第42話 戦場
第41話 憐情HOME第43話 覚悟



「あまり離れるんじゃねぇぞ?」
 幾度となく繰り返した言葉を、放浪公王ロキシィは繰り返す。
「分かっております。ここで死ぬわけにはいきませんから、大丈夫です」
 はっきりと答え、少女が頷いた。 
 目の前に続く、白亜の石橋アポロス。広がるのは戦場だ。
「どうにもこうにも、俺の趣味じゃねぇことばっかだ」
「ロキシィ父様! 我侭ばっかり言わないの!」
 間髪いれず飛びこんで来た高い声に、ロキシィは肩を竦めた。
「シュフラン。口煩せぇ女は嫌われるぜ?」
「そんなことないもん」
 騙されないわ、と胸を張った一人娘に、ロキシィは意地の悪い視線を向ける。
「なんで言いきれるよ」
「だって、ロキシィ父様は、ネレイル母様と結婚してるじゃない。ネレイル母様は、物静かではないわ」
「やれやれ。ガキのくせに、変に知恵が回る奴だ」
 大袈裟に天を仰いだ後、真顔になって戦場を睨んだ。
 ザノスヴィアの兵士が操られている気配はない断言したのはティオス公子アトゥールだった。操られているのは、国王ノイルただ一人だと予測している。
 ランプの下で、アトゥールは皇国に戻る為に強引な作戦を決行すると決断した。
「こっちにリィスアーダ姫がいるってことを表立って使うわけか」
 日が落ちかかる時刻になった為か、まばらに生えてきた髭を撫でながら、ロキシィが確認する。血に濡れて使い物にならなくなった服を着替えたアトゥールが、静かに肯いた。
「元々、ザノスヴィア王国ではノイル国王の人気は低いと聞きます。当然ながら、期待は次の王に行く。けれど、王太子はまだ子供。結果として、王太子を補佐する役割を持つリィスアーダ姫に、民の人気が集中しています」
「―― 良く、そんな事をご存知で」
 驚きに揺れるリィスアーダの漆黒の眼差しを見やって、最強で居続ける為には情報収集が命ですから、とアトゥールは答える。
「リィスアーダ姫―― その時はマルチナ姫ですが、姫君がエイデガル皇国内に止めおかれて、民は不満を露にしたといいます。逆に政治を担当する者達は、必要以上に民の人気を集める姫が国外にあるのは都合がいいと考えたようです。結果、特にリィスアーダ姫を取り戻す為の手段は講じられず、ノイルはあろうことかエイデガルとの戦端を開いた」
 他国にとどめ置かれている王族は、人質の意味を持っている。
 その人質がいる間に、攻め込んだら普通どうなるか。
「―― 殺されるわ、普通」
 真剣な眼差しで、語られる言葉に耳を傾けていたシュフランが発した答えに、静かにアトゥールは肯いた。
「それが普通ですね。だから、今攻め込んできているザノスヴィア王国の者達はリィスアーダ姫は既に殺されていると考えていることでしょう。内心、姫を見捨てたノイル国王に対する怒りがくすぶっているはず。なにせ姫君は、民達に人気があった。そう―― 軍を構成する大多数の兵士達にです」
「なぁるほど。それで、リィスアーダ姫が突然現れたら、敵さん動揺するわけだ」
 ぽん、と手と手を打ち鳴らすカチェイに、アトゥールは視線を流す。
「それを利用すれば、敵は内側から崩れる。なにせ、指揮官クラスの人間よりも、兵の数のほうが圧倒的に多いんだ。ただ―― それにはマルチナ姫の力も必要になる」
「はぁ? なんでだよ、アトゥール?」
「マルチナ姫が傾国の器であることは知っているだろう?」
「―― な、なんのことかな…」
「その時の心情をばらしていいなら、披露してもいいよ。ここで」
 ひどく怖いことを言い切られて、カチェイは渋々肯いた。
「ったく。十歳のシュフランがいる前で話すことじゃねぇぞ。まあ、否定はしないけどな。あれはようするに、不可抗力だろう? 魔力よるものだったはずだ」
 ―― 高能力の魔力者でありながら、使用する術を封じられていた娘。マルチナ。
「あの影響を受けずにすむのは、マルチナ姫以上の能力を持つ魔力者か、私たちのように特殊な者達だけだろうね。だから、リーレンは平気だったし、フォイス陛下や私も平気だった。カチェイも一瞬ですんだわけだし」
「まぁな。ここでマルチナ姫が登場したとしても、もう平気だと思うぜ?」
「―― 良い方法ではないけれどね。その能力を―― 多少なりとも織り交ぜる必要があると思う」
「織り交ぜて?」
 口を挟み、首を傾げるリィスアーダの肩を不意にロキシィが掴んだ。ひどくふてぶてしい笑みを口元に浮かべている。
