[最終話 閉鎖領域]

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広域領域 No.04


「──はっ! 思わず恐怖のあまり固まってた! 爽子も戻ってこい!」
「え、うん。うん、私、頑張れるわ!」
 手と手を合わせて見つめ合い、それで巧に視覚的なダメージを与えて向き直る。
「分かった、俺たちはすごく理解した。認めてくれて、信じてくれて、期待もして貰えるって理解した、だからもう手放しで誉めるのやめてくれ。羞恥プレイすぎるから」
「理解できたなら目的達成、これで今後の無駄が省けるな」
「いい成果が勝ち取れて良かった。これからは自信を持ってくれるんでしょ」
 静夜は表情を改め、鋭い視線を裏門の方向に向けた。
「神社でなにが起きるかはわからないけど、やるべきことが終わったら全力で康太兄さんが支えている門まで走ること。絶対に自分のことだけを考える、誰かが遅れてるから戻るとか待つとかはなし。──あと僕と智帆は最後になるのは既定路線だから」
「──えっと、どうして?」
 もう忘れたのかと眼鏡を押さえたのは智帆だった。
「俺と静夜が閉鎖領域を支えなくなったら、その時点で崩壊して終わりだ。神社で意志を救えたとしても、そいつの力がいきなり戻るわけじゃないだろ。存在を保つだけで手いっぱいのはずだ。俺らはぎりぎりまで残って、閉鎖領域を支える。ようするにしんがりは任せておけ」
「だったらさー、門のところで合流して、一緒に飛び込めばいいじゃんかー」
 良い案だろ!と将斗が胸を張る。
「却下」
「なんか雑ー! もうちょっと丁寧に扱ってよー」
 わざと膨らませた頬を、智帆が思いきりよく人差し指でつついた。
「いたぁ!」
「そりゃそうだろ。──門というか、形はどうせ保健室の扉なんだろ。この人数で殺到するには小さ過ぎだ。将棋倒し確率とか計算したくもない、とにかく自分自身を救うことに専念するのが一番の結果を生むんだよ」
「うー、智帆兄ちゃんに戦いを挑んでも、無駄だってわかってるけどー」
 納得しきれないでいる将斗を、困った顔で漣が見た。
『菊乃ちゃんと約束したんだ、将斗を連れて帰るって』
「……菊乃、すごく心配してるよなー」
 将斗くん!と呼んでくる少女の声が思い出されて、早く会いたい気持ちが募り、自分の事だけを考えてしまったことに将斗はうなだれる。
『ご自身を救うことを一番に考えていただけるなら、わたくしたちも安心して、大変そうな方をお助けすることが出来ますわ。それが結局、皆さまのためになりますでしょう?』
「──ごめん、聞き分けなくって。わかったよー、ありがと舞」
『いいえ、いいえ。わたくしたちは頼っていただけて、嬉しゅうございますよ。──それから、久樹さん』
 鮮やかな朱をさした唇をほころばせてから、舞にとっての特別な名を呼んだ。
「どうした、舞?」
『智帆さんに早く、お返ししたかったのではないですか?』
「返すもの? ……あ!! 宇都宮たちが届けてくれたんだ、智帆たちが残してくれた切り札!!」
 白鳳学園が寮生に支給するなんの変哲もない携帯電話を取り出す。これは唯一の希望であり、閉鎖領域へと向かうためのカギとなった特別なものだった。
 偶然なんかじゃないと訴えてきた、亮たちの叫びこそが、諦めない気持ちを取り戻してくれたことも感慨深い。
「さっき折れた心を立て直して全力を出したって評価してくれたけどな、俺たちの後ろ向きになった気持ちを叱咤してくれて、巧と将斗まで帰れないのを諦めるわけがない!って宇都宮たちが主張してくれたおかげなんだよ。──ようするに、お前たちのクラスメイトって最高だな」
