[第一話 サクラ咲く]

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No.01 秘めた力

「静夜っ!」
 途中で拾った将斗を小脇に抱えて走ってきた雄夜は、智帆の肩に身体を預けている双子の片割れを見つけて名を呼んだ。
 途中、道路に座り込んだまま、上空を指さして絶句している爽子の隣を抜ける。
 彼女が見ているのは焼けた桜の樹、たった一つ残された異変の証だ。
「雄夜。来たのか」
 鬼の形相をしている雄夜に、智帆はのんびりと声をかけた。無口なくせに、眼が雄弁すぎるほど「何があった」と問いかけている。
「双子だってのに、兄貴面で庇護欲がやたらと強いってのは確かに嫌なもんかもな」
 のんびりとした智帆の呟きに、雄夜が一歩間合いを詰める。
「何が言いたい」
「別になんにも。静夜は寝てるだけだよ」
 ゆるやかに首を振り、智帆は手で静夜を支えたまま立ち上がった。雄夜はすぐに支えるのを代わって、静夜を確認する。火傷と擦り傷があるが、たしかに眠っているだけだった。
「安心したか?」
 雄夜がほっとした瞬間を狙って馬鹿にした感じで尋ねつつ、桜を見上げて眉を寄せる爽子を視界に納め「さて」と智帆は呟いた。
「どうやってごまかすとするか。静夜が壊れた事実を封印して一時的に正常な状態に見せかけたとはいえ、全部とはいかないからな」
 静夜には、生きている桜が壊された事実の封印はできない。
 考え込む智帆の後では、巧と将斗が大江雄夜を先導してきた式神の水の蒼花を眺めていた。陽光に反射してきらきらと光る竜の蒼い鱗は神秘的で美しい。けれど犬猫か鳥の方が良かったなーなどと好き放題言っていた。
 水の蒼花は身勝手な子供たちの相手はせず、雄夜を見つめている。
 動物を撫でたい気持ちが満たされないまま、巧が、ふと智帆をみやった」
「なぁ、智帆にぃ」
「却下」
 詳しい事を口にする前に智帆が拒絶したので、巧が目が丸くなる。
「いきなり却下てなんだよっ!? 智帆にぃ、ちょっと質問しようとしただけなのに」
「思案中だよ」
「そんなの見れば分かるって。でもさぁ、子供の質問に大人は答えてやるべきだって思わない?」
「俺は未成年で、高校生で、子供だ」
「小学生にとっては高校生は大人なの! なぁなぁ、ケチらないで教えてくれよ。前からずっと不思議だったんだ。壊れた事実を封印するって、一体どういうことなんだ?」
 顔全体に疑問を浮かべる巧の隣で、俺も教えてーと将斗が手を挙げた。
 いかにも面倒そうな表情で、智帆は片手で眼鏡のフレームを押さえる。
「子供ってのは図々しいよ。説明するけどな、なぜそうなるのかとは聞くなよ。お前らだって、大地を操り、光ある場所が見える理由なんて知らないだろ?」
「そういえば」
「知らない」
 初等部の子供たちは顔を見合わせて、声を唱和させる。智帆は舗装されたアスファルトを軽く蹴った。
「静夜は水を操る。俺が風を使うのと同じようなものだな。静夜の力は、外部からの衝撃を防いだり、衝撃を封じる事も出来るわけだ」
 アスファルトの路面に、地面が隆起した名残は一つもない。それでもじっと見つめている仕草に、巧と将斗は目をこらした。
「あれ?」
 先に将斗が首を傾げる。慌てた仕種で従兄弟の腕を掴み、路面の一角を指差した。
「巧、なんかさ、あそこ線ができてないー?」
「ホントだ。……あれ? あの線の部分って、俺が爽子さんのトコに行くための道を作ったところだ」
「じゃあ、アスファルトが割れた場所ってことかー」
「そうなるよな」
