[第一話 サクラ咲く]

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No.02 散る櫻花

 春休みの期間中は帰省する生徒が多い。
 ただし帰省は強制ではないので、寮である白梅館の十階エリアには住人が残っていた。
「爽子さん、無事に幼馴染に再会したかな」
 紅茶色の髪と目を持つ大江静夜が、天気が良いからと窓に干した布団にもたれかかってのんびりと呟く。
「手紙を送りつけてきたのは先方で、拒否権は爽子さんが持つわけだ。会えていると考えるのが無難だろ。それより静夜、干した布団に懐いてるとそのまま落ちるぞ」
 癖のあるココアブラウンの髪と眼鏡が印象的な秦智帆がケトルを握りしめたまま、キッチンから窓を確認して、声をなげてくる。
 布団に体重を預けたままの静夜は、のんびりと首を振った。
「落ちたとしても、下の窓に着地するよ」
「建物から弧を描くように落下する場合、下の窓に着地する可能性は低いだろ。そもそも窓の隙間なんて、猫ぐらいしか入らない。鳩に入られたらもっと問題だ」
 親切なのか馬鹿にしているのか、判別のつけ難い親切さで智帆が言葉を重ねてくる。静夜は聞き流し、さらに体重を布団にかけた。
 二人の会話に惹かれたか、背後の引き戸が開いた。鋭い顔立ちの大江雄夜は、静夜の二卵性双生児の片割れだ。彼は仁王立ちして腕を組む。
「静夜、やめろ。冗談抜きにお前なら落ちる」
 びっくりした顔で静夜が振り向く。
「あれ? 雄夜、帰ってきてたんだ。そもそも何時に出かけたの?」
「今朝の四時だ」
「すごい時間だね。それで出かけた理由は?」
「いつでも犬の散歩をよろしくねって言われている。スイに呼ばれた気がしたからいった」
 スイというのは雄夜の友達の老夫婦が飼っているシベリアンハスキー犬の名前だ。
「――それでスイが満足するまで走りまわっていたわけ? 雄夜、それって不審者っぽいんだけど」
「スイは楽しそうだったぞ?」
「そもそも呼ばれた気がするってなに? テレパシーでも持ってるの? 朝の四時にシベリアンハスキーと全力疾走するのはちょっとダメだよね、新聞配達の人が驚きすぎて心臓発作を起こしたら大変だと思うから」
 静夜が言葉を重ねるごとに、無言のまま雄夜が拗ねていく。まあ気をつけなよと言ったところで「会心の出来だ!」と智帆が高揚した声を上げた。
「昼ご飯が完成したの?」
 キッチンに移動して尋ねた静夜に、智帆が親指を付きたてる。拗ねたままなのもおかしいので雄夜もキッチンに出てきた。
 玄関の方から騒々しい声が聞こえてきて、扉が開く音がする。
「──雄夜、鍵かけた?」
「俺たちしか居ない、だから必要ない」
「いや、一応、かけておこうよ。ああやってとりあえず開けてみよう!っていうのが出てくるんだから」
 思いっきり呆れた顔をしてから、声の上がっている玄関を見やる。
「なんで俺より将斗が先に入るんだよ! ドアを開けてやったんじゃないぞ!!」
「わー、うるさいんだー! ドアを開けさせてやったのにー」
「なんで上から目線!? 将斗っ!」
 騒いでいるのは声変わり前の二つの声、迎えなくても勝手に入ってくるが、あえて玄関へ向かって隔てている扉をあける。
「おかえり」
 声は温かく、けれど同世代の少女達が羨む紅茶色の大きな瞳ははっきりと冷たい。
「最近って、他人の家の玄関で騒いで良いってことになったっけ。元気が有り余っているみたいだし、一食抜いたほうがバランスが取れていいよね?」
 騒ぎの主は初等部六年の野球帽を被っている中島巧と、眼鏡を掛けた川中将斗の従兄弟同士だ。
