第35話 衝撃
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 解答へと導くだろう、唯一の証言を得ねばならない。 
 驚きながらも、カチェイはザノスヴィア王女を抱き上げて、親友の後を追う。アトゥールは馬を走らせながら、思案を続けていた。
 ザノスヴィア王国は、魔力者を弾劾し、利用した経歴を持つ国だ。当然ながら、魔力者を制御する技術を、今なお多く保持している。―― 魔力者を憎悪し、排除しようとする気風もだ。
「ザノスヴィアでは、謎の出兵が繰り返されていた…」
 演習にしては規模が小さく、単なる訓練と考えるには、消耗武具を使い果たし、刃こぼれまで生じさせる事実を説明できなかった理由不明の出兵。
「…虐殺が行われているはずはないと考えた。これが―― 最初の間違いだったんだ」
 王国内で支配者直属の部隊が、突如国民の虐殺を開始すれば、次は我が身かと民は怯えるだろう。結果民は難民となって、隣国に逃亡を始めるはずだ。
 けれど、虐殺された対象が、国民が同朋であると考えていない者達であったらどうなる?
「―― 怯えるどころか、歓迎するかもしれない。恐れ、憎むべき相手が排除されたら。人は……虐殺さえも喜んでしまうかもしれない」
 現在、ずば抜けて高い能力を保持する魔力者たちをアトゥールは思い浮かべる。
 突如敵として現われた少年魔力者、エアルローダ。
 王女マルチナとして姿を表した時には魔力の気配さえ持っていなかったというのに、今、とてつもない威圧を与える魔力を発するザノスヴィア王女。
 かつて皇王の命令で救い出したリーレン・ファナス。
「彼等に共通するのは、高度すぎる魔力。そして…」
 エアルローダは最初、ザノスヴィア王国との国境アポロスにて異変を起こしている。王女マルチナはザノスヴィアの姫君。リーレンは、アポロス橋付近で、魔力者たちを商売の道具にする死の商人に拉致された事が分かっている。
 ―― 全てが全て、ザノスヴィア王国に繋がっているのだ。
 もし、ザノスヴィア王国に、弾圧され殺されていった魔力者たちの末裔が住む場所があったと仮定したらどうなるか。激しい弾圧を逃れ、隠れ、細々と命を繋いで来た場所が。
「………リルカ様も魔力者だった……」
 フォイスがかつて異国より連れ戻って来た、神秘的な雰囲気を持つ黒髪の美女リルカ。
 彼女が魔力者であったことは一般には知らされていない。
 皇族が魔力者との結婚が許されないのではなく、リルカの能力が想像を絶するほどに強く、他国に警戒心を覚えさせる懸念があるためだった。
 一人で国を滅ぼすのも可能な魔力。
 フォイスはエイデガル皇国に戻ると同時に、生母マリアーナの葬儀を行った。
 その後、二人はすぐに皇王、皇妃にそれぞれ封じられる。その際、二人の前途を祝うと称して、前例がないことだが、五公国の獣魂の宝珠を皇都に集めさせているのだ。
 抗魔力の存在を気付かなかった頃は、煌皇王・皇妃即位式を純粋に祝う為だと思っていた。
 けれど実情は恐らく違う。
 獣魂の宝珠の力によって、リルカの魔力を完全に押さえるのが目的だったはずだ。
「この、考えが正しいなら……」
 若い頃、フォイスがリルカと出会った異国というのは。
「ミレナ公王、ロキシィ!」
 声を張り上げて、アトゥールは馬から飛び降りた。塞がりきっていない傷口が痛みを訴えるが、無視する。痛みに構っている場合ではない。
 父親の元に戻ったばかりのシュフランが、穏やかな様子を捨てたアトゥールに目を丸くした。娘を庇って背後にやり、ロキシィは顎をしゃくる
「なにか用か? ガキに付きあう用はねぇがな」
 アトゥールを見下す眼差しで、低く尋ねる。馬から降りたティオス公子は、結ぶ紐が失われた為にさらさらと風に揺れる髪を背に流して、眉根を寄せた。
