[第一話 サクラ咲く]

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No.02 秘めた力

 焼けるような痛みが走った。
 瞬間、空間に広がった新たなる赤い色。
 何かが肉の中に入り込んでくる強烈な違和感と、続けて沸き起こってきた灼熱感。
「つぅ……っ!」
 呻き声をあげる。
 刺されたと思った。
 鉄さびた匂いが鼻をつく。同時に顎の下に触れる少女の髪から、やわらかな花の香りもした。
 アンバランスだ。
 鉄錆の匂いと、花の匂いは不釣合いすぎる。
『時は全てを醜くしてしまうから』
 ――声。
「久樹っ!」
 続けて、聞きなれた声が聞こえる。
 腹にあった灼熱感が遠ざかった。緋色の肌襦袢の少女の感覚が薄くなり、変わりに額に手が添えられる。少しだけ冷たい、覚えのある感触だ。
「そ……う…こ?」
 声を出すと、視界を染めた真紅も消えた。光が瞼を焼き、まぶしさに眉をしかめる。我慢して目を開けると、ぼんやりとした幼馴染みの輪郭を捉えて、久樹は安堵した。
「爽子」
 改めて声を出す。眩しさに慣れて、辺りがはっきりと見えるようになる。様子を確認するために視線を流し、久樹は硬直した。
 側に他人の気配があった。首筋に触れる何かと、やわらかの花の香りもする。それは胸に飛び込んできた少女をリアルに思い起こさせるもので、背筋が凍った。
 おそるおそる視線を向ける。
 やわらかな印象の紅茶色がそこにあった。黒絹のようだった少女の髪ではないが、間違いなく誰かの髪の毛だ。
 久樹の首と肩の間の隙間に誰かが顔を寄せていた。色白の頬に赤みがさしている。長い睫毛が時折震え、わずかに開いた桜色の唇があどけない寝息を立てていた。
 可憐な女の子だ。
 久樹の血の気が一気に冷めた。勢い良く立ちあがり、顔を寄せていた為にのけぞった爽子の前で激しく首を振る。
「違うっ!! これは違うぞ!」
「何が違うの? それにそんなに首を振って疲れない?」
 慌てている彼に爽子は困惑する。久樹は憤慨した表情で両手を広げた。
「なにって、そりゃ焦るだろ! 爽子、この状況はなんだ! なんだって俺の隣で女の子が寝てるんだよ!」
「女の子って誰のこと?」
「決まってるだろ!」
 ベッドから転がり落ちながら、先ほどまで居た場所に視線を向ける。爽子が視線を向けたところで、笑い声と共にカーテンが引かれる音がした。
「久樹さん。それ女の子じゃないですよ。ちゃんと観察すれば分かる」
 皮肉な表情を浮かべた智帆の登場に、爽子はようやく久樹が焦っている理由を理解した。おかしくなって、口元を抑えて笑い出す。
「やだ、久樹。何を弁解してるのかと思ったら!」
 爽子は更に笑いを深める。久樹は不機嫌な顔で、置かれている現状を確かめるように視線を投げた。
 見たことのある場所だ。
 白いカーテンで区切られた空間。隣には窓がある。お腹を抑えて笑う爽子の隣には、眼鏡の少年。その奥には薬品棚がある。
「――保健室?」
「そうですよ」
 しれっと答えた智帆の顔を、久樹はもう一度確認した。ようやく満開の桜の下に座っていた少年達の片割れだったことを思い出す。
「……あ、ああ! たしか智帆、だっけか」
 久樹はポンッと手を打った。
 秦智帆は肯き、久樹を仰天させた少女を指差す。
「じゃあ、それは?」
「ん? ……あれ? これって確か」
 落ちついて観察して、ようやく少女ではないことに久樹は気付いた。智帆と一緒にいた、女顔は気にしないが身長は気にする大江静夜だ。
「人の弟をソレだのコレだの言うな」
 いきなり響いた不機嫌な声。
