[第一話 サクラ咲く]

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No.04 舞姫

 地の底から響いた爆発音の少し前、大江雄夜は統括保健室にいた。秦智帆に携帯電話で呼び出されて来たのだが、訪ねた相手が不在で困惑する。
 居るのは保健医の大江康太だけで、彼は白い雑巾を手に窓の桟を拭いていた。彼は綺麗好きなのだ。
 真剣に桟を磨き続ける康太は、雄夜に気付いていない。「康太兄さん」と呼びかけると、大袈裟に肩を震わせて叔父は振り向いた。
「あれ! ユウ君じゃないか」
 顔から驚きが消えて、にこやかな笑顔に切り替わった。康太は扉までやってきて、甥っ子の手を握る。
「良いところに来てくれたよ。ほら、中に入って座ったらどうかな?」
「俺は留守番をしに来たんじゃない」
 椅子に誘導しようとする康太に、雄夜は首を振る。目を丸くして、統括保健医は肩をすくめた。
「どうして留守番して欲しいってばれちゃったんだい? やっぱりユウ君としーちゃんは似てるなあ、双子だなあ、実感しちゃったよ」
「なんで今頃になっての実感なんだ、もともと双子だ」
 雄夜は顔を歪めたが、そうそうと康太は気にせず言葉を続けた。
「智帆くんも性格が似てるとこあるよねえ。類は友を呼ぶんだね。どれくらい友人同士が似るのか、統計でも取ってみようか。ユウ君も知りたいだろ?」
 穏やかに同意を求めるが、雄夜はただ叔父を睨んでいる。なんで睨まれてるのかなあと康太は肩をすくめた。
「ユウ君の目は、切れ長で吊り眼だからね。睨まれていると、脅迫されている気になるよ。小さい頃の君は無愛想だけど可愛かったんだけどなぁ。誰もが君達の前で足を止めていたものだよ」
 過去をうっとりと振り返りながら、康太はそろそろと雄夜の隣を抜けて外に出ようとしている。当然ながら気づいた雄夜は、ケーキの箱を叔父に突き付けた。
 箱の表面に印刷された店名を確認し、康太の目がぱあっと輝いた。
「ミストラルのケーキ!」 
 素晴らしいよユウ君、ミストラルのケーキは絶品だよねと口走りながら康太は両手で大事そうに箱を受け取る。いそいそと開け始める子供のような仕草に、雄夜は息を付いた。
「レアチーズとティラミスは巧と将斗のだ。他のは全部康太兄さんにやる。だから答えろ。静夜は何処だ?」
「しーちゃんなら智帆君と一緒に」
 雑巾で磨いていた窓辺に康太は体を向けた。保健室は一階の角部屋にある。窓の外には道路も見えた。
「そこから出掛けて行ってしまったよ。窓から飛び越えるなんて、はしたないよね。しーちゃんなんて性別をおでこにでも書いといてくれないと、女の子に見えちゃうから、通行人がドキドキで倒れたら大変だよ。可憐な仕草とか学んじゃったら、倒れる人が大量発生だ」
「静夜が可憐になったら俺が困る」
 ぞっとして雄夜は首を振った。
「ユウ君は可愛いもの苦手だもんねえ」
 ゆるく答えながら、開いたケーキの中に桃のタルトと苺のミルフィーユを発見して歓声をあげる。雄夜は保健医を無視して窓辺により、左右を探った。
「水鳳館の方に走っていったみたいだよ。かなり切羽詰っていたねえ」
「切羽詰った?」
 ぴくりと眉が吊りあがる。ひどく怖い顔になったのだが、康太は頓着しない。
「しまった。折角のミストラルのケーキなのに紅茶を切らしていたんだ。お茶ならあるけれど、やっぱり紅茶だよね。ああ、困ったなぁ」
「ティーパックが薬品棚に入ってるだろう」
「あれ、ユウ君詳しいね。もしかして時々、あそこからティーパックが無くなるのってユウ君が犯人かい?」
「俺は珈琲が好きだ」
「そうだ。そうだったね。でもねユウ君。やっぱりいいケーキには、ちゃんと葉から入れた紅茶があうんだよ。あの膨らみと奥行きのある香りがたまらないんだよね。あれ、ユウ君。どうして窓枠に足を乗せようとしているのかな。入り口があるんだから、出るならそっちにして欲しいよ。磨いたばっかりなんだし。聞いてるかい、ユウ君」
「聞いていない」
「聞いてない人は返事をしないんだよ、ユウ君」