「如何に人気のある姫君が軍を引けと命令しても、そう簡単に軍が動くわけじゃねぇからな。命令されて動くことを厳命されてもいるわけだしな。その辺りの理性を―― もう一人の姫さんの力で崩させるか」
「……ようするに、マルチナに兵を誘惑させろと?」
 流石に顔色を変えたリィスアーダに、男三人はバツの悪そうな表情になる。
 良く意味が分からずに、それでも女性の本能で嫌な気がしたのか、シュフランがリィスアーダに擦り寄るようにした。庇っているつもりなのかもしれない。
「良い方法ではないは分かっているし、マルチナ姫に異性を誘惑しようと考えるつもりがないのも分かっているけれど。今は―― 他に方法がない。というより、私には考え付かない」
 悪いとは思っているのだろう。どこか声音が重いような気がして、リィスアーダはゆっくりと息を吐いた。
「けれど―― 今のマルチナは完全に眠らされていて、起きないのです」
 寒さに凍えるのに似た仕種で、両腕を押さえてリィスアーダは瞳を曇らせた。
 目の前にいる三名が、自分とマルチナの間に何事かが生じたと見当を付けているのは分かっている。
 ―― そう、確かに起きたのだ。
 あの日は朝から静かで、母親のミファエラ……本名はミーシャである女は、正気を保っていたのだ。リィスアーダもマルチナも、母が正気である時間がひどく好きだった為に、自分達の意志でころころと体の所有権を変えながら、会話を続けていた。
 気づかなかったのだ。
 父、ノイルが会話を盗み聞きしていたことに。
 閉ざされた魔力者たちだけが住む場所がある。その場所を―― 行き方を、探っていたのだということに。来る日も、来る日も、父は盗み聞きを続けて、場所を知ってしまったのだ。
 親衛隊が、不可思議な出兵を繰り返すのに疑問を持った。
 けれど何を父王ノイルが指示しているのか分からないまま、あの日が訪れたのだ。
 頭を押さえて、獣のような悲鳴を上げた母。
 慌てて取り縋って、必死に母親をなだめようと寄り添っていた夜。
 ―― 彼が現れて。
 最初に、自分が封じられた。
「リィスアーダ姫?」
 やんわりと心配そうな声をかけられて、肩を震わせて目を見開く。
 視界いっぱいに飛込んだのは、深淵の闇のような色をした少年の瞳ではなく、青緑色の優しげな色彩の眼差しだった。
 ―― あれは、過去だ。
 現実がどこにあるのかを取り戻して、リィスアーダは呼吸を整える。
「すみません。取り乱しました。―― 恐らく、私とマルチナのどちらかが、常に封じ込められた状態になるようにされているのです。それをやったのは、彼です。エアルローダ」
「……矢張りそうだったわけだ」
「ええ。彼を見た瞬間に、分かりました。マルチナの胸が高鳴っていくのを。魔力者であるマルチナは、母の望郷の念を強く受けついでいます。本能的に、血の近しさをエアルローダに感じたのでしょう。そして―― 血の近しい者同士は、相手を暗示にかけるのも支配下に置くのも容易なのだそうです。母が言っていました」
 結果リィスアーダは封じ込められ、マルチナは中途半端に操られることになった。
 リーレンを見つめた瞬間に、マルチナが彼に憧れの念を抱いたのも―― 同郷の相手であることを、本能が嗅ぎ取ったからであったのかもしれない。
「私が戻ったのは、貴方達の側に長く居た為だと思います。エアルローダの魔力を封じることになるでしょうから。けれど―― まだ、私たちは支配下から完全に離れることが出来ていない」
 どうやれば戻れるのか、その方法が分かりません、と首を振る。
「…ミレナ公王は、銀猫宝珠を持参なさっていると思うのですが」
 いきなりのアトゥールの言葉に、ロキシィは眉をつりあげた。
「お前は本当にガキだな。もうちっとマシな会話は出来んのか。ったく。まぁ、持ってきてはいるな。否定はしねぇよ」
「それと、ミレナ公王の力があれば、リィスアーダ姫にかけられた呪縛は断ち切れるはずです。なにせグラディールが正気に戻っています。恐らく、天馬宝珠の力をアティーファが借りたのでしょう。同じ事が可能なはず」
「ふん、なるほど」
「では……私は、マルチナが覚醒する間まで、魔力をとどめておけばいいのですね? 確かマルチナが異常なほど異性を魅惑するようになったのは、私という魔力解放者が居ない為だったとおっしゃいましたよね?」
「そうだと考えています。―― これなら、時間をかけずにザノスヴィア王国軍との争いを終結さえることが可能です。今は…これしか方法がない」
