[最終話 閉鎖領域]

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ヒトと贄 No.01


 川中将斗は大声をあげると共に、身体をねじることで久樹の手を振り払って走り出した。中島巧もそれに習って続く。
 ――今の久樹と爽子なら、正門にある危機を放置はしない。そう思えて安心できた。
「将斗!」
 名前を呼ばれて、併走となった従兄弟を見た。
 学園に戻ると決めた時から、巧は子供らしさの象徴のようだったお気に入りの帽子をかぶるのをやめた。喋り方も少し大人っぽくなったと思う。
 双子のように生きて来たのに巧が他人に見える。一足先に大人になっていく従兄弟に、置いていかれる寂しさから来ているのかもしれなかった。
「俺さー」
 炎鳳館の校門にたどり着いて、将斗はきゅっと眉を寄せた。伝えておかなくてはならない言葉があると突然に思ったのだ。
「巧のこと大好きだよ」
「へ!?」
 思いがけない言葉に、巧がたたらを踏んで立ち止まる。
 急がねばならないのだが、将斗も足を止めた。
 ずっと一緒に生きてきて、それが崩れると疑ったこともない。だから互いに告げずに生きてきたのだ。
 ――二人だったから、一緒だったから、ここまで笑って生きてこられたなんて。
「もしかしたらさ、俺たちなんかとんでもない選択とかしなくちゃいけないかもしれないだろー?」
 将斗は眼鏡のブリッジの下を、親指と人差し指でぎゅっと押さえ、こみ上げてくるものを抑えた。
「将斗、選択ってなんだ?」
「……菊乃と、巧が、両方危なくなったらどうすればいんだろって話しー」
 将斗はそれだけ言って、唇を真一文字に引き結ぶ。
 巧がぽかんとして、それからやわらかく笑って見せた。
 それを見て、将斗は胸が締め付けられるようだった。
 巧はいつから、こんなに静かな対応をするようになったのだろう。これでは智帆や静夜のようだ、なにもかもを受け止めて笑うなんて。
 同じ時間を生きてきたのに、差をつけられてしまったことが悲しい。ずっと対等でいられないのは悔しい。
「俺だけがさ」
 子供のままだよなーと、続けようとした将斗の頭を、巧が軽くたたいた。
「なんだよ、ズルイよな将斗は」
「ズルイってなんだよー」
 無意識にうつむいた顔を上げて、巧の表情を真っ直ぐにとらえる。
 将斗の大事な従兄弟は寂しそうな表情をしていて、だから驚いて「巧?」と呼んだ。
「だってズルイだろ、将斗だけ俺をおいてかっこよくなってんだもん」
「ズルくない。第一、ソレって巧のことだろー。俺のことおいて、どんどん大人になってく」
「大人になんてなれてないよ。子供なりに出来ることをやってみるだけだって」
「でも巧は」
 反論しかけると、笑ったまま従兄弟は近づいてきて、もっと小さい頃によくしていたように額に額をコツンとつけてきた。
 自分たちの親が、自分たちに怯えていた頃、俺たちは大丈夫だと互いに言い聞かせあっていた時にやっていた。
 ――こうしていると、鼓動さえもが同じリズムを刻みだす気がして、安心するのだ。
「大人って、ちゃんと自分で選んで決めれるやつのことなんだ」
「……そんなんさー、年齢的に大人でも出来ないのいるんじゃないかー」
「うん。でも、将斗はしたんだろ?」
「なにを」
「決めたから、苦しいんだろ?」
 いつものように子供っぽく笑って、巧は額を離して真っ直ぐ正面に立つ。
「将斗はどんなときでも菊乃ちゃんを選べよ。俺は大丈夫だって」
「なんだよー。巧はさー、昔から俺のことを甘やかしすぎなんだよー!」
「そんなん人のこと言えるかって。将斗だって俺のことを甘やかしすぎ」
 二人同時に笑い出して、同時に真剣な表情になった。
「絶対に助けだそうな、将斗」
「菊乃を助けるのは俺の役目だしー、だろ?」
「そうそう。……炎鳳館ではなにがあるかわかんないしな。そうだ」
「ん?」
 首をかしげた将斗を引き寄せて、巧はいいこと思いついたとばかりにニッとする。
「今のうちに内部を探っとかねえ?」
「この位置から? んー、俺さー、ピンチの時だったら距離に関係なく察知できるけど、そうじゃない時は難しいんだよなー」
「静夜にぃたちみたいには完璧には出来ないだろうけどさ、俺ら二人でだって能力の補助は出来るだろ?」
「あー、そっか。よし、じゃあ巧」