「うるさい」
 一言で切り捨てて、雄夜は意識を集中した。静かな動きで財布にいれた札を手にする。「蒼花」と呟くと、きらきらとした光りを発して小型の竜が現れた。お伽話で描かれる水神に似ているが、小さい為に青い色の蛇に見える。
「水の気配を追え」
 ひどいなユウ君と愚痴る康太の声を意図的に無視し、短く命じる。
 一卵性双生児には不思議な力があるというが、雄夜と静夜は二卵性で、双子の神秘を体験したことはない。それでも水に守られている片割れを、水の属性を持つ式神、竜型の蒼花でもって探すことは出来るのだ。
 蒼花はすぐに水が持つ清らかな質感を雄夜の周囲に満ちし、鼓動のように光を脈打たせながら、勢いよく動き出す。追って窓を飛び越えたとき、雄夜は独特の波動を感じた。
 誰かの力が発揮されたときに感じるものだ。大地が猛り、水が弾け、風が吹きつける気配がする。「静夜!?」呼んだ声に被さって、激しい爆発音が響いた。
 ずしんと、腹の底から響き渡るとんでもない轟音。
「なんだい、今のっ!」
 康太は爆発音に血相を変えた。応急処置を施せる診療具が入った鞄を取って、走り出そうとする。背に雄夜の声が打った。
「窓から外に出ろ、こっちの方が早い。白梅館と水鳳館の間の道路だ!」
 康太が体の向きを変えた時には、すでに雄夜の姿は遠くに去っていた。


 大きな吐息を一つ落として、大江静夜は両手を地面につけてなんとか上体を起こした。腕の下には二人の人物の頭があり、爆発の影響を受けた様子はなくてほっとする。
 庇われた形のまま道路にうつぶせる爽子は混乱したまま、今し方の出来事を必死に思い返していた。
 緋色の肌襦袢を纏った少女。白蛇のような肌。降り注ぎ埋め尽くす花びらに、割れた大地。空中に浮き上がった岩石と──爆発。
「ばく……はつ?」
 調子の外れた自分自身の声を聞きとめて、爽子は我に返った。脳が活動し、最期に見た光景を脳で急速に再構築されていく。
「……久樹」
 幼馴染の青年は、岩石に押しつぶさようとしていた。巧に止められて動けないでいた身体を、地面に押しつけられた直後に響いた爆発音。久樹はどうなってしまったのか。
 ──嫌な想像が胸を締め、激しく鼓動がはねた。
「どいてっ」
 無我夢中で起き上がり、腕立て伏せの要領で上体を起こしていた誰かを思いきり押しのける。「わっ!」と少し高い声と共に横転する音がしたのは、いきなりの爽子の動きを避けようとして、倒れたからなのかもしれない。
 ただ、いまは、そんなことを気にしている場合ではなかった。
 爽子は周囲を確認して、倒れている久樹を見つけた。外傷は確認できないが、ぴくりとも動いていない。そんな彼の隣に膝をつき、脈を確認しようと指を伸ばす少年を見つけた。
「触らないでっ!!」
 爽子は思わず叫んでいた。
 伸ばした手をびっくりして震わせた少年が爽子を見る。
 特徴的なココアブラウンの髪と、垂れた目にアクセントをつける眼鏡。友人の秦智帆で、怖がる必要がないこともわかる。けれど指を伸ばす仕草が、久樹の首を締め上げていた娘の指先とだぶって恐ろしくてたまらない。
「爽子さん?」
 怪訝そうな智帆に呼ばれて、ごめんと心の中で繰り返し首を振った。
「お願い、久樹に触らないで」
 懇願を爽子は重ねた。智帆は手を引いて、ゆっくりと口を開く。
「久樹さんなら別に問題はないよ。安心しなよ爽子さん」
「……無事?」
「まあ、たんこぶは出来てるか。念のために冷やしておいた方がいいくらいだろ」
 爽子の興奮を鎮めようとしているのか、智帆の口調はいつもと違ってゆったりとしている。そうして一歩下がって、彼女の為の場所を開けてくれた。
 固い地面にうつぶせの久樹は痛そうだった。爽子は彼の隣で膝をつき、体を反転させ、自らの膝の上に頭を乗せてやる。顔は黒く煤けてしまっていたので、手でこすってやったらさらに黒くなってしまった。――爽子の手も煤けているのだ。
 ハンカチを入れた鞄は何処にいったのだろう。未だ混乱状態で冷静な判断を下せないまま、虚ろなまま爽子は顔を上げて周囲をまた見やる。
