[最終話 閉鎖領域]

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ヒトと贄 No.02


 梓の情報から、雄夜が光に囚われる寸前で、静夜が水の眷属である蒼花を強引に帰還させて封印し、片割れの力が奪われ尽くすのを防いだと思われる。おかげで次のターゲットは静夜になったが、光は連続で智帆を襲わなかった。
 二人は最大限に時間を利用したはずだ。
 異能力で携帯電話を使ったのは、亮たちに印象づけるため。そして智帆の消失を久樹と爽子に当事者として体験させることで、失いたくないと叫ぶ激情で互いを強く繋げる手段とする為だったはず。
 あらゆる手で残され補強された絆を利用して、世界を繋げる鍵となる智帆の携帯電話は、静夜の水の結界に守られてこちらに渡ってきたのだ。
『あいつらにとっての最大の問題は巧と将斗だったと思う。先に消滅したから、智帆の携帯電話に二人の異能力を封じれなかっただろ。絆も足りてない、だから俺が携帯に触れたら、巧と将斗との絆を強固にする仕掛けを残したんじゃないかな』
「ねえ、それなら。菊乃が将斗くんが消えた場所にいけば、同じように仕掛けが発動して、消えたときの記録が見れるってことになるよね?」
『だろうな。違うか、絶対にそうだ』
「私、菊乃と一緒に将斗くんが消えた場所に行ってくる」
 また後でねと言って携帯を切り、幸恵は菊乃に向き直った。
 妹は目に強さをたたえて、屋上を見上げている。
「お姉ちゃん、屋上だよ。いこう!」
 菊乃は姉を先導して走り出した。 ごく普通の学び舎に戻った廊下と階段を、菊乃が漣に守られて走ったのは少し前のことなのに、とても遠く感じてしまう。
「絶対に菊乃が、将斗くんが帰ってくるための道を、守ってみせるんだから」
 教師たちに見つからないようにしながら最後の階段を駆け上がり、屋上に続くドアのノブを回した。
 光が差し込んできた。
 それはひどく強い太陽の光で、将斗が名前を呼びながら姿を現した瞬間に見えたものに似ていると思う。まぶしすぎてすべてが真っ白になる中、菊乃は将斗が見えた気がして名を呼んだ。
 離れた場所で、久樹が持っている智帆の携帯電話が再び反応を示した。
 現実と二重写しとなって、菊乃が見つめる過去の記録が再現を始める。
 将斗が走っていた。
 巧の記録で見た、別行動をとった直後の光景かもしれない。
 彼は眉根を寄せて「またかよ!」と苛立った声をあげていた。
 少年がようようたどり着いた階段は炎の形をした邪気に埋められている。炎の一つずつは綿菓子に似ていて、それほど大きくはないし、延焼も煙も起こさぬ性質なのは助かるが数が多すぎた。
 将斗の異能力は光だ。
 光ある場所のことであれば距離に関係なく見ることができるので、索敵能力に富んでいる。初等部六年生になったばかりの頃は、大事な人が危険に陥ったときにだけ発動するものだったが、四度の異変をこえた今はそれなりに使いこなせるようになっていた。
 頭脳役である秦智帆や大江静夜に重宝がられるが、攻撃能力で劣っているのが将斗の悩みだ。
「せっかくさー、連発は無理でも雷を呼べるようになったってのに! 炎が相手じゃ意味ないじゃんかー。んあー雄夜兄ちゃんはズルいな!」
 いきなりの逆恨みで盛り上がりながら、将斗は来た道を少し戻って、炎の形をした邪気に巣くわれていない男子トイレに駆けこんだ。
 手を窓枠に近づけて、熱くないことを確認してからソレを開ける。
「あー、学校でこんなコトすんなんて思わなかったよなー。もー、ホンットに雄夜兄ちゃんはズルすぎ!」
 いたらぽかすか叩いてやったのに! と続けながら、将斗は窓枠に両手をおいて身体を持ち上げた。独り言が多いのは、将斗が巧よりもうんと寂しがり屋で一人行動が苦手だったりするからだ。それでも足を窓枠にかけて登り、校舎の外壁にある出っ張りを利用して一つ上の階を目指す。
 窓に鍵がかかっていたら、雷で破壊してしまうつもりだったが、上階の窓は開いていた。下と同じく邪気の気配はなく、もしかしてトイレは嫌いなんかなと将斗は思う。
 するりと窓から身体を滑らせ、軽やかにタイルの床に着地する。
「雄夜兄ちゃんのズルいとこー! 一、あんなに可愛い朱花たちが式神なのがズルイ。二、どんな相手が来ても対応可能なのがズルイー!」
 ズルいというか羨ましいことを上げながら、将斗は廊下の様子を伺ってトイレから顔を出す。狙いすましたように、左側から勢いよく炎の玉が襲いかかってきた。
「うわっ」
 身体を低くして廊下を転がった。すぐに右手で強く床を押して上体を立て直し、床を蹴って走りだす。
「なんだよー、どこもかしこも炎だらけー! ホント、蒼花とか来てくんないかなー」
 最年少である自分たちに危険が及ばないようにと、兄貴分である高等部の生徒たちがいつも気遣ってくれているのを将斗は知っている。
 いつもはそんな子供扱いしなくても大丈夫なのになーともどかしく思うくらいだが、今だけは甘やかせて欲しいところだった。
