第21話 静動
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   剣の先に、烈火のごとき激情を称えたアティーファの眼差しが有る。
 翠の新緑と豊穣を約束するように美しい瞳を染めた怒りの色。皮肉な気持ちでそれを眺めてから、くすり、とエアルローダは酷薄に笑った。
 続けて、彼女が繰り出してくる切っ先を力押しで跳ね返す。アティーファは二三歩ばかり後退した。
 知りうる全ての真実を知ったとき、エイデガル皇女はどういった反応をするのだろうか? それを考えると楽しくて仕方ない。なにせまだ、自分という存在が隠している真実の一端に気づいたのは、まだアトゥールだけだ。
 その彼は死ぬ。
 計算した通りに物事が進行しなかった為に、取り乱してしまった時は忘れていたが、今は理解している。
 希な判断能力を持つティオス公子は確実に死ぬのだ。
 出血多量、重度の怪我、機能低下した肺のままで、生延びる人間など居るわけがない。いっその事、アトゥールは死ぬのだと、優しげな声音で告げてやりたい衝動がある。
 けれど口は噤み、代わりに剣劇の音も高く戦闘を続けながら、エアルローダは行うだろう殺戮を思って笑みを浮かべた。
 ―― 殺してあげる。全てを。
 剣をかわす、少女を守る人間の全てを奪って葬ってやる。カチェイも、リーレンも、そして皇女に味方するならばリィスアーダもだ。
 世界に存在するのが、自分とアティーファの二人きりであっても良いほどだ。
 ―― 君を守る全ての優しさを消してあげるから。
 アティーファの精神が、憎悪と激情と追憶に飲まれていけばいいのだ。
 何度目かのアティーファの切り込みを受け流して、一瞬エアルローダは視線をカチェイに投げた。
 致命傷を与えて倒れたアトゥールに対し、有効であるだろう救命活動をカチェイは動揺は見せずに行っている。取り乱しきることが出来ない、生意気な五公国の人間らしい態度だった。
「でも、無駄だと早くに見切りをつけないとさ」
 呟くと同時に、避けた体勢から一気に剣を突き込んだ。アティーファが鋭い攻撃を避ける為に後退する。瞬間に発生する空白の間を利用して、エアルローダは魔力を自分自身に使用した。
 アトゥールとの戦闘で、エアルローダが負った怪我も軽いものではなかった。激痛に、身動きが取れないのも本来当然だろう。にも関わらず少年が平然としていたのは、魔力で痛覚をマヒさせていたからに他ならなかった。
 精神力だけで、苦痛を捻じ伏せて戦闘を続けたアトゥールに正直な所エアルローダは驚愕している。死んで脅威でなくなるのならば、敬意ぐらいしてやってもいい。
「僕は、カチェイを倒せばいいだけになるみたいだね」
 今度はアティーファに聞こえるように嘲弄の声を上げた。目に見えて怒りを露にして、少女は声を上げる。
「カチェイがお前に倒されるわけがないっ!」
 皇女という肩書きから想像できぬほどに、アティーファの戦闘能力は高い。その上激情が彼女の振るう剣に更なる鋭さを与えていた。避けきれれずに断たれた肉片の幾つかが、独特な音と共い大地に落ちる。感覚をマヒさせているので何も感じはしなかったが、視覚的に痛いと感じるのは否めなかった。
「カチェイが倒されるわけがないだって? 君が決して敗れないと思い込んだ兄の一人は、あそこで死に掛けているっていうのに?」
「死なない!!」
 戦闘中にも関わらず、泣き出す寸前の子供の目になって、アティーファは首を振る。
 エアルローダに対する怒りと、アトゥールが死んでしまうのではという恐怖。エイデガルの皇公族が抗魔力を保持し、魔力者の支配が可能だった隠された真実。それら全ての事柄に、彼女は混乱しきっていた。
 それこそがエアルローダの望む状態なので、少年は両眼を細める。愛の告白のように「自分だけを見つめて、呪って、追いかけてくればいい」と、言いたい程だ。
 アティーファに、周りが見えている必要はない。おかげで彼女は今、周囲で何が起きているのかに全く気づいていないのだ。
 リーレンとリィスアーダが、蒼白な顔で苦悶している。二人、意識を失わないことだけで手いっぱいで、注意を促すべく叫ぶことも出来なかった。
「な、んで……こんな、時に…」
 眩む目と、脱力感にリーレンが細く呻く。リィスアーダは口元を手で押さえたまま、鋭い双眸でエアルローダとアティーファとを交互に見やった。
「このまま……では、私、たちは…」
 今にも消え入りそうな弱いリィスアーダの声に、エアルローダは一瞬酷薄な視線を向けた。
「貴様は、絶対に許さない!」
 エアルローダが煽った激情を持続させたまま、少女は剣を扱う。仕掛けた罠のままに感情を高ぶらせ、敵の名を簡単には呼ばない少女のプライドがひどく心地よくて最高だった。
「前も言わなかった? 貴様じゃない、エアルローダだよ、アティーファ」
 さらに挑発を重ねる。
「なんでお前をわざわざ名前で呼ばなくちゃならない!? 私の名を呼ばれなくちゃならない!!」
 アティーファは頭上から舞い降りる太陽に、涙の代わりに散った汗を反射させ、叫ぶ。
 楽しい。異常なほどに、今エアルローダは楽しい。
 ―― 権利はあるらしいよ?
