[最終話 閉鎖領域]

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広域領域 No.01


「雄夜っ! 待てよ、俺のほうが!」
 叫んで駆けだそうとした久樹を、舞が静かに制する。
『雄夜さんはずっと我慢されていたのですから、行かせてさしあげてくださいましね』
「──そうか、そうだよな」
 静夜が危険な目にあうのが嫌でたまらないのが雄夜なのだ。
 勝利への道筋とはいえ、静夜の危険を承知と飲み込むのは、精神的にかなり無理をすることだったに違いない。一番に駆け寄りたいのが当たり前だ。
 朱花が広げた翼下、焔が光となり闇と粉塵を払う。視界がクリアになり、智帆に背負われている静夜の血の気のなさと、ぴくりとも動かぬ様が露わになって、ひどく不安にさせる。
 雄夜が二人の元にたどり着いた。静夜を右肩に担ぎ、空いている左手を智帆の腰に回して友人も支えて力強く歩き出す。
「へえ? 一番いい想定よりも余力を残せてるな雄夜。白花を返しとく、助かった」
 雄夜はただ頷いた。
 安全圏へと戻り、雄夜は智帆を座らせた。智帆が手を伸ばしたので、担いだ双子の片割れを託す。そうまでされても静夜は動かず、整いすぎた少女の顔立ちとあいまって、精巧な人形にしか見えなかった。
「おい、静夜っ」
 智帆の腕に抱えられた静夜ににじりよる。久樹と爽子は膝をつき、おそるおそる手を伸ばして、吐息が触れたことにほっとした。
「……いけない久樹、私たち安心してなごんでる場合じゃないわ。康太先生に言われたもの、意識を失ってるからってそのままにされたら困るって!!」
「それだ!」
 中身の少なくなったリュックから、智帆と静夜の分を取り出した。持ってきた全員分、一つも無駄にはならなかったことが嬉しい。
「でもな、実際問題、どうやって食べさせりゃいいんだ!? こうなったら」
 無理やり口に突っ込もうと考えたのが久樹の顔に出る。呆れたのは智帆だった。
「誤嚥で殺す気かよ」
「そんなわけあるかー!」
 ゼリー飲料を握りしめて否定する久樹に、智帆が手のひらを上にして突き出す。意図がわからずにぽかんとして、ぎゅっと握り返した。
 二人が握手をする図式に「うわぁ」と巧と将斗が引いた。
 冷え冷えとした空気に「反応、間違えたんだな俺」と久樹は返す。
「そんなトコとは思うけどな。久樹さんたちには俺と静夜の想定を上回った働きでここまで来た事実がある。握手に俺らには考え付かなかった効果があるんだろ、というわけで教えてくれ」
 皮肉たっぷりの笑みで乞われて、久樹は小さくなる。「いや、ごめんなさい。とくにないです」答えて、それからあれ?と思った。
 智帆は今、想定を上回った働きをしたと言ってくれたのか?
 同じことを爽子も思ったらしく、一緒に顔を上げる。確認をする前に「とにかく俺の分をくれ」と言われて二人ははっとした。
 智帆の疲労の色のあまりの濃さにようやく気付いたのだ。
 捕らわれの状態から自力で脱出し、静夜の救出まで智帆はしてのけている。補給のない状態でだ。
 命の危険が高いのは静夜と智帆。康太の言葉を改めて思い出し、大慌てで持ってきたサコッシュを渡した。受け取って中を確認し「さすが康太先生だな」と智帆はにやりとする。
 栄養ドリンクを飲み干し、続けてはちみつの飴を口に入れた。がりがりと音をさせ、久樹の手にあったゼリー飲料を奪い取る。
「も、もしかして、智帆くん!!」
 爽子が息をのむ。
「その想像はおそらく間違い」
 ゼリー飲料で飴の破片を流し込んだ智帆が否定した。支えている静夜に顔をよせ、額を触れあわせて瞼を落とす。ひどく儀式めいた光景だ。
 雰囲気につり込まれて誰もが息をひそめる。そのまま続く沈黙を、爽子が「え!?」とあげた声でやぶった。
「どうして──? どうして智帆くんの中に水の異能力があるの?」
 蒼く、碧い、清らかな水が、智帆の中でたゆたうのが見えたのだ。それを水の眷属である漣も感じとって驚く。