 卑屈な気持ちは浮かんでこず、晴れ晴れとした気持ちになる。それは久樹の表情にも現れていて、静夜はやわらかく目を細めた。
「まあ桜たちだけじゃないけどね、菊乃ちゃんや幸恵さんもだし。……その、康太兄さんもさ」
 身内を褒める気恥ずかしさに歯切れが悪くなった静夜の声に「秋山は犬好きだからな、当然だ」と雄夜の謎発言が重なった。
「え?」と呟いて静夜が固まる。
「雄夜、その言葉の意味は? もしかしてだけど、犬好きの秋山は最高で当たり前だし、心も広いから、竜の一匹くらい気にしないって思ってたってこと?」
「そうだ」
「当たっちゃった。──その、猫好きだって心は広いよ。まあいいや」
 ずれた会話をやめて、静夜は智帆を見やった。彼の手元に戻ってきた携帯電話は、桜、梓、亮との信頼関係の結果を形にしたものだと思う。
「僕たちは帰らないと」
「当然だな」
 静夜の感慨をさらりと受け止めて、智帆は携帯電話をしまった。
 雄夜は舞たちと共に先頭を走り出し、そこに巧と将斗が続いた。「待てよ!」声を上げた久樹と爽子が追いかけ、智帆と静夜が最後に続く。
「──静夜、俺らの生還率、今の状況だとどれくらいだと思ってる」
「僕らの最初の計算よりはずっとあがってる」
「同じ見解か──ま、当然か」
 風鳳館から白鳳学園の中央の本流に戻ってきた。ここからは別行動だ。静夜と漣は正門へ向かい、雄夜たちは裏門へと走る。
 走りながら振り向いて「気をつけろ!」だの「無事でいてね!」だの静夜への声が飛ぶ中、智帆は振り返らなかった。
「──また後でな」小さく呟くことだけ。

 
 裂帛の気合を響かせると同時に、何度目か分からない白刃が空を切った。振るう雄夜に手ごたえは返らないが、うっすらとした靄が散るのが見えるようになっていた。
 爽子が色として認識した祟りの力が強まり形を得だしているのだ。
「雄夜、大丈夫なのか!?」
 助けに来たのに、異能力は温存しろと言われっぱなしの久樹が、心配を叫んでくる。大丈夫だと返せばいいだけなのだが、たった一言でも口にするのが面倒なのが雄夜だ。結局、イメージによって形を得た刀を、足を大きく踏み込んで振るうことで返事の代わりにする。
 派手な動きになって後続との距離が離れた。視界が少し濁ったと認識した直後、焼けて溶け出したアスファルトを踏んだ感触に後退する。
「雄夜兄ちゃん、離れないでよー!」
 抗議の声がすぐに飛んできた。
「広範囲なんて無理なんだぞー! 思ってたより、走りながらって大変すぎてー! 巧はー大丈夫ー!?」
「きっつい! 本気できつい! 静夜にぃが結界維持しながら平気そうだったから、特別って思ってなかったんだけど、あれってとんでもないッ!?」
 索敵能力の高い将斗と、防御能力の高い巧、二つの異能力の重ね合わせで安全領域を構築している。維持にはかなりの集中が必要で、初等部二人の精神の疲労が急激に高まっていた。
「さっき、白鳳館をすぎたばっかりなのに!!」
「だから言っただろ。全員が危険で、全員の無茶が必要だと。ようやく理解したみたいだな、俺と静夜に割く余剰人員がないって現実も」
 智帆のあっさりとした返しに「そうなんだけど!」と従兄弟同士は声を揃えた。
「とりあえず耐えろ、なんとかなるだろ」
「智帆兄ちゃんが精神論とか怖いー!」
 酸素を求めてあえぎながら、将斗は巧と安全領域の維持に努める。これを失えば、自分たちも色を失い砂となって崩れるのだ。死にたくなければやるしかない。
「静夜にぃと一緒に、漣が行ってくれて良かったよ」
「へえ、優しいな巧は」
「他人事みたいに言うなよ! この先で智帆にぃだって別行動になっちゃうんだぞ、豪が居てくれなかったらやっぱりダメ!って叫ぶところだった!」
「ダメでも別行動するしか手はないけどな」
