第24話 嚆矢
第23話 静謐HOME第25話 岐路


 
 ―― 同じ顔をしていた。
 ―― 同じ声もしていた。
 ―― 同じ人間のようだった。
 遠い昔。人々に追われ、狩られ、利用されて、殺されていった魔力者たちが、逃げて作った隠れ里。それが、彼女が今立っている場所だった。
 世界が狭いと彼女が思ったことはない。
 狭いと感じるわけがなかった。閉鎖されていると、実感するわけがなかった。―― 彼女は世界が広いことを知らなかったのだから。
 唐突に人がやってきて、世界が広いと知らされる瞬間まで。彼女は全てに満足していた。
 ―― けれど彼女は知ってしまった。
 自分が住む村以外に世界があること。そして閉鎖した場所に縛られていた事実を。
 彼女に世界の広さを教えてしまったのは、二人の外からの来訪者だった。魅力溢れる青年たち。彼女は突然のことに驚き慌てた。そして次第に、二人のうちの一人が気になり始めたのだ。
 言葉に窮したとき、彼が腕を組む仕種が愛しかった。
 眼を細めて、屈託なく笑うさまを見つめると、自然と顔が赤くなって胸が高鳴った。
 嫌な感覚ではなかった。好ましい気がした。だから、気付けば彼女は彼を探すようになったのだ。
 それが、生まれて初めての恋だとも知らないで。
 ―― 同じ顔の人間が居る。それが不幸だと知らなかった頃。
 ―― 同じ声の人間が居る。それが問題を生むことも知らなかった頃。
 ―― 彼女は双子だった。
 ある日、彼女は呆然と立ち尽くし、叫び声を上げて声を嗄らす。
「……どうして?」
 目の前で彼は去った。
 閉鎖された村に永住は出来ないと常々言っていた。部外者である自分が居れば、村に悪影響を与えるとも。いつか彼が居なくなる事を自然と悟って、彼女は決意しせがんだ。
 ―― 私も連れて行って欲しいと。
 募らせる想いが、一方通行ではないと彼女は確信していたのだ。
 驚いた顔をして彼は笑った。続けて彼女の頭を撫でた。
 けれど、彼女は取り残された。
 彼が約束を破ったのではない。
「私は、お前が居てくれたほうが、幸せになれる。お前は違うのか?」
 わざわざ言って、彼は静かに手を差し伸べたのだから。
 嬉しかった。泣きたいほどに愛しかった。だからこそ、すぐに答えようとしたのだ。
 ―― 同じ顔の妹がいた。
 ―― 創世主の悪戯のように、不気味なほどに似すぎている妹がいた。
 ―― 同じ人間が二人いるみたいだと、よく言われた。
 ―― 事実彼女と彼女の妹とを見分けることが出来る人間は、殆どいなかったのだ。
 彼が彼女に手を伸ばした日、彼女は風邪を引いていた。だから妹に煎じてもらった薬湯を、朝、飲んでいたのだ。
 そのせいだったのかもしれない。上手く、返事をする為の声が出なかったのは。
 いけない、と思った。早く言わなければ、彼に余計な心配をさせてしまうとも彼女は思った。
 けれど彼女が答えれなかった一瞬に、全てが決まったのだ。
「私の未来が貴方と共にあること。それを――見誤りはしません」
 彼女の声が響いた。―― けれど本当は彼女の声ではない。なのに彼女の声が彼に返事をする。
(な・に?)