 力を貸して、といって将斗は巧の手を取る。
 巧の宿す大地の力と将斗の宿す光の力がおだやかに同調を始め、炎鳳館の内部が再現され始めた。
 炎の感覚、邪気と思われる塊、それらのおおよその位置がわかるが、流石に二人ではクリアな映像への変換は出来なかった。
「なんか人がいなくないかー?」
「沢山の人がいたっぽいけど、見つかんないなあ」
「そうそうー、ついさっきまでは居た、みたいなー。あ!」
 将斗の驚きの声に、巧も肯く。
「なんか炎に追いかけられて屋上にむかってる子がいるよな? ……それになんだろ、静夜にぃと似た感じの力が側にいるぞ?」
「力の方はわかんないー、でも、逃げてるのは菊乃だ!」
 慌てて索敵を解除しかけた将斗を巧が止めた。
「待て! 裏門の方にも気配があるんだ。弱いけど、これってもしかしたら」
 入院中、なにかと巧を気にかけてくれた立花幸恵のような気がした。
 将斗が眉を寄せ、巧も異能力の行使を補助しようと意識を澄ませたが、同時に息をつく。
「ダメだー、はっきりは分かんないよ。あー」
 手を離して、将斗は額を抑えて呻いた。
「炎鳳館の邪気が、すっごい邪魔してくるせいだ」
 同じように頭を抑えて、巧は首を振る。
「わからないものはしょうがない。今のとこ、屋上に向かうのが菊乃ちゃん、裏門に幸恵さんがいるって考えよう」
「あー、うん」
「菊乃ちゃんが心配でここに来て、邪気に捕まったんかな?」
 巧は首を傾げた。
 菊乃も幸恵も助けなければならない。
 共に思いつめるような表情になって、互いを見つめあった。
「やっぱ、方法って一つかなー?」
「別行動?」
「うん」
 ホントはヤなんだけどさーと将斗がぼやく。
「あのさ、幸恵姉ちゃんは菊乃の大切なお姉さんなんだ」
「なんだよ、分かりきったこと言って?」
「いいから聞いてくれよー。あのさ、俺は両方を助けたいんだよ。だから別行動するしかないって思うけどさーそれって危険が増えるってことだろ? 巧にそうしろってのは、俺のワガママだ。ゴメン」
 巧は神妙な顔をする従兄弟を見て頭をかく。
「べ、別にそんなん謝るコトないし。俺だって幸恵さんを助けたいだけだよ」
「わかってるよー」
「なんか距離感じるからさあ、そういうのはやめようぜ」
「うん。なー、巧」
「今度はなんだよ」
「結構どーでもいい感じのことー」
「はあ?」
 変なヤツとすねる巧の前で、ニヤッとする。
「いや、巧って幸恵ねぇって呼んでたのにさー。いつから幸恵さんになったんだよー?」
「へ? そんなこと?」
 そういやいつからだっけ、と巧が考え込む。
「……そうだ、わざわざ俺の見舞いに来てくれたときに」
『巧くんが嫌じゃなかったら、なにか作って持ってこようと思うの。ねえ、食べたいものとかないかな?』
 幸恵がふわりと笑いながら尋ねてくるので、巧は「わざわざ幸恵ねぇが作ってくれんの?」と答えたのだ。
 そしたら幸恵が珍しく微妙な表情になって、内緒話でもするかのように声を落として言ったのだ。
『ねえ、巧くん。お願いがあるの。わたし、巧くんとはちゃんとした友達になりたいの。菊乃の姉だからこうしてるんじゃなくて、友達だからここにいるって思ってるのね』
 一度言葉を切って、幸恵は笑った。
「だから普通に幸恵って呼んで。姉さんはいらない』
 幸恵らしい優しい潔さで言われて、巧はびっくりして肯いたのを覚えている。
「幸恵さんがさ、俺とは友達なんだから普通に呼んでって言ってくれたんだよ」
「へえ、そうなんだ。なんだ、てっきり巧に心境の変化があったのかと思ったー」
「なんだよ、それ」
「巧の趣味はどこまでも年上の女性なのかと思ってさー」
 けらけらと笑って、直後に将斗は真剣な色を眼差しに宿す。
「巧、幸恵姉ちゃんは頼んだ」
「分かってる。この門を抜けたら、もう別行動だな?」
「うん。真っ直ぐに、目的の相手を目指すのが最短距離だと思うからさー。あ、冬の時みたいに異能力を全開しすぎてイザって時に使えないコトにならないように!」
「すぐに使えなくなったの、将斗と雄夜にぃだけだったろ」
「それ言わない、巧! とにかく全力は控えて、セーブ路線でー」
「わかった」
 答えて、巧は身体を炎鳳館へと向けた。
「じゃあ、またな、将斗!」
「うん!」
 二人、もうためらいはなかった。
