第41話 憐情
第40話 出合HOME第42話 戦場



 だからこそ、発生した悲劇だった。
「ルリカは勘違いしちまった。フォイスが愛したのはリルカだったのに。リルカを通してフォイスの声を聞き、顔を見詰めていたから。思い込みは偽りの現実を作り出して、ルリカに与えた。リルカのつもりで、ルリカは森に出ていった。姿を消して戻ってきたルリカは子供を身篭ってきた。―― 本人はフォイスの子供だと信じ込んで!」
 幸せそうに、腹部に手をやる妹に掛ける言葉はなかった。
 ルリカを心配するリルカに、状況を話すことも出来ない。会わせれば、ルリカはリルカを”ルリカ”と呼ぶだろう。リルカにショックを与えたくはない。
「子供を身篭ったことで、魔力が高まったルリカが作り出す偽りの現実は勢いよく膨れ上がっていった。そして……リルカがフォイスと共に村を出た事実に打ちのめされて―― ルリカは完全に現実を捨てた」
 この上もなく、オリファは哀しげな顔になる。
 ルリカの狂気は周囲にも影響を及ぼしていった。次第に村人達は、彼女の想像上の出来事を”現実”だと思うようになっていく。リルカが出て行って半年も経たない間に、ルリカの狂気は村中を支配し尽くした。
 無事なのは、オリファとライレルとリーレンだけだった。
 だから二人は決意した。自分達が狂気に取り込まれる前に、村を後にしようと。
 出て行ったリルカの後を追い、エイデガル皇国に行こうと。
 ―― 全ては、リーレンの為に。
「狂気に侵食された村は、純血の魔力者として生を受けてしまったリーレンの能力を抑制・調和することは出来ない。村に居続けたら、リーレンはすぐに死んでしまう。俺はルリカを救ってやりたかった。リルカと、ルリカだけが、あの村の中で俺達を守ろうとしていたからな。罪をおかした俺達を…」
「オリファ! 悔いてる場合じゃないわっ! 確かに私たちは罪をおかしたわ。でも……反省したって、やり直せたとしたって、私たちはきっと同じことをした。リーレンは生まれてくるべき命だったのよ。純血の魔力者の何が悪いっていうの!」
 凛とライレルが叫ぶ。
 ―― 純血の魔力者。
 桁外れに高く、保持する者の生命力を食い尽くしてしまうほどの強い力を持って生まれる者達の呼称。
 禁じられていた。純血の魔力者を生み出してはならないと厳命されていた。
 けれどどうしようもない程に二人は惹かれあって、恋をする。
「どうして私たちは双子なの。兄妹なの!! どうして好きになった人を、愛しちゃいけないのっ!」
 叫んで、ライレルが突然走るのをやめて座り込んだ。
 慌ててオリファも足を止める。背負われたリーレンは背後をかえりみた。
 迫り来る森。迫り来る魔力。―― 本当の真実を知っている存在を排除しようとするルリカの冥い意志の塊。
 ―― 兄妹でありながら、愛し合う気持ちを捨てられなかった二人。
 純血の魔力者が一人いれば、村人達は全員でその魔力を抑制せねばならなくなる。死なせない為ではない。魔力が増幅しすぎれば、天敵であるザノスヴィア王国に村の存在を気取らせることになってしまうのだ。
 村人は、三人を殺そうとした。
 それを必死になって止めたのが、リルカであり…正常であった頃のルリカだ。
「嫌よ。なにもかもが私たちの敵になっていく。どうしてルリカが狂ってしまうの。ルリカが産み落とす子供は、純血の魔力者でしか止めれない魔力を持つわ。でもそんな相手と戦えば、リーレンは絶対に無理をする。無理をすれば、死んでしまうのよ!」
 そんなのは嫌よと、しゃがみ込んだままライレルは頭を抱えてなおも叫ぶ。
 凄まじい勢いで迫り来る冥き魔力を忘れてしまっていた。
 背後を確認し、オリファはライレルに立ち上がれと叱咤した。けれどライレルは動こうとしない。まるで壊れた人形にでもなってしまったかのようだ。
 ―― 死が迫る。
 背負われた状態で忍び寄る破滅を認識する。
 咄嗟にリーレンは手を挙げた。
 悪意に満ちていた狭い村の中で、好意を寄せてくれる相手はリーレンにとってかけがえのない存在だった。両親が好きで、リルカが好きで、ルリカが好きだった。
 優しかったから。優しくしてくれたから。―― だから守りたかった。
「お父さんとお母さんを、いじめるなっ!」 
 突然に叫ぶ。リーレンは生まれて始めて魔力を開放した。
 燃え上がる炎に似た閃光が走り、迫り来ていた闇を払拭する。かわりにリーレンの意識は、急速に消えて行こうとした。