「爽子さん、それってどういう意味?」
 巧の問いかけの途中で、智帆が水の結界を展開させた。これは誰の目にも映ったので「わっ!」と声が上がる。
 混乱のまま集まる視線の先、静夜の指がわずかに動いた。
 展開されている水に変化はなく、吹いてきたのは風だった。智帆の力を示すエメラルドグリーンをたたえるものが、静夜に応えて少年たちの髪を揺らしだす。
「どうして──?」
 ありえないと否定する気持ちが、爽子の心を占めている。けれど現実には、智帆の中に静夜の力があり、静夜の中に智帆の力があるのだ。
 二人の命を構成するソレが、入れ替わって存在している。
「どうして智帆くんの中に水があって、静夜くんの中に風があるの!? そんなこと、出来るわけがないのにっ! 命を交換するようなものよ!」
 否定したい気持ちが悲鳴となって爆発した。
「そうでもしないと、全部とられて死んじゃうから」
 柔らかな声が響いた。
「静夜、くん……?」
 彼の本来の異能力と同じように、彼の声は心を優しく鎮める効果をもっている。
 驚愕が冷めやらぬ視線を向けられながら、静夜と智帆はまぶたを開いた。燃える色は翠と青。いつもと同じ色で、宿る持ち主が違う。
「これはさ、なにが起きているって聞くのはありだろ?」
 尋ねるばかりの自分自身は嫌なのだが、あえて久樹は尋ねた。
 智帆が唇の端をつり上げて不敵に笑む。ただ何も言わず、彼は静夜の口に飴を放り込んだ。
「これ良い選択。流石は康太兄さん」静夜は笑うがやはり答えは言わず、おもむろに二人は手を握りあわせる。
 巧と将斗がはっとした。安全圏を支える光と大地を上回る、異能力の発動を感じたからだ。従兄弟同士は目をあわせ、同じ答えを得たと確信し「ダメだよ!」声を揃える。
「なにするつもりだよ、そんな状態で!! ほんとに死んじゃうぞ!!」
 止める声はもう遅い。
 二人が一気に解放させた異能力が安全圏を軽々と越え、光を放ち拡散していく。
「凄い……」
 影と闇によって形を失った世界に、水を含んだ霧の風が満たしていく。淡い光に触れた場所は浄化され、影と闇が払われ、色と形が戻っていった。
『……美しいですわね』
 久樹と爽子を守る位置から動かずにいた舞が、震えている漣の側に赴いて手を握った。漣は泣きそうだったので、見抜かれたのかと恥ずかしくなる。
『わたくしは焔によって浄化されて存在を得たもの。己を癒やした存在がどれほど特別か、誇らしいか、わかっておりましてよ?』
 優しい共感に胸があたたかくなり『うん』と漣は素直に応え、手を握り返した。そうすることで、静夜に駆け寄りたい気持ちを堪えたのだ。
 静夜と智帆と再会出来たことで、意識がそちらに向いてしまっている彼らのかわりに、警戒をするのは自分たちの役目だと思うからだ。
 闇と影が溢れる前の景色が戻って「成功だな」と智帆が言った。
「想定どおり。とはいえ、やっぱきっついなこれ……」
 ぼやき「起きていられるか静夜」と尋ねる。
「うん……なんか、視界が白くなってきた……」
 静夜が必死に頭を振っている。
「食え。とりあえず。そして飲め」
 雄夜がしゃがみ、二人の口にチョコを放り込む。ペットボトルにストローをさし、器用にも交互に口元に運んでやって飲ませもしだした。
「なんというか、シュールな光景だな」
 作戦を担当する二人が、チョコだのラムネだのを口に次々に放り込まれている様は、正直なところ面白い見ものだ。ついつい久樹はじいっと見つめてしまう。
 いまのうちに俺たちも食べよー!と将斗が声を上げる。久樹も爽子と共に康太が持たせてくれた甘いものを口にして、けれど視線は智帆と静夜から離さなかった。
「見世物じゃないぞ。それに面白いとか思ってる場合かよ、久樹さん」
 雄夜に運ばれるまま食べ続けていた智帆が、ようやくペットボトルを受け取って自分であおり、眼鏡の下の垂れた目を向けてくる。
「面白かったのがなんでばれた?」
「顔に出すぎだって。それより静夜、持ちそうか?」
