第39話 接触
第38話 吐露HOME第40話 出合



「で、想像に過ぎない情報ってのは、一体なんだよ?」
「ザノスヴィアで起きていた、目的不明の出兵が繰り返されていた事についてだけどね。私は、最初国家による虐殺が始まっていると考えなかったんだ。そんなことをすれば、必ず民衆は恐怖を覚え、他国へと逃亡する難民が増えるはずだから。そして難民は増えていなかった」
 ―― 虐殺があれば、難民が増えると思った。その思い込みこそが、間違いの始まりだったと気付かずに。
「殺戮が起きなかったと考えるべきじゃなかった。ザノスヴィアの民が、自分達と同じ人間なのだと認識していない者達に対する殺戮が行われたと考えるべきだったんだよ」
 アトゥールの言葉に、閃いたことがあったのだろう。カチェイが目を見開く。
「同じ民だと認識しない者達だと? しかもそいつらを殺しても、文句一つ出ない。……ようするに、魔力者たちか」
「そう。ザノスヴィア王国は魔力者たちが住む村を許容出来ない。けれど全てを消せるわけでもないだろう。だからこそ、魔力者たちが隠れ住む村があったんじゃないかって…考えたんだ。そして、村の存在が明るみに出てしまったら? 答えは簡単だ。ザノスヴィアが冷静でいられるわけがない。民意は魔力者を滅ぼせと叫び、国はそれを許諾するだろう」
「ザノスヴィア王国の親衛隊が手に掛けていたのは、魔力者たちだったわけか」
「ただ一つ分からないのは、対魔力方法を多く持つとはいえ、どうやって高い能力を持つ者達を襲ったのか、だよね。親衛隊側に被害は出ていない。―― 一方的な虐殺が行われたと考えられる…」
 何故それが可能だったのか?と、再び思案顔になった親友を見やりながら、カチェイは真剣な顔で頷いた。
「とにかく、早くエイデガル皇都に戻らなくちゃなんねぇな」
 方法はあるのか?と尋ねれば、アトゥールはリィスアーダ姫を上手く使えば、ザノスヴィアと和平を結ぶことも可能だろうと返答する。
「けれどね、和平を結ぶに置いて…おそらく一つ問題があると思うよ」
「なんだ?」
「不思議に思わないか? 何故、突然リィスアーダ姫とマルチナ姫の関係が壊れたのか。今まで起こった出来事と、伝え聞いた情報をまとめていくと、リィスアーダ姫が封印され、マルチナ姫は操られたと考えられる。そしてエアルローダの行動に連動しているザノスヴィア王国の動向。―― 完全に憶測だけどね、ノイル国王も操られていると考えられないか? リィスアーダ姫という人間を封印し、魔力を使えない状態のマルチナ姫を操ったのと同じように。そして―― 操るといえば……」
「エアルローダの十八番…か」
 仮説が正しければ、魔力者が隠れ住んでいた村を、親衛隊に襲わせたのはノイルだ。
 襲われた魔力者達の村には、ノイルの子供を身篭ったまま逃げ帰り、エアルローダを産み落としたルリカが居たはずだった。―― 親衛隊の謎の出兵が終わった直後、生き延びたのだろうエアルローダは、突如行動を開始する。 
 最初に腹違いの妹であるリィスアーダを封印し、マルチナを操った。同時に父親であり仇でもあるノイルも操り、エイデガル皇国を侵略するために必要な駒の一つに変える。
「しかし一体なんだって、エアルローダはエイデガル皇国にこだわる? 村を滅ぼしたノイルを恨むのは分かるが…奴はアティーファに執着しているだろう?」
 何気ないカチェイの質問に、アトゥールはそれなんだよと息を付く。
「なぜ、アティーファを呼び捨てにし、皇国を意のままにする権利を持つとエアルローダが言うのか。何故レシリスを名乗るのか。それが―― わからないままなんだ」
「……推測で考えれんのはここまでか。あとは、本人に聞くしかねぇんだろうなぁ」
「その通りだと思うよ。答えるとは思えないけどね」
 会話を終えて、二人は同時に背後を振り向いた。
 視界の先は、エイデガル皇都のある方向だ。
 そこでは、アティーファが一人エアルローダと対峙する羽目になっているのだろうか?
