第23話 静謐
第22話 離合HOME第24話 嚆矢


  「――リーレン。教えてくれ、私は何をしていた?」
 リィスアーダの腕に抱かれて、先程まで泣いていた名残をのまま、アティーファが唐突に尋ねる。
 レキス公王であるグラディールとダルチェ双方の気配を探していたリーレンは、思わず質問に目を見張っていた。
 いつかは体力をも奪い取ったアティーファの特殊な抗魔力について尋ねられるだろうと覚悟していながら、こうも早く聞かれるとは思っていなかったのだ。
「―― 皇女…」
「リーレン、私がショックを受けるのを配慮してくれているのは分かる。でも、な。自分がおかしてしまった失敗は、知っておかなくちゃいらないと思う。そうでなければ、失敗を失敗とも知らずに、私は同じことを繰り返すかもしれない。そのほうが私には辛いんだ」
 目を伏せ、アティーファは己の想いを告げながら思う。
 エイデガル皇国と五公国の根底を支えていた秘密を、軽がるしく後継ぎたちに知らせることが不可能だった事情は理解できる。
 けれど、もし抗魔力の存在を早くから知っておくことが出来れば、今の状況はなかったかもしれないのだ。
 リーレンが決意するまでを待ちながら、アトゥールのことを考えてしまう。自然目頭が熱くなって、収めたはずの涙がまた溢れ出すような気がした。慰めるようにそっとリィスアーダが肩に手を置いてきてくれる。
 もしも出来ていたら、などと後になって考えるのはいけない事だと、かつて父は言った。そういえば、アトゥールも同じ事を言っていたような気がする。
 全ての事象を知っている状態で過去を振り返れば、他にもっと良い方法があると考えるのは当たり前のことなのだから、と。
 けれど抗魔力のことを先に知ることが出来ていたら、アトゥールやカチェイは、抗魔力を隠さずに使用出来たはずなのだ。
 彼等は抗魔力を知り、使用可能でありながら、ぎりぎりまで使わなかった。
 それは、アティーファが心の準備なく抗魔力の存在に気づいた時、魔力者を利用し、能力を奪い、親切面で騙しているのかと、動揺しエイデガルに絶望することを懸念した為だろう。
「……私の…感情を、大切にしようとして…」
 動揺せずに事実を受け止める力がありさえすればと、考えてしまう。
 こうやって、全ての原因が自分にあると思うことは、傲慢だと知っていたけれども。
 アティーファの葛藤に気付いて、リーレンは事実を隠しておくのは得策ではないと悟った。
「―― 皇女。ご自分のせいだと、己を不当に責めないことを約束して下さい」
 リーレンは、カチェイとアトゥールが、どれだけこの少女を守りたいと思っていたのかを知っている。だからこその行動が生んでしまった今という現実を、悔やんで欲しくない。
「不当に責める?」
「そうです。悲しいのは当たり前です。だから哀しむのは当然だけど。自分が悪かったと考えるのは駄目です。全員、その時に出来ることをするしかなかった。私だって…今になれば思います。もっと魔力を使えていれば良かったと。もしかしたら、カチェイ公子やアトゥール公子だって話していれば良かったと思っているかもしれない。―― 全員が全員、考えていたことが沢山あった。けれど実行には移せなくて、そしてこういう事態になった」
「――― リーレン…」
「話します。恐らく皇女の抗魔力は、一定以上の力の放出によって、魔力だけではなく他人の生命力をも奪い取ることが可能なはずです」
「生命、力?」
「はい。事実 ―― 」
 アティーファがエアルローダに戦闘を仕掛けた際、とてつもない脱力感に当然襲われ意識が混濁しそうになったと続けようとして、リーレンは言い澱む。言ってしまえば、悔やまないでくれといかに言葉を尽くしても、アティーファが思い悩むのは分かっていた。
 だから告げることに抵抗がある。続きを待って首を傾げた、涙のせいで赤くなった皇女の瞳を見れば尚更だった。
「――― 私と、リーレンは、体力を奪われたのですから」
 リーレンの心痛を配慮して、リィスアーダが言葉を挟んだ。
「リィス?」
「けれどもう大丈夫。私は生きています。そしてリーレンも。能力がどのようなものか理解できれば、以後は危険なことにはならないはず。―― マルチナを救ってくれた貴方ならばならないと、私は信じますわ」