 声を、聞いた気がする。
 何もかもが消える、手前で。
 ―― 魔力を封じなければ、死んでしまう。
 ―― 全てを忘れてしまった方がいい。側で守ってやれないなら。魔力の使い方も、押え方も。
 ―― エイデガルは抗魔力の国だから。あの国に辿り着くまで、守ってやれれば。
 ―― 俺がリーレンの魔力を封じよう。
 ―― この子の記憶を、私が閉じるわ。
 ―― もし、このことを思い出すことがあったら。
 ―― 愚かだった父と母を。ここでお前を置いて逝く俺達を、もう一度……。



 途切れた。
 見開いた瞳に、焦点がぼやて歪んだ地面が見えた。―― ここは、冥い森の中ではない。
「母さん……とお、さん?」
 脂汗が流れる。
 失われた記憶が、凄まじい勢いで戻ってくるのは苦痛だった。頭蓋骨を割られたような痛みを感じる。
「く……」
 ―― ずっと忘れていた。父と母のこと。二人が兄妹だったこと。
 魔力者が隠れ住んでいた場所だけでなく、エイデガル皇国でも血の繋がった兄妹が結ばれるのは禁じられている。―― 血が交わりすぎるのは良くないからだ。
 自分の両親が双子であることを、アティーファが知ったらどう思うのだろうか?
 常に一緒にいた大切な人。優しくて、本当は脆さを沢山持っている少女だ。―― 彼女は禁じられた関係から生まれた自分を、どう思うのだろうか?
「……嫌だ…」
 首を振った。凄まじい吐き気がする。
 何を考えているんだと思う。
 今自分は、禁じられた関係から生まれた子供だと皇女に知られれば、嫌悪されてしまうのでないかと考えてしまったのだ。
「…私は……」
 ―― 許せない。
 たとえ禁じられた関係だったとしても、父であり母である人のことだったのに。
 精一杯愛してくれていた。魔力暴発で死にそうになった自分を、命懸けで助けてくれた。―― 二人が本当に大好きだったのに。
「父さん、母さん…」
 絞り出すように呟いて、倒れていた大地に両腕を付く。
 頭痛はひどく、吐き気も消えない。けれど今は倒れるわけにはいかなかった。
「ようやく思い出したわけだ。純血の魔力者が生まれることを知っていて、愛し合うだけではなくて、子供まで生んだ兄妹を親に持つ子供。そして高い魔力を制御する為に、親を死なせてしまった子供。それが君だよね」
 静かに告げるエアルローダの声を、リーレンは耳にする。
 混乱して、泣き叫んでもいいはずなのに、リーレンは落ち着いていた。過去の全てを初めて取り戻したのだ。手放しで喜ぶ事実ではなかったけれど、愛されていたことは―― 知った。
 他人が両親を嫌悪しても、二人に愛されていた自分だけは否定してはいけないのだと思う。―― 例えアティーファに嫌悪されてしまってもだ。 
「私は……もう、否定しない」
 だから、冷静になれと己に命じる。
 カチェイとアトゥールの二人は、常に冷静に行動していた。彼等のように、やってみせなくてはならない。必死に現状を頭の中で組み立てて、考える。
 エアルローダが発した純白の光は、失っている何かを取り戻させる為のものであるのかもしれない。―― だから、消えていた過去が戻ってきた。だが、アティーファに一体なにがあるという?
「案外静かだね。他人を憎むことで責任を転嫁するのが、一番楽な方法だって言うのに。それは選ばないわけだ。でも楽なんだよ。僕の母がそうだったわけだし、あの村の人間たちもそうだったわけだから」
 寂しそうに呟いて、エアルローダはリーレンを見下ろす。
「―― 何もかもを恨んでいるのは……」
 エアルローダ自身のことではなかっただろうか? 疑問を抱いて、リーレンは視線を上げた。
 アティーファを腕に抱き、空中に佇むエアルローダ。
 今まで実感したことはなかったが、彼はそう大きくない。
 ―― まだ、子供なのだ。
 意味もなく焦りを感じて、口を開く。不意に制御しきれない魔力が体内で膨れ上がって、思わず悲鳴をもらした。
「くっ……」
「そりゃあ…苦しいだろうね。君は、力を押さえる術を思い出したばかりなんだからさ。純血の魔力者ってのはね、周りが力を押させてやる手伝いをしなくちゃ、すぐに死んでしまうんだ。体が力に耐えられないんだから仕方ない。かつては村の魔力者達が、今は皇国の抗魔力者たちが、君を押さえている。つくづく、守られている人間だったってわけだよ」
 エアルローダの声が遠い。
 守られた人間だったと断言された意味を知る。
 幼い頃は村に守られ、狂気に支配されかけた村から脱出する際には父母に助けられ、皇国に辿り着いてからは抗魔力によって守られてきた。
「……しかし…」
 リーレンは考える。なぜ彼はこちらの持っていない情報を、わざわざ教えてくれるのか。
 排除するべき相手が、利口であるのは歓迎したくない状況であるだろう。なにせアトゥールの排除に固執したのも、ティオス公子が類希な状況分析能力に長けていたからだ。
 体内で暴発しかけている魔力を無理矢理押え込み、リーレンは目を上げた。
 アティーファを前にした時のみ、ひどく懐かしいような切なそうな顔をしてみせる少年。蒼く澄んだ瞳が、はっきりと見える。
 ―― 全ての過去の情報を知っているだろう少年。
「全て?」
 一つ、ひっかかる事があって、リーレンは眉をしかめる。
 リーレンの表情の変化にエアルローダは反応し、ニヤリと笑った。
「それだけの力が戻ったなら、防いで守ってみせるんだねっ!」
 高らかに叫ぶ。
 エアルローダの魔力が膨れ上がる。
 混乱する近衛兵団に狙いを定め、激しい魔力攻撃が開始した。
 天は黒く染まる。
 収束されていく光は矢を作り、雨のごとく落ちて牙を剥いてくる。
「キッシュ団長!!」
 リーレンは叫び、咄嗟に押え込んでいた力を解放した。
 きりきりと、体が痛む。
 ―― 極限状態に陥った時は。
 ―― 生きていたいと、思う理由を考えてみるといいよ。
 声が聞こえた。
 いざという時の為に。一人でも、守りたい誰かの為に反撃に出る最低限の力と、方法と、精神のあり方を教えてくれていた人の。
「―― 公子!! 父さん、母さん!! 力をっ!!」
 貸してくださいと、叫ぶ。
 ありったけの力を開放しても、死なないで済むだけの精神力を。