 なんとかもう一つの階段にたどり着き、将斗は最悪の事態にほぞを噛む。
「ここもダメなのかよ!」
 炎の形をした邪気が、階段にひしめいている。ここから先に行かせないというように。
 奥歯を音がするほどに噛みしめて、将斗は窓に駆けよった。さっきのように外壁を登れないか、そんな思いでいっぱいだった。
 唐突に炎の熱が消えた。
「──え?」
 そんな都合のいいことがあるもんか、と振り向いて将斗はぽかんとする。たしかに炎はなくなっていて、将斗は首をかしげた。
「えーっ。あ、久樹兄ちゃんか?」
 静夜の水の結界が発動した気配も、雄夜の炎の朱花や水の蒼花がきた様子もない。あるのはどこか不遜な気配の異能力の残滓だ。
 あの冬に起きた事件を最後に、斎藤爽子は織田久樹の能力を封印しなくなった。
「んーさすが生粋の炎、とんでもない破壊力。智帆兄ちゃんたちはわざと伝えないって言ってたけど。あれで最強なんだよなー、あの顔であの性格だから似合わないけどー」
 同属性であれば、邪気を支配下におくことはまあ可能だろう。けれど支配するのではなく、破壊しつくすことは出来ない。
「爽子姉ちゃんはなんでずーっと久樹兄ちゃんの能力を封じてたのかなーて思ってたけど、ありだったかも。あり。コントロール出来ないときに暴走とかしてたら、うわー、それ夏の時の雄夜兄ちゃんの以上に怖すぎー」
 封じるとか封じられるとか、ちょっと面倒って思っててごめんーと心の中で謝ってから、気を取り直して将斗は静けさを取り戻した階段を見上げた。
「とりあえず、ありがとな久樹兄ちゃん!」
 届きはしないけれど律儀に礼を言って、将斗は階段を駆けあがった。
 炎のせいで近寄れもしなかった場所を走れるようになったので、最短距離で屋上を目指す。菊乃が逃げていたのと同じルートで、他と違って火災の被害が激しいことに将斗の胸は心配でいっぱいになる。
「菊乃、もう少しだから。無事でいてくれよー!」
 祈るように声をだした瞬間、将斗は唐突に耳をつんざく轟音に足を止めた。
「な、なんだよー!?」
 びりびりと校舎を震わすほどの音が近い。
 窓枠がとけてガラスを失った空洞から、太陽とは異なる強烈な光が差し込んでくる。光を能力とする将斗だからこそ、ソレにおぞましさを覚えて身体が震えた。
 窓だった場所から身体を乗り出し、将斗はすぐ近くにそびえたった光の柱を見た。
 前触れなんてなにもない、けれど涙があふれ将斗は拳を握る。
「巧……?」
 見えているわけではないのに、理解してしまった。
「畜生っ!」
 涙を振り払い、将斗は激情を振り切って走り出す。
 ――どんな時でも、菊乃ちゃんを選べよ。
 巧はそう言って。
 ――俺は大丈夫だからさ。
 笑ったのに。
「嘘だ嘘だ、巧がこんなに簡単に俺をおいていくわけないんだ! なのに、なんで、分かっちゃうんだよ!! 俺のバカー!」
 憤りのあまりに叫び、それでも足は止めずに屋上を目指す。
「菊乃を助けたら、すぐに助けにいくから! 巧!」
 叫びながら走る将斗の視界が、めまぐるしく変化する。
 火災の被害がひどく激しいと思ったら、次には平穏な炎鳳館が出てくる。その次にはまた荒れた校舎、変わり続けて埒があかない。
「炎鳳館が一つじゃなくなって、冬の時みたいに別の空間もあるってことかー?」
 他の生徒や教師の姿がないのも、閉鎖領域の中に複数の空間があって、それぞれ別に閉じ込められているのかもしれない。だから状況を確認した時に、見通せなかった場所があったのかも。
「あー、もー、無理! 俺に難しいコトなんて考えさせないでよー! 熱でる、熱ー!」
 吠えながらも、とにかく菊乃のいる屋上に続く空間を見つけなければならない。一旦足を止め、将斗は力に意識を集中させた。
 ゆっくりと光の範囲を広げていく。
 意識的に見ないようにしている光の柱がそびえ立ってから、邪気も再び生まれてうごめき始めて時間がない。ぼんやりとだが、改めて見つけたルートを、光でもって今の空間に固定した。
 ようやく屋上の扉が見える踊り場にたどり着く。ここまで来てようやく、能力で見通した時に気づけなかったものを見つけた。
 あまりに静かで、恐ろしいほどに禍々しい赤が存在していた。
「な、んだよ、コレ」
 建物にだって寿命はあり、命に似たものを持つと静夜が言ったのを思い出す。それを失ったら、壊れるだけになるとも。
 踊り場から屋上への階段は、不吉な赤い蔦にびっしり埋め尽くされ、浅黒く濁っていた。まるで生気を奪われたかのように、ポロポロと崩れ出している箇所もある。
「こいつって」
 ──この赤い蔦は邪気だ。
 校舎の破壊だけでなく、扉の先に獲物を見つけて、ゆっくりと蔦を伸ばして、捕らえようとしている。
 怒りが腹の底から湧き上がってきた。
 名前を呼んできて笑う顔や、泣きじゃくりながらも大丈夫だよと励ましてくれた声、なにより繋ぐ手のぬくもりが思い出されて、悔しくてたまらない。
 これは間違いなく菊乃を狙っているのだ。
 将斗にとっての特別な少女を、ただの獲物とみて狙っている!
