[最終話 閉鎖領域]

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広域領域 No.05


 爽子の足にあわせる久樹にすぐ追いついた。「神社までどれくらいだ」と尋ねれば「もうすぐ手水鉢が見えてくるはずだ、って、あれは──!?」返す途中で目を見張る。
 清めの水をたたえる手水鉢があり、神社へとつながる参道もある。
 けれど──その先がなかった。ただひたすらの黒が、澱のような闇が、玉砂利が誘う先のすべてを塗りつぶしている。
「神社が……くそっ、あのドロドロしてるのは祟りそのものだろ! 二つあったっていう意思、遅かったのか!?」
 無情の現実に久樹の声は震える。繋いでいる爽子の手も震えたが「忘れたのか」と雄夜の声が響いた。
「絶対に居る。そう思えと言われた。いいから思え!」
 凛々しく声を張り、イメージでもって形をなさしめた刀を斜めに持ち下げて、雄夜はスピードを上げる。
「雄夜!? 待てよ、巧と将斗もいないのに、そのまま闇につっこむな!!」
 慌てて止めるが雄夜には届かない。
 ──絶対に居る。神社は在り、そこで待つものは存在する。
 静夜と智帆が言ったのだから、そうでなければならないのだ。存在がどれほど弱っても、消滅していたとしても、自分たちの意思を受けて形を取り戻させるだけだ。
「思ってる、思ってるさ! 神社はあって、そこに居る。俺たちは会いに来たんだからな、居るに決まってるだろ! それでもいきなり闇に突っ込むなぁ!!」
 雄夜が闇に飛び込むまでもう距離がない。
「くそっ!」
 温存しろと言われ我慢してきたが、このまま見ていられない。ずっと傍らに或る舞に、久樹は炎の異能力の一部を向けた。
「舞、頼む!」
 祟りに突っ込む雄夜を守るには、静夜の結界や、将斗と巧が織りなした安全圏のような空間が必要だ。一時的に炎で薙ぎ払うのでは意味がない。
『承知いたしました』
 主と慕う久樹の意図を察し、手にしていた扇をぱちりと開く。浄化を宿す花びらを展開させる寸前、舞ははっと目を見開かせた。
 闇がこちらに来る。
 飛び込む贄を待ち構えていた闇が、まるで顎を広げるかのように、雄夜を飲み込み、そのままの勢いでこの神社のある世界を汚濁という穢れに飲み込みにかかってくる。
 けれど舞が感じたのはそれだけではなかった。
『漣、豪、なにをしているのです!! やめさせ──』
 舞と、爽子が「あっ!」と声を上げたのは同時だった。
 頭上にオーロラが広がった。
 碧き清廉な色と、柔らかな翠の色が重なり合い、光を放ち反射しながら降り注いでくる。りぃんという鈴に似た音も合わさって、闇の爆発が押しとどめられた。
 ──誰の仕業かなど、考える必要もない。
 最初に鳥居に誘われて、世界を越えた二人。彼らの認識こそが、結ばれていた絆こそが、今まで繋がり続けて消えゆく一方の世界を持続させてきたと知る。
「こんなの無茶のしすぎよ!! 言われていたのに、絶対に居るって信じろって。それが出来ていなかったから、ここまでやらせてしまったっ」
 爽子の悲鳴を背景に、拡大した闇が小さくなっていくことで、雄夜の背が見えた。
 ──その漆黒の後ろ姿の先に。
 小さな光を見つけた。
 あれだ、と誰もが思った。
 信じろと言われていた、もう一つの意思。守らなければ、救わなければいけないもの。だからこそ力を与えなければならなくて、それは静夜と智帆たちに担わせてはならなかったことでもある。
 前に居る雄夜の肩がわずかに震え、決して落とさなかったスピードを緩めて足を止めた。彼は切れ長の眼差しを空へと向け、片割れと友人の力を仰ぎみる。
 闇を鎮めた青と翠が織りなすオーロラは、光の粒となってはらはらと消えていく。
 ソレを受け止めようと、雄夜は玲瓏な刀身を掲げた。
 ──一枚の絵のような、美しく、そして悲しい光景だった。