「……今…」
 声がした気がした。
 ふわり、と亜麻色の髪が風にさらされた。アティーファは眼を開ける。
「また、森だ…」
 こめかみが痛んで、指で押さえる。体を持ち上げて人の影を探した。
「……エアは、いないのか?」
 つい先程、話していた気がした。懐かしさを感じさせる、癇の強い子供。
「ティフィ?」
 消え入りそうな声。
 アティーファは声の方向に視線を向け、眼をこらして息を呑んだ。
 大木の前に横たわる岩に、背を預けてエアは座っていた。顔色がひどく悪く、岩に背を預けていなければ、地面に倒れ込んでしまったに違いない。
「エア!? どうしたんだ!?」
「―― なんでも、ない、よ」
 唇だけで笑ってみせて、エアは眼を細める。
 駆け寄ろうとして、変化に気付いた。先程出会った時にエアとは違う。
 子供だったはずだ。まだ幼い、多分五歳くらいの。
 なのに今目の前にいるエアは、十歳くらいに見える。
「エア?」
「ティフィって、幻だったのかと、思ってた」
 アティーファの混乱の理由に気づいているのか、曖昧な言葉をエアが呟く。
「それは、どうして?」
「だって、いきなり、消えちゃったからさ」
 弱く呟いて、エアは隣に座ってよと請うように視線を横にやった。
 そうされて初めて、立ち尽くしていた事に気付き、アティーファはエアの隣に座る。
「あれから、もう、五年たったんだ。ティフィ」
「―― 五…年?」
 驚きに眼を見張る。
 はっきりと覚えているのは、リーレンの魔力を止めなければと走り出した時のことだった。攻撃に備えてエアルローダを前にした時、魔力が膨れ上がる気配を感じた。リーレンが魔力を止めきれなかったのだと気付き、抗魔力を展開したのだ。
 ―― けれどその後の記憶がぷっつりと切れている。
 眼をあけた時には、エアと名乗る子供がいた。特別な名前で呼ばせるのだから、他に呼ぶ人間が居ない名前で呼びたい、とも言った。
 そして浮遊感に囚われて。
 今になった。
 どういう事だ?と考え込んでいると、エアが軽く寄り掛かって来たのを感じる。
 触れ合う箇所から伝わってくる、エアの体温がひどく低い。
「あの日――」
 ぽつり、とエアが口を開く。
 アティーファが体感する時間の概念からいえば、つい先程とは打って変わった闊達さを失った声で語る。
「まだ僕は元気で、だから村を出てしょっちゅう森に遊びに行ってた。その時に、なんかこう、突然光が集まってきて。吃驚して走っていったら、ティフィが倒れていたんだ」
「―― 生き倒れかと、思ったとか?」
 エアは首を振る。
「違う。ティフィはなんにも知らないみたいだけど、ここは、閉ざされているんだ。誰も来れないようになってるし、出てもいけないようになってる。僕が生まれる前は、今ほど閉鎖に力をかけてなかったみたい。でも今は、もの凄く閉鎖しようと躍起になってるんだ」
「それは…その、どうして?」
「僕たちが、その…」
 途端に言い辛そうな表情になって、エアが唇を噛む。
 不審に思って、少年を観察して一つ気付いた。
 エアは魔力者だ。それは、出会ったときにすぐに気づいた。エイデガル皇国に住まう魔力者たちは、全員魔力を使うことを禁じられている。だからすぐに魔力者かそうではないかを判別するのは不可能だが、エアは違った。
 無意識になのか、意図的になのか、常に魔力を発している。
「その…魔力者だから、なのか?」
 言葉を選ぶにも選択肢がなくて、アティーファは単刀直入に尋ねる。
 ぐったりしていた体を突如激しく震わせて、エアは顔を上げた。
