[第一話 サクラ咲く]

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No.04 散る櫻花

 風に運ばれた桜の花びらが雄夜の目の前をかすめた。
「奇妙だ」
 走っていた足を急に止める。漆黒の瞳が、端が黒ずんで変色した花びらを見つけていた。落ちてきた元を探して空を見上げる。
 桜は満開だ。二週間後くらいになるだろうと予報されていたのに。
「燃えている?」
 細く白い煙が、空をたなびいていた。
 注視していると、美しく咲いていた一枚の花びらが唐突に変色し始める。白い煙が生まれ、細く空に持ちあがっていく。火は見えない、けれどたしかに桜の花びらは一枚ずつ燃えていく。
 ひどく奇妙だった。
「雄夜にぃっ!」
 遅れて校門を飛び出してきた中島巧と川中将斗が声を上げる。雄夜は子供らをちらりと確認し、無言のまま再び歩き出した。
 将斗は後を追い、巧は足を止め雄夜が見ていたものを見上げる。
 足元を敷き詰める桜の花びらと、空を埋め尽くす花びら。そして空に首をもたげている白く細い煙。
「花びら、燃えてる?」
 巧が視線を戻すと、雄夜と将斗は白鳳学園駅へと向かっていた。煙がどこまで続くのか、確認しているのかもしれない。巧は追うべきかを悩んでから、逆の方向に走り出した。
 一部が焦げた花びらは、道路に点点と落ちて続いている。飛び出してきたばかりの校門に辿りついて、巧はぴたりと足を止めた。
 桜の花びらが途切れていたのだ。
 校門の中を見ると、こちらには桜があり、一部が燃えた花びらも落ちている。
「花びらを燃やしている、何かが曲がった?」
 燃やすといえば火だが、見えないし、火事の気配だってない。
 ──人には見えない火が、道を曲がったとか?
「あれ?」
 観察しすぎて疲れた首を左右に傾けて、景色の違いを見つけた。
「満開なのが変、咲いないほうが正しい。だったらあっちが普通なのか?」
 ぽかんと口をあける。
 白梅館から共同施設である白鳳館に出て、中央通路を通って校門まで来た。その間の桜は全て満開だったので、白鳳学園内の桜は全部開花したと思っていたのだ。
 ――咲いていない。
 白鳳学園から駅に向かう道の桜は開花しているのだが、校門から先の桜は蕾のままなのだ。
 巧は野球帽のつばを直した。すでに姿の見えない雄夜と従兄弟を追いかけ、見つけたところで「雄夜にぃ! 将斗っ!」と大声を出す。
 変だ。変過ぎる。
 何かが凄く――奇妙だ。
「桜、あっちの桜が咲いてない!」
 巧の大声が届いて、雄夜が振り返った。走ってくる小さな姿に肯き、片手を上げる。
 そちらに行くから、止まっていろという合図だ。傍らの将斗は空を見上げていた顔を動かして、雄夜を見る。
 満開の桜は、学園の塀が終わったところで終わっていた。
「なあなあ、雄夜兄ちゃん。桜、ここで終わってるぞ。意味あるかなー?」
「ここから先は、イチョウ並木だ」
「あれってイチョウなんだ。もしあれが桜だったら、咲いてたのかな?」
「知らん」
 無愛想に答える。
 将斗を邪険にしているのではなく、確認はするが考えていなかった。得た情報を検討するのは、双子の片割れか智帆の役割だと思っている。
「他の桜はどうなっているか」
 詳細な開花情報は必要だ。財布の中から札を取り出し、右手を目の高さまで持ち上げる。
「あっ! あー!!」
 離れた場所に居る巧が大きな声を上げた。待っていられなくなって駆けてくる。雄夜の傍らにいる将斗が、眼鏡の下で目をきらきらと輝かせた。
 持ちあげた右手から、ゆうるりと光りが膨れ上がる。次第に光りは赤みを帯び、質感を得て、大江雄夜の手の上に朱色の大きな鳥が現れた。
 瞳は赤く輝いており、広げた羽は炎を宿してきらめいている。もちろんただの鳥ではない、雄夜に従う式神と呼ばれる存在だ。
「この付近で桜が咲いている個所がないか、確認してこい」
 炎の朱花。それが雄夜の札から生じ、飛び去る鳥の名前だった。
 ほかにも三つ、風の白花、大地の燈花、水の蒼花も呼ぶことが出来る。
