[最終話 閉鎖領域]

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ヒトと贄 No.04


 共通の思いを含めて笑った年上の女性に、親しみを覚えて高校生たちは頷いた。
 状況が一段落したと判断した丹羽教授が歩き出す。慌てて里奈が追い、それに全員が続いた。
 夜間用の扉に人影はない。それでも用心のために丹羽教授と里奈が先行し、大丈夫だと確認してから急いで廊下を進み統括保健室に入る。
「……?」
 統括保健室は、どこか寒々しかった。
 いつも穏やかで、陽だまりの空気に包まれている場所なので困惑する。
「康太先生?」
 居るべき人物を久樹が呼ぶと「私たちが来た時からいなかったの」と立花幸恵の声が返ってきた。
「来た時から?」
「うん、絶対に居てくれるって思っていたから。携帯も鳴らしてみたんだけど、出てくれなくて。心配で……」
 里奈が「そのことだけど」と声を上げた。
「学生課で行った教職員の安否確認でも分かってないの。北条さんたちのクラスの担任がすごく心配していて、生徒の安否を確認してから一緒に捜索するっていってくれてる」
「村上先生、頼もしい! ……あれえ? 生徒の安否確認してからって桜、先生が私たちを探してるってことにならない!?」
「それなら問題はない、先ほどこちらで無事を確認したと連絡をしておいた」
 さらりと丹羽に告げられて、梓は目を丸くする。
「大学の教授も、なんかかっこよくて頼もしいかも」
「丹羽教授は特別なんです。大学に入ったら丹羽ゼミにどうぞ!」 
 自慢と宣伝に胸をはる里奈に、恋する者としてのなにかを感じとった梓が「雄夜くんも特別に恰好いいんですよ!」と力強く主張する。
「……あれは放置しておけ。とにかくこの場に集まった目的があるだろう、それを進行させろ」
 緊張感が戻って、鏡を握りしめてうなだれている菊乃に注目が移る。
「将斗くんが見えたの?」
 爽子が問いかければ、菊乃は涙をこらえて窓の外を指さした。
「将斗くん、あそこにいるの」
 全員、視線を外へと向けた。
「赤い紐みたいなのがね、将斗くんを光の柱にぎゅうってしてるの。菊乃、アレをとってあげたいのに、さわることも出来ないの」
 掲げた鏡をもつ指が、白くなるほどに握りしめる。妹の肩に両手を置いて、姉もまた苦し気に眉を寄せた。
「巧くんと同じ状態だと思うわ、首まで絞められてた。……きっと他のみんなも。生贄にされてるみたいに見えて怖いの」
「智帆たちを代償にして、なにかを守ってくれる存在でも居るっていうのか? そんなのあり得ないだろ……」
 呆然とする亮の腕に梓が触れた。
「秋山?」
「亮くん、雄夜くんたちの不思議な力だって、普通に考えたらあり得ないよ?」
 いつもふわふわしているくせに、梓が極限で下した判断は冷静だった。こういうところを雄夜は見抜いて、秋山は強いと言っていたのかもしれないと亮は思う。
「あり得ないが一つあるなら、もっと沢山のあり得ないもあるって考えるべきってか? ……智帆たちが生贄にされてるなんて考えたくなくて動揺した。立花さん、すみません」
「いいの。でも最悪から目をそらしたら、なにも出来なくなるもの。だから頑張ろうって決めたの、そうだよね菊乃?」
「うん。菊乃は泣かない。久兄ちゃん、出来ることを教えて」
 信頼のこもった視線を受けて、久樹と爽子は頷いた。
「将斗たちを迎えに行く」
 きっぱりと言い切って、久樹は統括保健室のホワイトボードにむかった。白梅館でしたように、光の柱が五芒星を描くことや、智帆たちの力の寄る辺が必要であることを説明する。
「そこまで行動方針が明確になっているのであれば、集まるのではなく五か所に散っていた方が得策ではなかったのか?」
 もっともな丹羽教授の指摘に「それは……」と回答の持ち合わせがない久樹が返答に詰まったので、舞がすっと前に出た。
『まだ足りないことがございます。それが果たされるまで、散って頂くわけにはまいりませぬの』
「足りない?」
『ええ。ですから、お力を貸してくださいませんか?』
 やんわりと告げて、舞が菊乃に微笑みかけた。
「お姉ちゃんはだあれ?」
『わたくしは舞と申します。漣と同じような存在ですわ。お二方のことは久樹さんに教えていただきました』
「舞お姉ちゃんは漣と一緒なの? あのね、漣が消えちゃったの。どうして?」
『菊乃さんは漣に居て欲しいのですか?』