「ごめんなさい」
 謝罪の息をぴったりと、同時に頭も下げる。
 五人共に白梅館の住人だった。
 1001号室の秦智帆、1003号室の大江静夜、雄夜の双子は四月から高等部二年A組に属する。1010号室の中島巧と川中将斗は六年C組に入る予定だ。
 理由をつけては長期休暇でも白梅館に居残る五人は、当然ながら度々顔を付き合わせるので、年齢は違うものの仲が良く、こうやって頻繁に集まっているのだ。
 今日も昼食の為に集合したというわけだ。
「ねぇ、智帆にぃ。本当にメシ作れてんの?」
「もう腹ぺこで死にそーだよー」
 今日の食事当番は秦智帆だ。
 巧と将斗は口々に言いながら椅子に座る。テーブルの上には、何故か銀色の丸い蓋が乗せられていた。「どこから持ってきた」と小さく静夜がつっこむが、返答はない。
「今日のは凄いぞ。なにせ食べ物でありながら芸術を体現しているからな」
 大げさなことを言いながら智帆が取っ手に指を置く。視線は腕時計に向けられていた。雄夜が気づいて顎をしゃくる。
「芸術がカップラーメンだったら、俺は智帆を一生軽蔑する」
「……口数が少ない癖に、こういう時だけ破壊力抜群だな雄夜。しかもなんだってカップラーメンで一生軽蔑されなくちゃいけない」
 雄夜を睨んでみる智帆に、静夜は首を振った。
「雄夜は確かに無口だけど、僕の片割れでもあるんだよね。だから実は過激なこと考えてると思う」
「陰険で過激な双子なんて最悪だな。俺はお前たちの両親に同情するとしよう」
「暇が訪れなくて楽しい双子だと思って欲しいけど」
 ダメージを受けていない静夜の返しに、智帆はふふんと威張った。
「文句はこれを見てから言え。カップラーメンではない。これは、カップうどんだ!」
 湯気と共に姿を現すカップうどん。
 一同は凝視した後、深い溜息をついた。
「普通のご飯が食べたいよ」
 食べ盛りの巧が情けない声をあげる。
 長期休暇中は、共同施設の学食は休業してしまう。居残りをする生徒には自炊能力が必須だ。毎日外食する軍資金などない。
「文句があるなら食うべからずだ。しかしお前ら全員、生活能力が欠乏してなくてもいいのにな」
「自分を除外しないことだよ智帆。言っておくけど、僕は料理は出来なくはないし、掃除だったら普通に得意だから」
 双子の家に集まっているのは、ここが一番、整理整頓された空間を保っているからだ。だが静夜の反論に、余裕の表情で智帆は答える。
「静夜の料理は確かにうまいけどな。おそろしく時間がかかって実用性がないだろ。朝から作ってなぜか完成は夜だからな。夕食当番を毎日やってくれるならありがたいと拝んでやるぞ」
「毎日なんてやったら僕の時間がなくなるんだけど。拝まれたって嬉しくないし」
 睨み合う二人を無視して、雄夜は黙々と箸を進める。カップラーメンなら一生軽蔑するが、カップうどんは有りらしい。初等部の二人も、腹が膨れるからと素直に食べ始めていた。
「爽子さん早く帰ってこないかなぁ」
 巧のぼやきに将斗が肯く。
 斎藤爽子が1100号室に入居してきたのは二週間前の事だ。帰省ラッシュの中での転入に興味を覚えた五人が、引越しを手伝ってから交流が続いている。
「ところでさ」
 インスタント食品が苦手な静夜が、智帆に謝ってから朝食用のコーンフレークをつつきながら首を傾げた。
「なんだ?」
「桜が満開になっているんだよね」
「桜の開花はまだ先だ」
 双子の片割れはカップうどんに集中していて、身も蓋もない返答だ。ため息をおとすと、静夜は雄夜の顔を窓の方角に強引に向けさせる。
「首が痛い」