「札の切り場所を間違った──静夜の言う通り、考えることは必要だった」
 低く、うめくような声を絞り出し、雄夜が式神の札を放る。
 一つ、二つ、三つ。
 数を確認した久樹と爽子がハッとした。彼がやろうとする意図を察し、同じく動こうとした久樹を制し、爽子が彼女自身の異能力を解放する。
 支配するのではなく、異能力を増幅させるもの。それを雄夜に向ける。
 雄夜の瞳に金の焔が広がり、煌々と輝きを放つ。
「答えろ!!」と叫んで、前方にあるかすかな光へと式神たちを差し向けた。
 世界が震える。
 小刻みに、激しく、すべてを揺さぶる。
 これは世界を形作る力のせめぎあいだ。
 祟りとなってしまった意思だけが残り、それが力を失いつつある世界を支配していたけれど。消滅させられていた異能力者を守りたいと願う意思が、存在の確認を受けて、戻りつつある証明だ。
「雄夜くん、お願い力をあわせて!」
「分かっている」
 ぴったりの呼吸をみせる二人と同じことをしようとした久樹の手に、そっと舞が触れた。
『わたくしに力を与えてくださいまし』
「──舞?」
『舞とは古来より、神に奉納するもの。それであれば』
 戦いの為に振るい続けた扇を、本来の用途として美しく空にささげもった。
『この名に懸けて。お二人が神を呼ぶにふさわしい舞台、用意して御覧にいれましょう』
 扇から桜の花びらがこぼれあふれる。
 散り際の桜、最後の鮮やかさで名残を表す美しいものが、舞うたびに数を増やして境内を埋め尽くす。
 邪気であった緋色の娘が舞う。
 時折差し伸べる白い手を、久樹が受け取る度に炎が満ち、再生をもたらす焔となってこの場を清めていく。
「これなら、きっと!」
 爽子が確信を抱き、雄夜の式神と共に異能力を放った。
 朱花の、白花の、燈花の力がぶつかりあい、弾けて光となったものが空へと吸い込まれていく。
『ありがとう』
 ──声が響いた。
 彼なのか、彼女なのか、どちらかも分からぬ透明な声だった。
 視線をむけると空間がたわみ、さらりと風に流れるものが目に入る。
 純白の長い前髪を額の中央でわけ、両耳の下で後ろ髪と共に結びとめた髪と、まとう狩衣の裾を揺らせているのだ。
 久樹が見た時の白鳳神社とは一変していた。
 小さな朱の鳥居が連なり、振り返ってみた先にも縷々と続いている。誰かの微妙な思い込みを反映した稲荷神社となったようだ。しかもそれだけではなく。
「──なんだあの、狐耳と尻尾」
 動物好きの雄夜の声音がそわそわとし、爽子がそおっと目をそらす。
 ソレはぐるりと周囲を見渡した。
『そなた達は急いで帰るのだ』
「──でも、大丈夫なのか?」
 久樹の心配そうな顔に、ソレが首を傾げた。
『此処と鳥居の先に安定を戻すのはこちらの役目であろう。ただしすぐは出来ない。こちらから分離した片方を、一方的に押し込めるほどの力は戻っていないのだ。──そなたらはだから、攻撃を受けながら、元の世界へと帰らなければならない。こちらの心配をしている場合だろうか』
 的確な指摘に久樹はぐうの音も出ない。それでもただ帰るだけでは駄目だと思うのだ。
「智帆が言ったんだ。力が戻らないもなにも、存在を保つだけで手いっぱいだろうって。だから、なにか。──そうだ」
 久樹は舞を見て、はっとした。
「俺たちが名を呼べば!!」
 人ではない存在たちにとって、名を呼ばれる影響は久樹たちの想像を超える。ソレはゆるやかに左右に首を振った。
『こちらは名前を持たぬのだ。死んで存在をなくし、呼ばれなくなった意思の集合体なのだから。最初から持ち合わせがない』
 忘れたのではなく、持っていないという事実に爽子は首を振る。
「成り立ちなんて、名前がないことの理由にならないわ」
「ないのなら、つければいいだろ」
 雄夜はソレに背を向けた。指に朱花を呼ぶための札があり、鳥居を抜けた先で再展開させるための力を、自らの生命力を分け与えているのが爽子には見える。