「うん、だって、漣は菊乃の友達なんだから。それに菊乃とお姉ちゃんを守ってもくれたのよ」
『本当に皆さまは変わっておいでなのですね。漣は形が保てずにおりますの。──桜さん』
 白すぎる手を舞が桜に差し伸べた。
「──?」
 不思議そうにしたものの、桜はすぐに舞と手を重ねる。
 向けられる信頼と温もりが舞には面映ゆい。そんな思いを朱で彩られた瞼で閉じ込めて、桜を寄る辺とする水に意識を集中させた。
 久樹に説明していないが、寄り辺にある力の量にはかなりの差がある。
 こちらに残る力を集めた巧と将斗の力は少なく、雄夜の力はほどほどだ。逆に意図して残された静夜と智帆の力はかなり多い。足りない分を補うためだろうが、それでも水は当人の命を削るほどの量で不思議だったのだ。
 漣を呼び戻す段になって、静夜の意図を舞は理解した。
『わたくしが久樹さんに許されたように、漣も水の使い手に許されているのですね。……菊乃さん、漣はそこに』
 桜から受け取った水の力を菊乃の手に重ねて、舞は場所を示す。菊乃はごく自然に、示された場所に手を差し伸べた。
「──大丈夫、漣?」 
 呼びかけに空間がたわんだ。
 空気が色付き、背景だったものが見えなり、そうして差し出された手を取った灰色の少年が現れる。
『どうして僕の為に? あの人は……』
「はい! それダメ!」 
 繊細な空気を唐突に梓が断ち切った。
『──!?』
 邪気であった人外を絶句させた梓に、残りの高校生二人は「空気をねーたまにはねー読もうねー」と脱力する。
 もちろん梓に届くわけがない。それどころか勢いを増して拳を握った。
「あの人なんて呼ぶのはダメ、だってこんなに人がいたら誰のことか分からないよ。名前を呼ぶべき、呼ぶなら下の名前。はい言ってみよう、静夜くんって!」
『そ、そそ、そんな、いきなり……』
「大江くんじゃ雄夜くんと区別がつかないよ。菊乃ちゃんもそう思うよね?」
「うん、静夜お兄ちゃんって呼んでるよ! 菊乃のことも名前で呼んでね漣」
『呼んでいいの?』
「当たり前だよ」
 不思議そうな菊乃に困惑する漣に「私のことも幸恵って呼んで」と姉も笑った。
『……ありがとう。菊乃ちゃん、幸恵さん』
 はにかみながら、名を呼んだ灰色の少年の姿がはっきりとする。それが今までとらえていた姿と違って見えて、爽子は驚いた。
「漣くんって、巧くんに見えたり、将斗くんにも見えたりしなかった?」
「だよな? モデルがあいつらだからと思ってたけど、どうなってるんだ?」
『菊乃さんの認識の方が、より強いものだということですわ』
 二人の混乱に舞が優しく答えた。
「より強い認識って?」
『わたくしたちのような存在は、人によって見える姿が異なることがありますの』
「──舞のことは、みんな同じ姿として認識してないか?」
『わたくしは元となった形をはっきりと自覚しておりましたから。とはいえわたくしたちの形のあり様にこだわっている場合ではございませんよ』
 舞の指摘に漣がうなずいた。
『急がないといけないから』
「そうだな。漣が戻ったんだ、光の柱に散って──」
 前のめりになった久樹を『まだ足りないんだ』と漣が止めた。
「まだ?」
『二つの世界を繋げる絆が強さをまして、道を開いてくれるよ。でも通れない』
「道があるのに通れない? 進めばいいだけだろ?」
 理解が出来ない久樹が首を振る。他の全員も同じ気持ちだった。
『二つの世界は隣り合うけど、溶けたわけじゃない。越えるには門がいる』
「──門? その辺にある門とは違うんだよな?」
 助けを求めて久樹は舞を見た。
『まあ、皆さまはいつも世界を越えておりましてよ?』
「いつも!? そんな凄いことしてないぞ、なあ爽子」
「うん。だって世界を越えるのよ?」
 二人だけでなく、全員が混乱しきりのようなので舞は笑った。
『鳥居をくぐると、なにかが変わったと思われませぬか? 例えば空気が違うとか、すがすがしい気持ちになるとか、緑の匂いが濃くなるとか』
「それならあるな」
『鳥居をくぐった先は神域です。校門を過ぎた先は学園。自宅の扉を抜ければ帰る場所に。扉もまた門です、そうやって門とは世界を越えるものですよ』
「だとしたら舞、あっちとこっちを隔てる門があるっていうのか? そんな大事なもの見てないな」
『門と認識が出来なかった、そういうことでありましょう』
 朱の隈取で彩られた瞼を伏せ、舞は扇で天を示した。
『皆さまは御覧になりませんでしたの? 五つの柱を結ぶ光が描いた五芒星が最後に生み出したものを』