 彼女は混乱する。口を開いていないのに、どうして言うべき返事が背後からするのか。
 彼が照れたように笑って、手を伸ばす。
(わたしは・返事を・していない・のに)
 彼女は無意識に手を伸ばそうとした。けれどそれよりも早く、彼女の背後から走って来て、手を伸ばす女がいる。
 その女の手を取ろうとする、彼が居る。
 ―― 双子。
「嘘よ!!」
 ようやく彼女の声が迸った。
 大事な彼が騙されている。
 手を伸ばされるべきなのは自分なのに。彼女のフリをする妹の手を彼が取ってしまった。
「ちが、うっ!」
 さらに叫ぶ。けれど既に遅い。二人の姿はどこにもない。
 彼が騙された。自分は妹に陥れられた。事実に打ちのめされて彼女は震える。
 彼の子供が、お腹には宿っていたのに。
 妹のお腹には、誰か分からない男の子供が宿っていたというのに。
 妹は奔放な恋愛をする性格だったので、父親が分からず困っていたのだ。その時、妹は知ったのだろう。姉が将来を約束しあった男が、実は隣の大国、エイデガル皇国の皇太子であるのだと。
 ―― だから利用された。
 情けなくて、さらに叫んだ。
 泣くよりも、叫びだけがひたすらに咽喉を付いて出てきてしまう。
 ―― 彼女には双子が居ます。 
 自分たちでも驚くほど似た双子が。
 だから愛する人は、愛するべき人間を間違えて。
 そして―― 行ってしまった。
 …。
 ……。
 雨がしんしんと舞い降りてきている。
 半分以上焼け爛れた大木の下、膝を組んで座り込んでいた少年がゆっくりと眠りから覚醒した。
「―――また、この記憶か…」
 呟きながら頭を振って、髪に付いた水気を払う。
 何度も、何度も、繰り返し見る夢の正体を彼は知っている。
「死んでなお……僕を縛り続けるつもりなんだ。お前は」
 眼差しを上げて、黒い煤の原に変わった村があった場所を睨む。
 夢の中で少年が見つめた物語は、作り話ではない。
 少年の母親が、かつて抱いた無念の全てを我が子に伝えようと、魔力で作り上げた憎悪の記憶を再生した光景だ。
「うるさいんだよ…お前は…」
 どこか弱い声で少年は怒りを口にする。
 彼が力を失っているのは当然かもしれなかった。
 よくよく見ると、ひどい傷跡が破れた衣服の奥に隠れしている。傷は塞がっているが、跡がひどく生々しかった。
 細く鋭利なものに貫かれた傷と、強い力に切り上げられた傷の二つが最も大きい。
 命がけの反撃を繰り出してきたアトゥールの氷華と、激しい怒りを隠したカチェイの紅蓮によって付けられた傷跡。
 蹲っている少年は、体力を回復するために一旦エイデガル皇国から撤退したエアルローダ・レシリスだった。
「対魔力結界が完全に復活してしまった。折角あそこまで追い詰めたっていうのに。僕がやることは、どっか抜けているらしい」
 自嘲気味に薄く笑いながら呟く。 
 エアルローダの周囲を、静かな光りが取り巻こうとしていた。
 死んで行った者達の激しすぎる残留思念が、自分に干渉して来ているのだとエアルローダは思っている。
「ようするに、悲願を果たし、怨念を晴らしてやるまで。そうやって干渉し続けるつもりなわけだ」
 ―― 魔力者たちが隠れ住んでいた村。
 ―― 偏屈なほどに魔力者を忌み嫌ったザノズヴィア国王ノイルの執念に負けた村。
 ―― かつてエイデガルの皇太子が紛れ込んできてしまった村。
 ―― そして、凄まじい感情の交差によって、双子の悲劇を生み出した舞台となった村。
「アティーファ。君は今泣いているのかな? そういった激しい感情の全て、僕は他人に見せてやる必要はないと思っているんだけど。中々……上手くいかないもんだね」
 生まれる前も、生まれてからも、常に聞いていたのは母親の怨念の声。
 絶大な魔力を誇る母親の強い怨念に巻き込まれ、正常だったはずの村人達までが呪詛を始めた。
 ―― 彼女を陥れた双子の妹を。
 ―― 彼女を見分けることが出来なかった男を。
「そして、本当はエイデガル皇国の後継者でもなんでもないにも関わらず、あの男にも公族たちにも愛され育てられた―― 少女を恨む心…か…」
 かつて閉鎖された魔力者の村があって、リルカとルリカという双子の娘が住んでいた。
 村に迷い込んできたのは、エイデガル皇太子フォイス・レシリス・エイデガルと、その親友。
 リルカとフォイスは恋仲になり、将来を誓い合った。
 幸せな日々。彼を信じ薔薇色の未来を夢見て子供を身篭ったリルカ。
 やがてフォイスは村を出ていく。
 リルカの名を奪い、リルカになりすました―― ルリカの手を取って。