 帰還に必要な手をうたないという選択肢は智帆にも静夜にもない。
「犠牲が前提っていうのはやだ!」
「流石に犠牲を前提に計画は立てないぞ」
「ううう!」
 口で叶うわけもないのだが、巧は懸命に食らいつく。犠牲を前提に計画は立てていないのは信じられるが、結果として犠牲になっても仕方ないと思っていそうで怖いのだ。
 智帆に響く言葉を探す巧に「雄夜くん、右よ!」と緊迫を知らせる爽子の声が重なってくる。
 先頭で道を切り開き続ける雄夜の切れ長の眼差しが、右方向を見やって距離を測り、刀を振るった。
 ざあっ!と音を立てて消える靄に、索敵まで手が回らない将斗に代わって、祟りの色を見て警告を続けてきた爽子が違和感を覚える。
「音がした?」
 爽子の異能力は形として見る、聴いて捕らえる異能力ではない。
「久樹、なにかが見えていない!? 私たちを覆いつくそうとしている祟りの意思を!」
「靄だ……」
 久樹は眉を寄せた。
「靄が見える。こいつが祟りとなった意思か? 俺たちがこっちに来た時に見た、ニンジンやらピーマン、紫外線の元ってことか!!」
 靄がかなりはっきりとした以上、アレが集まって形をとり、大規模な襲撃になるのは時間の問題だ。すぐに智帆が決断を下す。
「爽子さん、久樹さんの炎を増幅させて雄夜の刀に流し込め! 雄夜、行けるな?」
「──朱花はまだ休ませておく必要があるのか?」
「式神たちも切り札だ、とっておきのな」
 雄夜が頷き、手にする刀を斜めにさげて炎を待った。
 爽子に対する高度な要求だが、今の彼女なら応えてくると、智帆も雄夜も当たり前に思っていた。
 久樹の異能力は残しておく必要があるが、急速に疲労していく初等部の二人の限界がくる前に、目的地に辿りつく為の手も必要なのだ。
「やってみる、ううん、絶対にやってみせるわ!!」
 自らを叱咤する爽子の声を合図に、久樹がごくわずかな炎を生み出した。爽子は炎に意識を集中させ、支配し、自らのものとした上で増幅を図る。
 炎とはすべてを焼き尽くす激しいものであり、光を放つものでもある。
 爽子の黒目がちの瞳に赤が生まれ、深紅が燃えたと同時に手を上げる。
「雄夜くんっ!」
 増幅させた炎を一気に放ち、雄夜の心から生まれた刃に吸収させる。月の光のようだった刀身はぐらぐらと燃える赤き炎となった。
 雄夜は気合と共に炎の刀でもって空間を断ち切った。集りつつある靄を霧散させ、渦巻く炎に向かって智帆があわせた風が業火の勢いとさせて範囲を広める。
 豪を味方に引き入れた際に、道行の妨害をすべて薙ぎ払った時の再現だ。効果もまた同じ、白鳳館から白梅館、その先の裏門へと至る道に立ち込めた靄が消えている。
「今のうちに全力で走れ! 雄夜は先頭を維持しろ!」
 智帆の号令に雄夜が駆けだす。慌てたのは安全領域を支える将斗と巧で、まろぶように前に出た。
「でも、ごまかされないんだからな! 智帆兄ちゃんだけ、勝手に異能力使ったりで無理すんなー!!」
「勝手じゃない時が俺にあったとは知らなかったな」
 年少者の抗議を受け流す智帆に並んだ豪が、器用にも尻尾をびしびしと太ももにぶつけてうなり声をあげる。
「──実力行使は任せろって主張か? しかしなんで獣のフリをしてるんだよ、喋れるくせに」
『言葉では叶わないので、獣っぽさで対抗ということでしょう。そして今は智帆さんが無理をするべき時ではないと、わたくしも思いますわ』
 扇を手に警戒を続ける舞の柳眉が寄せられている。
「雄夜の過保護を嫌う静夜の気持ちがわかってきたぞ」やれやれと息をついた。
「──!?」
 先頭を行く雄夜が反応する。
 静夜がどう感じるかより、自身の感情が優先だった雄夜だが、今は片割れの気持ちも大切だと思うようになっているのだ。