「ふざっけんなぁ!」
 叫ぶと同時にありったけの光を集めて、瞳が一気に熱くなるのも感じながら、雷を招来し叩きつけた。
 蔦が消し飛ぶ。
 消し炭になったそれらを払いのけて、将斗は最後の距離を詰めるべく駆けのぼる。
 蛍のような淡い光が、将斗に集まってくる。
 足を踏み出す度、それは増殖する。ノブに伸ばした手が光をまとって、おかしさに気付いたが、はやる気持ちのまま扉を開けた。
「菊乃!」
 叫んだ声が届いたのかは分からない。
 菊乃がすぐに振りかえって、大きな目を輝かせたから、存在を知らせることは出来たと思う。けれど将斗の耳は、あれほど聞きたかった菊乃の声を受け取れなかった。
 圧倒するのは天から落ちてきた光と轟音。
 将斗の光を圧倒するほどの、膨大な質量のソレが瀑布となって落ちてくる。
 急速に白濁する意識をなんとか食い止めて、菊乃の無事を確認したいのに、わからない。かろうじて感じたのは、扉から力の塊のようなものが飛び出してきたことだった。
 それが久樹と爽子だと思ったから、願いを一つだけ叫ぶ。
「お願い、菊乃を!!」
 声を振り絞ったのを最後に、将斗の意識は途切れた。
「将斗くん!!」
 過去の記録の再現が終わり、菊乃はしゃがんで将斗が消失した場所に手を置いた。最後まで気にかけてくれていたことが切なくて、願いを抱きしめて床をなでる。
 幸恵もしゃがんで、茜色を宿す妹と目を合わせる。
 巧の橙と、将斗の茜。戻る場所を失っていた二つの異能力が、この世界で存在を取り戻す。
 光の柱にとらわれた巧をみたように、菊乃も将斗の現状を鏡でとらえるのではないかと思い、幸恵は鏡を取り出した。
 光の柱が幸恵には見える、けれど菊乃には何も見えなくて首を振った。
「将斗くん……どこなの……?」
 しょんぼりとする妹にかけようとした言葉をとめ、鳴りだした携帯電話を取りだす。
『サチ、菊乃ちゃんは大丈夫か? それに将斗の力は……』
「将斗くんの茜色ね、すごく綺麗だよ」
『そっか、良かった。それで、将斗は鏡に映っているのか?』
「見えないって。ただね、私が見ても巧くんの姿が映ってくれないの。光の柱はあるのに。それけじゃなくて、景色も違ってるみたいで」
『違う……?』
 久樹が考えこみ、周囲がまたなにかを言っている。
「そうか! 鏡を持ったまま、ゆっくり回ってみてくれ」
『わかった』
 要求されるまま、鏡を覗いて回転をしてみる。途中で「あ!!」と声をあげた。
「お姉ちゃん?」
「菊乃、私があっちを向くと、光の柱が映らなくなるの。久くん、そういうことなのね? 鏡に映っているのは、私が見ている同じ場所の、あちらの世界!」
 姉の言葉に菊乃は目を見張り、将斗が消えた時に生まれた光の柱、共同施設の白鳳館の方角に向き直った。
 震える手で鏡を目の高さにして「見えた!」と声を上げる。
「白鳳館のところに光の柱が見えるよ! ねえ、お姉ちゃんにも見える?」
「私には見えないわ、これって……」
 どう考えていいの分からなくて混乱する。それでも自分だけが見えるという現実が、命綱を握っていると思わせてくれた。
『合流しよう。とにかく分かってることを共有して、それから菊乃ちゃんが将斗の居場所をみつけられるか確かめたい。白鳳館の統括保健室で落ち合おう』
「分かった。私たちの方が距離があるから、待ってて」
 幸恵が電話を終わらせ、繋がりが切れる。
 音を伝えてこなくなった携帯電話を、久樹はしばらくじっと見つめた。
「久樹、どうしたの? 行かないの?」
「今更なんだけどな、携帯電話ってすごいよなあって」
「え?」
 爽子だけでなく、白梅館から出ようとしていた高校生たちもぽかんとする。