 将来を誓い合った娘を彼は間違えたのだ。
 本物のリルカは全てを憎悪し気が狂った。その後、彼女はフォイスの子供を出産する。
 ―― 生まれた子供がエアルローダ。
 姉の想い人を完全に奪ったルリカは、リルカに成りすまして他人の子供を出産した。
 ―― 生まれた子供がアティーファ。
「すべては……ここから始まってしまったんだよ。アティーファ、馬鹿馬鹿しいと思うだろ? 僕達が生まれる前の出来事が、今の動乱を生み出しているのだからさ。リルカとルリカ。どちらが本物のリルカでルリカなのか判別がつかなかった。その為に生じたらしい……滑稽な悲劇さ」
 薄くエアルローダは笑い出した。
 誰も居ない。全てが死に絶えて、彼自身の手で村を焼き払い埋葬した、廃墟の中で……。
 

 華美ではないが実戦的な軍装に身を包んだ青年が、エイデガル皇城を擁するアウケルン湖に威容を揃えた軍船に乗り込む。そのまま前進を命じ、都市側の岸から、城へと近づけさせた。
 平民出身でありながら、エイデガル皇王フォイスに近衛兵団長に抜擢されたキッシュ・シューシャだ。
「ザノスヴィアの軍勢が国境の橋アポロスに展開したと報告が入りました」
 儀礼の言葉を排除し、用件のみを的確に告げる。
 報告を受ける男、アティーファの父フォイス・アーティ・エイデガルはゆっくりと振り向いた。彼の背後で、文官達が忙しく動いている。指揮を取っているのは老齢の宰相だった。
 百年以上平和が続いた皇都エイデガルが、臨戦体勢に突入している。
「国境の橋アポロスに出陣するように命じた、ガルテ、ミレナ両公国の動きは?」
 キッシュに顔は向けず、宰相に指示をしていたフォイスが不意に尋ねる。近衛兵団長は驚かずに顔を上げ、情勢を続けて報告した。
「ガルテ公国は後継たる公子が騎士団を率いて出陣。ミレナ公国は公王および公女ともに出陣した模様です」
「――公王? ……奴、戻っていたのか」
「なんでも出陣依頼を携えた使者がミレナ公城に駆け込んだと同時に、帰っていらしたとか」
「相変わらず騒動を嗅ぎ付ける天才だな。しかしお祭り騒ぎと勘違いしていないか?」
「まあ、おそらくそうでしょうが…」
 神妙にキッシュは答える。
 ミレナ公王―― ロキシィ・セラ・ミレナ。
 神弓の腕前を持つと称えられる男、ロキシィは放浪癖を持つ困り者で、変人だ。なにせ五公国の公族あちは、こぞってロキシィが一番変人だと断言している。そしてミレナ公王は、フォイスの親友だ。
「奴の名前を聞くたびに、友人の選択を間違ったような気がしてくるな。まあいい。普段遊びほうけているんだ。偶には働かせておけ。奴が来たならば、水路沿いを単に防衛するだけでは終わらんだろうな」
「おそらくアポロスを使用し、直接ザノスヴィアの第一陣を打ち破るおつもりなのでは?」
「そんなところだろうな。まあ勝手にさせておけ。それより、エイデガル皇城内への魔力者たちの避難は進んでいるか?」
「無事に進んでおります。城下の民は、陛下の指示通りアデル、ティオス両公国への避難を開始させました」
「よし。必ず敵はここに来るだろうからな。逃がせる者は先に逃がしておいたほうが面倒が少ない。ところで宰相殿、避難民も含めた数を擁して兵糧はいかほど持つ?」
「最低半年ですな」
「―― それならば良し。ザノスヴィア以外の国も攻め込んでこよう。宰相、続けて兵糧の手配を頼む。キッシュはアデル、ティオスには完全武装をしておけと重ねて伝えよ」
「はっ。―― ところで、皇王」
「どうした?」
 キッシュが深刻そうな顔でフォイスに呼びかける。私語を滅多にしない彼には珍しいことだったので、皇王は不思議そうに近衛兵団長を振りかえった。
「その、アティーファ皇女殿下から―― 連絡はあったのでしょうか?」
「いや、ない」
「……もし皇王の許可が頂けるのでしたら、我が近衛兵団の者を様子伺いに走らせますが」
「素直に行かせてくれと言えんものかな。まあ、少数ならば行っても構わんが。行ってもレキス内には入れぬ―― ん? いや、状況が変化したか」
 ふいとフォイスは顔を上げる。
 娘と同じ翠色の瞳を細めて、フォイスは遠くを伺うようにした。
 対魔力結界。―― 対魔力封印と名付ける人間もいるそれは、魔力者を保護する為に施された抗魔力の檻のことである。
 かつて遠い昔に建国戦争があった。
 群雄割拠の戦国時代。魔力者にとって最も暗黒であった時代に起きた戦いの名である。
 エイデガル皇国建国の覇者、覇煌姫レリシュが偉業を果たすべく軍を起こした時、彼等の前に大きな障害として立ちふさがったのが、魔力者達の精神を縛り兵器として使用した魔力兵団であった。