 爽子が小さな悲鳴を上げ、智帆は肩をすくめる。不機嫌な声の主は、智帆の背後に仁王立ちしていた。漆黒の髪に切れ長の眼差し。真一文字に結んだ唇が、融通のきかない頑固さを現しているように見える。
「あんた誰だ?」
 圧倒されて、久樹は気の抜けた声で尋ねた。
 漆黒の髪の主はちらりと久樹を見てから、ふんっ、とそっぽを向く。やれやれと智帆が息をついた。
「そこに寝てる静夜の双子の片割れで、大江雄夜だよ」
「双子?」
 久樹は真剣に雄夜と静夜を見比べた。
 雄夜は和風の顔立ちと凛々しい雰囲気を持ち、若武者と表現するのがぴったりだ。静夜は砂糖菓子のように甘い夢見るフランス人形のように見える。――とてもではないが、双子には見えない。
 一分近く沈黙を続けた後、久樹は笑い出した。
「おいおいっ! 幾らなんでも、そんな嘘には騙されないぞ。似ても似つかないじゃないか。それに二か三は年が離れてるだろっ!」
 笑い続ける久樹を見やる雄夜の視線に殺気が宿る。余程腹が立ったのか、智帆と爽子を押しのけて、いきなり静夜を背負い上げた。
「雄夜。どこに行くつもりだよ」
 言外に行くなと言っている智帆に、雄夜は首を振った。
「知らん。お前が一人でやれ。俺は部屋に戻る。最初から戻るつもりだったんだ」
 織田久樹と大江静夜が一つのベッドに転がされたのは、異変の起きた場所に現われた統括保健医の大江康太が原因だ。「シーツを変えたばかりなんだ。寝てるだけみたいだし、一つだけでいいよね?」と言われたのだ。
 そもそも静夜を連れて帰るつもりだった雄夜がここに居るのは、説明をして欲しい爽子が懇願をしたからだ。雄夜が義理堅いほうで、食事を作ってくれることに感謝をしていたので、納得しただけの事。
 無遠慮な久樹の一言に、雄夜の堪忍袋の尾が切れていた。
 笑い続ける久樹の横を通りすぎざま「お前は嫌いだ」と言い放つ。目を丸くした久樹を無視し、さっさと保健室を出て行った。静夜はまだ寝ている。
「久樹、なんてこと言うのよ。雄夜くんを怒らせちゃったじゃない」
「後を引くな。あれで雄夜は根に持つタイプだ」
 やれやれとため息をつく智帆と、困っている爽子を見やって、久樹は扉を指差す。
「待てよ。冗談じゃなくって、本当に双子なのか、あれ?」
「そうよ。正真正銘の双子」
「……嘘だろ」
 桜の開花に謎の少女、不気味な夢など、考えなければいけないことが久樹にも山積みなのだが、今はただ呆気に取られて、
「全く似てない双子って、なんか詐欺にあった気分だ」
 と、呟いた。爽子は「まだ言ってるの?」と呆れ気味に呟いた。
「ねえ、ところで智帆くん。巧くんたちはどこに行ったの?」
「まあ、いろいろと?」
「なに、それ?」
 首を傾げる爽子を見やりながら、智帆は巧と将斗はどんな証明を持ってくるだろうかと考える。
 そんなことを智帆が考えているとは知らず、二人は正門まで戻り、桜の咲いている道を選んで走っていた。最初の分かれ道である初等部炎鳳館、中等部地鳳館へと続く道の桜は咲いておらず、大学部水鳳館と高等部風鳳館への分かれ道まで来ている。
「あれ?」
 将斗が満開の桜に誘われるまま、共同施設である白鳳館へ進もうとした足を止めた。
「どうしたんだよ将斗?」
 巧に尋ねられて「なあ、巧。あっち」と大学部水鳳館のある方向を見やる。
「──あれ、なんで満開なんだ!?」
 従兄弟の視線を追って、巧は目を丸くした。
 白鳳館の方ばかりを見ていただけでなく、巧はついさっき、その道を爽子の危機を救うために走ったばかりだ。その時、桜は咲いていなかったのを覚えている。
 巧が見たのは、水鳳館への道を進む途中にある分かれ道の先、白梅館へと続く道で足止めをされていた爽子の居た周囲だ。
 反対側の高等部風鳳館へ続く道を改めて確認する。