「―― かつて、貴方は一人ではなく二人で旅に出たことがあるはずだ」
「なんでそんなことを聞かれなくちゃなんねぇのか、分からんな」
 というわけで、答える義務もないと、犬でも追い払うような仕草をロキシィはした。驚いて怒鳴ろうとしたシュフランを制し、アトゥールは公王との距離を一歩詰める。
「貴方は五公国、ミレナ公国の公王だ。公族は、エイデガル皇国を守る為に全てを捨ててでも戦わなければならないのが定め。―― だから、答える義務は貴方にはある」 
「―― 俺はガキには何も話さねぇ主義なんだよ。そう、特に手を差し伸べることも、差し伸べられた手を取ることも出来ねぇガキにはなっ!」
 挑発に挑発を重ねる父ロキシィの真意が、シュフランには全く分からなかった。
 何故、そうまで公子を邪険に扱うのか。簡単な質問にも答えようとしないのか。考えれば考えるほどに分からなくなって、ぽたりと、涙がこぼれる。
「―― シュフラン?」
 怒りに我を忘れても良いだろう挑発を受けながらも、冷静さを手放さないアトゥールが幼い少女が流した涙に気付いて声を上げる。驚いてロキシィも振り向き、心底困惑した表情を浮かべた。
「シュフラン……あのなぁ、俺はべつにガキ共を苛めてるわけではないぞ? なんでお前が泣くよ」
「だって……だって、ロキシィ父様、さっきから…ひどいこと、ばっかり…」
 しゃくり上げる娘には、放浪公王も形無しだった。アトゥールには見せない優しい表情になって膝を折り、愛しい我が子の頭を撫でる。
「俺は別に苛めるわけじゃねぇんだけどな。分からんか、まあ、分からんだろうなぁ」
「分から…ない。分からないよ、ロキシィ父様!」
 大粒の涙がこぼれて、泣きやむ気配もない娘の前で父親は溜息を付いた。
「お前は分かっていやがるのか? ティオスの公子」
「―― 何に対して分かるのか、と聞いているのか不明です」
「まぁな。俺が言いたいのは一つだ。お前も、もう一人も、見てくれと頭脳だけは大人になったと言えるだろうよ。だがな、てめぇらの態度はなんだ? 単体で強くいるのも無理なくせに、やたらと他人を排除したがる。それのどこが大人だ」
「別段排除した覚えはありません」
「じゃあ、区別だ。お前等は他人を、守るべき人間と、必要ない人間の二つにしか分けてねぇ」
 断言に、アトゥールは目を細める。―― ロキシィが自分達二人を拒絶する意味に気付いていた。
 子供だと断定されているのだ。かつて、幼い頃に与えられた傷から立ち直ることも出来ず、まともな素振りをしてみせて、その実はまともを演じる子供にすぎないと。
 息を整え、アトゥールは僅かに振りかえる。
 驚くでもなく、怒るでもなく。状況を見極める為に、口を挟まずに追ってきた親友の姿がそこにあった。
「完全に誰をも頼れないなら、それは子供よりも劣っているでしょうけれど」
 言葉を選ばずに、ただ思いの丈を珍しく口にして、アトゥールはロキシィをひたりと見詰めた。
「私は、他人を信じることが出来ないわけでもないし、頼れないわけでもない。ただ単に、今まで頼らねばならないほどの事態が起きなかっただけです」
「減らず口だけは達者だな」
 だからガキなんだよ、と吐き捨てたロキシィの首筋に、突如アトゥールは氷華を付きつけた。抜刀した瞬間を全く気取らせない速度。―― 神速の剣、と称えられる所以がここにある。
「アトゥール公子!?」
 父親にではなく、今度はティオス公子の動きに、シュフランは仰天する。
 何をするつもりなの、と叫ぼうとして口を噤んだ。ザノスヴィア王女を両腕に抱き上げたカチェイが、口を挟むなと、目で制している。
 見事急所に剣を付きつけながら、掻き切るなどといった行動には出ずに、アトゥールは目を伏せた。
「―― 減らず口を叩いているだけだという主張が正しいならば、私はすで死んでいたはずだ。ここに居ることはなかったはず」