 智帆がいつのまにか、爽子が居た場所に戻っていた。隣には膝をついてバツの悪そうな顔をした巧がおり、二人は道路に仰向けに倒れた少年を見つめている。
「静夜にぃ、大丈夫? なぁなぁ、怪我した?」
「状況を悪化させたのは誰の責任だよ」
 低い声と放つと共に、智帆は手の平を降ろして膝をつく巧の頭を鷲掴みした。
「ひぃ!」
「ろくに制御も出来ないくせにな。一人の時に異能力を使うなと言ったの忘れたか?」
「そ、そんなにはっきり口にしていいのか!?」
 巧がわたわたして、頭を押さえられて振り向けないのだが、爽子を気にする。
「爽子さんの混乱は推して知るべしだ。どうせ鳥が鳴いている程度にしか聞き取れてない。万が一、言語として聞き取っていても、理解出来る状態でもない。改めて聞くぞ、なんで使った」
 ぎりぎりと押さえつけていた巧の頭を話すと、子供はしょんぼりと顔を上げた。
「だ、だってさぁ。智帆にぃ、爽子さんが助けてって言ったんだぞ。ほっとけないじゃないか」
「格好良いところを見せようって思ってもな。失敗したら情けないだけだ」
 ふん、と言葉を吐き捨てて智帆は巧を横に押しやる。
 巧の前に倒れたままの静夜は、紅茶色の瞳を極限まで細めていた。起きあがる気配はなく、智帆は腰を落として静夜に手を伸ばしてやる。
「どっか怪我したか?」
「さっきのでは特に。痛いところを言えっていうなら、二人を伏せさせた時に、火傷した手を使っちゃったから。それと転がされた時に打った背骨の辺り」
「結界は完璧、爆風は俺が防いだ。怪我がないのは当たり前か。爽子さんに転がされて、今も動けないのは原因は別だな」
「風を風で押し返すのって初めて見たけど、凄かったな。……ああ、もう、眩しい……」
 色素が薄い静夜の瞳は、鋭い光に弱い。本気で辛そうなのが不憫で、智帆は伸ばした手で細い手首を掴んで強引に張り上げてやった。
 くたりと静夜の首が揺れる。智帆が引いていない方の手は、アスファルトに投げだされたまま動かなかった。全身の力が抜けていて「随分と使う羽目になったな」と目を細める。
 異能力と彼らが呼ぶ不思議な能力は、行使するとひどく体力を消耗する。少し使う程度なら問題はないが、大きく行使すると動くことも出来なくなってしまうのだ。
「巧、話題が逸れて良かったとか思ってるんじゃないだろうな。せめてもの償いとして、静夜を支えてやるくらいするもんだろ」
 低い智帆の指摘に「ひえっ」と巧は声を発し、静夜の背後に回って背もたれがわりになった。
「で、さっきの話の続きもしてやろうか。爽子さんが助けてって言ったら、何をしてもいいのか? 制御も出来ない力を使って、挙げ句の果てに暴走させて、結果として全部を失ってもいいってわけか?」
 智帆の眼は温和そうに見える垂れ目なのだが、視線が厳しすぎてまったく緩和されていない。
「壊したいなんて思ってないぞ! だって、俺、助けたかったんだよ」
「現実はどうなんだよ? 助けられたのか?」
「助けられなかった」
 智帆の容赦ない追撃に、元気が売りの子供は意気消沈して頭を垂れる。
 支えられている静夜が笑った。
「暴走させた力のせいで、被害を出して辛いのは巧だよ。それを智帆は心配してるんだ。必要以上に落ち込まなくていいけど、これからは心配かけないように気を付けるって約束すること。そうだろ、智帆」
 水を向けられて、智帆はふいっと横を向いて腕を組んだ。
「まあな」
「うう、静夜にぃ、優しい」
 涙を潤ませて、巧は背後から静夜に抱き着いた。静夜は子供の高い体温に目を細め「それと」と続けた。
「次も同じことをやるつもりなら、加害者にもなるって覚悟をすること」
「うう」
 静夜の冷静な宣告に巧は硬直する。「飴と鞭の見事な使用方法だな」と智帆は感心した。
「……で、でも、でもさ!! やっぱり目の前で危なくなった人がいて、静夜にぃたちがいなかったらさ。俺、使わないって約束はできないよ」
「そうだね。無理だとは思う」
「だったら、静夜にぃ。俺が加害者になるとか怖いこと言うなよぉ」
 首にまとわりついてくる巧の腕を、静夜は宥めるために軽く叩く。