「智帆たちから奪った力で、まるでもう一つの太陽が……って、まさか?」
『そうです。あの光こそが、皆さまだけをこちらに戻した、彼方と此方を隔てる門なのです』
 門で想像できる規模ではなくて返す言葉が見つからない。最初に立ち直ったのは最年長の丹羽だった。
「寄り辺を配置するだけでは足りないことは理解した。だが彼らの力を奪って構成された門の対がこちらに必要と言われてもな」
 丹羽の困惑した言葉に、里奈が声を上げた。
「北条さんたちは彼らの力を持ってます。それで作るのはどうですか?」
『門を作ることは可能でしょう、けれどその方法に賛同は出来ませんわ』
 珍しく焦りを表に出して舞が首を振る。
「同意見だ。本田くん、ここにあるのは残量が不明で補充を受けられないエネルギーだ。いわば使いきりだな。世界を繋いで底をつく可能性もある。温存してもどれくらい世界を繋いでいられるのやら」
「それって時間制限があるってことになりますよ! だから効率を気にされていたんですね!?」
「当然だろう」
「もっと早くにおっしゃって下さい教授、緊急の共有が必要なんですから!!」
 慌てだした里奈に「まさか気づいてないとは」と小声で呟き、やれやれと首をふった。
「打つ手の用意はあるのだろう? その為に彼の復活と、寄り辺となる五人が此処に居る必要があったのだろうし」
「──へ?」
 タイムリミットに浮足立った全員が、丹羽が舞たちにかけた言葉に固まった。
『ええ、もちろんですわ』
 舞は澄まして答えて、扇でそっと広げる。
 ひらり、と桜の花びらがこぼれた。
『わたくしが形を取り戻したのは、この学園を襲った最初の異変の直後でしたの。人々が別の世界へ移動させられていく、それを防ぎたくはありましたけれど』
 はらり、桜の花びらがまたこぼれる。
『わたくしに出来たのは、ある一部の空間を移動から切り離すことだけでした』
 ひらり、はらり、桜の花びらがあふれて、それが誘うように漣の手のひらへと舞い降りた。
『……菊乃ちゃんを助けたいって思ったから、答えてくれたんだ。形を得たのは移動し終えた世界だったけど、向こうの正門に綺麗なものがキラキラしてるのが見えたんだ』
 はっとして久樹の腕を爽子がつかむ。
「それって静夜くんが置いていた!?」
 どこまでも青く澄んだ、美しい宝石のようなものを置いた静夜を覚えている。
「場所との絆で、こっちに戻るための栞っていったよな。世界を越えたのに見えたのは、漣が水の眷属になったからか?」
『きっとそうだと思う。あれがあったから、力を封じた携帯電話を、こっちに帰される僕らに便乗する結界が出来たんだと思う』
「最初から戻るために必要だって言ってたんだった、静夜……」
 帰り道の確保をしていたのだ、ちゃんと。
 それから、と漣が続ける。
『切り離された空間が迷子になってて、きらきらしたものがそれを呼んでるって思ったよ。だから送らないとって思った』
 水の力で空間を包んで、キラキラしたものが呼んで作られた道へと押し出した。
『こんなことが出来たのは、送り出したものが、小さな門で区切られた別の世界を造っていたからだよ』
『──ええ。長い年月、何も聞かないけれど受け止めて、逃げ込める場所であろうとした。だから作られた世界でしたね』
 心当たりはおありでしょう?と舞が囁く。
 季節を巡る度に起きたすべてに触れていながら、異能力について聞いてきたことはただの一度もない人物が居る。
 無関心だったのではない。むしろ一番に寄り添い、朗らかに笑っているから安心が出来て、必要とする手助けは有り余るほどに与えてくれた。
「康太先生……」
 名を呼んだのは久樹と爽子だけではない。
 立花姉妹と高校生たち、そして里奈や丹羽までが白鳳学園統括保険医であり双子の叔父である大江康太を呼んだ。
 名前を与えられて、漣の形が強くなったように。
 名前を呼ぶことを許されて、舞がさらに優しくなったように。
 世界がここにあるべき存在を思い出して、絆によってつなぎ止められたまま迷子になっていた形を呼び戻していく。
 りぃん、と、鈴の音が響いた。
 静夜が強い結界を織りなすときに響かせていた音を、合わせて吹いた柔らかい風が拡散して、清浄な空気が室内を満たした。
「──おやあ?」
 呑気で朗らかな声が響く。
 統括保健室に置かれた机に向かって、マグカップを持ったまま康太が座っていた。
