[最終話 閉鎖領域]

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広域領域 No.03


「僕が救われた時にみんなが見たような、現世のまま黄泉と化した光景が邪気のせいで広がっていたんだと思う。そこに最初の異能力者が現れたのは偶然だったのかもしれない。異変を起こす異端者だけど、邪気を祓うことも出来たから、畏れられると同時に縋られたんじゃないかな。排除されるだけだった異能力者は、ここに集まるようにもなった。──でも、さ。邪気を祓うことだけ求められたら、破綻はくるよ」
 白鳳学園の意味、白鳳神社の意味、知識を与えられたことの意味、考え続けてきたものが次々と腑に落ちる形にあてはまり、静夜の胸を締め付けていく。
「鎮めることが出来ない異能力者は、やっぱり排除されるだけだった。それって、悲しくて、辛すぎるよね。祓うことが出来る異能力者にしても、異能力が弱ったら辿る末路だよ。……排除される者たちの異能力だけでも残したいって思うんじゃないかな」
 例えば静夜と同じ水の異能力者だったら、結界の中に消えゆく異能力を集めて眠らせることが出来たはず。その異能力者も排除された時、風の異能力者がいたら、風の防壁の中で守ることで意思を引き継いだだろう。
「排除される異能力者と、異能力だけでも残そうとする異能力者。この繰り返しが、いつしか異能力の器としての白鳳神社を生み出した。異能力や邪気の知識を蓄えるだけじゃなくて」
 潤みそうな瞳で空を見つめ続けたまま、静夜は眉を寄せる。
「白鳳神社は意思を持つようになった。ああ、だから──」
 込み上げてくる涙をついに抑えきれなくなった静夜を、おもむろに智帆が手を上げて、乱暴に自らの肩口に抱え込んだ。華奢な肩が震えて、静夜の手がぎゅっと智帆の服をつかむ。
「ごめん、ついさっき言ったことは撤回する。この世界は来るかどうか分からない誰かを待っていたわけじゃない。排除される異能力者が逃げ込んでこれる場所として存在していたんだ。そして異能力者たちに逃げる場所はあるよって訴えてもきた。白鳳学園が妙に寛容だったのは、閉鎖領域からの干渉を受けてきたからだと思う」
「だったらさ、静夜兄ちゃん。ここは俺たちの敵じゃないってことになるじゃないか。俺たちから異能力をとっていって、命までとっていく場所じゃないってことになるよー。でも、そうじゃない。俺と巧がずっと欲しかった、逃げ込める場所じゃないよ!」
 巧と二人、怯えながら生きるしかなかった頃、欲しくてたまらなかった逃げ込んでいい世界が、自分たちに危害を与える場所である事実が憤ろしくてたまらない。
「将斗、落ち着けって」
「だって、巧。だってさー!」
「静夜にぃにあたったら駄目なんだ! そういう場所が欲しかったのは俺たち全員だろ。逃げ込める閉鎖領域を白鳳神社が作っていたなら、そうじゃなくなったことが問題だって。それってようするに」
 此処はイメージに左右される世界だ。
 誰かの恐怖が形になって敵となり、誰かのイメージで世界は形を持つ。
「昔の人は暗がりを怖がってたよ。人じゃない存在がいるとも信じてた。──俺たちみたいな、変な力を持っている奴がいるかもとか。でも……今は」
 喋ることで考えをまとめて、巧は将斗と共に「それだ!」と声を上げた。
「──誰もイメージをしなくなったから、白鳳神社は力が弱くなっちゃったんだ。それなのに邪気の蓄積がひどくなっていく。白鳳学園に最初からいた久樹にぃには異能力に気づいてないし転校するし」
「物凄く酷いことをした気分になってくる。……すみません、鈍感で」
「私もごめんなさい、そもそも久樹の力を強引に封じてきました」
「自虐で話の腰を折るな」
 寡黙な少年からの突っ込みに、二人はしおしおと項垂れる。
「なんとか他を呼び寄せようとしただろうさ。結果として久樹さんが起こした少なくない異変が、俺らを白鳳学園に引き寄せた。俺と静夜は白鳳神社と波長があったんだろ、鳥居に誘われたことで、薄れていた存在という認識の補強が出来たわけだ」
 異能力者が動かなければ、邪気が溢れてどれだけの悲劇が起きるか分からない。それは必死に祓ってきた異能力たちの命を無駄にしない為に、防ぎたいことだったはず。
「俺らに邪気に対する知識を与えないと、ただやられてしまうだけ。焦ったあまりに一気に流し込んで来て、俺らは気を失った。おかげで閉鎖領域まで渡らせることは出来ず、元の世界に戻すしかなくなった。──一番の問題は俺らが裏門に近寄らなくなって、神社的に最悪な状況が始まったことだろうな」
 邪気を祓うたびに、真綿で首を絞められるようにゆっくりと、排除される道を歩んでいく異能力者たちを見ているしか出来ない。
 その時を迎えた時、彼らを逃がすべき閉鎖領域を白鳳神社はもう持っていないのに。
