第40話 出合
第39話 接触HOME第41話 憐情



「ふむ、劣勢は劣勢だな」
 のんびりと呟きながら、エイデガル皇国の主であるフォイスは眉をしかめた。次々と牙を向いてくる魔力攻撃を防ぐのが困難になった為ではない。単に汗のせいで前髪が額に張りつくが不快に感じた為だった。。
「陛下っ! 大丈夫でいらっしゃいますか?」
 高い塔の階段を駆け登る音と高い女の声が共に響く。
 フォイスは首を傾げた。かつて妻であるリルカが好んで過ごしていた部屋は、彼女の死後封鎖されている。塔の一階から最上階へと直接つなぐ階段も分かりにくい場所にある為に、最上階に部屋があることを知らない者も多かった。
「この場所にわざわざ来る者がいたとは知らなかった」
 おどけた声で言うと、扉が開いて娘が深々と一礼する。
「知らなかったもなにも。私は皇城内の至る場所を存じております。なにせ、私はアティーファ皇女殿下の侍女、エミナですから」
 皇女付きの侍女と名乗る際の娘の口調に、誇らしげな色はなかった。単純にアティーファの侍女ならば城内に精通してしまうと述べている。フォイスは苦笑した。
「たしかに、私の可愛い娘は、一番のエイデガル皇城内探検隊長であるだろうからな」
「その通りです。ですから、私はここを存じておりました。そして、御前に参上しております」
 闊達な声で言い切って、エミナはフォイスに近づいた。手に布を持っている。それでフォイスの額に浮いた汗を彼女は拭った。
「アティーファの侍女になると肝が据わるものか?」
 ガルテ公国の魔力持つ武器、光牙銀槍は翠色の光りをまとっている。敵の攻撃を防いでいるとは分からずとも、発光する事実に驚くのが普通だろう。けれどエミナが動揺している様子はない。
「勿論です。外を見れば木の上に座った皇女を発見し、塔に登れば外壁を走り抜けるお姿を見つける。そんな方の侍女ですから、生半可なことでは驚かなくなります」
「その割には、そなたとリーレンは日々絶叫していると思うが? あれは驚いているのではないのか?」
「あれは、心配で叫んでいるだけです」
 すまして答えたエミナに、フォイスは笑った。 
「汗を拭ってくれるのは嬉しいのだがな。それよりも私は気になっていることがある」
「なにか、陛下? 城内に避難させました魔力者たちは、陛下の指示通り、近親者や友人達と手を取り合いながら、静かにしておりますが」
「いや、城内報告ではなくてはな」
「それでは、一体?」
「そろそろ茶の時間なのだ」
「かしこまりました」
 フォイスの言葉に、エミナはくすりと笑った。すぐにお持ちしますと早口に答え、きびすを返して階段を駆け降りていく。
 しばしエミナが去ったあとを眺めて、フォイスは目をすがめた。
 敵魔力者が、味方を手に入れるために同じ魔力者を狙うのは予想の範疇だった。能力がいかに高くとも、一人で出来ることには限りがある。同じ能力を持つ仲間を手に入れようと考えるのは、ごく普通の考えであるはずだ。
 だからこそ、抗魔力によって守られた場所に魔力者を集めた。
「私に力を与えているのは、城内に庇いこんだ魔力者たちだからな。確保した糧食分篭城することに問題はない。だがあまり騒動が長引くと、他国とのいざこざで面倒になるのが厄介だな」
 混乱が長引けば、治安回復に助力するという大義名分を掲げて牙を剥いてくるだろう。
「わが国に隣接する国は三つ。その内、川を挟んでレキスと隣接するザノスヴィア王国はすでに動いた。残りの二国、ティオスに隣接するエイヴェル王国とアデルに隣接するフェアナ王国は双子国として名高い。動くのは同時であろうな」
 エイデガルに隣接する双子国、エイヴェルとフェアナ。
 エイデガル建国戦争の只中に、二つの国は誕生した。
 創始者は二人の若者だった。双子国を作り上げた若者の名こそが、エイヴェルとフェアナという。
 二人は大きな野心を抱いていた。