「だろうね。僕は常識を教えて貰いたいんじゃないよ、雄夜。眼を開いて、ちゃんと見る」
 ――桜の花びらが風に舞っている。
「俺が帰ってきた時には開花していなかった」
「僕がさっき外を見たときも、咲いていなかったよ」
 静夜の珍しく厳しめの言葉に、智帆が時計を確認した。
「爽子さんが幼馴染と待ち合わせした時間、十二時だと言っていたよな?」
「そうそう。だから爽子姉ちゃん、今日はお昼ごはんが作れないって言ったんだ」
 将斗がテーブルの上のロールパンを勝手に食べながら答える。従兄弟の行儀の悪さを睨んでから、巧は首を傾げた。
「幼馴染みが早く着くかもしれないからって、待ち合わせより一時間早く行くって言ってたよ」
 子供たちの言葉に、静夜が紙にペンを走らせる。
「爽子さんが家を出たのが十一時。約束は十二時ごろ。僕が外を見ていたのが、十二時を少し過ぎたころだった」
「十二時二分だな。俺が最高芸術品であるカップうどんを作るべく、貴重な三分を計り始めたのは正午になると同時だった。その少しあとだったからな」
 やけに細かい智帆の補足も静夜は書き加えた。
「巧と将斗が家を出たのは?」
「十二時過ぎたなと思ったから廊下に出たよ。でも細かい時間なんて覚えてない。将斗は?」
「忘れたー」
 面目なさそうな中島巧と、川中将斗の頭に、雄夜が両手を置く。
「智帆が異常なんだ。気にするな」
 異常呼ばわりされた智帆は苦笑した。静夜は話の腰を折るんじゃないと、双子の片割れをいなす。
「智帆、僕が二度目に外を見た時間は?」
「十二時十五分」
「じゃあ、十二時二分から十二時十五分までの十三分間に、桜は満開になったって事になるね」
 達筆な字で、最後に紙に時間を記した。
 ──十三分。
 こんなにも僅かな時間に、次々と開花して満開となり、散り始めてすらいる桜。
 静夜が立ち上がったので「異常か?」と雄夜が尋ねた。
「これが異常って言葉で表現しちゃいけなかったら、なんて言うべきかな」
「分かった」
 短く答えて、雄夜が先に玄関に向かう。
 雄夜のことが大好きな初等部組も反応して、彼を追いかけた。残された智帆は窓に寄って厳しい顔をする。
 静夜は智帆を見やり、紅茶色の眼を細めた。
「智帆、風は?」
「止まっている」
 短く答えて、智帆も尋ね返した。
「水は?」
「なにかを警戒しているみたいなんだ」
 廊下を駆け去る雄夜たちの足音が響いてすぐに消える。住人がほぼいないので、白梅館は自分たちがいなければ静寂に落ちるのだ。
「――なにか起きると思うか?」
 智帆が鋭く呟く。
「起きない、とは言いきれないかも」
 静夜はゆるやかに首を振った。


 桜が散る。
 狂おしいまでの鮮やかさで、桜は散る。
「夢なの」
 娘がうっとりと呟いた。
 唇に、偽者の赤を引こうとしている。小指の先で貝殻につめた紅を取って、唇の輪郭線よりも大きく引く。
 ひどく、不安定なあでやかさ。
 少女の唇に、大人の紅が乗る。
「全てを今のままに留めるの」
 楽しいと笑って、少女はくるくると緋色の裳裾を風に揺らせて舞う。
 風に散る花びらのように。
「誰かに分かるかしら? この美しさが。誰かが理解できるかしら。この崇高さが」
 桜の花びらが地面にしきつめられ、足元は淡いピンクがかった白一色だ。
「染めるの。白い花びらを、赤く染め上げるの。時が人を醜くする前に。時が人を不透明にしてしまう前に」
 娘は舞う。
「この手で、この刃で」
 一部分だけ艶かしい、紅を差した唇で娘は呟く。
「殺してあげる」


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