 毎日。呪詛のように、繰り返されて来た。
 言葉を、感情を、憎しみを、遠い愛情を、ぶつけられ生きてきたのだから。



 黒髪の女が、子供を膝に抱く。
 水準をはるかに上回る美しい造形を持つ女であり、忌まわしいほどの醜さを併せ持つ女だ。
「エアルローダ」
 謳うように、女が言った。
 膝の上でぐったりと彼女に上体を預けていた子供の身体が怯えに震える。
「エアルローダ」
 女は声を重ねる。
 怯える子供は目を上げて、身体の力を失ったまま、それでも何とか女を見た。
「辛いの?エアルローダ」
 女は尋ねる。子供は肯定も否定もせず、ただ、彼女を見上げ続ける。
 返事をしても無駄なことを子供は知っていた。
 女がどんな言葉も聞いていないことを、幼い頃からの経験で理解していたから。
 ―― だから無駄なことはしない。
 ただ、時が過ぎるのを待つだけだ。
 そうしていれば、生きては行ける。
「辛くても、魔力を磨くのよ、エアルローダ。いつか起きる戦いの為に」
 やはり返答を望んでいなかった、その証拠を見せるように、彼女は虚ろに言葉を続けた。
「魔力増幅を行い続けるのは自殺行為。けれどいつかあの国を手に入れ、従え、隷属させるなら問題はないわ。あの忌まわしい能力が、肥大する能力を頼みもしないのに抑制してくるのだから」
 女が紡ぐ言葉に、子供は感銘を受けない。
 すでに幾度も繰り返された言葉だった。暗記してしまったほどに、繰り返された訴えでもあった。
 ―― 知っているよ。
 と、口に出し訴えても、その女が言葉を止めないことも知っている。
 女は願っている。命を蝕む魔力増幅を、息子に望んでいる。こうして、幼い身体を魔力に侵食されて、緩慢な死に近づこうとしているというのに。
 女は願う。腹を痛め世の中に産み落とした子供に、生まれながら彼女の願いという呪いを受けた少年に。。
 だから、正気を保つのはやめようと思っていた。
 常識がどこにあるのか、考えても意味はない。狂気だけが世界を支配するのなら、この狭い場所では、狂気こそが常識で正常だ。
「殺すのよ。あの子を殺すのよ。私と偽って、あの人を騙して。あの人を奪って。そして連れ去った女を、そして生れ落ちた子供を。殺すのよ―― エアルローダ」
 お願いよ、と女は言う。
 お前だけが私の味方ねと、優しさを装って偽りの笑みを浮かべ、懇願する。
(でもね、かあさま)
 ―― 貴方が望んでいる。本当の形を、僕は知っているんだ。



「破滅するしかないんだよ、君も、そして僕もね」
「貴様は、一体、何者だというんだ!!」
 戦闘の意志が強くなればなるほどに、抗魔力も力を増す。結果、奪い取ったエアルローダの魔力を再構成して、アティーファはそれを放った。自分自身のものであったはずの力を、自分自身の力で、弾き返す。
 抗魔力と、魔力のぶつかり合いは何処か不毛だ。
「知りたい? アティーファ」
「呼ぶなっ!」
「まだ分からないかな? 僕は、君を名前で呼ぶ権利を持っている。この皇国を意のままにする権利もさ」
「私の名を呼ぶ権利を持つ者はいる。けれど、皇国を意のままにしていい者などいない!」
 ―― やっぱり君は、正論だけを言うね。アティーファ。 
 明るく、優しく、強く、そして激しい。