 庶民に過ぎずとも、実力さえあれば立身出世が可能な下克上の時代なのだから当然かもしれない。二人は同郷だったことと、揃ってずば抜けた才覚を保持していたことで、気が合い次第に交友を深めていった。
 最終的には、義兄弟の契りを結んだと伝えられている。
 エイヴェルとフェアナは、自分達の名を売った後―― 士官先をどこにするかでひどく悩んだ。
 出世しても、元となる国が滅んでしまえば意味がない。だが、滅びない確証を持つ国など存在しないのだ。ならば、同じ国に士官して共倒れしてしまうよりも、いっそ別々の国で出世を果たそうと二人は決める。
 一方が残れば、もう一方を手助けすることも可能なのだ。
 結果、二人はそれぞれの国で、全軍を把握する将軍職と宰相職を手に入れた。
 丁度レリシュ即位から三年後。エイデガル王国が電光石火の進軍を開始した年だった。
 エイデガル王国が動き出す前からかの国に注目していたエイヴェルとフェアナは、お互い連絡も取り合っていなかったというのに、同じ結論を下した。
 天下を制するはエイデガル王国に他はなし、と。
 ならばエイデガルに抵抗するよりも、恩を売る形でいち早く同盟を申し込むのが得策だと考え、それぞれの君主に進言する。だが、エイデガル王国を格下の弱小国としか見ていなかった国王達が、進言を受け入れることはなかった。
 それどころか、奇妙な進言をしてきたことに怒りを覚え、逆に二人は処罰を受ける。
 エイヴェルは将軍職を取り上げられ、フェアナは城内に幽閉された。
 結果として、二人は君主に向かって牙を剥いた。
 過去の栄光にすがり、ろくな政治を行っていなかった君主側とは異なり、エイヴェルとフェアナは精力的に市民や下級貴族達の支持を得ようと日頃から動いていた。
 突然将軍職を奪われたエイヴェルの悲劇に激怒して、市民達は彼を救おうと武器を取って彼の元にかけ参じる。―― エイヴェルは蜂起し、一夜にして城は彼の手に落ちた。
 一方フェアナも黙って幽閉される人間ではなく、既に味方に取り込んだ城内の人間や、場外に残る支持者を利用して、虚偽の大軍が来襲した状況を作り出してみせた。
 慌てふためき、自ら命令して幽閉したフェアナに君主は助けを求める。城を捨て退却すべしと進言したフェアナの言葉を真に受けて、落ち延びていった。
 こうして無人となった城をフェアなは奪った。
 無論、これがフェアナ一人の行動であったなら、事態に気付いて軍を取って返した君主によって彼は殺されていただろう。
 だが、フェアナには確信があった。
 集めた情報には、友であり義兄弟であるエイヴェルが挙兵し国を手に入れたとある。エイヴェルの戦争に関する技量は誰よりも高い。だが、政治は苦手なはずだ。自らが手に入れた城と、政治を行う能力を手に入れる機会を見落とすわけがないと信じていた。
 事実、エイヴェルはすぐに兵を引き連れて攻め込んできた。
 二人は即座に手を組み、逃げた君主を追い詰め排除し、反対派を粛清した。瞬く間に、二つの国は彼等のものになってしまったのだ。そして最後に、エイヴェルとフェアナはエイデガル王国に同盟を申し込む。
 君主を追い出し、国を手に入れてしまった二人の若者の所業が気に入ったのか、レリシュは高らかに笑い出して、同盟を承知したという。
 以後、エイヴェル王国とフェアナ王国は、常に共同にて動くようになっていった。足並みの見事な揃え方と、初代である二人が義兄弟であったことから、次第に双子国と呼ばれるようになる。
 双子国は設立されて以来、手に入れた領土を守ることに心血を注いでいる。だから、双子国が攻め込んで来るはずがない、と考えるお気楽者も多い。だが、それは大きな間違いだろう。
 今まで他国に攻め込んだこともなく、攻め込まれたこともない国。だが、保有している軍事力はかなりのものがある。国力を消費せずに領土を広げる機会があれば、喜んで兵をあげることだろう。
「全く、厄介で曲者揃いの隣国ばかり持ったものだな」
 自国のことは棚に上げて、フォイスは呟く。