「―― 私は…」
「救った人間もいることを忘れてはなりません。そして―― 今から救わねばならない相手がいることも」
 はっきりと言い切ると、リィスアーダは微笑む。マルチナの妖艶さを完全に払拭し、変わりに気高さを封じ込めた表情だった。
「それに、今アティーファに落ち込まれたら私が困ります。約束したはずです。私と―― マルチナのことを、いつか聞いて下さると」
「――― ありがとう。すまない、リィス。行こう、リーレン。これ以上、誰かが死ぬのも泣くのもごめんだ!」
 完全に立ち直ったわけではない。
 けれどやらなばならない事のために動く力は取り戻して、アティーファは走り出した。



 額から汗が零れ落ちていく。
 出来ることならそれを拭い、乱れた髪をレキス公妃ダルチェは直したかった。
「……グラディール…」
 カチェイが抗魔力によって作りあげた通路を走り、辿り着いた玉座に彼は居た。
 玉座の間だけは荒らされた様子がない。だからそこにグラディールが座っている光景が余りに普通すぎて、逆に胸が痛かった。
 死んで濁った魚のような眼差しが、普通の中でやけに目立つ。
「貴方は、逃げたわ。天馬騎士団員が襲ってきて、戦うことよりも、彼等によって殺されることを貴方は選択したのよ。貴方は優しいと思う。でも―― それは本当の優しさだといえるのかしら?」
 静かに告げながら、一歩一歩、玉座に座ったままのグラディールににじり寄る。
 天馬騎士団員たちは、二人揃わねば満足な力を発することも出来ない自分達でも敬愛してくれた。
 そんな彼等にとって、死した後の骸を使用され、自分たちを殺そうとしたのは辛いことだったろうと、ダルチェは思う。だからこそ、彼等の手が自分を殺す事態だけは防がねばと感じたのだ。
「けれど、貴方はそうは考えなかった。屍とはいえ、可愛がっていた騎士団員の身体を切り刻むことに憐れみを覚えたわ。―― 虫も殺せない、貴方らしい優しさかもしれないけれど」
 レキス公城での戦いが複雑化し苦戦を強いられた大きな一因は、自分たちが二人揃った状態で無事を確保していなかったせいに他ならない。もし無事でいれば―― 助けに駆けつけたアティーファ皇女の力を即座に借りて、レキスの抗魔力結界の綻びを繕い強化させることが出来ただろう。
「―― グラディール。アトゥールが……多分、死んだわ。感じたでしょう?」
 エイデガル皇国および五公家の人間は、それぞれ獣魂の庇護を受けている。その獣魂たちは、皇公族が抗魔力を一定以上に増大させることをきっかけに目覚め、半ば実体を取っての守護を開始するのだ。
 事実ダルチェも、能力が低かったために顕現しなかった天馬が、お腹の子供の力が発現したことによって半覚醒した。アデル公国を守護する金狼も覚醒している。
 その天馬が感じたのだ。同じ獣魂である、風鳥の高い嘆きの叫びを。
「私達がすぐに戦える状態を確保していなかったから。だから悲劇はこんなにも拡大してしまったのよ。だから、グラディール」
 双刀風牙。長兄レキスが使用した刀の一つを手に構え、持ち上げる。
「貴方がいつまでもエアルローダに操られ、意味のない存在で居続けるというのなら」
 国を守れぬ公族に存在価値はない。
 無様に操られ、敵の尖兵となり続けるならば―― 生きている価値さえないのだ。
「私が貴方を殺すわ。レキス公家直系として、許すわけにはいかないっ!」
 ダルチェは叫ぶ。途端、腹部に激しい痛みが走った。
 ―― 子供が、抵抗しているのかもしれない。
 父が、母が、互いに剣を交わし戦う事態を抗議しているのかもしれない。
(でも……ごめんね、私は)
 戦わなければならない。それが公王などという大層な身分にある自分たちの義務だ。
 激しく一歩踏み込む。玉座に座り続けるグラディールが動く気配はない。振り下ろせば殺せる。―― そして、風牙を繰り出すダルチェの太刀筋に迷いはなかった。
 このまま殺されるつもりならば、それでも構わないとダルチェは思った。振り下ろした刃が、僅か指二本分程度の間隔しかないところまで迫る。―― 呆気ない終わりも考えた。けれど立ち斬られる寸前、グラディールは玉座から滑るように身体をずらし、ダルチェの踏み出した足を蹴り飛ばす。