 エイデガル皇国の姫君。―― あのフォイスの血を受け継ぐ唯一の娘とされるアティーファ。
 彼女のことだけを考えてエアルローダは生きてきた。狂気と常識が逆転する暗闇の中で。憎む対象でありながら、縋る対象でも有るかのように考えてきた。―― アティーファのことを考えるしか、自らの意志でやれることは何一つなかったから。
「真っ直ぐなその性格は、伝え聞いたフォイスにそっくりだよっ!」
 投げ捨てるように言ってやる。馬鹿にされたと取ったのだろう、アティーファの顔色が更に変わった。
「何も知らないくせに父上のことを言うなっ!」
 怒っている。それだけ、父親のことが好きだということなのだろう。
 更に激情に駆られろと願う。激情が狂気に変わるほどに。アティーファの心が狂うほどの怒りに染められれば、恐らく共に血の色の夢が見れるだろうから。
 身動き一つ取れずに、凄まじい戦闘と感情の交差を続けるアティーファとエアルローダの二人を見守るしか出来ないリーレンは歯噛みしていた。
 このまま戦闘が続けば、アティーファは完全にエアルローダのペースに巻き込まれてしまう。今の敵である少年魔力者は、未だかつてないほどの”エアルローダ”という個性を前に打ち出してきていた。
 ―― 一体彼に何があったのか?
 罠を打ち破られたことか? 予想外のアトゥールの攻撃か? 反撃をうけて怪我をしたことか? それだけで、ああも雰囲気が変わってしまうものだろうか? 
 エアルローダの楽しげな表情と、高揚する気持ちを押さえ切れないような態度こそが、気になる。
 ―― 皇女なのか?
 アティーファこそが、エアルローダの感情を爆発させる鍵を握っているのか?
 確かに少年が積極的に感情を露にするのは、アティーファと対峙する時だ。エアルローダの存在すら知らなかった当方とは異なり、彼はこちらの情報に精通しているような気もする。
 けれど何故、精通することが出来るのか?
「アティーファを、止めなくては、ならないわ」
 思考に入りかけた精神に、リィスアーダの切れ切れの声が聞こえる。振り向いた先で、彼女は傾国の器と称されるほどの美しい顔を苦痛に歪めていた。
「この―― 状態が続けば、わたしたちは、死にます」
「……死ぬ?」
「これは……魔力のみを奪う…抗魔力では…ない…わ」
 リィスアーダは必死に言葉を続ける。
 五公国の公族たちが保持する抗魔力と、エイデガル皇族が保持する抗魔力には、決定的な差がある。
「―― アティーファ、は……走ることも…出来ないほどに、疲労していたわ。あんな立ち回り…本来なら、出来るわけが……ない…」
「皇女は疲労しきって…いた?」
 今、目にするアティーファは輝くほどに生気に満ちていて、疲労しているように全く見えなかった。
「エイデガル、の、皇族が保持する…力…の質、が、詳しくはどういうものなの…か、知りません。でも…今、突然追いやられた…状態、と、皇女を見れば……予想が出来る…」
 ―― 魔力以外に奪い取り吸収できるもの。
「人の…生命活動を司る、体力、そのものだ…と?」
 リーレンの声に、瞳だけで肯定の意を伝える。その呼吸がひどく浅かった。
 ―― 体力を完全に奪われたら、人間はどうなる?