 だが声に焦りはない。危機的状況にあるとはいえ、すでに対策は立ててある。
 アデル公国王、ティオス公国王は、エイヴェルとフェアナを牽制すべく騎士団を連れて国境に陣を張った。一方、公王と後継者たる公女を指揮官とする主力軍を国境の橋アポロスへと向かわせたミレナ公国では、留守をあずかるネレイル公妃が指揮官となり、女性のみで編成される紅猫騎士団を率いて城の守りを固めている。同じく公太子に主力軍を預け国に残ったガルテ公国王は、隣接していない他国に対しての外交を開始していた。
 ―― 必要以上に長引かねば、大丈夫なはずだ。
「それにしても、一人娘の活躍に全てがかかっている状況は、父としては情けなくて悲しいことだな」 
 本当に悲しいと思っているのかどうか。ひどくのんびりと、フォイスは肩をすくめた。



 なにかに揺られているような気がしていた。
 落下している、と考えればそれが正しいような気がする。
 浮上しているのだと指摘されれば、そうかもしれないと思っただろう。
 ―― 分からない。
 今、自分がどのような状態にあるのか検討も付かない。
 ひんやりとした感触が、突然額に触れた。
 確かなものが何一つないあやふやさの中でまどろんでいた為なのか、額に触れた僅かな感触が、やけに大きな衝撃に感じられて息を飲む。
 目を見開いて、飛び込んできた様々な色合いの緑色に眩しさを覚えた。
「なにやってんの? 大丈夫?」
 細めた視界に覆い被さるように、影が生まれる。
 夜陰に支配される寸前の、空の色をした髪をした子供の影だ。条件反射のように大丈夫だと答える。
「立てる?」
 手を貸すよと伸ばされた小さな手に、自分の手をゆっくりと重ねた。
 深い―― ひどく深い森の中だ。
 高い木々の枝が天井を作るように頭上で幾重にも重なっている。隙間から落ちてくる木漏れ日が、溜息をつきたくなるほどに美しい。―― 足元をびっしりと埋め尽くす、苔の見事さにもだ。
 ここは何処なのかと、聞こうと顔を上げて、不思議そうに首を傾げる子供を見つけた。
「なんでこんな所で寝てたの?」
 先に尋ねられてしまった。
 なんと答えるべきかと考えて、何気なく自分の手を取っている子供に注意を向ける。知らない場所で出会った知らない子供。けれど、ふと子供を見たことが有るような気がして困惑した。
「君は…?」
「エア」
「エア? ……それって、君の名前?」
「そうだよ。他の人は、そうは呼ばないけど。エアって呼ばれるのもいいなって突然思ったんだ」
 くるりと、大きく澄んだ瞳を動かして子供が笑う。
 その顔をみて、やはり知らない顔だとアティーファは思いなおした。促すような子供の瞳が、自己紹介をせがんでいると気付いて、慌てて名乗る。
「私はアティーファ」
「みんなに、アティーファって呼ばれてる?」
「うん。名前で呼んでくれる人なら、アティーファ、って呼ぶ」
 最もアティーファを名前で呼ぶ人間など少ないのが現実だった。
 名で呼ばれるよりも、皇女殿下とか、エイデガルの姫君と呼ばれることのほうが多い。―― 幼馴染のリーレンですら、名前だけでは呼んでくれない。
「つまんないな」
「つまらない?」
 なにがつまらないのか分からずに、首を傾げる。子供は大人びた仕種で腕を組み、だってねと呟いた。
「僕は、誰からも呼ばれた事のない名前で呼んでもらうことにしたんだ。なのに、君のことは他の人が既に呼んでる名前で呼ばなくちゃいけない。それはつまらないし、うん、不平等だよ」
「そう、かな?」
「そうだよっ!」
 声を唐突に荒げて断言してくる。
 随分と我が強い。なぜだか楽しくなって、アティーファはくすくすと笑い出した。
「なにが可笑しいんだよ」
「君の口調とか態度とか、全部」
「君じゃない。エアって名乗ったじゃないか」
 完全に拗ねた口調の抗議に、分かったと答えようとしてアティーファは目を見開いた。
 ―― お前じゃない。エアルローダ、って名乗っただろう?