「――― っ!」
 バランスが崩れた。ダルチェは前に倒れそうになる。その先に、彼が隠し持っていたらしいナイフの光りがあった。
「グラディールっ!」
 叫び、無理に体勢を立て直すことよりも風牙を持たぬほうの手で夫の肩に触れる。同時に彼を強く突き飛ばし、前に倒れそうだった体を後ろにやった。当然今度はグラディールの体勢が崩れる。
 つぶさに夫の動きを判断し、ダルチェは確信した。エアルローダの意思下におかれているグラディールは、彼らしい剣筋と動きをしていない。どこか陳腐だ。
 ―― 勝てる。
 考えてダルチェは密かに笑う。なにせそれだけが懸念だったのだ。
 エイデガルには世界でも屈指の剣豪と名高い者が数多くいる。
 けれどそれらの人々の殆どは、彼女より年上の人間ばかりだった。―― 同年の者しか恋愛対象に見れなかったダルチェは、それだけが不満で、いつも愚痴をこぼしていた。どうせならば自分と同じ程度には強い相手が好ましかったから。
 そういう状態の時に、皇王フォイスがグラディールと決闘してみせろと言ったのだ。
(皇王陛下が、気でも狂われたのかと、思ったわ…)
 ガルテ公国第二公子グラディールは、実の兄がこいつは優しいだけの人間かと頭を抱える程にひたすらに優しい事で有名だった。同じように優しく穏やかで通っているアトゥールとは質が違う。
 本当に、呆れるほどにグラディールはひたすら優しいのだ。
 だから剣などろくに扱えぬと思っていた。事実剣を使ったことはないとグラディールは訴えたのだ。―― けれど。
(私が結局は負けたんだもの。その上決闘のあと剣に興味を覚えグラディールはめきめきと才覚を伸ばして。私は勝てなくなった)
 だからこそ、ダルチェはグラディールを認めたのだ。そしてグラディールは正反対の性格を持つダルチェに恋心を抱いて―― 二人は結婚した。ある意味フォイスに上手く乗せられたのかもしれない。
「でも今回のことで、はっきり知ったわ。貴方の優しさは間違っている。全てに優しい人間は、全てに冷たいのと同じだったのよ!」
 いくら言葉をつのらせても、グラディールの瞳に感慨は浮かばない。逆に歪な動きのまま繰り出してくる攻撃を余裕を残し払って、ダルチェは風牙を勢い良く彼の双眸を断ち切らんばかりに払った。
 避けようとしたグラディールが後方に倒れる。チャンスを見て取って、ダルチェは足を踏み込んで彼の衣服の裾を踏みつけた。そして止めを刺すための剣を振り下ろす。
「終わりよっ!」
 叫んだ時、魔剣風牙が初めてダルチェの覇気に反応して輝く。
(皮肉だわ。夫を殺すとき―― 初めて、風牙が積極的な反応を示すだなんて)
 そんな事を思う。けれど夫だとしても、公国に害なす人間を放置することは出来ない。
「ダルチェ、待てっ!」
 走りこんできてすぐに、妻が夫に止めを刺そうとする瞬間に出くわしてアティーファは叫んだ。
 とはいえ、渾身の力で振り下ろした剣を停止可能な人間はいない。それを正確に判断し、勢いよく彼女は魔剣覇煌姫を頭上に掲げる。他人の命の源をも奪うことが可能な忌まわしい抗魔力。けれどこの力ならば―― 瞬時に攻撃を行うダルチェの力を麻痺させることが出来ると判断したのだ。
 切っ先が翠に光り、閃光は間違えずに二人の公王を包む。
 突然の脱力感にダルチェは顔を歪ませ、耐えられずに風牙を取り落として床に膝をついた。
「リーレン、ダルチェを頼んだ!」
 鋭く命じてアティーファはグラディールの元に走りよる。リィスアーダもそれに続いた。
 グラディールはエイデガル皇女の登場にもなんの感慨を示そうとしない。これは陳腐な操り人形よりも性質が悪いと思った時、リィスアーダはマルチナのことを考えて唇を噛む。
 アティーファとリーレンは、自分が二重人格者だと判断している節があった。確かにリィスアーダとマルチナという二人が存在するという点では間違っていない。―― けれど。
「リィス?」
 突如沈黙した王女に懸念を覚えて、アティーファは名を呼んだ。その声に、今は考え込んでいる場合ではないと判断しなおして、リィスアーダは首を振る。
「なんでもないわ。―― この人は魔力によって思考を止められているみたいね」