「遠くにいても声が聞こえて、繋がることが出来る。智帆の携帯は学園から持たされてるやつだから、ある意味で白鳳学園との繋がりもある。絆を証明するのに一番だよな。だから使ったんだろうけど、智帆はそれを持ってない状態なんだなって」
「──早く、返したいね」
「返す前にロックとか解除して秘密を覗きたいトコだけどな」
 わざと明るく言って、久樹は笑って見せた。
「殺されますよ」
 肩をすくめた亮に冷静に返される。
「ハイリスクなのにリターンは少ないだろうしなあ。どうせあれだろ、緑子さんの写真ばっかりじゃないかと」
「あのカメか! カメかぁ。智帆が入院している間、どうしてたんだ?」
「そりゃ俺が命がけで預かってましたよ。それが大変で、智帆じゃないからって隠れて出てこないし。今は智帆が居候してる新婚夫妻の家が預かってくれるから助かった」
「新婚夫婦の家に居る……待てよ、それってまさか康太先生か!?」
 居場所も分からず、連絡も取れず、縋るような思いで康太に連絡をいれたことが何度もある。
「あれ、知らなかったんだ?」
 亮が確実に優越感を漂わせて、にやにやとしてきた。
「俺たち以外とは連絡とりあってたのは知ってたぞ、でもな。……まさか新婚夫婦の新居にいるとは思わないだろー!?」
 なあ爽子と同意を求めると、激しくうなずく。
「甥っ子である静夜くんたちを本当に可愛がっているから、家に来たらって持ちかけるのは想定内だったの。でも智帆くんたちが同意するなんて思わなかったわ!」
「実家に戻ればいいからって、実際に抵抗はしたって言ってましたよ。雄夜と初等部の二人は実家と祖母宅だったし。ただ静夜と智帆は、康太先生と町子先生に捕まって却下と」
「そう、だったんだ……」
 妙に大学生二人が切なそうにするので、少々高校生たちは焦る。
「ええっと、わたしは一分でも早く雄夜くんに再会したいので、白鳳館に行くことにしませ……って、きゃあ!」
 いきなり梓が悲鳴を上げて、緊張を取り戻した久樹がハッと顔を上げた。
「どうした!?」
「い、いいいい、いま、か、鏡にッ!」
「鏡? もしかして雄夜が見えたのか!?」
「え、雄夜くん!? 雄夜くんどこですか!?」
 悲鳴を上げた当人のくせに、それを忘れて久樹に食らいつく梓に、桜は首を振った。
「この状況でも、ぶれない梓って大物だと思うの」
「いやー、まあ秋山だしなあ。空気読めないといえば秋山、余分な一言でどん底に突き落とす。一言すらない雄夜とならバランスとれまくりだ」
「褒めてないでしょう、宇都宮」
「褒めてない。秋山は顔は可愛いけど、俺だったら無理」
「宇都宮も一言多くなってるよ。それにしても鏡って……ああ!」
「どしたよ相棒──お!?」
 梓が見ていた鏡を見やって、二人は互いに頷きあい「久樹さん!」と呼ぶ。
「な、なんだ!?」
 驚いた久樹は、二人に示されるまま鏡を見やって「ん?」と首を傾げた。
 鏡に特に異常はない。
 けれど梓だけでなく、桜と亮までなにかを見たようなので、久樹は鏡に近づく。
 当たり前のように爽子も続き、彼の背に手を置いた。
「あの二人って仲が進展してたんだな。しかしごく自然に見せ付けてくるなぁ」
「私も雄夜くんの背中に手をおいたことあるんだから。背負って貰ってね、かっこよかったんだよ。雄夜くんって見た目通り背中が大きくてね!」
「どうどう、秋山。雄夜を取り戻したら思う存分、飛びつけよ」
「犬じゃないんだから! あれ、でも雄夜くんに飛びつく? 飛びついたら、受け止めて──うん、抱き留めて貰えたりするかも!? きゃあ、桜どうしよう!!」
「宇都宮、梓をあおらないで! とにかく、ねえあの鏡にさっき映ったのって」
 一瞬だが、確かに見たのだ。


 
 
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