 たとえ今、存在している異能力たちの力を借りて閉鎖領域の補強が出来ても、それが恒常ではなく一時的な結果にしかならないことを知っていた。
「白鳳神社に芽生えた意思は、邪気を祓うために存在し、排除されていった異能力者たちの想いだからな。守りたい気持ちだけ残した者もいれば、恨みだけを残した者もいる。どうしたらいいのか分からず、白鳳神社の意思は統制がとれなくなって、二つに分かれたんだろ」
 閉鎖領域の消滅を受け入れて、今、存在する異能力たちの助けになろうとする意思。
 邪気は祓いはするが、異能力者の安息の地である閉鎖領域を永遠にするために手段を選ばないと決めた意志。
 ──手助けしてきたのも本当。
 ──生贄として異能力者を喰らい、世界を存続させる為の命を生み出し、世界を強固にしようとするのも本当。
 ぽん、と静夜が智帆の腕に触れた。
「もう大丈夫。悪かった、同調しすぎる能力って感情面で厄介すぎて」
「そういう事にしといてやるよ」
 ニヤリと笑って智帆は手を離す。強い光をとりもどした紅茶色が全員を確認し「とにかく急ごう」と声をかけた。
「今は安定して見えてるけど、僕と智帆だけで支えきるのは無理があって、その影響が出て来てる」
『──この世界を満たしていく、意志のことおっしゃっておりますの?』
 緋色の娘が久方ぶりに彼女の意志で口を挟んできた。久樹は静夜と智帆が相手だと認められたい気持ちのせいで質問をためらうが、舞に対してはそれがない。「なんだそれ?」軽く問うた腕を、爽子にひかれた。
「どうした?」
「視界の端っこにね、黒い染みが見えたの。確認したらもう見えないから、見間違いだと思ってたけど。もしかしてそれのこと……?」
「黒い染み? 俺は見てないな、みんなは?」
 雄夜が首を左右に振った。巧と将斗も「見てないよ」と答える。
「爽子にしか見えてないなら。静夜のいう影響で、舞の言っている満たしつつある意志の形ってことになるな──」
 危険がひたひたと満ちているのを改めて自覚し、ぶるりと身体を震わせた。
「巧、将斗。溢れて来たのは闇と影だった、間違いないよね?」
 静夜が子供たちに確認をする。
「そーだよー!」
「なあ将斗、影のほうはともかく、闇の方ってしつこい感じしたよな?」
「こびりつく油汚れみたいなー!」
 素直な感想に、智帆が確信を得て己の顎を親指の腹で抑えた。
「やっぱりそうか。闇と影は違っているんだ。崩壊した世界の姿を映すのが影、神社の意志の片割れが祟りに変じたのが闇だ。こいつが時間の経過と共に俺らを蝕ばむ」
 時間がないってことが身に染みたか? と同意をもとめ、神社の方を向いた智帆の腕を巧がつかむ。
「誰かを割くのはダメだっていうけどさ、祟りを祓えない智帆にぃが一人残るのは危なすぎるじゃないか!!」
「さっき実証しただろ、俺と静夜は異能力を交換出来る。それでどうとでもなる」
「嘘だ、静夜にぃだってギリギリなのに。命を消費させるのが分かってて、そんなことを智帆にぃがするもんか!」
 急激と言って良いほどの成長を見せる巧の鋭い指摘に全員の視線が集まる。やれやれと智帆が溜め息をおとし、静夜が子供の肩に手を置いた。
「交換だからなくなるだけじゃない、大丈夫だよ。それに巧ならわかるだろ? 久樹さんと爽子さんは力の温存が必要。雄夜はこの先の妨害を払って、道を切り開く」
 双子は無言で頷きあった。
「だから闇からみんなを守れるのは巧と将斗しかいない。安全圏を支えながら移動までしろっていってるんだ、かなりの無茶だよ。──危険な目にあうのは全員同じ、そもそもが無茶苦茶なんだ」
「──嘘だ。一番生存率が低いとこを、二人で担当するくせに!! 分かってるのに、なのに、作戦をどう変えたらいいのか分かんねえよっ」
 拳を握りこんだ巧が震える。将斗が寄り添うが、掛ける言葉は見つからなかった。二人が脱落する可能性が高いと理解して、納得が出来るほどの強さはない。
 久樹と爽子もそれは同じだった。
『──僕が残るのは大丈夫なはず』
 声を上げたのは灰色の少年──漣だった。
「──漣? いや舞と一緒に久樹さんたちと行ってくれる方が、僕たちとしては」
『いやだ。だってそれ、絶対じゃない。絶対だったら、さっき僕の名前も出たはず。僕は残る、雪が僕に残してくれた力を、静夜さんのために使うよ』
 強情さを伺わせる子供を前に「やられたかも」と静夜がつぶやいた。
「でもそれだったら、僕より智帆に──わっ!」
 ついて欲しいと言い終える前に、咆哮があがって身をすくめた。慌てて音の方向を見やると、風鳳館までの道のりを彩る楓や紅葉の奥から、暴風を巻き起こした豪が駆けてきて、智帆の前で急停止する。
『大丈夫、智帆さんには豪がいるから』
「は? お前、雄夜が気にいったんだろ」
 怪訝になる智帆の太ももに、豪が鼻面を押し付けた。