「……なんとか、起きていられそ……」
 覚醒状態を必死に維持しながら返事をする口に、雄夜が飴をつっこんだ。反応し損ねた静夜が目を白黒させて咳込む。
「雄夜、口に突っ込むのはもう終いにしとけよ」
智帆の冷静な制止に「……そうなのか」と雄夜がしょんぼりとした。
「食べさせるの、楽しかったのか?」
「ああ」
 雄夜が頬を染めて頷いた。次にと用意していたエネルギーバーは、静夜ではなく自分自身の口に放り込む。
「智帆にぃ、静夜にぃ」
 巧は状況の確認の為に呼びかけた。
 無尽蔵にあふれ出してきた影と闇の脅威が感じられず、元の光景まで戻ってきている。それがどれほど大変か、アレからの侵食を防ぐ安全圏の構成を担ったから痛いほどに分かるのだ。
「起きるって分かってたんだろうけど。あんなの二人だけでやるのって、無理すぎだよ」
「想定はしてたのは事実。……まあ無理しすぎってのは否めないか」
 久樹には皮肉さを割り増しする智帆だが、巧が相手なら普通に返事をする。
「……じゃあ、死なない対策もしてたって、信じて良い?」
 巧のふくれっ面に、静夜が「信じていい。いや、信じてくれたら嬉しいかな」とごまかさずに答えた。
「うん。一番に捕まっちゃったから、どうしてなんて言えないんだよな。今までと違って、雄夜にぃがいろいろ知ってたわけだし」
「全部ではない」
 大真面目な顔で雄夜が訂正した。
「それでも、雄夜にぃが分かって無理に乗ったってのは凄いし」
 巧に強く肯定されて、雄夜は心なしか嬉しそうになった。
「なあなあ。異能力を交換してなかったら死んじゃうって言ってたよなー? なんで交換したら無事になんの?」
 将斗が身体を乗り出す。
「僕らを喰らっていた柱って、それぞれの専用になるって気づいたんだ」
「専用ってどういう意味?」
 爽子が口を挟む。静夜は色素の薄い瞳を細め、言葉を探すようにした。
「爽子さん、僕らが捕らえられた後の柱って、何色だった?」
「静夜くんの時は青で、智帆くんのは翠だったわ。でも、それが? えっと……?」
 静夜が問いが示すものが分からず、爽子の声が萎んでいく。残念ながら久樹にも分からなかったので、ただ一緒に頷いた。
「最初は誰の異能力でも奪えるんだ。でも一度吸収すると、効率をあげるためだと思うけど、専用に変わる。特別な保存容器になるみたいな……」
 静夜が続きをどう表現するか考えた間を、智帆が引き取った。
「俺らがそう思ったのは、巧と将斗が連続で捕らえられた直後だよ。確信になったのは雄夜が捕まった時。あの柱、式神を喰えなかったからな」
「式神を食べれない……そっか、だから消失してなかったし、俺らに襲い掛かれるぐらいの力も残ってたんだな」
 久樹が式神を食い止めてくれた舞と漣に、感謝を込めた視線を向ける。「式神に襲われたの!?」と巧と将斗が驚いた。
「俺たちの異能力は無尽蔵には使えないだろ? 体力を使い果たしてなお行使するなら、命が代償になる。俺と静夜は、あれに捕まってやる前に、やっておくべき事があった。その後で柱に多くを喰われみろ、結果は簡単だ。──死ぬ」
「あとは単純だよね。奪われないようにするしかない」
 あっさりとした静夜と智帆に、爽子は「だから、待ってよ」と眉を寄せた。
「理屈では分かるの。でも、実際にはどうやったの? 命を渡してしまうなんて、どうやったら出来るっていうの?」
「無理みたいに言ってるけど、爽子さんには出来るよね?」
「私は──能力を支配するから。支配したらもう自分のものよ、奪ったり、戻したりだってそりゃあ出来るわ。能力の移植も同じだと思うけど、しない。だって他の人の命を移植するなんて、ショック死したらどうするのよ!」
「え、そうなの? なんか僕たちってば大変なことをしたみたいだよ、智帆」
「そうらしいな。でも普通に出来たしな、今も出来るんじゃないか?」
 智帆が手を出してきたので、返そうとした静夜の手を雄夜が両手で握りこんだ。
「雄夜?」
