪と共にまひろへと送る。
「異能力を持っているってことが本当は怖くて、ずっと逃げたかった。だから現実から目を背けてしまっていた。僕たちに助けを求めていたのに。ごめん──まひろ」
 水と風を織り重ねて空へと贈った。最初に呼ばれながらまひろを救わなかった、静夜と智帆からの肯定がまひろに注がれる。
 ……『嗚呼。この肯定は温かい』
 ……『二人が招きに応えてくれなければ、わたしはただ世界と共に消えるだけであったのだ。謝る必要などはない』
 ……『すこしの時間だが、手助けをしよう。それが出来るのが嬉しいのだ』
 届けられた声に微笑んで、静夜は首を振った。「ありがとう」と言って、背を押されるままに走り出す。
『うん』
 漣は静夜を見送り、桜の花びらと共に白鳳神社へと転移した。
 世界の補強をまひろに託し、漣から分けられた力とでなんとか門を目指した静夜は、目的地が闇の侵食によって崩される寸前であることに気づいて、とっさに水の結界を展開させたのだ。
 身体に途轍もない負荷がかかり、思わず背を曲げて胸を押さえる。
 結界によって闇の払われた先に、静夜は雄夜を見つけた。
 片割れがどれほどの手負いの状態であるのか、静夜には分かる。
 道を切り開く朱花とて、炎はいまだ健在ではあるけれど、存在する力が薄れ始めてしまっていた。
 それでも、ここまで。本当に最上の結果でもって、作戦をこなしてくれている。
 名を叫びたい気持ちをこらえて、静夜は自分の状態にためらった様子の久樹に「まだ、間に合う、から! とにかく急ぐ!」と叫んだ。
「静夜! 待てよ、結界なんて作っていられる状態じゃないだろ!?」
 久樹はどうしていつも、見抜かれたくないことだけは見抜いてくるのだろうか。
「貼ってなかった、ら、もう、飲み込まれ、て、いたんだって!! どうでも、いいから、早く!」
「でも消耗しすぎだろ!? どんな無茶してきた、静夜!」
 いいから、と心の中で静夜は腹を立てた。
「ここで全滅したくなかったら、久樹さんと爽子さんは先頭で門をくぐる!! 向こうに帰ったら、こっちとの繋がりを補強して、久樹さんの異能力を温存してきたのはその為なんだから! 雄夜、後ろで将斗が限界、拾いあげる!!」
 矢継ぎ早に繰り出された強引な命令に、久樹と爽子が気おされた。
「お、おう!」と思わず答え、先頭で帰還するべき理由に気持ちを切り替える。
 視線を静夜とずっと合わせていた雄夜だけが眉を寄せた。
 静夜はあれで強引な命令をするほうではない。だからこそ、片割れの置かれた状況の悪さと、焦っていることが分かるのだ。
「静夜っ!」
 失いたくない思いだけで名前を呼んだ。無事でいて欲しいという祈りだ。本心は駆けつけたいが、かわりに道を戻って、限界を迎えた将斗を背負いあげて、巧の手を取る。
 最後尾の智帆とも目が合った。彼もまた、それでいい、と視線で伝えてくる。
「朱花、久樹さんたちと先に行け!」
 朱花は統括保健室の扉を侵食しようとする闇を焼き払い、扉へと突進して姿を消した。そこに久樹と爽子が続いて帰還を果たす。
 もう大丈夫だと、誰もがつい、思ってしまった。
 地面から闇が一気に沸き上がり、襲い掛かってくることは想定していなかった。
「──!?」
 雄夜が息を飲んだと同時に、ざあ!という音と共に風が吹いた。
 身体中に侵食するところだった闇は払われたが、吹き荒れたことで視界が黒で染められゼロになる。静夜どころか、手を繋ぐ巧すら視認できない。とにかく引き寄せて庇おうとした瞬間、逆に手を振り払われた。
「巧!?」叫んだ瞬間に、雄夜は全力の体当たりを受けた。
 バランスが大きく崩れる。将斗を背負っている状態ではなおさらで、留まりきれない身体を、さらに突き飛ばされて扉へと飛び込む形になってしまった。
 背負われていた将斗が「巧ッ!」と懸命に呼んだ。
 閉鎖領域に残った色は黒だけだが、そこに戻るべき世界の色が押し寄せてきて、混ざり歪み感覚が狂わされていく。そんな中で「両方に強い絆が残ってないとだから!」と叫ぶ巧の声を拾った。
「巧ぃー!」
 もう一度叫んだ声は、もう閉鎖領域には届かない。
 将斗は雄夜と共に現実世界に転がり出た。
 先に帰還した久樹と爽子は再攻撃があったことを知らないけれど、尋常ではない二人の様子に「なにがあった!?」と血相を変える。
 雄夜が返事をするより「ユウくん!!」と嬉しそうな声が上がる方が早かった。
 二つの世界の門となっている大江康太が、よろよろと嬉しそうに近寄ってくる。
「まーくんも、帰ってこれたね。ああ、でもたっくんとしーちゃんと智帆くんは……。とにかく、エネルギーたりてないよね。ここに追加があるよ」
 疲れ切っている様子の康太を見て、雄夜は久樹に「世界との繋がりの補強は?」と尋ねる。
 残りの三人が続かないことに、状況の悪さを悟った久樹は表情を改め「やってる」と短く答えた。
「爽子と一緒に秋山さんたちを寄る辺とする力の残量を補給し終えたとこだ。雄夜たちの異能力に爽子の異能力が似せれたおかげでなんとか間に合った──俺らが帰るのがあと十秒でも遅れていたらまずかったよ」
「そうか。続けて康太兄さんも頼んだ。門を維持させろ。それから秋山のところには追加を頼む」
 雄夜は立ち上がって札を取り出した。
「蒼花ッ!」
 閉鎖領域から先行して帰還させ、秋山梓の中で憩わせたまま、静夜との繋がりを利用して世界の補強を続けてきた水の式神を喚ぶ。
 蒼い水と共に竜が現れ、翼を広げたままの朱花と合流した。そこに続けて、風の白花、大地の燈花までをも召喚する。
「雄夜!?」
 とっくに限界を超えている雄夜がやって良い事ではないので、久樹と爽子は青くなった。
「そんな状態で、無理よっ。静夜くんの結界もないのよ! あっちとの繋がりは補強出来るからやめてっ」


 
 
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