 魔力兵団を大量に保持していたのが、現在も隣国に存在するザノスヴィア王国である。
 当時ザノスヴィアは宗教国家であり、神の声を伝える預託者が国王を兼務していた。
 狂信的な要素を持つザノスヴィア王国の民は、一般的な倫理観を失っていた。その為、どの国よりも冷酷な心で、魔力者たちを利用し死に至らしめていったのだ。
 これに最も激怒したのが、レリシュの軍師ガルテである。
 早くから政教分離の必要性に気付いていた彼は、最高指導者たる人間が宗教者を兼ねている場合、狂気の集団を作ることが可能だと知っていたのだ。
 ―― 神が、お前達の命を必要としている。
 ―― 神が、戦った者の命を慈しんでくれる。
 ―― 神が、戦わぬ者に罰を下すとおっしゃっている。
 神の代弁者であり王である者が、突然そんなことを言い出したらどうなるだろうか。
 神を盲信する民は動揺するだろう。慌てるだろう。―― 結果必死に戦おうとするだろう。
 だからこそガルテは、ザノスヴィアだけは絶対に敗北させると断言したのだ。
 一方レリシュは、ザノスヴィア王国によって武器として扱われる魔力者達の姿に涙を落とした。―― 彼等が彼等らしく生きる権利を奪うのは、許されていないと激怒した。
 国王たるレリシュと、軍師たるガルテの意思は同じ方向を向いていたのだ。
 けれど魔力を戦術に組み込んだ作戦に勝利を収めるのは容易ではない。
 火攻めは水を招来されて消され、落とし穴は大地隆起によって塞がれ、矢の嵐は風によって無効化させられた。―― そして最もエイデガルを苦しめたのが、敵の兵力が決して減らないという現実だったのだ。
 生きている人間の精神も、死んだ後の屍も操る恐るべ精神呪縛の魔力。
 魔力者たちの前では、流石のレリシュも、ガルテの策も破られると誰もが考えたのだ。
 彼女を支えていた兄姉達が、驚くべき行動に出る瞬間まで。
 当時のエイデガルには、まだ伝説が生きていたといわれている。
 魔力者たちに力を与えた存在であり、魔力者の守護者であり、世界を創世した神の使いだと信じられていた存在。―― 神威を伝える獣達の意思が僅かだが残っていたのだ。
 レリシュに相談せず、長兄レキス、長姉アデル、次兄ティオス、次女ミレナの兄姉達は苦戦を続ける戦場から姿を消した。―― 最愛の妹レリシュと、エイデガルという国を救うために。
 気高い獣達を召喚するために、彼等は迷わず自らの肉体の一部を断ち切ったのだ。
 レキスは右腕を、アデルは左腕を、ティオスは右足を、ミレナは左足を。
 流れ出した血潮に呼び出されて―― 獣達の意思は眠りから目覚めた。
 彼等がどのような契約を獣達と果たしたのかは知られていない。
 レキス、アデル、ティオス、ミレナの四名は戦場に戻った後、抗魔力を駆使し、天馬、金狼、風鳥、銀猫といった獣たちを降臨させたのだ。
 ―― 魔力者たちの能力は相殺され、抑制され、彼等を操っていた呪縛から解放された。
 魔力者という切り札を失ったザノスヴィアは、神の代弁者であった王から国家権力を剥奪し、別の者が国政を司ることを約束してエイデガルに降伏する。
 ―― 建国戦争はこうして終了した。
 その後、レリシュの兄姉たちは抗魔力を受け継ぐそれぞれの子供が誕生すると同時に、次々と謎の死を迎えた。四名全てが命を落とした夜、レリシュは兄姉たちが帰ってくる夢を見た。
 目覚めた時、四つの美しい宝珠が彼女の手中にあったという。
 宝珠はレリシュと、彼女の元に駆けつけたガルテの前で光を放ち、最後の神威水竜と獅子を呼び戻したといわれている。
 これがエイデガル皇国と五公国に伝わる獣魂の宝珠の真実だ。
 そして国内に受け入れた魔力者たちを保護していく為に、獣魂の力と抗魔力とを利用して、魔力を適度に相殺し、抑制し、過剰分を奪い取る結界を皇国と五公国とで作り出したのだ。
 その対魔力結界が復活した。
 ならばアティーファがレキス公王であるダルチェとグラディールの救出に成功し、結界を強化させたことになる。
「―― 今迎えにいけば、途中で擦れ違うことになるであろうな」
「陛下?」
「やはり、迎えに出るより待っていたほうが得策であろうよ」
 抗魔力について説明できるわけがないので、フォイスはそれだけ言ってキッシュに背を向けた。続けて、さらなる準備を指示する為に文官達に声を投げる。


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