 怪訝な表情を浮かべた二人の前で、智帆はゆっくりと歩き出す。
 先には斎藤爽子と織田久樹がいる。
 智帆を目で追いかける途中で、視界に入った久樹を巧は睨んだ。特に含むところを持っていない将斗は、爽子が座る辺りの路面の色に目を奪われる。
 周囲がはっきりとくすんでいた。
 ぽっかりと丸く広がったくすみは、急激に老朽化した印象を与える色だった。
「巧。あれってなんだと思うー?」
 上ずった従兄弟の声に、久樹を睨むのを中断して巧も目を凝らす。
 色がくすみ、今にも風化を始めそうに見える路面は、先ほど最も激しく破壊された場所だ。アスファルトはめくれ、岩石が持ちあがり、果ては爆発までしている。
「――壊れた名残?」
 眉をしかめて、巧は一つ思い出した。
 静夜が壊れた事実を封印できることを知って、巧はだったら治してと頼んだことがある。けれど静夜は首を振り「破壊された事実を封印することと、直すことは意味が違う」と言われた。
 その時は腹立たしいばかりで、意味が分からなかった。だが実際に壊れた事実が封印された対象を目にして、なんとなく分かった気がする。
「なぁ、智帆にぃ。壊れたもんは、結局壊れたままってことか?」
 巧の言葉に、智帆がにやりと唇を歪める。
「まあな。ようするに目くらましみたいなものなんだよ。壊れたものを治したのではなくて、壊れていないように見せかけている。それだけだ」
 理解してから尋ねれば、智帆の返事は優しくなる。巧は悪童の印象を他人に与える猫のような瞳をくるりと動かし、肯いた。
 将斗は意味がわかんねーと肩をすくめた。
「あそこって結局壊れたままなわけ。水の封印は、静夜にぃが言ったとおり、治すわけじゃないんだ」
「別に壊れてるってほどには見えないけどなー」
 理解しない将斗の頭を強く小突いて、巧は大股で歩く。じゃりっと、靴底が何かをすりつぶした音がする。スニーカーを持ち上げると、アスファルトが一部が靴底についているのが見えた。
「智帆にぃ、正常に見えてるものが、壊れている元の姿に戻るのって早いのか?」
 壊れている事実が変わらないなら、何時までも正常な状態が続くわけがない。
「静夜がどの程度の力を使ったによるけどな、一ヶ月くらいで元に戻っていくと考えていい。そうだろ、雄夜?」
 会話に入ってこない大江雄夜に声をかける。無愛想な顔で振り向いて、雄夜は肯いた。
「少しずつだがな」
「だそうだよ、巧。将斗はまだ解らないみたいだな」
 智帆が眼がねの下の目を向けると、同じく眼がねの下の目を将斗は偉そうに細めた。
「俺ー、難しいことは他人におまかせすることにしてんだ」
「……。脳が退化するぞ」
「大丈夫だよ。ゲームする時に使ってるからー」
 胸をそらして将斗は威張る。智帆は返答を控えて口をつぐみ、眠る静夜を見やった。
 被害を受けた場所を正常な状態に見せかける水の封印。――ここから部分的に壊れて行き、人の手による補修が入り、そしてまた壊れていくだろう。
 誰も、全てが同時期に壊れたとは思うまい。
 壊れた事実を封印するのは、異常事態を、異常だと気付かせないための手段だ。
 ――桜の樹はどうしようもない。
 智帆は説明する言葉を見つけられないまま、爽子の側に寄った。
 人型の影が側に落ちたことで、桜に固定されていた爽子の瞳が智帆を認識する。「智帆くん」どこか上の空の声を彼女は上げた。
「さっきね。あのね、確かにね」
 爽子は指を持ち上げて、桜の樹を指す。
「爆発したの。ううん、それだけじゃないわ。アスファルトもめくれあがって」
 ここまで囁いて、爽子は体を震わせた。恐怖が蘇ったのか眉をしかめ、膝の上で意識を失ったまま久樹の腕を抱きしめる。