 子供の言葉と、敵対するエアルローダの言葉。――同じ言葉だ。
「なにかあった、ティフィ?」
 アティーファの突然の沈黙に、少しだけ不安そうに子供は眉をひそめる。
「……なんでもない。今、ティフィっていった?」
「そうだよ。だって、アティーファだから。ティファのほうが愛称っぽいけど、もう呼んでる奴がいるかもしれないから。だから、ティフィ」
「私のこと?」
「うん。そうだよ。僕だけが呼ぶ君の名前」
「エアだけが?」
「そう。僕だけが。ね、ティフィ」 
 首を傾げて、子供は笑った。
 何故かとても楽しくなって、アティーファも笑った。
 彼と子供が似ている。確かに思った事実を無理矢理否定する。

―― 再び、浮遊感。


「皇女っ!」
 叫び声をあげ、リーレンは走り出していた。
 崩れ落ちたアティーファを抱えたエアルローダは、白く発光したまま眼差しを閉じていた。とにかく皇女を取り戻したい一心でリーレンが手を伸ばすのを嘲笑うように、いきなり空中へと浮かび上がる。
 飛翔しているのではない。足元の空気圧を硬質に変化させ、立っているのが今のリーレンには分かる。
「エアルローダっ!」
 リーレンの怒声を受け流し、エアルローダはうるさげに手を振った。
「君の負けだよ、リーレン。ライレル叔母はそりゃあ、強い人だったそうだね。オリファ叔父も。だけど彼等は純粋すぎて。力をまっすぐにしか使えない人だったって、母に聞いたよ」
 ぴたり、と。リーレンの足が止まる。
 レキス公国に初めて訪れたとき。足を引き摺る何かがあるような不快感と恐怖に、逃げ出したくなった―― あの突然の恐怖が前触れもなく蘇ったのだ。
「な、んだ?」
 空中で意識を失ったアティーファを両腕に抱えたまま、リーレンを見下ろすエアルローダの瞳に一瞬哀れみの影が走る。
「本当に覚えてないんだ。全てを知っていて放棄するのか、それとも悲嘆するのか。全てを知らずになかったことにするのか。その選択は個々に任されることだろうと思うよ。でもね、君は守られすぎだ」
「守られすぎ?」
 幼い頃に、魔力者を武器とみなす者達に捕らえられ、辛い日々を過ごした。
 あれが守られた人間の姿だと言えるのか?
「そんなことが、あるわけがないっ!」
「そうやって、核心から逃げてばかりだ。でも、今の君は過去にひたる暇は与えられていないと思うよっ!」
 両手で抱えていたアティーファの体を、左手だけで抱えて、エアルローダは右手を天空に高く差し伸べた。純白の清楚な光が掻き消え、闇色の閃光が空を覆う。
「なんだ!?」
 空気がざわめいている。
 ―― なにか、ひどく嫌なモノが迫り来る気配だ。
「リーレン。悔しがるなら、説明をしてくれる人間がいなくなったことを後悔するべきだと思うよ。なにせかつて起きた建国戦争時代の記録に目を通していれば、こんな事態が起こり得ることは、分かっていたはずだからね!」
 足元が振動する。
 先程、リーレンがエアルローダを止めようと無意識に呼び起こした振動の比ではない。もっと激しい―― 皇都全体が震えはじめたような揺れだ。
「な、んだ?」
「今は、こうして君の愛しの皇女様の力を借りることが出来る。―― だからもう、君を警戒する必要は、僕にはない」
「私を警戒する?」
 驚いて顔を上げた瞬間に足元が割れた。どっと流れこんでくるアウケルン湖の水を慌てて魔力で防ぐが、身体は後方―― 近衛兵団が上陸した街の方角に流されてしまう。
 エアルローダとアティーファとの距離が広がってしまった。
「しまった!」
 慌てて離れた距離を詰めようとしたリーレンの耳を、どよめきの声が打つ。
「近衛兵団か!?」
 振り向いた視界の先で、近衛兵団がエアルローダの魔力に襲われていた。
「助けにいかなくていいのかい? 近衛兵団は、アティーファがひどく大切に思っている”エイデガル皇国民”によって構成されているんだよ? 意識がない間に彼等が全滅していたらアティーファは泣くだろうね?」
 くすくすとエアルローダが笑う。
 今の彼は、圧倒的な優勢を確信している者の不遜さをあふれ出しているようだ。
 エアルローダによって凶暴化させられた動物達と、強引に発生させられた地震や突風などが容赦なく近衛兵団に牙を向く。いかに精鋭揃いの彼等とはいえ、放っておけば全滅も有り得るだろう。
「近衛兵団長!!」