 あちらは秋の紅葉が名物となっているが、桜は植えられてはいる。そちらでの開花は確認できなかった。
 ──いや、巧が走った時に見なかっただけではない。
 むしろ、爽子たちを共に戻ってきた時も、咲いてはいなかったのだ。
「なあ、いつ咲いたんだと思う、ここ?」
 満開の桜が作り出すアーチを呆然と二人で見上げて、顔を見合わせる。
「確認な。桜は、白鳳学園駅から学園までの道路沿いのが咲いてた。学園に入ってからは、白鳳館までの正面道路だけだったよな?」
「さっき見たもんな、炎鳳館も地鳳館も、あっちの風鳳館のとこも咲いてない」
「将斗、もう一回、さっきの爆発したとこまで戻るぞっ!」
「なんでー?」
「水鳳館への道の全部が満開じゃない気がするんだ。曲がり道のとこまでで、あとは白梅館に続くほうの道が咲いてるんじゃないかって。そうだよ、咲いてる場所には法則があるんだっ!」
 再び駆け出し、巧は考えた通りの光景が広がるのを確認して、気持ちがどんどん焦っていった。もっともっと、全体像を確認しなくてはと思う。
「あー、もっと全体を見る方法ってないのかよっ。──あ!」
「一人で納得してないで、俺にも説明してよー巧ー!」
 抗議の声をあげる将斗に応える余裕がない。
 巧は再び走り出し、爆発が発生した地点を越え、咲いていない桜並木を越えて白梅館のホールに飛び込んだ。
 エレベーターは二台とも上の階に行っていた。待ち時間に苛立って走り出そうとする巧を、将斗が引っ掴んで止めた。
「エレベーター待ってた方が早いって!」
「だって来ないじゃんか!」
「ばーか! 階段あがっているうちに抜かれるっての。ほら、来た!」
 先に将斗が入って、条件反射で十階を押す。巧が入ったのを確認して閉まるボタンを連打する。静かな音と浮遊感がして、エレベーターは上昇を開始した。
「あ、十階でよかったのかー?」
「大正解ってやつ」
「でさ、なにを確認したいんだー?」
「桜が咲いてたとこってさ、駅からこの白梅館を目指す奴の道順と同じだって思わねえ?」
「そーだけどさあ。でも共同施設の白鳳館の周りも咲いてたしなー。駅からここまで来るなら、別に立ち寄らないし。それにこの辺、咲いてないぞ?」
 将斗の指摘に、むしろ巧は目を輝かせた、
「むしろそれがポイントなんだって。条件にぴったりの奴が一人いるじゃん」
「んー?」
「今までこんな事、起きたこともなかっただろ。だから、来たばっかりで、だから白鳳館にも用事があって、白梅館に向かう途中で進めなくなった奴がさ!」
「なんでそんなに巧、嬉しそうなんだー?」
「別に嬉しくはないから。ほらほら、将斗、考えろって。いるだろ、一人だけ?」
「そっかなー。うーん、言われてみればそうかな」
「だろっ! だろだろ! じゃあ誰だっ!」
 答えを求める巧の生気に満ちた顔に、将斗は首を傾げ「分かんねー」と首を振った。
「なんでだよ!」
 巧が肩を落とすと同時に十階についたので、飛び出して家へと向かった。
 乱暴に靴を脱ぎ、床に散らばっている漫画やらゲームやらを越えて窓に飛びつく。カーテンを開けて、室内に舞い込む光に目を細めながら叫んだ。
「やっぱり!!」
 高い位置から確認すると、桜の色が一つの経路を示すのが良く分かる。
 駅から正門に続く学園側。学園正門から中に入る道と、白鳳館入り口付近。それから水鳳館から白梅館へと続く道の途中まで。
「桜の異常開花した原因は、爽子さんの幼馴染みだよ。だって、あの男が歩いた場所でだけで咲いてるんだからな」
 自信に満ちた表情で、巧は断言した。



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