 なにか言うべきかと珍しく思った雄夜の視界に、鮮やかな朱色が飛び込んでくる。切れ長の凛々しい瞳を見開いて「あれ、が」と声をあげた。
「雄夜、見えてるのか!?」
「見える。他は?」
「見えてる! 俺にも、将斗にもッ!」
「白鳳神社のある場所に連れて行ってくれる鳥居……」
 見ることは出来なかった鳥居に圧倒される面々に「靄が戻り始めた、鳥居の中に早く行け」と智帆が平素と変わらぬ声をかけた。
 智帆と静夜は神社にはいかず、閉鎖領域を支えるために別行動をとる。取り決め通りで、約束したことでもあって、その時が来ただけだ。
 いざとなって久樹は足をとめてしまった。つい智帆に伸ばした手を雄夜が捕らえる。
「へ!?」
 驚いている間に雄夜の腕に血管が浮き上がるほどの力がこめられ、鳥居の中へと思いきり放り投げられた。もちろん爽子も一蓮托生で「ひゃあ!」という声と共に鳥居の中へと消えていく。
「久樹兄ちゃん!?」
「爽子さんだいじょ……」
 慌てた巧と将斗の後ろにも雄夜は迅速に回り込み「お前たちもだ」と短く声をかけ、遠慮なく突き飛ばす。
 安全圏の担い手が世界を超えた為に、急速に闇と影が迫って来た。智帆は静夜の異能力に心を向け、己の風と合わせることで浄化をもたらす結界を展開させる。
「しかし雄夜は大胆だな」
「俺はお前たちの作戦で勝ってみせるだけだ」
 胸をはる雄夜も、呆れる智帆も、ともに疲労の色は濃い。それでも笑いあって、二人は互いに背を向けた。
 雄夜は先に走り出し、鳥居をくぐる。
 ぐらりと揺れたのは、世界なのか自分なのか。
 此方と彼方を越えた時に感じたのと同種のものが襲ってきて、雄夜は両足に力を込めた。上と下、右と左、すべてが分からないのから、力をこめられる場所だけを信じろと脳に強く念じる。
 瞬きを二回、それで雄夜の周囲に竹林の緑と、頭上を染める青が広がった。
「雄夜!」
「なんで待っていた、早く進め」
 爽子と共に転がってきた巧と将斗を立ち上がらせた久樹からの声に、雄夜はぶっきらぼうに返す。
「置いていくわけないだろ!」と言い返し「行こう!」と前に躍り出る。
 すぐに続こうとした将斗の手を、無事を祈らせてもくれなかった智帆を思って鳥居を振り返った巧が引き寄せた。
「わわ、巧!?」
「ここから先は俺たちはダメだ。雄夜にぃ、行ってくれ!」
「──どういうことだ?」
「あれだよ! 将斗にも、雄夜にぃにも見えるだろ?」
 鳥居の中央あたりに、黒い染みのようなものが浮かんでいる。
 そこからどろりとした黒いものが出てきては、ぽたりぽたりと地面に落ち、落ちた箇所を黒く変色させ始めていた。
「なんだあれ、気持ち悪うー! というかよくない、あれって向こうを侵食していた祟りだよ。闇そのものー!」
 身に宿す異能力が光だからこそ、将斗はこちらへと渡りくるモノの危険に寒気を覚える。
 白鳳神社を要するここはまだ堅固だが、鳥居を犯し侵入を図る闇と影を放置しては大変なことになる。
「ぎゃー! まーずーいー!」将斗は焦りながら光を織りなし、鳥居を包み込む防壁とした。
 走りながらでなければ、ひとりで支えることも出来ている。年少組の成長が著しいことは分かっているが、それでも誰よりも生還させたい二人を残すのをためらって「朱花を」と言いかけた口をつぐんだ。
 巧が首を振り、こちらの遅れに気づいた爽子には「俺たちが残るのは作戦だよ、だから行って!」と笑って見せる。
「──危なくなったら呼ぶと約束するか?」
「うん」
「もちろん」
 もうすぐ中等部にあがる弟分たちに「頼んだ」と言って、雄夜は駆けだす。


 
 
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