「死…ぬ?」
 リーレンの呟いたタイミングを図ったように、唇を歪めてエアルローダは唐突に笑む。
「あいつ……の、目的、は!」
 ―― アティーファの感情を故意に暴発させ、抗魔力を必要以上に激しく引き出すことによって。
「皇女に、わたしたちを、殺させようとしている?」
 結果、自分達の戦力は壊滅的に低下する。その上、人を大切にしているアティーファだ。力の暴発によって生命力を奪い取り、死に追いやるような事態になれば、不必要に自分自身を責めるだろう。
 それによって発生する心的外傷は、彼女の抗魔力を失せるかもしれない。
「それを、狙って、いるの、か!?」
 想像が正しいとすれば、彼は少年とは思えぬほどに狡猾すぎる。先程見せた混乱さえも、こちらを油断させるための演技だったように思えるほどだ。
「なんとか―― しないと…」
 動きが取れない身体が憎い。それでも必死に大地に手を付き、リーレンは立ち上がろうとしていた。



「……勝手に、死んで行こうとなんてしてんじゃねぇ」
 低く言い放って、カチェイは暗くなった瞳に怒りを燃やした。
 エアルローダに対してではない。負けず嫌いな性格を押さえられずに、手負いのまま戦ったアトゥールに対してでもない。
 とにかく彼は今、目の前で親友が死に逝こうとしている現実に憤っていた。
「アトゥールっ!」
 もう何度目になったか分からない叫びを上げる。
 親友の元々白い肌は蒼褪め、色を失ったままだった。赤みを取り戻す気配もなく、伏せられた睫毛が揺れることさえない。
 ―― このまま死んでいくのだろう。
 冷静に判断出来てしまう自分自身が憎かった。万が一の可能性に縋り祈って泣き叫べない、弱くない心が厭わしい。
「――― ふざけすぎてるぞ、お前っ」
 無駄なことをしていると、エアルローダは背後で笑っていることだろう。 
 既に手遅れとなった怪我人の名を幾ら呼んでも、傷が癒えるわけがないのだ。そんなことで治癒が可能ならば、世の中死者はいない。
 発生している戦闘で、守らねばならぬ妹が、一人、悲しみを抱えたまま戦うのを知っている。しかも完全に相手の手玉に取られたままにだ。
 助けに行かねばならない。行ってやらなければ、とんでもない事にアティーファはなってしまう。
「―――――― ちくしょう」
 同じ言葉を繰り返す。
 死に逝くというのなら、その時まで側に居たいのが人情だ。けれど状況が許してはくれない。転がしたままの紅蓮に、刹那、視線をやる。
「――― !?」
 気配が動いた。
 紅蓮に向けた視線を引き剥がし、腕の中の親友に視線を戻す。
 ―― 目が合う。
 ひどく薄い色素の双眸。
「………アトゥール」
 二度と意識を取り戻さぬまま、死んでいくと思っていた親友が今、自分を見ている。
 アトゥールの眼差しが笑った気がした。
 名前を呼んでこようとしたのかもしれない。空気がかすれる音が零れ出る。
「―― 喋れるわけがないだろうが。肺がやられてる。どういう意味か、分かってるだろう。お前なら」
 敏い親友が、自らが負った怪我の状態と死期を理解せぬはずがなかった。だからこそ合えて静かに言い放って、カチェイは一瞬でも見逃すまいとするように、アトゥールを見据える。
 応えることも、首を振る力も残っていない親友の眼差しが微かに震える。けれど、彼が謝ったことが確かに分かった。
 ―― 意思を伝える手段を失っているというのに。間違えずに理解出来る。親友というのは、こういうものだろうか。
「……ったく。行けって言いたいんだよな、お前は。死に掛けてる時ぐらいは、ちったあぐるぐる考えんのやめろよ」
 場違いなほどに明るく言い放ちながら、意識を取り戻したアトゥールの身体を、大木に寄り掛からせた。
 まるで一人芝居のように。
 カチェイだけが動いて、彼だけの声が響く。
 ―― けれど。これは一人芝居ではないのだ。
「激情によって引き出されたアティーファの能力は、抗魔力だけじゃない。他人の体力を奪い去る、狂気の能力。そう言いたいんだろうが」
 アトゥールが浮かべる懸念の表情と、戦闘を見つめようとする視線。かつて抗魔力について調べたアトゥールが述べた事実の一つを訴えていることは分かる。
「―― ったく。お前は、こんな時になって俺に面倒を押し付けやがる」
 鋼色の双眸はアトゥールを見つめたまま。
 それでも右手は紅蓮を握り締め、立ちあがった。―― 少なくともまだ生きている。その親友の瞳が、遠くなる。
「せめて戦闘が終わるまでは、死ぬんじゃねぇぞ」
 絞り出すように、カチェイは言った。
「…お…前に…かけ……る………か…ら」
 突然に、逆流する血液を咳き込みながら、それだけを、アトゥールが細く言った。
「―― 賭ける?」
 なにを、と続けようとしてカチェイは黙る。
 聞けば答える雰囲気だ。けれど喋るだけで確実に死期は早まるだろう。それは嫌だ。一秒でも長く、生きていろと思う。
「お前の望みも、命も、なんでも預かってやるさ。大盤振る舞いだ、利子なしにしといてやる」
 とりあえず、そんな事を答えた。
 笑ったと―― 思ったのは気のせいだろうか?


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