「巧は大地の力で重力を操るし、動かすことも出来るよね。──ただ大きな力を使うと、本来の自然が持つ雄々しい部分が増幅されてしまって、暴走してしまうんだろ。でも少しだったら問題なかったよね?」
「うん、少しならちゃんと俺のいう事をきいてくれるよ」
「だったら、次は時間稼ぎに徹してよ。巧が危機になれば、将斗が気付く。今回もそうだったように、将斗は僕らに知らせてくれるよ。──すぐに助けに行くって約束するから」
「でも!」
 納得出来ない感情を巧がさらに発露しようとすると、ぎろりと智帆が睨んで遮った。いい加減にしろとかなり怒っている。だから巧はぐっと唇を引き結び、智帆はため息を落とした。
「俺らに強制権はない、まあ好きにしろよ。静夜が言ったように、加害者になる覚悟を持てるならな。出来ないなら助けを待つ。いいか?」
「……分かった」
 拳をぎゅっと握って、巧はようやく頷いた。
 それからようやく顔を上げ、まだぼうっとしている爽子と、腹が立つことに彼女に膝枕をされている久樹を確認する。そして「あれ?」と首を傾げた。
「静夜、もう一度確認するけどな。本当に大丈夫か、使い過ぎだろ」
 周囲に違和感を覚えた巧の耳に、智帆が投げた意味深な問いが入る。
「……だって、あの状態のまま、ほっとくわけいかないし」
「なあなあ、静夜にぃ。それってどういう意味?」
 背後から支えた形のまま、巧は静夜の顔を覗き込んだ。
 少女にしか見えない容姿を持つけれど、少年であること周囲に納得させる静夜の独特の強い眼差しがひどく弱い。半分ほど細められた瞳と、うっすらと開かれた唇も無防備で、巧は「静夜にぃ?」と困惑して名を呼ぶ。
「もう限界だな」
 智帆がかがんで、静夜に背をむけてやった。
「……なに?」
「起きてられないんだろ。あっちのベンチに運んでやるよ。寝るにしても此処よりはましだ」
「なんで……僕だけ、眠くなる、の、かな……」
 異能力を行使しすぎると、体力を消耗するのは全員が同じ。けれど代償として身体が要求するものが、静夜だけが睡眠で、他の面々はエネルギー補給だった。
「なさけ、なく……って」
 夢を見ているようなあどけない声になっている。
「巧、手伝え」
 力の入っていない静夜を背負うまでが難しい。巧の手を借りて背にのせ、胸の前で手首をクロスさせて握り、落とさないようにして右の木の下にあるベンチに向かった。
 少年たちの行動を追ってくるのは、ぼうっとしたままの爽子の視線だ。
 こちらを見ているだけで、なにも理解はしていないと智帆が判断した爽子は、動くものを追う本能で見つめ続けて、ふと気になるものをとらえる。
「……ベン、チ?」
 口に出して、四散していた意識が爽子の元に戻り始める。
 ──どうしてベンチがあるのだろうか?
 そんな疑問に、爽子はようやく本当に我に返って目をまたたいた。
「だって、ベンチは壊れて……」
 割れたアスファルトと、隕石のように降ってきた岩石などのせいで、ベンチが無残にも壊されたのを爽子は見ている。
 なのにどうして、智帆が背負った静夜を運んで、降ろすのがベンチの上なのだろうか。
 訳が分からず、ほぼ無意識に助けをもとめて膝の上の久樹の視線を戻した。
「──え?」
 久樹が投げ出した四肢は、綺麗に舗装された道路の上にあった。
 違和感が爽子の中で弾けて、ハッとする。
「どうして? だってアスファルトはめくれたし、その前に桜の花びらに埋め尽くされて。それから岩が飛んできて、爆発だって起きた。なのに、どういうこと?」
 ──なかった。
 異常が起きた現実を、教える全てが消失している。
「う……そよ……」
 異変の証を求める。道路を見て、左右の景色を見て、最後に空を見上げた。
「……桜が」
 平穏に戻った景色の中、桜の木だけが爆発の名残をとどめて、黒く焦げている。
 こちらに駆けてくる新しい足音が聞こえたが、爽子は振り向かずにただじっと桜を見上げていた。


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