 上策とは到底思えぬことを、指示するのは苦痛なのかもしれない。
 何時になく歯切れの悪いアトゥールに首を振り、リィスアーダは立ち上がった。
「一つ、条件があります」 
 凛とリィスアーダが言い切る。
「その作戦の成功は私にかかっています。ならば―― 作戦の成功後、私はエイデガル皇国がザノスヴィア王国を正式に援助する約束を、文書として求めます」
「随分とザノスヴィアに分のいい話しだな」
「お嫌ですか? ミレナ公王。皆様が恐れているのは、ザノスヴィア王国を完全に制圧せねばならない事態になることであるはず。ならばこの筋書きは持ってこいのはずですわ」
「筋書き?」
 興味あるね、という表情でカチェイが視線をあげる。何を言い出すのか分かっていたのか、アトゥールは広げた地図に目を落としたままだ。
「簡単です。ノイルの異常性に気づいて、外交を隠れ蓑にして逃げてきた王女をエイデガル皇国が保護。案の定無謀にも攻め込んできたザノスヴィアを鎮めるようにとザノスヴィア王女より依頼をうけて、エイデガルは軍を起こした。結果、ザノスヴィアの進軍は食い止められ、無事王女は国に戻る」
 なにか問題でもありますか? と問い掛ける漆黒の眼差しに、ロキシィはいきなり笑い出した。
「いやはや、楽しい姫さんだ。ザノスヴィアの未来は明るいかもな。良かろう。俺の名前で、約束してやる。なにフォイスなんぞに俺の約定を破らせはせんさ。皇王は、公王との約定を重要視するからな」
「―― どうして、ロキシィ父様?」
「エイデガルが最強で居る為には、五公国が必要だからな。五公国が安泰でいる為には皇国が必要だ。だから、双方ともに互いを大事にする」
 前にも言ったが、政治なんて奇麗事じゃねぇぞと娘の頭を父親は撫でた。
 そして今、白亜の石橋の前まで進んで来ている。
 空気が張り詰めていくのが良く分かる。ぞくぞくするような心地よさを感じて、ニヤリとロキシィは笑った。
 一見すれば立派な軍勢を揃えているが、実戦となったら風鳥・金狼両騎士団がろくに動かないことを知っている。なにせ、彼等の主君は先行して皇都に戻ることを選択した。
 途中で出くわすだろうガルテ公国の獅子騎士団を使って、皇都への援軍をまかなおうというのだ。
 ザノスヴィア王国軍側には、この戦場にリィスアーダ姫を伴っていることを先ほど公表した。
 それが事実だと見せ付けるべく、今、リィスアーダと公王ロキシィは戦場へと歩んでいたのだ。
「さて、姫さん。大丈夫だな?」
「ええ」
 答えて、彼女はロキシィに続いて石橋に上がった。
 吹き付ける風が、漆黒の髪を揺らせる。昨日吹き荒れた暴風によって、雲一つない青空が寄せる陽光が、白磁のようなリィスアーダの頬を照らした。
「わたくしは、ここに断言します」
 静かに、声を風に委ねる。
 しん、と場が静まり返った。
 万に近い人間たちが、息を詰め、成り行きを見守る―― どこか異常な静寂。
 つい、と指を持ち上げ、一点をリィスアーダは指差した。
「貴方は国を豊かしない。ただ貧しさを与えるのみ。国費の大半を軍備に使用し、潅漑も、援助も、食料解放もしない貴方に、民を幸せにすることなどは出来ない」
 今まで、誰も名指しで非難した事はない男のことを。
 実の娘が弾劾する。
「だから私が判断します。時期王を補佐し、現王を諌言する役割を持つ私が。―― 貴方は退位すべきです。ノイル・アルル・ザノスヴィア! そして、我が民は今すぐ武器を捨てなさいっ!」
 可憐な少女が、一息に言い切る。
 ザノスヴィア兵の動揺が、ざわめきを生み出したことを確認し、ロキシィは銀猫宝珠に抗魔力を込めた。
 敵を動かさねばならない。そして一人が動けば、集団は連鎖するのだ。
 最初の一人を得る為に、リィスアーダではなく、マルチナという少女の力を呼び起こす。
 ―― 壊れる。
 彼女を捕らえ、束縛し続けたエアルローダの魔力が、壊れる。
 はらり、と。髪が揺れて頬にかかった。
 同時に長い睫がたわむ。みるみると、滴が漆黒の双眸を満たし、こぼれ、頬を伝い、細いおとがいから大地へと落ちた。
「……わたし…は…」
 発する声がリィスアーダとは完全に異なっている。―― 空気の濃度が、倍に凝縮されたような感覚。
 背筋に、言葉にし難い衝動が走り抜けて、ロキシィは身震いした。