「名前って……ねえ、久樹どうする?」
『いえ、爽子さんが名付けるのがよろしいかと』
「──わたしが?」
『爽子さんが持つのは支配の異能力。その影響を受ける意味、お分かりになりますでしょう?』
 祟りと同一の存在だった事実を切り離し、新たな白鳳神社と閉鎖領域の支配者として定義するのだ。
「わたしがここが誰のものかを定義出来るっていうの? 待って、それってどんな名前? 世界の保有者で、守護者で、優しくて美しいものに相応しい名前って言われても」
 爽子は困惑したままソレをじっと見つめた。視線を受け止めるソレは泰然としているが、狐耳はピンと立っている。
 色々を受け入れて、受け入れすぎて、飽和してしまいながらも、それでも受け止めようとし続けた存在だとふと思った。
「“まひろ”──」
 浮かんだ言葉を口にした。そうしたらもう、それでしかないと思えて自然と爽子は胸を張る。
「すべてを受け止めようとしてくれる、これからの貴方の名前よ」
 存在を定義し補強する祈りの名を受けて、ソレは唇をほころばせて笑った。
『ありがたい』
 ソレが──まひろが名を受け取って、小さなつむじ風が狩衣の裾を揺らした。
『消滅に震えることがなくなるのだ。こちらが──いや、これからはこのわたしが世界を認識することが出来よう。だが──嗚呼、まだわたしは完全ではない。力を蓄えなければならない。わたしが眠りにつく前に帰るのだ』
 まさらは真っすぐに鳥居の方角を示し、久樹は頷いた。
「よし、康太先生のところに戻るぞ。巧と将斗が心配だしな!」
 全員で駆けだしたが、舞が続いてこなかった。
「舞!?」
 慌てて振り向いた久樹は、どこか寂し気に舞が首を左右に振ったことに目を見張る。正直、舞に拒絶されることなど考えてもいなかったのだ。
 困った方ですね、と、舞がとても愛しげに呟いた。
『行ってくださいまし。わたくしがご一緒出来なくなっただけですの』
「なんでだ? だって舞、一緒に居たいって言ってくれただろ? ずっとずっと俺たちの側にって、なのになんでだ!?」
『……ええ、ええ。お側に置いて頂きたい気持ちに変わりはありませぬ。けれどそれ以上に、わたくしは久樹さんに幸せでいて欲しいのです。雪もそうでした。きっと漣と豪も同じことを願いますでしょう』
 ぎゅっと瞼を閉じた。人が残したマイナスの感情から生まれたというのに、あふれる感情が涙になったことに舞自身が驚きながら。
『わたくしは護りたいのです。異能力者たちが逃げ込めるもう一つの帰る場所を。この先で何かが起きて、排除がまた起きたときの為に。わたくしは久樹さんの為にこの世界を守っていたい』
 固く閉じた瞼からついに涙があふれて頬から顎へと伝っていく。緋色の娘の想いに応えて広がる花びらと共に散らせてから、舞は瞼を開いた。決意に満ちた美しい瞳がじっと久樹を見つめる。
 来い、と命じれば彼女は従うはずだ。
 それを怒ったりもしないだろう。けれど彼女の決意を破壊することは出来なくて、久樹は伸ばしていた手から力を抜いた。
『理由はもう一つ、ありますの』
 朱色の隈取りの施された視線を、まひろへと向ける。
『一人は寂しいって、わたくしは知っておりますから』
『さびしいとは……?』
 何百年という時を幾重にも重ねてきたまひろが首を傾げる。
 白鳳神社の意思が二つに分かれた原因は、目的を違えてしまったことにあるけれど。それだけではないと舞は思うのだ。
 一つだったから、己が何者であるかを肯定してくれる二つめがなかったから、だから意思を分けてしまったのだと。それでも違う存在ではないから、本当に別のものを望んだのではないだろうか。
 だってそうでなければ、どちらの存在にとっても大切である異能力者たちを贄にして、光の柱で新たな永続する命を作ろうとした説明がつかない。久樹は白鳳神社で異能力を奪われている、それはまひろが無意識だが協力したことを意味していないか。