 これらは大江雄夜が誕生した時から傍らにあったがが、他の人間に見えないと気づいたのは何歳の時だったか。両親は雄夜が朱花たちに話しかけるのを、子供特有の見えないお友達と話しているだけだと思っていたし、同じくらいの年頃の子供たちからは独り言が多いとただ認識されていた。
 自分以外の誰にも見えていない。それでも幻覚と思わず存在を信じて来れたのは、朱花たちを静夜も見ていたからだった。
 幼いころは側にあるだけ、雄夜が成長してからは使役が出来るようになった。
 普段は札の中で眠っている。命じると姿を現し、使役が出来るようになるのだ。それを静夜が陰陽道の式神みたいと言ったので、まとめてそう呼んでいる。
 朱花を偵察に向かわせた雄夜の前に、息を切らせた巧が到着した。
「ずるい!! 雄夜にぃ、なんだって俺には見えなくて、将斗には見えるところで朱花を出すんだよ! 俺だって見たいのに!」
 巧の声は心底悔しげだ。
 逆に川中将斗は、満足した顔で朱花が消えていった空を見上げている。
「綺麗だよなー、朱花って。一度、撫でてみたい」
「火傷するぞ」
 雄夜の忠告は将斗に届いていない。
 巧と将斗は動物が大好きで、ペットを飼っている他人が羨ましくて仕方がない。だから散歩中の犬がいれば見つめて、闊歩する猫には手を伸ばして声をかけたりする。
 雄夜の式神は、鳥、狼、猫、竜の形なので、二人にとって垂涎の的だ。
 どうせ誰にも見えないからと警戒もなく朱花を呼んだ時、巧と将斗が「かっこいい鳥!」と歓声を上げた時から変わらない。しかも子供たちの歓声で玄関から出てきた智帆までもが「派手な鳥だな」と呟いたのをよく覚えている。
 二人にしか見えなかったものが、いきなり五人に見えるものとなった。だから彼らは一緒に行動するグループとなったのだ。
「戻る」
 無愛想に告げて、雄夜は将斗の腕を掴む。地団太を踏んで悔しがっている巧の背も軽く押した。
「桜、か」
 特定の箇所でのみ狂い咲きしていると思われる桜。それを早く片割れに伝えなければと雄夜は思っていた。
 
 
 静夜から受け取ったコーヒーは少し冷めていて、久樹の舌に優しくなじんだ。口腔に広がる苦みは、意識にかかった白い靄を打ち消してくれる気がする。
「もう大丈夫なの?」
 心配そうに顔を覗き込まれて、久樹は悪ガキのような笑みを向けて、ベンチから立ち上がった。
「大丈夫だ。そろそろ、部屋でも拝みに行くとするかな」
 気楽な言葉を放つと、爽子が心配をさせたくせにと言ってくる。言葉とは裏腹にほっとした顔をしているので、久樹は内心で悪いことをしたなと思う。
「智帆くん、静夜くん、私たち白梅館に戻るね。……あれ?」
 少年たちが小声で何かを話している。爽子の知る二人は、あからさまに内緒話をするような人間ではないので、奇妙に思って首を傾げた。
「どうかしたの?」
「いや、特になんでもないよ。爽子さん」
 爽子の問いを、智帆が白々しくかわした。ごく自然に見えるように、けれどたしかに身体を前に出し、爽子と久樹の視界から静夜を隠している。
「なんでもないって感じじゃないんだけど?」
「あれ? 爽子さん、俺らの会話が気になるわけだ?」
 意地の悪い表情を智帆が作って、からかうように言ってくる。
 爽子は智帆のわざとらしい態度にのせられて、むっとした表情を浮かべた。
「ねえ、二人とも」
「なに、爽子さん?」
「そんな風に静夜くんを庇ってたりしてると、まるで恋人同士みたいよ。静夜くんって、その辺の女の子たちよりずっと可愛いらしいもの」
 突然の切り口に、静夜が「あれ?」と言い、両手を後ろ手で組んで笑ってみせる。
「そう来た? でも心配してくれなくて大丈夫だよ、爽子さん。だって女の子に見えるからといって、身体が本当の女の子に自然と変わっちゃうって現象は聞いたことがないしね」
 智帆は眼鏡のブリッジを抑えて首を振った。
「恋人同士に見える度合いなら、俺らより爽子さんたちだろ。──いや、やっぱり俺たちのほうか? 爽子さんたちは恋人っていうより夫婦か」
「ふ、夫婦!? 夫婦って……その……」