 少年魔力者に指摘されるまでもなく、近衛兵団を全滅させるわけにはいかなかった。
 奪われたアティーファを、今すぐにでも取り戻したい衝動を必死に押さえ込んで、リーレンは走り出す。手を前に出し、伏せてください叫んだ瞬間。
 エアルローダがリーレンに向かって何かを囁いた。
 再び白く淡い優しい光が生まれ、今度はアティーファだけではなく、リーレンをも包み込む。
「封印っていうのは。破られる為に存在するって、僕は、思うよ?」
 うずくまるリーレンの姿を見守って、小さく呟く。



 手を引かれ、走っていた。
 腕が千切れそうなほどに痛かった。
 とうに限界はすぎているのに、まだまだ走ることを強要されて、体が悲鳴を上げている。
「逃げるんだ、ライレル! リーレンをっ」
 握られていた手が離れて、前方に強く突き飛ばされた。
 力強く頼もしい優しさから離れて、たおやかで暖かな優しさに抱かれる。
「オリファ!? なにをする気!?」
「このままだと、外に出ることなんて出来なくなるっ! 森の全てを魔力の支配下において―― 裏切り者の俺達を殺そうとし始めたんだ!」
「だからって、どうして走るのをやめるのオリファ! 完全に支配される前に、この森を出ればいいのよ!」
「出来るわけがない! 今のルリカは―― 俺達より高い魔力を持っているんだ! 三人ただ走り続けるだけじゃあ、全員消されて終わりだ!」
「だからって嫌よ! オリファを置いて行くなんて、嫌よ!」
 突き飛ばされて、胸に飛び込んで来た我が子を抱いてライレルが叫ぶ。
 オリファは首を振って、さらに行けと叫んだ。
「ライレル、リーレンまでここで終わらせるつもりか? 言いたくはないが、俺達の妹のルリカは狂った。子供を身篭った状態で狂った女から産まれてくる子供は、桁外れの魔力を持ってしまう。それを止めれるのは―― 皮肉だけどな、おそらく、純血の魔力者のリーレンだけだ!」
「私は、そんな事の為にリーレンを生んだんじゃないわ! ルリカの子供と戦わなくちゃいけないって教えはした。でも、それは結果論よ。戦わせる為に生んだんじゃない!」
「知ってる。そんなこと知ってるに決まってるだろう!? 俺が知らないわけがないじゃないか!」
「だったら逃げて。走って。でないとここで止まるわ」
 底冷えするような声で言いきって、ライレルはリーレンを抱きしめる。
「お母さん、苦しいよ」
「…ごめんね、リーレン。でも我慢して? だって、リーレンだって嫌でしょう? ここで、三人が三人じゃなくなるなんて」
「いや。そんなの、嫌だよ。だって、僕 ―― がいないなんて嫌だもん」

 必死に首を振る。
 ライレルの腕を振り切って、背後を顧みたままのオリファの元に走ろうとした。
「ちっ! 頑固すぎるぞ、ライレル! 大体説得にリーレンを使うな!」
「そんなの、お互い様じゃない!」
 二人、叫びあってから走り出す。
 足がもつれるリーレンをオリファが背負った。ライレルは二人より一歩前を走り、とにかく出口を目指す。
 二ヶ月前まで、まさか隠れ里を離れて外の世界を目指すことになるなど考えてもいなかった。ルリカが完全に狂い、リルカが外に出ていく事態とて考えたこともなかったのだ。
「ルリカは―― 心が弱くて、力が強すぎた」
 絞り出すように、オリファが言う。
 森の中はひどく暗い。走れば走るほどに、足元に生える草や、頭上を覆う樹木が意志を持ったように絡み付いてきては、走れないようにしてくる。
 二人を追いつめているのは、ルリカだ。
 双子の兄妹であるライレルとオリファの妹。やはり双子だった姉妹の片割れ。
 ―― 生まれつき目が見えず、僅かにしか音を聞き取れなかった娘。それがルリカだ。
 けれどルリカ自身は、目が見えないと認識したことはなかった。理由は勿論有る。高い魔力を持つ者は、近親者の五感を共有することが出来る。普通、それは”共有しよう”という意志の元に発生するのだが、ルリカの場合は無意識に発生していた。
 だから、彼女は目が見えると思っていたのだ。
 リルカが見ている景色を、常に彼女は見つめていたから。だから―― いつの間にか彼女は、自分がルリカであると分からなくなっていった。
 あまりに不憫で。彼女に真実を話すものはいなくなる。


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