 まひろが一人で居続ければ、いつかまた、二つに分かれ祟りが生まれるだろう。
 存在することを認められて、一人である寂しさを知った舞だから、寄り添おうと思ったのだ。
「……なあ、舞」
 切なく呼ばれて、舞は久樹を見つめた。
「俺たちは舞とこれから先も一緒に居たいって思ってる。それだけ、覚えておいてくれ」
 さよならの代わりに願った気持ちを久樹は言葉にして、緋色の娘に背を向けた。爽子の手のぬくもりを感じながら「行こう!」と駆けだす。
 小さな朱色の鳥居の連なりをとにかく走った。
 最果てに一つ、ひときわ大きな鳥居が見えた。すぐ傍に雄夜の後ろ姿があり、冴え冴えとした刀を振るっている。膝をついている様子の巧と将斗に襲い掛かる黒い何かを霧散させていた。
 存在としては強固である鳥居を侵食する影と闇を相手取り、巧と将斗が防衛を続けていたと今更知って、心配が募って爽子が青くなる。
「巧くん、大丈夫!?」
 声を振り絞ると、すぐに巧が振り向いた。
「大丈夫。将斗、走りながらまた安全圏を作らないとだ、俺たちいけるよな!?」
「た、多分ー。でも飴食べよ、巧も雄夜兄ちゃんもー」
「口に入れるのは三つまでにしておけ。苦しいからな」
「雄夜にぃ、何個まで経験があんの?」
「六つだ」
「すげぇ! 六つも一気に噛み砕けんの!? さすが雄夜にぃ!」
「なー、無理だよなー! 顎のほうが負ける。俺は三つにしとくー」
「──噛み砕いてない、頬に溜め込んだけ……。まあいい」
 鳥居から飛び出す寸前のやり取りとは思えぬが、突っ込む気持ちは久樹にはもうなかった。むしろこれこそが自分たちのやり方だと思える。
 闇と影が侵攻の為に穿った穴の前で雄夜が仁王立ちした。白刃を左手にしたまま、右手で札を放つ。
 業火が巡り輪が作られ、朱花が現れた。主の命を待つでもなく、瞳を煌々と燃やして突進する。
「行くぞ!」
 雄夜は短く吠えた。
 静夜と智帆の作戦で完勝するには、死にそうでもいいから生き延びて、妨害をすべてねじ伏せるしかない。雄夜がずっと己に化してきた来た役割だが、今回はそれを静夜たちが知った上での初作戦だ。
 身体にかかる負担は今までの比ではないが、精神はどこまでも高揚している。
 鳥居を越える際に感じる曖昧さと眩暈を越えて、戻ってきた閉鎖領域は崩壊寸前だった。
 木々も、道も、見える建物も、すべての輪郭がほぼ溶けている。道にいたっては澱のように降り積もる闇が、膝下あたりまで堆積して沼地のようだった。
 気を抜くと足を取られ、そのまま引き込まれそうになる。
「うわああ、これ、これ結構まずいってー! 雄夜兄ちゃんもっと俺たちに近づいて、久樹兄ちゃんと爽子姉ちゃんも俺たちにぴったりしてきてよー!」
 本能が感じ取る危険に将斗が叫び、巧と共に足場を取り戻すためにも、織りなす安全圏を丸い球体にしていく。
「智帆にぃが見えないっ!」
 肩で息をしつつ、巧は裏門の方向を見て眉を寄せた。
 待つのは禁止と言われているが、ここまで悪化した状況に置いていくのは感情がついていかない。
 巧が迎えに行こうと言い出しそうなのを感じ取って、久樹は決断する。
「待ってるわけにはいかない、行くぞ!」
 発言させる前に宣言した。
 巧と将斗が肩を震わせ、わずか、雄夜も拳を握る。
 智帆とこの先で静夜を待たないのは、作戦というよりも、彼らとの約束だと久樹は思っている。仲間たちの無事が最優先させる彼らの中で、最優先なのが巧と将斗の無事だ。それに応えてやらなかったら、命をかけた彼らの頑張りに報えない。
「だって、久樹兄ちゃん! 智帆兄ちゃんはっ」
 涙を浮かべる将斗に首を振り、久樹は少年の腕をつかんだ。
「行くんだ!」
 引きずってでも連れて行こうとした時、咆哮が響き渡った。


 
 
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