 これが魔力抑制の結果かと口の中で呟きながら、ロキシィは故意に妻のネレイルを思い出してみる。そんなことをせずとも、マルチナの力に負ける事はないのだが、そうしたくなった。
「……わたしを…苦しめないで…」
 声は風に乗ってザノスヴィア王国軍へと流れ。
 そしてついに一人目が、武器を捨てた。


「私は全てを奪われたの。分かるでしょう。この悔しさが。この憤りが。本当はあなたが皇子なのに。私があの人の妻なのに。分かるでしょう、ねぇ、分かるでしょう」
 そう言って、かき抱かれる。
 悔しいと言って、母は泣く。
 復讐をしてと言って、母は泣く。
 昔が懐かしいの、と言って母は笑う。
 ―― 決して、自分を見つめたりはしない。
「ねえ、エアルローダ。見えるでしょう? あいつらよ。血の流れが近いから、分かるでしょう?」
 五感の共有によって、遠くに佇む近親が見つめるものを見ることが出来る。
 だがこれは単なる五感の共有ではない。絶大な魔力を貯えていった母が、二人の近親者の周囲の気配を読み取って、目の前に映像として投影しているものだ。
 そんな事まで出来てしまうのかと、正直驚いていた。
 日だまりの中の少女が、投影された光景の中で、笑っている。
 似ている。彼女は―― 一番辛いときに、突然現れては消えるティフィに似ている。
「似ているね」
 ぽつり、と呟いた。
 どんな言葉を言ったとしても、現実を刻む今を認識しない女が、突然子供のように首を振った。
「似てないわ。全然似てないわ。だって、あれはあの人の子供じゃないのだもの」
 誰と、似ていると言われたと思ったのだろうか?
 母は首を振る。それこそ、壊れた人形のように首を振る。
「……似てないよ」
「そう。そうでしょう。エアルローダ。あの女が、レシルと名乗る権利なんてないのよ。貴方が名乗るのよ。レシリスと。だって、貴方がフォイスの息子なんだもの」
 フォイス、と呟くときだけ、母の眼差しには幸せが宿る。
 映像に目を凝らせば、銀の髪のフォイスが娘を探していた。
 本当は似ていると思う。フォイスと娘は。
 本当は似ていないと思う。フォイスと自分は。
「エアルローダ、復讐をして。いつかあの国を手に入れて。私が死んでしまっていたら、私がいる場所にあの国の全てを送って」
「―― それが、母様の望み?」
「そうよ。それしか望まないわ。だから強くなって、エアルローダ。だってあそこには、姉様と兄様の子供がいるのよ。純血の魔力者よ。そう簡単には勝てないわ」
 力を手に入れて、と母は我が子に願う。
 狂気におちた親から産まれた子供は、莫大な力を持つといわれている。事実、エアルローダの能力はかなり高い。けれど―― 純血の魔力者を凌ぐわけではないのだ。
 だから、母親は願う。
 我が子が魔力を常に発しつづける状態になれるようにと。
 常に激しい力を放出出来るようにと。
 放出する痛みに―― 慣れることが出来るようにと。
「何歳まで、生きていられるのかな」
 エアルローダが小さく呟く。
 生まれ落ちた瞬間から、復讐することだけを求められてきた。力を伸ばし、純血の魔力者の妨害を退け、あの国を手に入れることだけを望まれてきた。
 それでいいと思ってきた。
 森の中で。あの少女に出会うまでは。
「ティフィ…」
 生きろと言った。死んでしまってはダメだといった。
 初めて……”自分”を抱きしめて、泣いてくれた、女の子。
「ずっと生きる必要なんてないわ。だってあの国を滅ぼすに相応しい年齢になればいいだけ。二十歳を数える必要だってないわ。出来るでしょう、エアルローダなら」
 ぐい、と両頬を白い手で捕まれる。
 狂気だけを宿した眼差し。
 優しさを宿すときは、フォイスとの思い出に浸るときだけ。
 ―― それでも。この女が母親なのだ。
「―― そうだね」
 答えて、黙り込む。
 女は呪詛を吐き続ける。同じ言葉を村人も吐く。
 空ろで―― たまらないほどに腐った、村の中。
 重い足をひきずって、森へと出る。
 リルカがフォイスに出会った場所。
 自分がティフィに出会った場所。
「もし、僕が生きていくのが正しいのなら。会いたいよ、ティフィ」
 どうして何時も、すぐに消えてしまうのか。
 どうして彼女は、成長していないのか。
 拳を握り締める。ふわり、と何故か白い光が握った手を包み込んだ。攻撃的な力には見えない。むしろひどく優しくて、まるで引き合う道標のように穏やかな魔力の光。
 ―― 引き合う?