 考えれば考えるほどに、ひどく焦った気分に二人はなっていた。



 一度見開いた目を閉ざし、開いた時には、光景は劇的に変化していた。
 地上から、水中から、変わり果てた存在が次々と姿を表してくる。予測していたとはいえ、余りにむごい光景にアティーファは息を飲み、唇を噛んだ。
 敵少年魔力者エアルローダに操られた、憐れな死者たちの群れ。
「なんだ!?」
「キッシュ! あれが、お前達が対処するべき敵だ!」
 船団を返し、エイデガル皇城にではなく都市側に上陸しようとしていたエイデガル近衛兵団から驚愕の声が沸きあがっている。アティーファはすぐさま声を張り上げ指示を飛ばし、覇煌姫を手に走り出した。
 エアルローダと対峙する、リーレンの様子がおかしい。
「リーレンっ!」
 呼び声は、当然ながらリーレンだけの耳に届くわけではない。
 エアルローダ・レシリスは、唇の端を持ち上げ酷薄に笑い、走ってくるアティーファを指差した。
「さあ、どうする? アティーファはこっちに来るよ?」
 少年特有の少し高い声を耳に捕らえながら、リーレンは動揺していた。
 呼び戻された記憶によって、リーレンは”ライレル”が自分の母親であることを知った。そのライレルの妹達が、リルカとルリカという―― 一卵性双生児であることも思い出したのだ。
 リーレンに向かって、エアルローダは突如言った。「ライレル叔母」と「リルカが母親」だと。
「そんなことが、有り得るはずがない」
 冷や汗が伝うのを感じながら、必死に否定する。
 もし、リルカがエアルローダの母であるのなら、アティーファは誰の娘になるというのか?
 懸命に否定を続けるリーレンをエアルローダは嘲笑し、走ってくるアティーファとの距離を目で測った
「君が否定しても、いまいち説得力に欠けるね。なにせ、僕は今までのことを全部知っているけれど、君は父親のことさえ思いだせない情けなさじゃないか。それに、君はもう分かっているはずだろう? 僕の母であるリルカと、妹ルリカはひどくそっくりだったとね」
 君も良く、間違えていたそうじゃないかと、エアルローダは言葉を続ける。
「それでも…フォイス陛下が連れていらっしゃったのはリルカ様だったんだ。―― ルリカ叔母ではないっ!」
「必死だね。真実が何処にあるのか、分かっても否定したいからかな? だとしたら、その真っ直ぐさに拍手を贈りたいね。いや愚鈍さに、かな。言ったろう? リルカとルリカの双子の姉妹はそっくりだったんだ。兄弟や、甥っ子でさえ間違えるほどにね。だったら簡単だろう? 妹が姉に成りすまし、相手を騙すことくらいっ!」
「やめろっ!」 
 いきなりリーレンは声を張り上げる。
 走りこんできていたアティーファが、会話が聞こえる場所まで辿り着いてしまったのだ。しかも、リーレンを庇うようにして。―― 聞かせない為には、大声を張り上げるしかなかった。
「皇女!」
 抱きしめて、彼女の両耳を塞いでしまいたい衝動をリーレンは必死に押さえる。
 同時に、小さな身体で年上の男を守ろうとするアティーファの態度に、口惜しさも感じた。
「怪我は? 大丈夫なのか?」
 尋ねてくるアティーファの翠色の双眸に、不安そうな影が落ちている。安心させねばと、リーレンは笑顔を作った。兄代わりのアトゥールを失い、カチェイに去られて、今の彼女は誰かを失うことをひどく恐れている。
「大丈夫です、皇女。私はなんとも…」
 むしろ、大変な状態に追いやられる可能性が高いのはアティーファだ。
 リーレンの心を逆なでするように、エアルローダがけたたましい笑い声を上げた。
「流石だね、アティーファ。普通、ナイトが姫を守るんだよ? 姫に守られるナイトなんて、聞いたこともないさ。生まれついての王族であるのなら、考えられない行動であるだろうねっ!」
 びくり、とリーレンの身体が震える。
 今、エアルローダは決定的なことを高らかに告げようとしているのだ。
 アティーファを抱きしめて、耳を塞ぎたいと思った衝動がもう一度持ちあがってくる。今度は衝動を押さえずに、実際に手を持ち上げた。
 ―― 聞かせてはならない言葉だ。