 助けを求めているのか、それとも久樹を守ろうとしているのか。それは智帆にはわからないことだった。
「爽子姉ちゃん。大丈夫か?」
 心配そうに将斗が尋ねる。巧も駆け寄って、爽子の肩に手を置いた。爽子の瞳が動いて、前方を見やる。眠っている静夜の隣に立つ、雄夜が見える方向だった。
 爽子の瞳が急激に警戒の色をたたえた。
「蛇っ!!」
「――蛇?」
 至近距離で叫ばれた智帆が、眉を寄せながら復唱する。視線の先にいる雄夜が、切れ長の瞳を見開いた。
「蛇だと?」
 鱗を太陽光に反射させている蒼花がいる。竜型だが、蛇に見えないこともない。
「――まさか…」
 大きな瞳を巧が見開いた。将斗は忙しくまばたきを繰り返す。
「なにやっているの! 毒蛇かもしれないのよ、早く逃げてっ! 私、長くてにょろっとしたモノって駄目っ!」
 爽子の悲痛な叫びに、智帆は額に手を当てて天を仰いだ。
「爽子さん。一つ聞いていい?」
「なにを?」
「その蛇って何色?」
「青いの。しかも大きいのよ。……青いってことは青大将!? どうしようっ」
「なるほど。じゃあ、ちゃんと説明しても良いって事だ」
「何の話? それよりも」
「大丈夫だよ。爽子さん。あれは蛇じゃない」
 智帆は体を斜めにして雄夜の方を向いた。物言いたげな視線と視線が空中でぶつかる。
 雄夜は手をかざし、水の蒼花に戻るように命じた。「御意」と答えると、光りの渦と共に札の形に戻った。
 後には雄夜の手の中に戻った青い札が残るだけ。
「……今の、何?」
 驚く爽子に、智帆は悪戯っぽい視線を向ける。
「あとで説明するよ」
「どうして後なの?」
「理由?」
 尋ね返す智帆の声にかぶさって、こちらに向かってくる足音が響いた。
「ユウ君!! しーちゃん! ああ、そこにいるのは智帆君に、たっ君と、まぁ君だね!」
 続けて響いた声に智帆は肩をすくめ、
「邪魔が入るからだよ」
 と言った。
 

 久樹は夢を見ていた。
 ひどく深い色の紅を身にまとって、少女が佇んでいる。
『殺さなくてはならないの』
 少女が言った。
 どちらかといえば、あどけない顔立ちの少女だ。体の造りは華奢で、女特有の丸みもまだ殆どない。
『全ては醜くなっていくわ』
 少女は言葉を続ける。
 佇む久樹の返事を待っているようには見えなかった。両手を胸の前にもっていき、訴えるようにしながら――その実誰にも訴えていないように見える。
 声をかけたくなった。
 何故殺さねばならないのか。
 何故醜くなっていくと断言するのか。
 桜が舞っていた。
 ひらり、ひらりと花びらが散って、うっすらと平らではない地面を埋めて行く。
 綺麗だった。
 凄まじい勢いで埋め尽くそうとしてきた桜の花びらと違って、綺麗だった。
 久樹は首を傾げ、視線を足元に落とす。
 うっすらと埋めている桜の花。
 言葉を続ける少女の元に近付くにつれて、紅くなっていく花びらの床。
 アカだ。
『言ったでしょう。殺すのよ』
 きらりと視界の先で光った銀色。
 紅い。足元が赤い。花びらが、埋めていく。落ちてくる花びらを次々と紅く染め抜いていく色。平らではない地面。
「――っ!」
 久樹が息を呑む。
 少女は銀色の光りを手に走り出してくる。避けねばと思った。避けなければ、あの銀色によって同じ目にあってしまう。
 ――同じ目。
 いびつな床を埋め尽くすモノ。
 顔。顔。顔。
 一面を埋め尽くす、死体の山。



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