 彼はぐるりと周囲を見渡して、職場である保健室に集まった大人数と、注目されていることに驚いたのか首をかしげる。
 いったんどんな反応をするんだろう?と誰もが思って沈黙が続いた。全員がまんじりとせずにいるなか、康太が手にしていたカップに口を付ける。
「うえ」
 とても悲しい声を上げて、カップを机に置いた。
「大江先生、どうしたんですか?」
 思わず幸恵が尋ねると「あつあつの美味しいココアだったのに、飲めないまま冷めちゃったのが切なくて」とのんびり答えて立ち上がる。
「なんだかくらっとしたなあ。まるでずっと動かずに固まっていたみたいだよ」
 白鳳学園に異変が起きた時に舞が切り離せた空間はごく小さく、中にいた康太は身動き一つとれない状態だったようだ。
「大江先生、実は大変なことが起きたんですよ。ココアが冷めてしまったのも、時間が経過しているからなんです」
 統括保険医なら学生課の仕事だと張り切った里奈の説明に「そうですか」と答えて携帯を取り出した。
「よし完了。本田さん、遅れましたが安否確認を入れました。村上先生にも返信しておいたので捜索は打ち切りでお願いします」
「はい。……さりげなく冷静ですね大江先生」
「うちの甥っ子と友人たちは優秀なので、自慢の大人で居続ける努力は怠らないんですよ。おやあ? なんだか高校生たちに目をそらされた気がするけど、それはさておき」
 自慢というよりただの癒し系と思っていた桜たちの視線が逃げるのを見逃して、背伸びを一つする。それから康太は鍵を取り出して、キャビネットを開けてごそごそとし始めた。
「はい」と久樹が挙手をし「どうぞ」と康太が返す。
「なにしてるのかと、俺たちが何をしようとしているか分かってるのか聞いていいですか?」
「うーん、そうだねえ。久樹くんがしーちゃんたちを迎えに行こうとしているってことかな。今はみんなエネルギー切れみたいに見えるから対策をたててるよ」
「──康太先生、あいつら全員が見えているんですか!?」
「そんなに驚くことなのかな? すごい乱視になった気分だよ、全部が二重写しで酔いそうだ。太陽が三つもあるから、眩しすぎるし」
 のんびりと語りながらも、康太はてきぱきとキャビネットから物を出しては机に置く。
 スポーツドリンクにジェル状飲料、サプリに個包装のようかん、ブドウ糖にハチミツの飴にクッキーにチョコレートと、すぐに栄養と水分が補給できそうなものが並ぶ。
「なるほど。本田君、運動部が利用している斜め掛けのカバンがあっただろう。サコッシュとかいったか? ウェストポーチでもいい、人数分いる」
「迎えに行くときに持っていくんですか?」
「短期決戦に持ち込むなら、あちらで救出をした端から戦力になって貰う必要があるだろう。だからエネルギー切れ対策の意味だろうと、どうですか大江先生」
「そうですそうです。あの不思議な力とやらはエネルギーを大量消費するらしく、やたらと食べて補給するんですよねえ。ただ問題はしーちゃ……いえ静夜くんは」
「いやもう、呼び方など気にせんでよかろう」
「しーちゃんは状況かまわず眠ってしまうんですよ。知っているよね久樹くん、爽子ちゃん」
「たしかに毎回のように気を失ってました。あいつ軽いから運ぶ苦労はなかったですけど」
「体重の話は禁止です!」
 大人しくしていた梓がまた主張をした。
 少女の真剣な眼差しに、雄夜に背負われた時に、微妙なことを言われたのかもしれないと思い至る。
「繊細な話だったんだな、ごめんな……」
「謝られるのはもっと辛い……。桜、お互いに気にしないでおこうね!」
「静夜くんってもしかして私より……?」
 いきなり水をむけられた桜も動揺する。
「ほらほら、そこまでだよ。無理ばっかりするから、生き残りたい脳が反乱を起こすんだろうね。動きを止める為にしーちゃんの意識を強制で落とすと。まるで脳と意思の最終決戦だよ、頑張りやさんもすぎると困るよね」
 いきなり本人の許可なしに開示された情報に、会話に入れずにいた亮がぎょっとする。
「そんなのことを俺たちが聞いたってばれたら、あとでプライベートなことを知られてたって静夜に呪われませんか!?」
「ああ、怒るかもだ!」
「否定してー!」
「だって申し送りしておかなかったら、そのまま起きるのを待っちゃうだろ? それだと手遅れになっちゃうからね」
「手遅れ──?」

 
 
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