 断言し、ロキシィの首筋を捕らえる氷華に力をこめた。あたかも死を実感させるかのような仕草に、傍観者であるカチェイは、ふと出会った頃の事を思い出す。
 殺せるという事実を見せつけるために、そういえばあの時も、アトゥールは剣を付きつけてきたのだ。
「変わらねぇな、そういえば」
 暢気に呟くカチェイを奇異の瞳で見上げて、シュフランはさらに困惑する。
 憧れている公子が、大好きな父親に剣を付きつけている。止めようとすれば、憧れているもう一人の公子に止められ、呑気なことを呟いている。
 いかに年よりしっかりしていても、十歳のシュフランには理解できず、目を回しそうだった。
 殺気は一切見せず、ただ静かに剣を付きつけるアトゥールが尋ねる。
 このまま死んだらどうするか? と。
「死んだら、てのは仮定だな。仮定に答えるのは意味がねぇな」
 口元に不敵な笑みを浮かべたまま、ロキシィが答えるのを、アトゥールは聞いていた。
「けれど、行動を予測するのは可能です。今、この場で殺されても、貴方はあの方法を選択しない。戻って来れないことが分かりきっているからだ。けれど、最も信頼する者が側にいる状態だったなら? フォイス・アーティ・エイデガル皇王陛下がいらっしゃれば選ぶはずだ」
 長いアトゥールの断言に、ロキシィはいきなり笑い出した。アトゥールが何を言いたいのかは分かる。
 もう良かろうと、手を振った。
 氷華を鞘に収め、アトゥールは一歩下がる。ザノスヴィア王女を隣の看護兵に託したカチェイが、近づいて軽く彼を支えた。
 まだ、無理に動ける状態ではないのだ。
 それを見て、さらにロキシィの笑いは深まった。
「親友を頼る術なら覚えたということか。ガキ共は、ちっとばかり昇格して幼児から少年くらいにはなったってトコだな」
 完全に他人を信じることも、頼ることも出来ない人間が、死の淵からの生還を果たすのは不可能だったろう。―― 信頼の強さだけが成功の鍵を握る奇跡なのだから。彼等は他人を信じてはいる。
「良かろう。褒美だ。質問に答えてやる。何が聞きたいんだ?」
「フォイス陛下は、かつて異国を旅し、結果リルカ様を連れ戻っていらっしゃった。これは誰もが知っている事実です。けれどフォイス陛下お一人ではなかったはず。恐らく、旅にロキシィ公王も同行していたのでは?」
「ちと違うな。俺が同行してたんじゃなくて、奴を同行させたんだ」
「―― エイデガル皇国皇太子をですか…」
「そこで驚くとは、意外に常識人だな、おい。ま、国からあまり出ないお前ぇらには、旅の良さは分からんだろうよ」
 あれこそがロマンってもんだぜ、といきなり言い出したロキシィに、どう口を挟んで良いのか分からなくなったアトゥールが複雑な表情を浮かべる。カチェイは肩を竦めた。
「―― シュフランは、旅に出ない人が大好きよ」
 険悪な雰囲気が回避されて、ようやく調子を取り戻したシュフランがいきなり口を挟む。常に放浪している父親を抗議しているのは見え見えだったので、ロキシィは肩を落とす。
「シュフラン、そんなに父親を苛めるなよ」
「じゃあ、一人娘を苛めないでよ」
「―― ―分かった。一年に三回は必ず帰ってくる。だから機嫌治せや、な?」
「三回? たったの三回!?」
「俺と、ネレイルと、シュフランの誕生日に一回ずつ。これで問題はあるまい」
「ロキシィ父様なんて、本当に、本当に大嫌い! 馬鹿っ!」
 感情のままに大声をあげて、シュフランはハッと目を見開いた。
 興奮した余りに失念したが、目の前には憧れのカチェイとアトゥールが立っているのだ。その二人に、父親を罵倒する姿などを見られてしまった。
「あ……ご、ごめんなさいっ!」
 真っ赤になってシュフランは頭を下げ、走り出して行ってしまう。