「ああ。エアルローダの魔力ならば―― 遠く離れたとしても操ることは可能だろうから」
 呟きながら、父王から預かってきたものを懐から出して掌に包んだ。
「――― それはっ!」 
 体力を奪われ、リーレンに支えられているダルチェが驚愕の声を上げる。
 禍禍しい空気に支配される中で、清浄を作り出すもの。孤独のレキス公妃が命がけで守ったもの。
 ―― レキスを守護する至上の宝。天馬宝珠。
「グラディールは助ける。ダルチェが無理をすることはない。第一、レキス公王としての力が戻らなければ、私達が困るのだ」
 情けをかけているわけではないと言外にダルチェに告げて、アティーファは両手で天馬宝珠を捧げ持った。
 彼を呪縛するエアルローダの魔力を完全に払うには、レキスを守護する天馬の力を借りる必要がある。リィスアーダは立ちあがり目を伏せて、邪魔せぬ程度に魔力を使用し、グラディールが動けぬように縛った。
 失敗は許されていない。
 自分を守るために様様な事実を示唆し続けて、そして眠ってしまったアトゥールの為に。
 自分を守るために取り乱すこともせずに気丈で居てくれるカチェイの為にも。
 グラディールは救って見せる。
 抗魔力が静けさで周囲を支配しつつ彼を包み、天馬宝珠が呼応して静かに光りを宿す。
 そして――― ゆっくりと、グラディールが瞬きをした。



 天馬の光りが天を貫く。
 確認してカチェイは鈍く笑った。
「―― レキスの対魔力封印が復活したか」
 ならば無事に、グラディールは意識を取り戻し、公王としての機能が復活したということだ。
 良くやったなと、側にいたならアティーファの頭を撫でてやったろうが、今は無理だった。
「―― 許してくれとはいわないさ。なにせ誰にも許してなんて欲しくないからな」
 悪いなとだけ呟いて。そのままレキス公城に背を向ける。
 さらさらと音を立てて。歩き出す彼の肩口から、抱えている誰かの長い髪が風に揺れている。
 伏せられた瞼。色を失った顔。力を完全に失っている身体。―― 彼の親友であり、少年魔力者との戦いによって命を落としたはずのアトゥールの髪。
 あの時。涙を落とし、やるせなさに叫んで親友に触れて、驚愕した。
 ―― 冷たすぎる。
 確かに死者は冷たいものだろう。特に失血死を迎えた人間は冷たくて当然なのだ。―― けれどアトゥールの場合は、単に死んでしまったから冷たいと説明出来るレベルを越えている。
 連れて歩き出すために、カチェイは親友を抱え上げた。当然触れ合う場所がある。そこから伝わってくる冷気の凄まじさに、身体中が凍くようだった。
 気のせい、で済ましていい異変ではないはずだ。
 ―― お前にかけるから。
 最後自分を送り出す際にアトゥールが息も切れ切れに言った言葉。
 何をかけたのか、それはわからない。けれどカチェイには、この異常状態にこそアトゥールが賭けたなにかが潜んでいるような気がしてならないのだ。
(傍からみりゃ、こんなん、狂気の沙汰でしかねぇからな)
 死んでしまった親友を埋葬してもやらずに、抱えたまま姿をくらまそうとしている。確かに正常な人間がやることには、到底思えない。
 確かに正常には程遠いかもしれん、などと乾いた笑みのまま思いながら、カチェイは返事をしないアトゥールの顔を僅か見つめた。
 ―― このまま腐敗が始まるのか。
 ―― それとも……。
「……奇跡なんてもんは…自力で起こしてみせるもんだ……そう言ったのはお前だったよな、アトゥール」
 こんな時でも冷静と余裕を装ってしまう自分自身を嘲笑しながら、カチェイは言う。
 立ち去るしかなかった。
 少なくともアティーファに見せるわけにいかないのだ。こんな有様など。
「まあ、この動乱が収まるように働きはするさ」
 それをさぼって良い程に、五公国公子の身分は軽くない。カチェイは再び歩き出し、城門にて待っていた自分の馬に飛び乗る。そしてアトゥールを待っていた馬の手綱を軽く握って―― 姿を消した。
 冬ではない。
 にも関わらず、彼が一人吐く息を白く染める冷気の中で。


第23話 静謐
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