「そうか、風が気に入ったのか」
 しみじみと雄夜が納得すると「責任とってやれ」と智帆の背をたたいた。
「あのなぁ。……まったく、姿を消したのは作戦の人員割り当て終わるまでの時間稼ぎだったわけか? こいつらの性格と行動パターンを把握する時間がなかったのが、してやられた原因だな」
 智帆が毛皮を撫でてやりながら答えると、目に見えて表情を久樹たちが明るくするので苦笑する。
「俺らを甘やかしてもリターンはないからな。──とにかくこれで納得は出来ただろ」
 急ぐ必要があるって言葉の意味がわかったかと眉を寄せる智帆の横顔が、照れ隠しのように久樹には見えた。これはかなりのリターンだと思う。
 自然とにやけた久樹を、静夜が胡散臭そうに見やる。
 どうも緊張感が続きずらい空気に持って行くのが久樹の特異さであり、良いところではあるのだが。早く動きたいときには少しばかり困る。
「──神社にたどり着いたら、なにも見つからなくても、僕らを護ろうとしている意思が居ると強く思った上で声をかけて。祟りになった方が優勢で、弱っているはずだから。僕らが存在を補強をしないと会えない」
「任せろ! ……いや待て、会えたあとはどうするんだ?」
「──さあ?」
「そうか。……じゃなくって、さあ?ってなんだ、さあ?って!」
「だって僕らがどうしろっていうより、久樹さんと爽子さんが感情のままに動くのが最上だと思ってるから」
「──へ?」
 からかわれたのでも、投げやりになっているのでもなく、最後を任された意味が分からずぽかんとした。逆に優しい目で頷いたのは雄夜だ。顔は似ていないけれど、同じ空気をまとって静夜は目を細める。
「舞と漣、そして豪だけじゃなくて、雪のことまで救い上げてみせたのは久樹さんたちだよ。もちろん僕たちだってそれが出来たらって思ったけど、都合が良すぎて無理だと考えてた。静観になら持ち込めかもって計算だったんだ。でも──」
 智帆の傍らに佇む豪を静夜も撫で、強い意志を宿して自分に寄り添う漣を見やる。邪気であった少年を支えるのは、異能力を残して消えた雪の気持ちだ。
 静夜と智帆が諦めたことを、久樹と爽子は拾い上げてここまで来た。
「だから着いてからどうするかは、久樹さんたちが決めて」
「静夜……」
 迷子の子供のような顔のままで、静夜は困ったなと腕を組む。
「これでもダメなんだ、どうしようか智帆」
「具体例が足りないってことか? 仕方ない、久樹さんは俺に見捨てるって言われたとき、どう思った?」
「それは……智帆が消失した時の会話だよな。そりゃあ、軽く絶望したよ。異能力を使ったら消えるっていってるのに聞いてくれない。俺たちはなにも出来なくて、智帆が消えるのを見てるだけだったからな」
 自分たちだけが残されて、本来の世界に帰還を果たしてしまった。わざと消えることで異変を終わらせたのではと考えるのも苦しかった。
「──静夜にさっき指摘されたよな、まさに自己犠牲を選んだって思ったんだ。悪い」
 久樹はわざわざ暴露して、拝むようにする。
「ようするに一度は心が折れたわけだろ。へこみすぎてネガティブなことばかり考えもした。それでも、立ち止まらなかった。簡単なことに思えるだろうが、短期間で折れた心に鞭打って全力を出せる奴はそんなにいない」
「うん、人ってそんなに簡単じゃないから。でも久樹さんと爽子さんの今までを見てたから、出来るって思った。だから頼ったんだ」
「──た」
 久樹は爽子と共に目を丸くした。
「頼られてた!? そうだったのか、そうだったのか! ……でも、なんだ静夜と智帆に言葉で頼られるって──かなり怖い」
「そ、そうよ二人とも、もしかして熱でもあるの?」
 声を震わせて怯えられて、智帆と静夜は「えー」と眉を寄せる。かわりに肩を落としたのは巧だった。
「認めてるってサインだしてるのに気づいて貰えなかったから、態度反省しようって智帆にぃと静夜にぃに思わせたの忘れてんだろ? だから口にしてくれたんだと思うけど」
 年長の頭脳役は、わざとらしい悲哀を浮かべていた。
「分かってくれるのは巧だけだな」
 智帆の手が巧の背に触れる。
「嬉しいよ巧、僕らをただの性悪陰険って思わないでくれて」
「待ってよー! 俺だってそんなこと思ってないー!」
 慌てたのは将斗だ。漣は顔を青くして『静夜さんが性悪? 陰険? ひどい……』憧れを否定されて涙目になっている。
 雄夜が無言のまま前に出ようとした。
「なんだよこの展開。雄夜にぃはストップ!! 久樹にぃ、爽子さん、早く言い直せってっ!!」
 焦る巧を余所に、周囲を扇動した二人が早々に通常モードに戻る。どう考えてもわざと意趣返しを計ったとしか思えない。


 
 
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