「……ま、これから先の話は、あいつに聞かせて良い内容でもないだろうからな。丁度良いことにするか。それで、フォイスが旅に出たことで、今更何を聞きたい?」
 ロキシィは脱兎のごとく走り出した娘の後姿を見送りながら、日に焼けた両腕を組み尋ねた。けれど返事はなく、不思議に思って振り返れば、二人の公子が揃って無駄話をしている場面に遭遇する。
「―― 普通、走り出した娘を一人にしておくものなのかな。銀猫騎士団員が追ったからよいと考えるのかもしれないけど……」
「じゃねぇ? 俺らには分からんな、娘に対する態度ってあんなもんか?」
「―― いや、子供に対する態度っていうのは、フォイス陛下の有り様が正しいのかと思っていたけれど」
「だなぁ」
「話しを聞く気が有るのか、ないのか、どっちだガキども。私語は慎め、私語は」
 凄みを利かせてロキシィが断言すると、二人はすまして振り向いた。
「親子の会話を邪魔してはいけないと思いまして」
 いたって笑顔でアトゥールが言うので、ロキシィも笑顔を作る。
「親友の会話を邪魔して悪かった、とはこれっぽっちも思わんな。で、何がききたい? 俺が褒美を与える時間は短いぞ」
「―― 貴方とフォイス陛下が訪れたのは……ザノスヴィア王国ではありませんでしたか?」
 真剣な眼差しに戻って尋ねたアトゥールを、若干拍子抜けした顔でロキシィは見やる。
「ああ? なんでそんな事が聞きてぇよ? もう二十年近く前の話だぜ?」
「二十年程度ならば、確実に今に影響を与えます。―― それで、どうなのです?」
「ま、リルカの肖像画さえみりゃ、ザノスヴィア人ってのは一目瞭然だからな」
「……では―― やはり、フォイス陛下と貴方が訪れたのは…」
「ああ、ザノスヴィアだったなぁ」
 ニヤリと口を歪めて笑ったロキシィを、戦慄を覚えながら見つめたアトゥールは、ある気配を感じて振り向いた。
 看護兵に介護されていたザノスヴィア王女が、薄く目を開けて、こちらを見ている。
 整いすぎた容姿を持つ二人は周囲を忘れたように見詰め合い、息を同時に落とした。
 彼女を取り巻く雰囲気。魔力。そして見つめた眼差しに、アトゥールは確信する。
「―― 貴方は、一体誰にあたりますか? ザノスヴィア王女」
「……ああ、やはり分かるのね。貴方には」
 気だるげに、問いかけに王女が答える。
「それだけ別の気が流れていれば。あの少女は、自らを”マルチナ”と呼んでくれとアティーファに頼んだ。ならば、ザノスヴィア王女、君は?」
「リィスアーダと。……リィスでもよろしいわ。エイデガル五公国が一つ、ティオス公子」
「リィス王女。私のことは、アトゥールと呼んで下さって構いませんよ」
 マルチナと呼べといい、リィスと呼べという王女に疑問を覚えた様子もなく、リィスと名前を呼ぶアトゥールに、リィスアーダは微笑んだ。
 看護兵の手を払い、立とうする。けれど身体が震えてしまって上手く立ちあがれないことに気付いて、アトゥールは手を差し伸べた。
「結局、一体どちらが保持しているのです?」
「―― マルチナが」
「……そういうこと…か…」
 二人の会話が何を意味しているのかが、ロキシィもカチェイも理解できない。
 一瞬何かを悲しむ眼差しになった後、アトゥールは振り向いた。
「一つ、私が立てた仮定を聞いてくれないかな、カチェイ」
「話せよ。聞いてやる」
 間髪いれず応えた親友に、どこか透明な笑みを向けてアトゥールが口を開こうとした瞬間、リィスアーダが突如歩き出してロキシィの前に出た。
 ―― 神が作り出した奇跡のような美姫リィスアーダを前に、ミレナ公王が呆気に取られる。
「なんだと? ミーシャ?」
 誰も示さない名前を、突然放浪公王は上げた。



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