「俺だって静夜と出来る」
「そりゃあね。でも雄夜と交換するのはちょっとな、だって式神たちが可哀そうだし。とくに朱花は苦しいだろうから」
「──そうか、炎と水。相性の問題か……」
 滅多にしない難しい顔を雄夜がするので、静夜は智帆と共に笑った。
「頭がいいのに。なんとなくでやっちゃったのね、二人とも。大丈夫だったからいいけれど……」
 爽子は今更だが怖くなって、首を振った。
「がちがちに考えるよりも、なんとなくでも動けば事態が好転することもある、久樹さんと爽子さんを見ていて学んだ教訓だな」
「──ねえ、智帆くん。それって褒めてるの?」
「無論、褒めてるさ?」
 眼鏡の下の垂れた目を、いとも楽しそうに智帆が細める。
 もてあそばれた確信があって、爽子は久樹と共にため息をついた。「なごんでないでよ! 俺、まだ質問あるー!」と将斗が挙手をした。
「奪われない為だったってのは分かったからさー。さっき溢れてきた黒いのについても教えてよ」
「俺らの見解を話す前に、将斗と巧がアレをどう思ったのかを教えてくれ」
「俺らが?」
 質問に質問を返すのは智帆がからかう時にやる行為だが、高校生の目はとても真剣で、本気で意見を求められていると理解する。
「俺には、闇と影が世界を壊してるように見えたよ。将斗もそうだろ?」
「だなー。だってあれに触れたモノって、色がなくなって、白い砂みたいになって崩れてったしー」
「なるほどな。アレが世界を破壊していく、か」
 なにかの検討でも始めたのか、智帆が黙りこんだので静夜を見やる。
「なにを思っているのか、教えてくれよ静夜にぃ」
「闇と影がこの世界が壊していくんじゃなくって。逆の可能性があるんじゃないかって」
「逆?」
 自分たちが隔離されたこの世界は、白鳳学園と同じでありながら異なっている。外の世界を持たない、学園しかない閉鎖領域だ。
「……この閉鎖領域が、僕たちを閉じ込めるために作られたものじゃないとしたらって。思ったりしない?」
 思考の海に潜ったままの智帆に変わり、静夜は視線を全員に向けた。
「俺たちを閉じ込める為の世界じゃないっていうなら、なんのために?」
 久樹が首をかしげる。静夜は紅茶色に戻った目に憂いを宿して細めた。
「ずっと考えてたんだ。最初は僕と智帆にだけ、ここに来てからは久樹さんにだけ。見えて存在するあの鳥居と神社が意味することはなんだろうって」
「──白鳳神社か!! そういやアレって、かなり古い神社に見えたよな。そうだよな、気になるよな普通。あからさまに謎だったもんな、だよな!」
「久樹さん、白鳳神社のこと、忘れてたんだ?」
「──悪い。すっかり頭から離れてた。あそこに今もあるんだよな」
 裏門の方角を久樹が見やり「あれ!?」と声を上げた。
「今更なんだけどな。なんであの神社って、俺らの世界にも、こっちの世界にも、当たり前に存在しているんだ?」
「……うん。二つの世界に対して、白鳳神社は鳥居という門を開いている。その事実がね、ずっと前からこの世界が或るって証明な気がするんだ。僕が気づけなかっただけで、鳥居は二つあったのかもしれない。僕たちの世界に通じるものと、こっちの世界に通じるものと」
「俺らの世界とこの世界は、本来は行き来できるものだったって思ってるのか?」
「おかしいかな? ……鳥居に誘われた誰かが、二つの世界を渡ることで、鏡写しのようなこの世界の存在は補強されてきたんじゃないかな。僕と智帆は鳥居に招かれたときに、気を失っている場合じゃなかったんだと思う。こっちに来ていたら、今とは違う結果になっていたかも……」
 静夜は細い手をぎゅっと握りこんだ。
「とにかく、こっちはもう残骸になっていたと思うんだ。人質にされた全員がここを白鳳学園と認識したことで、一時的に存在が補強されて形を保っているだけ。それを失えばまた元に戻ってしまう」


 
 
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