[第一話 サクラ咲く]

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No.01 散る櫻花

「……次は――白鳳学園駅」
 ノイズ交じりのアナウンスを聞いて、生成りのジャケットを着た織田久樹は顔を上げた。
 ホームに着くまでの僅かな間に、電車内を改めて見渡す。
 地上を走る電車であれば、水先湾と呼ばれる海と、大掛かりな開発が進んだことで、旧さと新しさが雑多に同居する街並みが見えるところだ。残念ながら地下鉄の為、久樹の視界に入るのは乗客たちだけ。
 小学生くらいの子供が興じている携帯ゲーム機が不意に大きな音を立てた。焦った顔でイヤホンを差しなおすのをなんとなく見やる。
 記憶が刺激され、ゲームをしていると覗き込んできて「何がそんなに楽しいの?」と首を傾げる幼い少女を思い出した。
「白鳳学園駅。右側の扉が開きます」
 アナウンスを合図に回想をやめ、立ち上がる。定位置で停車し開いたドアからホームに降り、改札に向かいながら周囲を観察した。
「ちょっと古くなっただけで、なんにも変わってないな。拍子抜けだ」
 三年ぶりに訪れたのだ。別人のような姿を向けられて、疎外感を覚えて切ない気持ちを味わうのだと思っていたのだが。
 ICカードで改札を通り、三年前に毎日利用していた出口を目指す。近づいてくる地上からの風に雨の気配はなかった。
「あいつ、来てるかな」
 手紙というレトロな連絡手段で、帰る日時と待ち合わせ場所を送りつけ、以後は携帯の電源を切った結果をどうなるか早く知りたい。
「本当に久樹だ。嘘じゃなかったのね」
 背後から懐かしい声がした。振り返って、三年前はまだあどけない少女だった斎藤爽子を確認する。
「年取ったな爽子」
「ちょっと、いきなりそれ? 実際に会うのは久しぶりでも、電話とかしてたじゃない。なんで私を怒らせようとしているの」
 呆れたように爽子が肩を竦め、さらりと長い黒髪が揺れる。その質感は映像では分からないものなので、久樹は自然とニヤリとした。
「なにニヤニヤしてるの、間抜けに見えるんだから」
 アスファルトを叩く靴音と共に爽子が近寄ってくる。これも新鮮でリアルだった。
「どうせなら、綺麗になったくらい言ってもいいでしょ?」
「実際に言ったら、セクハラ!って断定して、俺を糾弾するつもりだろ?」
「ちょっと、攻撃的な人間みたいに言わないで。わたし、そんなことないんだから」
 爽子が声のトーンをさげて久樹を睨むようにする。怒っているように見えるが、口元は笑いをこらえているので、久樹はわざとらしく肩をすくめた。
 わざと喧嘩のようなじゃれあいをするのも、三年ぶりだ。
 過ぎ去った月日の現実と、過ぎ去ってもなお変わらないものと、それがあることを確認出来る今がとても楽しい。
「充分に攻撃的だった気がするけどな。近所の悪ガキを丸め込んでいた勇姿、俺の記憶に鮮明に残ってるぞ」
「だって久樹が言い返せなくて、いつも負けちゃうんだもの。代理で抗議するしかないじゃない。あれで攻撃的になったっていうなら、久樹のせいなんだから責任を取ってくれる?」
 爽子の答えと同時に笑いだす。
 二人は幼馴染だ。
 しかも同じ日、同じ産院で産まれている。それだけでも凄い偶然だというのに、引っ越した先で隣同士になったのだ。これはもう運命すら感じてしまって、両家はまるごと一家族のようになり、二人は兄妹のように育ってきたのだ。
「あーもう、昔の話はおしまい! 改めて、手紙をありがとう久樹。でも、いきなり日付と待ち合わせ場所だけ言ってくるって乱暴よ。電話も出ないし」
「爽子が来るかどうか、試したくなってさ」
「試すなんて良くないんだから、久樹だから許すけど。それで、どっちだと思っていたの?」
 悪戯な瞳を爽子は久樹に向けた。
「どっちって、何が?」
「わたしが来るのと来ないの、どっちの可能性が高いと思っていたの?」
「来るの一択!」
「うん。久樹、白鳳学園大学部合格おめでとう。その、お帰りなさい」
 表情を柔らかなものにして、爽子が握手を求めてくる。ネイルされた爪先の飾りが靴とお揃いなことに気づいて何故か気恥ずかしくなった。
 照れ隠しで、力をこめて手を握り返す。
「もう、痛いって」
「爽子はどっちだと思ってた?」
「なにを?」
「三年前に俺が引っ越すとき。大学生なら一人暮らしも出来るんだから、戻ってきたら良いって言ったよな。結果はどうなるって思ってたんだよ?」
 泣いている爽子に言われた時、久樹は彼女を抱きしめたいと思ったのだ。それで兄妹ではなく恋愛対象として見ていた事に気付き、三年後に戻ってくる目標のために懸命に努力した。