 爽子は赤くなって言葉を失った。
 傍観していた久樹は、爽子が簡単にいなされてしまったことに驚いて、改めて高校生二人を見つめる。
「お前らって凄いんだな。爽子をやり込めるなんて。尊敬する」
 それってどういう意味よと爽子が小声で文句を言った。智帆は肩をすくめる。
「お褒めに預かり光栄至極。あ、さっき爽子さんが言っていたように、引っ越しは手伝いますよ。あと先に俺たちだけでも自己紹介しときます。こいつがしょっちゅう美少女に間違われるのは気にせず、身長は気にして牛乳を毎日欠かさない大江静夜です」
「──身長が充分だからって智帆が嫌味だ。そういう事言うんだ、そうなんだ、ちなみに言っている本人は「目がどんどん良くなる」とか「一週間で近眼とさようなら」とかの本をつい買ってしまう秦智帆くんです」
 目が笑っていないくせに満面の笑みを浮かべて、好き勝手言い合っている少年たちがおかしくて、久樹は笑い出した。
「面白いなお前ら。その、さっきは爽子に敬語くらい使えよ!って態度とって悪かった。爽子とは生まれた時からの幼馴染みで、織田久樹っていうんだ。久樹って呼んでくれ。──あと、俺にも敬語じゃなくて普通に話して貰っていいか?」
「えっと、それはどうしてですか?」
 静夜が困って尋ねると「いや」と久樹は頭をかいた。
「なんか年が上ってだけで、敬えってのは変だろ? お前たちとは普通に友達になれそうな気がしたんだ」
「距離、詰めてくるのが随分と早くないです?」
「まあ、ほら。そこは爽子の友達なら、俺の友達でもあるってことで」
 頼むよ!と手を合わされて、静夜は智帆を見やる。
「まあ、いいんじゃないか? じゃあ久樹さんって呼ばせて貰う」
「久樹さんってなんか新鮮だな! いや、いいよ、ありがとな。それで、俺はどう呼べばいい?」
「みんな名前で呼ぶんで。呼び捨てで」
「分かった。で、一つ質問があるんだけどいいか?」
 改まった久樹の質問に、二人は肯いた。
「牛乳と本の効果の程は?」
 ニヤリと笑って久樹が問う。智帆と静夜が凍りついた。
「――それは」
「えっと」
 言葉が詰まっている。反撃可能ポイントに気付いた爽子が、威勢良く背筋をピンと張った。
「効果は出てないって、雄夜くんが言ってたわよ」
「雄夜の奴。自分がちょっと背が高くて視力もいいままだからって」
 拗ねた声で言って、静夜はくるりと久樹と爽子に背を向ける。子供っぽい態度が可愛くて、身長はまだこれからだよと爽子が慰めた。智帆はコンタクトは苦手だし手術もちょっとなぁと天を仰ぐ。
 久樹は握手を求めて手を伸ばした。
「改めて、よろしくな」
 智帆がごく自然に伸ばされた手を握り返した。背を向けていた静夜は顔だけ振り向かせて、肯いてくる。
「じゃあ、今度こそ、白梅館に戻ってるから。あとで引越しの手伝い、お願いね」
 爽子が両手で拝む。
「俺らはちょっと用事があるんで、また後で」
 智帆はひらりと手を上げて、静夜と二人で白鳳館へと歩いていった。久樹はしばらく、先刻まで自分たちが居た建物に消えていく少年達の背を見送る。
「さっきの静電気、痛かったの俺だけじゃなかったかもだぞ」
「どうして、久樹?」
「静夜、ずっと手を隠してたからな」
「そうだった?」
 首を傾げた爽子の額を、久樹が軽く小突く。気にする程の問題でもなかったかと呟いて、歩き出して足を止めた。
 レンガ調の歩道に、色が落ちている。
「なんだ?」
 ――ぽたぽたと落ちていた赤黒い染み。
「どうしたの?」
「そこ、赤くないか?」
 久樹の言葉に、爽子はまばたきをした。
「本当ね。絵の具かしら?」
「いや」
 久樹は赤黒い染みに、絵の具ではないモノを連想をした。けれどその想像は不吉な気がして、口をつぐむ。
 ――血に見えた。
 不吉な想像を消す為に、強く首を振る。
 咲き誇った桜の散り花が、雨のように二人の体に降り注ぐ。一枚、二枚。そして花びらは、道の上に落ちた赤黒い染みを埋め尽くして――消した。



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