「知っていた?」
 何故か脅えた顔をする少年。
 エイデガル皇国以外では、魔力者はまだ差別され、虐待される存在であることが多いと、アティーファは聞いたことがある。それゆえかと思って、アティーファは精一杯穏やかな笑みを浮かべた。
「うん。周りに魔力者がいたから。気付いてた。エアは、その…魔力を隠してないだろう? だから気付いたんだ。気を悪くしたんだったら、すまない」
 素直に謝って、エアの反応を待つ。
 蒼い瞳をアティーファの翠色の瞳にじっとあわせて、こっくりと肯いた。
「ティフィからは、別に悪い感じはしないから。信じる」
「…ありがとう。でも、エア。魔力を押さえたほうがいいんじゃないか? だって、凄く辛そうだ。もしかして―― 辛いのって、魔力をずっと放っているからじゃないのか?」
 魔力を発し続けることは、命を削るのと同じ事だと父王フォイスが言っていた。
 困ったようにエアは笑って、首を振る。
「出来ないんだ」
「出来ない?」
「母様がね、魔力を押さえるんじゃなくて、魔力を常に強く使えるようにならなくちゃ駄目だって、怒るんだ。そうしないと、母様は、泣くよ」
「……そんな…。エアのお母さんは、知らないのか!? 魔力を無計画に使いつづけたら!」
「死んじゃうんでしょ? 知ってるよ」
「――― エア……」
 絶句して、アティーファは隣に座る少年をまじまじと見詰める。
 十歳程度だろう子供が、どうしてか老人のような眼差しをする。その理由が、死を既に理解し、すぐにでも訪れるものだと認識している為だと知った。
 子供なら、意識することもないだろう死。
「そんなの、駄目だっ!」
 衝動的に声を張り上げて、エアの体を抱きしめる。
 瘧の発作を起こしたかのように、びくりと体を震わせて、入らない力で必死に突っ張り返そうとする小さな体を、更にかき抱いた。
「力を使いつづけたら、死んじゃうんだ。そんなの、駄目に決まってる。死ぬなんて」
 噛み付くように叫んでいると、腕の中の抵抗が止んだ。
「だって…ティフィ、誰も僕が生きていることを望まないよ? 母様と、そして村のみんなの”ひがん”を達成する為に、僕は生延びているだけなんだ」
「私は哀しいと思う」
「哀しい?」
「だって、私たちは特別な名前で呼び合う仲なんだろう? エア」
「……ティフィって…面白い。最初、本当に幻だとばっかり思っていたのにな」
「光と一緒に、突然倒れていたから?」
「ううん。違う。それだけじゃない。だって、ティフィって………」



 ―― また、目眩。
 ―― 肝心の”何か”を気付こうとした瞬間に、妨害が入る感じ。



 多分、これは地獄絵図というのではないだろうか。
 目の前で、矢の形にした魔力が、凄まじい勢いで地上に攻撃を仕掛けている。
 ついに本当の能力を開放させたリーレンが、皇城と近衛兵団を守っているが、それも時間の問題だった。抵抗が途切れれば、残った皇都を壊滅させるのは簡単だろう。抗魔力者を持つ者を、一人ずつ殺していけばいい。
 そうすれば、エイデガル皇国と五公国を支える抗魔力結界が壊れる。
 後は各公国に留まっている魔力者たちを操り、攻撃を仕掛ければよかった。力をため込み、最終的にはフォイスの抗魔力で処理不可能な魔力をぶつけ、彼を排除する。
「それが望みだったね。母上、願いだけは叶えてあげるよ」
 酷薄に呟く。拍子にさらりと亜麻色の髪が腕の中で揺れた。
「ねぇ、ティフィ。今、君はどこに居るんだろう」
 そう言って、ひどく切ない視線を、アティーファに向ける。



第41話 憐情