 中島巧は川中将斗が昇降口から炎鳳館内部へと入ったのを確認し、建物沿いに走る。途中の窓から内部をみると、炎の形をしてゆらゆらと動く複数の邪気が見えた。
「燃えてないんだな」
 久樹の炎と同じように、物質を燃やすか燃やさないかを自由に選べるようだった。
 織田久樹の能力をトリガーに爆発的に広まった邪気だ、炎の属性を持つのは当然かもしれない。
「こんな数の相手なんて出来ないぞ。静かでいるのはありがたいけど、なんでた?」
 巧が近づいているのに、邪気が静かなままなのも無気味だ。
「なんか狙ってんのかなあ? でもなあ、迷ってる場合じゃないし」
 自分自身にはっぱをかけて、そのまま走り抜けて角を曲がって裏門に出た。
 肌を刺す何かを感じた。
 まるで捕食される側の動物が、こちらを捕捉した獣の視線にとらわれた時に感じる恐怖に似ている。
 じっとりと背中が濡れてくる。両足を少し開いてすぐにでも回避行動がとれるようにしながら、巧は視線を巡らせた。
 右側には炎鳳館の建物。左側には木々。正面には高等部風鳳館と初等部炎鳳館を繋ぐ道がある。
 異常は目でも耳でも確認出来ない。
 それでも感覚が危険を訴えて、肌が粟だっていく。
「どこだ?」
 目で見て、耳で聞いて、異変を察知できないのならば、現実を認識できないような空間にされている可能性がある。
 嘘の現実を結ぶ視覚をシャットアウトして、巧は自分の中の大地の力に意識を集中させて周囲をさぐった。
 吐息すら小さくして、ようやく捉えた。
 巧の肌をあわだたせるどす黒い気配と、優しくてやわらかな気配。間違いなく幸恵のものだ。
 すぐに目を開けたくなるのを抑え、巧はゆっくりと数をかぞえて落ち着かせながら、大地の異能力が及ぶ範囲を広げていく。
 最後に能力を固定させて、巧は目を開いた。
 見えたのは赤い蔦だった。
 あるはずの校舎の壁も、木々も、絡みつかれて原型は見えず、ただひたすらの赤が続いている。
 赤の中央で、赤い蔦に束縛される立花幸恵がいた。
「幸恵さん!」
 ぐったりとしているのが、考えたくない最悪の事態を連想させて巧が叫ぶように呼ぶ。
「た、くみ、くん?」
 弱いけれど、確かな返事があった。
 身体のほとんどが蔦は覆われていたが、幸恵を窒息死させる意図はなかったらしい。
「もう大丈夫だから! 待ってて」
 安心させたくて叫んで、巧は足元まで覆っている炎の蔦を強引にひきはがし、あらわれた地面に右手を付けた。
 ざわりと蔦たちが動きはじめる。幸恵にさらに危害を加えようとするのか、それとも攻撃をしかけてくるのか。
「もう、おそいよ!」
 大地の能力を解放させた。
 植物の形を取った邪気は地中に根をはっていて、それを全て潰したことではらはらと崩れていく。
 拘束からとかれた幸恵が崩れ落ち、駆け寄ろうと踏み出した巧の足がポウッと光った。
「え?」
 驚きに周囲を見渡すよりも早く。
 ──光に撃たれた。
 視界も、意識も、なにもかもが一瞬で白くなる。身体中をめぐる血液が蒸発し、かわりに光がめぐりだしたと思うほどの衝撃だった。
「な……」
 言葉が形に出来ない。自分がなにを言いたいのかも分からない。もしかしたら脳も光になってしまったのか。
「巧くん?」
 呆然とした声を、かろうじて耳が捕らえた。
 身体が光に溶けたのではないと理解し、巧はまばたきを繰り返す。
 光のせいでよく見えないが、幸恵に怪我はないようだった。ただひどく辛そうで、巧はなんとか笑ってみせる。
「無事でよかった」
 言葉が届いたのか、それは分からない。
 分かったのは、つなぎ止めていた意識の全てが更なる光に流されて、自分という全てが消える現実だった。
『将斗!』
 従兄弟をちゃんと呼べただろうか? そんな思いも光に溶かされていく。
 ソレを視る、幸恵の視界も真っ白に溶けた。
 過去に存在する幸恵と、過去の記録を目撃する現在の幸恵が、同時に少年の名を絶叫した。
 心配そうに姉を見つめていた菊乃が「お姉ちゃん!!」と慌てて呼ぶ。
 ぱちぱちと幸恵は瞬きをした。
「いまの、って?」
「お姉ちゃん、なにがあったの?」
「……巧くんが消えるまでが見えたの。それに、なんだか一緒に久くんが居たような?」
「久兄ちゃん? あ、お姉ちゃんの携帯が鳴ってるよ」
「携帯、そうか私たちは戻ってきたから使えるのね。あ、久くんからだ」
『大丈夫か、サチ』
「うん。ねえ、さっきまで私と一緒にいなかった? 此処に居なかったのは分かってるんだけど」