「久樹が戻ってきてくれる……うん、半分は信じてたよ」
「なんだ半分かよ。まあいいか、それより学生寮にするために立てられたマンションってどんな感じなんだよ?」
「学園長の趣味だと思うけど、かなり贅沢。通信系は自由に使っていいし、学園のネットワークにつながる端末は全室完備。部屋は基本個室でバストイレつきよ」
「なんだその贅沢さ」
「学園側が用意した施設を使って、炊事洗濯を任せきりにする子もいるけどね。折角だからと自炊してる子もいるの」
「自炊は俺には無理だな」
 久樹は無駄に胸を張った。
「中等部の調理実習の時、味噌汁を作るのに鍋に直接味噌をいれて炒めて焦がしたものね」
「俺は男だからいいんだ」
「うわ、古い。なにその古い主張」
 単に料理の才能がないだけでしょと爽子が言ってくるので、久樹は演技がかった仕草で肩をすくめた。
「それより、なんか爽子の言い方がちょっと気になるんだけどな」
「どうして? あ、久しぶりだから妹みたいに甘えて欲しかった? 久樹お兄ちゃん」
 甘える妹のように腕を組もうとしてくるので「やめろって」と逃げる。久樹は爽子が恋愛対象と気づいてしまったから、兄妹を演じられるのは嫌なのだ。
「ごめん。それでなにが気になるのよ?」
 爽子は作った表情を戻して尋ねた。
「なんかな、寮のコメントが妙に実感がこもってるなって」
「そうかも」
「誰かに聞いたっていうより、住んでる人間のリアルな。――は? 住んでるように?」
「そうそう。結構快適よ。男子と女子とで居住場所が分かれてないのは驚きだけど。海もよく見えるの、潮風のせいで銀製品は外に置いとけないけどね」
「まさか爽子」
「うん、私も寮に移っちゃったのよ。賃料も安かったし。ほら私たちが住んでたあたりって、通学するには遠かったでしょ? 便利かなって」
「呆れた行動力だな」
「そりゃあ私は久樹の幼馴染だもの。さ、行きましょう」
 爽子が走り出す。三年間の空白が簡単に埋まった嬉しさのまま、久樹は追いかけた。
 そのまま道なりに進むと、白鳳学園の建物の一部が見えて来る。
 地下鉄の駅名の一つになったここは、初等部、中等部、高等部、大学部の四つを保持する大規模な私立学園だ。
 白鳳学園の正門から続く道は左右に広がっている。正門に近い順に、左右に初等部炎鳳館、中等部地鳳館、高等部風鳳館、大学部水鳳館と続いていた。直進する道は、共同施設である白鳳館に続いている。
 まずは生徒証明カードを取得するのが最優先だ。
「カードが寮の鍵になるとかホテルみたいだな」
 久樹は爽子のカードを取り上げて眺める。便利だけど、と幼馴染みは肩を竦めた。
「便利過ぎて無くした時が怖いの。施設で買い物も出来なくなるから」
 生徒証明カードに支払い機能を付加したのは、生徒が現金を持ち歩くのを嫌って導入されたシステムだ。各生徒の保護者が設定した限度額までの決済が、学園内の店舗でのみ可能となる。
 白鳳学園がすぐ側に迫ってきた。敷地はぐるりと塀に囲まれており、そこから淡い色が溢れだしている。
「爽子、桜が咲いてるぞ」
 ぽかんとして久樹は顔を上げ、塀から覗く満開の桜を見上げた。隣で爽子も息を飲む。
 新学期が始まる前の道路の人通りは少ないが、すでに散った花びらの一部は踏まれて茶色に変色している。完全に綺麗なままでいるのは、塀側に積もったものだけだ。
「気温が低い日が続いてるから、桜の開花は遅れるってニュースを今朝見た気がするんだけどな」
「……そうね。私もそれ、見たわ」
「じゃあ、これはなんだよ?」
「見て分からない? 満開の桜よ」
 唖然とする久樹に強いて冷たく答える。視線だけを向けられて爽子は肩を竦めた。
「実は私も驚いてるの」
「なんでだよ」
「だって、久樹を迎えに行く時には咲いてなかったから。一時間前くらいよ、なんで咲いてるの?」
「たった一時間で満開になったってか? そんなのアリかよ?」
 困惑のまま早足になって、二人は学園の敷地内に入った。
 そこでも満開の桜が広がっていた。
 ひらひらと舞い降りて肩に触れてくる花びら。
 桜の花びら一枚一枚は儚く美しい。けれど季節も種類も無視して狂い咲く様子には、悪寒を感じさせるものがある。
「凄まじいな」
 それしか言葉は出なかった。


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竹原湊 湖底廃園
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