 あれは、現実を破壊してしまう力を持った呪詛そのものなのだから。
 ―― 似ていた。
 確かに、リルカとルリカは判別出来ないほどに同じだった。
「貴様、リーレンに何を言った!?」
 手にする覇煌姫に陽光を反射させて、アティーファが叫ぶ。
 少女の本能はエアルローダと対峙することの危険を訴えていた。後退してしまいたくなる気持ちを必死に抑えて、気高い皇女は凛々しさを保つ。
 何故か、そんなアティーファを眩しそうにエアルローダは見つめた。
「知りたい? アティーファのナイトは、知って欲しくないようだけれど?」
 エアルローダの静かな囁きに、ぴくりとアティーファは眉をあげた。
「……なんだ?」
 気が変化した。
 知らず、膝を降りたくなるような気配がある。普段から良く、身近で感じてきた気配。
 ―― 生まれながらに、誰かに何かを命ずることに慣れた人間の…王族の気配だ。
「……き、さま?」
 声が僅かに震えた。動揺し、僅かに大地を踏みしめていたアティーファの力が弱ったのを察知して、リーレンはいきなり彼女を背後に突き飛ばす。
 同時に、エアルローダの口を封じるべく魔力を解放した。
「―― ―っ!」
 蒼いエアルローダの両眼が、驚きに細められる。
 気弱で優しい性格のリーレンが、まさか先に攻撃を仕掛けてくるとは思っていなかった。
「楽しいな。アティーファを守ろうとする者は、必ず全ての実力を剥き出しにしてくる。それだけ、他人を本気にさせる何かがあるってことだよね」
 リーレンが展開させた魔力は、熱を発生させるものだ。かなり高い温度を持つ熱源体を集束させ、放る。エアルローダは嘲笑と共に叫んで、指先を前に示し空気圧の盾を生み出した。
 ―― 魔力と、魔力がぶつかる。
 立ちあがり、体勢を立て直そうとして、アティーファは足元の揺れに気づいた。リーレンが見せる攻撃的な魔力が、大地の隆起を促していることに息を飲む。
「リーレン…?」
 覚えている記憶のどこを探しても、あんな姿は見たこともない。
 ―― 魔力者同士が戦闘に入れば、当人同士は我を忘れてしまうらしい。
 決着がつくまで魔力を使い、死んでいく者も多いから、魔力を使わせてはならないのだと言った父王の言葉を思い出す。そういえば、魔力の制御にかなりの精神力を使っているから、己自身を制御しきない者が多いのも事実だ、とも言っていた。
 ―― 自制心を、常に別のことに使っている状態。
「まさか……リーレンが、必要以上に真面目なのって…」
 普段の生活で、感情を爆発させないように。平静を保てるように、無意識にマイナスの感情を抑圧し続けてきた為あのだろうか?
 なら、リーレンがこのまま魔力を爆発させてしまったら? どうなる?
 考えた瞬間、血液が凍りついたような恐怖を覚えてアティーファは慌てて走り出そうとした。
 瞬間、足元の揺れが激震に変化する。バランスを崩しかけて、アティーファはリーレンの奥にエイデガル皇城を捕らえた。
 魔力による断続的な攻撃を、父王フォイスの抗魔力が防いで守っている城。 
 ―― それが、揺れている。
 激震によってアウケルン湖の水面が荒れ狂い、城に向かって水が牙を剥いたのだ。
「ち、父上っ!」
 取り返しにつかない事態になる前に、リーレンとエアルローダの攻防を止めさせねばならない。このままでは、リーレンは魔力を使い果たすだろうし、父フォイスの負担も激増してしまうはずだ。
 握り締めたままの覇煌姫を構え、突き飛ばされた距離を一気に詰めるべく走り出した。
 空気圧を自在に操り、向けられる攻撃を避けていたエアルローダが、先にアティーファの行動に気づき静かに肯く。
 ―― そう。それでいいんだ、アティーファ。
 リーレンは純血の魔力者だ。封じ込めている力に彼が目覚めれば、抗魔力を打ち破るほどの力を顕現するだろう。
「君の大切な姫君はこちらに来るよ? その程度の攻撃で、僕を止められるわけがない!」
 さらにリーレンを煽り、簡単に見せかけて攻撃を受け流す。
 リーレンが不利であるとアティーファに印象付けるために。
