第19話 呼声
第18話 動揺HOME第20話 理解


   体中が脱力していた。
 おそらく、攻撃を仕掛けてくるザノスヴィア王女の魔力を相殺した翠の閃光を生み出したことによって、体力が消耗されてしまったのだろう。
 それでも動こうとする彼女の前には、優雅な笑みを浮かべた姫君リィスアーダ・マルチナ・イル・ザノスヴィアがいる。救ってくれてありがとうと言い、マルチナを妹と呼び、同じでありながら、同じではない、一つの体を保持する娘だ。
 リィスアーダに質問したい事柄は山ほどあった。けれど今、アティーファを焦らせているのは、もっと別の出来事だ。
 背後で突如魔力が弾けた。完全な殺気がこめられた、自分にではない誰かに向けられて発生した魔力が恐い。
「――― アトゥールっ!!」
 名前を叫ぶ。
 ザノスヴィア王女との戦闘に入る前、アトゥールは妹代わりのアティーファを庇い、エアルローダとの戦闘に入っていた。助力したかったのだが、入り込んでいく隙がなく見つめ続け、結果ザノスヴィア王女との戦闘に自分は入った。
 アトゥールの分が悪い事にアティーファは気づいている。
 なにせ現在最強であろう魔力者を、ひどい怪我を負ったままアトゥールは相手にするのだ。魔力を持つ特殊な武器とはいえ、相性が悪い大剣紅蓮を手にしているというのに。
 だからこそ、早く助けにいきたかった。にも関わらず、体力を失ってしまった体は重く、足はもつれて横転してしまう。手にする覇煌姫を、拷問具のように重く感じた。
「……エイデガル皇女…」
 なんとか立ち上がろうと歯を食いしばるアティーファを、見つめていた王女リィスアーダが声を上げる。
「どうしてそんなにも、心配するのです? たとえ公子の身分を持っているといっても、あれは貴方にとっては属国の人間―― たんなる部下の一人でしかないでしょうに」
 不思議そうに呟いて、リィスアーダは倒れ込んだままのアティーファの隣に身をかがめ、黒絹の髪を揺らせて首を傾げる。
 アトゥールが属国の人間に過ぎないのは、事実だ。
 いわば切り捨てるのを躊躇ってはいけない相手を、そこまで心配するのはおかしいと、リィスアーダは暗に指摘しているのだ。
「私……は…アトゥールに、忠誠を、誓って欲しいわけじゃない」
 忠誠など、本当は誓って欲しくなどない。―― ただ。
「アトゥールと、カチェイだけ、が。父上以外で、たった二人だけが…私を……我侭な子供として見てくれるんだ…だから、二人がいなくなるの…は、嫌、だ…」
 唇までが疲労していて、上手く声にならなかった。
 けれど言わねばならないのだと、必死にアティーファは想いを言葉にする。
 彼らを怒らせたことがある。心配をかけて、説教をされたことも。悪戯で怪我をさせたこともあった。叱ってもくれた。誰よりも親身になってくれた、血は繋がっていなくても確かに大切な自分の兄。
「あれは、私の兄なんだ! だから、絶対に……死なせなんて、しない!」
 誰もが、皇王や後継ぎたる皇女には縋るような希望を見ている。
 それは当然の事であるから、自分達は間違えずに進み導けるように、強く、正しく、優しくいなければならないのだ。
 だからこそ、一緒に立って、考えて、対処してくれる人間は自分の命と同じほどに大切な存在になる。
 リーレンがアティーファに”エイデガルの皇女”に対して持つ甘えを捨てきれない以上、対等の位置に立つ人間は、カチェイとアトゥールの二人だけだった。
「だから、助けに―― 私が、行くんだ!!」
 必死に叫ぶ皇女はまるで聞き分けのない子供のようだった。
 リィスアーダは困ったように目を伏せ、おもむろに手を伸ばす。アティーファの叫びには、彼女の心を揺さ振るものがあったのだ。
「私の肩をつかうといいわ」
「!?……リィスアーダ姫?」
「リィスと呼んでくださいと、先程申したはず」
「……じゃあ、リィス。なぜ私の手助けしようと思うんだ?」
「貴方は、マルチナを救ってくれたわ。そして―― 」
 アティーファが、二人の公子に対して持つ感情を、リィスアーダも実感として知っていた。
 世界でたった一人の妹がいる。唯一、背負う定めを分け合って共有するマルチナ。その妹だけは、リィスアーダも命にかえて守りたいのだ。―― だから、兄である人物を失いたくないと必死になる気持ちは理解できる。
「そのかわり、話が出来る時がきたら。わたしと、そしてマルチナの話を。―― 聞く事を約束して」
「リィスと、マルチナ?」
 ―― 同じ顔の娘。
 ―― おそらく。一つの身体に二つの人格を持つ、ひどく特殊な姫君たちの心の理由。
「分かった。……話をきいて、そして私に出来る範囲での…助力を約束する」
 必死に返事をしながら、アティーファはリィスアーダの細い肩に体重を預けた。二人の行動に気づいて、駆け寄ってきた凛毅が覇煌姫をくわえてやるとアティーファの左手に鼻面を押し付ける。