「ティフィ?」
 呆然と呟いたエアルローダの目の前で。
 光が舞い下りた。
「ここは? ……エア?」
 周囲を伺うようにして、探すようにして、彼女は口を開く。
 亜麻色の髪。明るい―― 健やかに日差しをうけて芽吹く翠と同じ色の眼差し。
 小さな子供の頃に、出会ったときと少しも変わらない姿で。
 彼女にしてみれば、成長している自分の方が不思議なのだ。
「ティフィ」 
 だから、呼ぶ。彼女に認識してもらう為に、特別な名を呼ぶ。
 振り向いて、自分を認識する瞬間の眼差しが好きだった。
 最初に焦点があって、驚きを浮かべて、認識をして、彼女は笑うから。
 ―― 間違いなく、自分を認識して行われている動きだから。
 二人は出会いを繰り返す。
 純白の、二人を導く道標のような力に誘われて。
 一人は復讐を願われる子供。
 一人は全てに愛され続けてきた子供。
 同じ魂の形をしていた、母親から生まれた二人。
 邂逅の度に、アティーファは無意識に”エアルローダ”と”エア”の類似から目を背けていった。
 復讐すべき相手が成長するに従って、ティフィに似てくることを、エアは故意に忘れようとした。
 ―― けれど二人とも知っていたのだ。
 目の前に佇む相手こそが。―― 敵として認識せねばならない相手だと。
 現実に目を背けて、肝心な部分から逃げて、繰り返された邂逅。
 


 はらり、とエアルローダの頬を伝うものがあった。
 驚いて手で押さえて、悔しそうに舌打ちをする。
「僕が涙を流している場合なんかじゃない」 
 腕に抱き上げたアティーファに視線を落とし、決して誰にも見せない悔しげな表情を浮かべる。
「ようやく僕はティフィと会ったんだろうね。邂逅は瞬く間に終わって、あの終わりを見つめるはずだ。早く目覚めてよ、ティフィ。そして僕を恨むといい」
 死者の呪いの成就の為に、ただ動く。
 そんなこと、馬鹿らしいと叫ぶのがアティーファだろう。きらきらと覇気に輝く瞳で、怒りを露にすることだろう。
「でもね、僕はティフィに会いたかった。なら、乗ってやってもいいと思ったさ。可哀相な死者たちの―― 恨むことしか出来なかった弱者たちの、希望に」
 なにせ、と低く呟く。
「この状態が訪れなければ、僕たちは出会わなかったのだからねっ!」
 叫び、矢継ぎ早の攻撃を再開する。
 リーレンを排除するに最も適切な方法は、彼に防御の為に力を使わせ続けることだった。だから、わざと攻撃をよけることが出来ない近衛兵団を殺す。
「最強を殺せるのは、最強である者だけ。そう。純血の魔力者を殺せるのは、純血の魔力者だけなんだよ」
 冷たい眼差しが見下ろす中、リーレンは引きずられるように魔力を解放した。―― 魔力解放を続ければ、エアルローダの目論見通り、いつか押さえられなくなってしまう。
 命を一瞬に焼き尽くす、巨大な魔力の放出を。
「く…う、う……っ!」
 声にならない悲鳴を上げるリーレンの目の前で、エアルローダに抱かれたアティーファの体は、再び純白の光に包まれていった。



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