『サチの言うとおりだよ、一緒に居たようなもんだ。巧が消えるまでを俺も見てたんだ』
「……そうなんだ」
「巧さ、なんかもう凄いよな」
「だったら教えて、久くん。どうして巧くんは、菊乃の姉でしかない私をあんなに一生懸命に助けてくれたの。わたしは知り合い以上になった程度の友人でしかないのに」
『それを決めるのはサチじゃないだろ。巧がサチを助けたいって思った、それだけでいいんだ。なあ、そのあたりになにかないか?』
「なにかってなに?」
『光ってるかもしれないし、いやとにかく気になるものだよ』
「随分とざっくりなんだから、ええっと」
 電話をしたまま、幸恵はあらためて周囲を見てみる。
 巧が消失した場所に異変があるなら歓迎するところだが、なにもなかった。
「なにもないよ、久くん。ごめんね」
『謝ることじゃないって。そもそもなにかあったらいいなっていうのも、単なる俺たちの希望的観測って奴だし……』
「お姉ちゃん!」
『うわっ!』
 菊乃が突然にあげた声に、幸恵よりも久樹が驚いて声を上げた。
「なに、菊乃?」
「お姉ちゃんの目の色が変わってるの。すごく綺麗、キラキラしてる」
「私の目の色って?」
 思いがけない言葉に戸惑いながら、幸恵は鏡を取り出して覗きこむ。
 見慣れた黒い瞳はそこになく、燃えるような橙色が映っていた。
 幸恵を助けに駆け付けた、巧の目に宿っていた色と全く同じもの。
「久くんあったよ、気になるもの……っ!?」
 状況を伝える幸恵の声が途切れる。
 覗き込んでいた鏡の世界に、ここではないどこかにある忌まわしき光の柱が現実と重なるように映り込んだのだ。
 ──天を貫く光の柱、それにくくられて座り込む子供がいた。
 骨格の出来きっていない子供の身体が、赤い蔦に巻き付かれて自由を奪われている。それは首にも及んでいて、幸恵は息を飲んだ。
 まるで人柱だ。
 大規模建築が厄災によって破壊されぬようにと、神へと祈り生贄にされた姿に見える。
「巧くんッ!!」
 のばした指先は、鏡の硬質な感触に阻まれた。
『サチ、巧がどうしたんだ!? あとなにを見つけたのか教えてくれ!』
「私の目が巧くんの能力の色に変わっていたの。それと鏡に私たちがさっきまで居た白鳳学園が映ってて、光の柱に縛り付けられている巧くんが見えるのよ」
『巧が!! 生きていてくれてるんだよな?』
「そう思う、思いたいよ。でも生贄にされているみたいに見えるの。身体中、赤い蔦みたいなのに縛られてて、首もなのよ。きっと苦しいよ、早く助けたいっ」
『助けにいってみせるさ。そうだ今更だけど、静夜が絆だけが世界を繋げるしおりになるって言った意味って!!』
「絆?」
『今、高等部の北条さんたちと一緒にいるんだ。俺は智帆たちを失うだけだったけど、あいつらは手がかりを──いや、違うか、手がかりなんて遠まわしなものじゃなかったんだ』
 言葉を綴る久樹が、なにかの確信を得て強さを取り戻していくのが幸恵には感じられる。複数の人間の声がして、確認しあっているようだった。
『──聞いてくれ。サチの目の色が変わったのは、こっちの世界に巧が残した異能力の残滓が、サチの中に避難してきたからだと思うんだ。消失までをサチが追体験したことで、寄る辺だと認識されたというか、いや、本当は分かんないんだけどな』
「巧くんの不思議な力が私の中に避難できて、消えないですんでいるなら私もそう考えたい」
『俺らのいるこの世界と、あっちの世界の両方に、巧の力が個として存在して呼び合う形になったんだ。まさに二つの世界を繋ぎとめるアンカーが生まれたんだよ。というかあいつら凄すぎないか? あの極限状態でそこまで考えたわけだ、叶わない……』
「久くん、落ち込んでいるところ悪いんだけど、続きをお願い」
『おー。大人なのに情けないと落ち込む周期に突入してた。とにかく、智帆と静夜は対策をとってたんだよ。しかし絶望とか自己犠牲とか考えてたのバレたらあとで殺される……』
「久くんってば」
『はっ! 悪い。とにかくな、こっちで分かったことがいくつかあるんだ。智帆と静夜が今を予測してたはずってこと、それから雄夜が消える直前で、強制的に蒼花は戻されてるっぽいこと』


 
 
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