「―― ああ、凛毅。手伝ってくれるんだな」
 アティーファは微笑を浮かべた。



 ―― 呼吸が落ち着かない。
 重く圧し掛かる上着を脱ぎ捨てるために、首元に手をやりながらアトゥールは思っていた。右手の方向に、大地に突き立ったままの紅蓮が見えている。
 当然、目の前で中性的な容貌に酷薄な笑みを刻み、魔力を構築するエアルローダも見えていた。
「なにもかもが邪魔だし。意外なことに、君以外の人間達も時間を要したとはいえ、からくりに気付きつつあるのが不愉快だな」
 言いながら、そこでエアルローダは笑う。
 思えば姿を初めて見せた時から、異常精神を示すように、虚ろな闇を抱いた目で少年は笑うばかりだった。それにひどい違和感を覚えていたアトゥールは眉をひそめる。
 余りに不自然で、そして奇妙だ。
 エアルローダの言動は、何かを隠す為の手段に思える。
 ―― 先程気付いた事実が、原因の一つかもしれなかった。
 エイデガル皇太子を意味する、レシリスを名前に抱く魔力者。同時に、自分たちと同じ太刀筋を保持する少年。
 本来アトゥールが基本剣術として身に付けたのは、ティオス公国風鳥騎士団が身に付けるものと同じタイプのものだ。
 母親の身分が低く、側女にもされなかった母親を持つカチェイは、正妃である女に命を狙われ続けた幼少期を持っている。おかげで公族としての教育を殆ど受けておらず、彼が最初に身に付けたのは亜流の剣技だった。
 今でこそ、エイデガル皇国が誇る最高の剣豪と名高い二人の才能が開花し、剣技のスタイルが変わったのには、皇王フォイスに原因がある。
 フォイス皇太子であった若い頃、親友と共に放浪の旅に飛び出したことがある。各地に存在する戦闘方法を見つめていた彼は、旅の間に独自の剣術を作り出している。いわば特殊な剣技を、二人は教え込まれたのだ。
 同じ太刀筋を持つ人間は、本来限られているはずだった。
 フォイス、カチェイ、アトゥール。そしてアティーファとリーレンが、同じ太刀筋を持つだろう。
 にもかかわらずエアルローダの太刀筋は、自分達のものとひどく似通っている。その上レシリスを名乗るのは何故なのか。
「陛下は…」
「そこまで飛躍して謎に迫らないで欲しいな。賢い人間は好きだけど、敵の中にいるのは嫌いだって何度も言っているだろう?」
 鈍くなりつつも、必死に考えようとするアトゥールの思考を遮ってエアルローダの声が響いた。
 はたと現実に立ち戻りアトゥールは前方をみやる。意識を一つに集中しきれない事実そのものが、失血多量の現実を証明しているようだった。
 目前で少年がまとう一見清らかな純白の光が、アトゥールには厭わしく感じられる。
 美しいが、魔力の光を全てを終結させることが可能な光なのだ。終わりにさせられるわけには、いかないというのに。
 ―― 死ぬわけにはいかない。
 だからこそ、呑気に考え事をしている場合ではないと、アトゥールは己に言い聞かせた。
 上着を握りこむ右手の指が、布に染みこんだ鮮血によってじっとりと濡れている。脱ぎ捨てようとする仕草に、何か意図が隠されているように見せかけながら、アトゥールは軽く握る細剣に意識を集中させた。
 他者の魔力を唯一奪い、相殺させる事を可能とする能力―― 抗魔力とでもいうべき能力を補佐するのが、獣魂の紋章であり各家に伝わる魔剣たちであった。
 どちらも、今のアトゥールは持っていなかったが。
「そんなに繊細そうな顔をしてるくせに、この状態に陥ってもなお、死を覚悟しないのは流石だよ―― だからこそ、邪魔なんだけどね」
 神経を逆立てさせる笑みをエアルローダがまた浮かべると同時に、彼は唐突に指先を前方に突き出した。まるで塊を鋭く投げつけるような仕草だ。
 激しい魔力の攻撃を予期していたアトゥールは息を詰める。
 エアルローダの思惑通りに動くわけにも、じりじりと追い詰められて失血死するわけにもいかないのだ。事態を好転させる為に、この一撃だけは抗魔力を使用せずに避ける必要が合る。
 抗魔力は体力をひどく消耗させる。
 避けるのではなく、反撃に利用せねば勝機を勝ち取れない。
 無意識に、好んで立ち止まっていた場所から走り出そうとして、アトゥールは激しい眩暈に息を呑み込んだ。
「……っ!」
 白濁する。意識が、急激に途切れようとしているのだ。慌てて手放しかけた意識を必死に手繰り寄せながら、大地に膝をつく。迫りくるエアルローダの魔力の気配をはっきりと感じた。
 ―― 死ぬわけにはいかない。
 自分が死んだら、アティーファは泣くだろう。抗魔力の存在を知ったとしても、リーレンは悲しむだろう。背負い守らねばならない公国民、そして何よりもカチェイはどう思うだろうか?