 実際、アティーファはリーレンを助けようと、彼の前に走りこんだ。姿を見せれば、リーレンが冷静に戻ると信じている。アティーファにとって、剣を向け牽制すべき相手はエアルローダだった。
「リーレンっ! 魔力も、心も、コントロールしないと駄目だ! 私たちを止めてくれる人間はいないのだからと、言ったのは……えっ!?」
 リーレンだろう?と続けようとして、息を飲む。
 アティーファが信じた通り、リーレンは少女の後ろ姿と声に、ハッと目を見開いたのだ。慌てて、力を封じ込めようともした。
 けれど一旦発動させた力がそう簡単に消えるわけがなかったのだ。
「皇女!! 危ないっ!!」
「リー……っ!!」
 悲痛な、どこまでも悲痛な幼馴染の声に、アティーファは背後で起きていることを冷静に悟る。
 目の前には、笑みを浮かべているエアルローダ。
 ―― 仕掛けられた、罠にはまってしまったのだ。
 味方同士で殺し合いをするように、仕向けるのがエアルローダだ。アティーファがリーレンを、リーレンがアティーファを、殺すように計ってくるのも当然。
「私が、リーレンの攻撃で……殺されるわけにはいかないっ!」 
 死にたくなどない。 
 誰かを置いて死ぬのも……誰かを後悔に突き落とすのも嫌だ。
 剣を目の高さに持ち上げ、翠色の双眸を細める。同時に静謐な優しさを宿す彼女の抗魔力の光が煌き、周囲を静やかに押し包んでいく。 
 放った魔力が打ち消されていく光景を見詰めながら、リーレンは何故か涙をこぼしていた。
 ―― 知っている。
 思い出せない過去に、この光を見たことがある。
 過去この光をまとっていたのはフォイス・アーティ・エイデガルその人だったはず。
 ―― アティーファ皇女が、フォイス陛下の子供ではない可能性など…最初からあるはずがなかったのだ。
 基本的なことを忘れていた。
 抗魔力は、皇公族直系しか保持しない!
「皇女っ!」
 叫んで、彼女に走りよろうとして、気付いた。
 アティーファの目の前に、エアルローダが立っていたのだ。



 今まで見せていた、どこか壊れた表情ではなかった。
 穏やかで優しい表情で、能力を開放したリーレンの絶大な魔力を受け入れた為に、即座に処理不可能な魔力が蓄積されてしまい、瞳孔が開きかけた状態で両目を見開いたアティーファを見つめている。
 慈しむように、ふと、エアルローダが笑った。
 同時に、糸の切れた人形のように、アティーファの膝が崩れる。
 処理しきれない魔力の蓄積が与える激痛は、少女が想像し得る痛みではなかった。意識を手放してしまうのも―― 無理はない。
 エアルローダが両腕を伸ばす。
 亜麻色の髪は光を受けて翼のようにそよぎ、優しく手を差し伸べたエアルローダに祝福を与えるかのように、静かに、彼の腕の中に収まっていく。
「そう。僕ではね、君を抗魔力から切り離すことは出来なかったんだ」
 誰に呟くでもなく、そっと、囁いた。
 この瞬間が訪れることを、エアルローダは望み、待っていたのだ。
 魔力者の村に住む者を両親に持たない者と異なり、恐れられるほどの魔力増加を促す方法で生まれてしまったリーレン。……純血の魔力者、と呼ばれる彼ならば、アティーファの抗魔力を飽和させるのも可能だった。
 だから、計った。
 リーレンが自らに封じているだろう魔力を開放させ、それをアティーファが防がねばならない事態が訪れるように。―― 彼女が抗魔力に守られていない一瞬を手に入れる為に。
 エアルローダの腕の中で、アティーファは青ざめた顔色のまま、瞼をおろしている。
 そんな彼女をいたわるように、恋人を抱くような仕種で抱き上げて、顔を寄せた。
「待ってたんだ、ずっと。この時を。やっと会えるね、アティーファ。いや、ティフィ…」
 呟いて、アティーファの瞼に唇を落とす。 
「皇女ーーーーーーっ!」
 絶叫したリーレンの目の前で、僅かに翠色に淡く輝いたままのアティーファにあわせるように、エアルローダの純白の光が周囲を照らし出し始めていた。

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