 唇の内側を噛み締めて、傷をつくる。明確な痛みに、意識が僅か現実に立ち戻った。
 攻撃を目前にしながら、足が動かない。
 今の危機を切り抜けるには、なんとか集めていた抗魔力を展開させることだけだった。
 だが、もし今集めた力を解放させたとしても、続いて向けられるだろう攻撃を避ける防ぐ術は完全になくなる。
 抵抗したとしても、死を迎える時間がほんの僅か伸びるだけなのだ。
 けれど、潔く死を受け入れることが出来るほど、アトゥールは生きていく今に絶望していない。
 左手を僅かに持ち上げる。
 光り牙を向く魔力にむけて。一瞬だとしても、生き延びようと思った。瞬間、何者かに突き飛ばされたのだ。



 さすがに、何がおきたのか咄嗟には判断できなかった。
 ただ大地の上に倒れた自分自身に動揺する。一体何がおきたのかを確認したくて振り向いた先を、純白の魔力の軌跡が走り抜けた。
「――――― な、にが?」
 呆然と呟くアトゥールと、エアルローダも同じ気持ちだったのだろう。姿を見せてから初めて、驚愕の表情で凍りついた少年の様子を、混乱する意識の中でも確認する。
 けれど今は、エアルローダの様子を観察することよりも、何がおきたのかを理解することが先決だと判断した。
 実は、随分と前から親友のカチェイが側にいる気がしていた。
 だから幾度となく振り向き、首を傾げていたのだ。
 魔力によって別空間として分断されているのではと仮説も立てた。無意識に場所を取るように下がった自分は―― もしかしたら気付いていたのかもしれない。
 そこに…、誰もいない空間にこそ、彼がいるのだと。
 見つめる。誰も居ない、声が返ることも有り得ない、その空間をひたすらに見つめた。
「カチェイ?」
 かすれてしまった声で、呼びかける。
 そして同時に聞いた。自分の名を呼ぶ男の声を。
「そういう……こと…か」
 ―― やはりそうだったのだ。
 完全に理解した。誰も引き離されたりなどしていないのだ!
「アトゥール!!!」 
 悲鳴のようなアティーファの声は、自分と同じ空間から。
 ちっ、とエアルローダが舌打ちする。失敗に終わった止めを刺すために、動くのだろう。空間が破られようとしていることにも、同時に気づいて。
 親友、幼馴染、恋人同士、そして夫婦といった者達は、自然お互いがお互いを呼び合っている。そういう感情が―― 最高の力の発揮と、瞬時に可能な精神集中を成すことも当然エアルローダは知っていた。
 だからこそ、アティーファとリーレン。アトゥールとカチェイという、普段からお互いの存在を確認しあう人間達を引き離したのだ。近くで、呼び合わないようにするために。
 いかに圧倒的な魔力であっても。それを破る可能性がそこにある。
「アティーファ!!リーレンを、呼ぶんだ!」
 走ってくる少女に、空気を吸い込んで必死に叫ぶ。
 突き飛ばされたことで、遠かったはずの紅蓮が目の前にあった。それを掴み取り、アトゥールは今視線が交差したと確かに感じた場所を睨みつけ叫ぶ。
「カチェイ!!紅蓮はくれてやる!だから、氷華を私によこせ!」
 ―― 今更言葉使いなど気取ってはいられない。
 走りこんできながら、アティーファも青年の要求に頷いて、即座に叫んだ。彼女もまた、幼馴染の気配に気づき始めていたのだ。
「リーレン!リーレン、力を、かしてくれ!!」
 叫んだ瞬間に、感じた実感はさらに強くなる。
 分断された空間の向こう。必死に自分を呼んでいた声―― リーレンの存在を確信する。
 全てが交差した。カチェイがアトゥールの名を叫びながら、氷華の刃を無造作に掴んで前方に滑らせる。アトゥールが、渾身の力で紅蓮を投げる。アティーファは走りこみながら、手を伸ばした。
 ―― その全てを。今、リーレンは感じていた。
「砕けろぉぉぉ!!!」
 生まれてこの方、こんなにも叫び、そして必死になったことはない。
 ―― 戦いなさい、リーレン。
 思い出したばかりの母の声が蘇る。
 そして―― とてつもなく激しい音と共に。
 ついに空間が割れた。


第19話 呼声
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