第17話 兆候
第16話 覚醒HOME第18話 動揺


   咄嗟に目を見開いたのは、確かな衝撃を感じたからだった。
 突然顔色を変えたアデル公子の隣に佇み、覇煌姫、氷華、紅蓮に匹敵する魔剣―― レキス公国の双刀風牙を構えようとしていたダルチェは、訝しげにアデル公子に視線をやる。
「カチェイ? どうかした?」
「……いや。少々、嫌な予感がしやがっただけさ」
 気にするなと無骨な手を振るが、表情から戸惑いの色が消えることはない。
 ダルチェはさらに問いを重ねようと思ったが、尋ねても答えるわけがないと思い直して口をつぐんだ。変わりに現状を把握するべく意識を集中させる。
 天馬に守られ眠り続けていた間に、レキス公国に辿り着いたアティーファ皇女一行が目にしたのは、生存者が一人もいない廃虚の光景であったという。ゆえに異常には魔力者が関係していると判断した直後に、エアルローダと名乗る少年魔力者が現れたというのだ。
 ―― 少年魔力者。
 レキス公国に異変が起きた最初の日に、ダルチェも彼を目撃している。
 皇族であるような静かな威厳をたたえ、公城の中庭に降り立った闇そのもの。高度の魔力と切れる頭脳とを保持した最悪の敵、それがエアルローダだったのだ。
 結果、張り巡らされていた罠の為に、皇女一向は分断させた。
 しかし、疑問も多い。何故、突然現れた少年魔力者が、エイデガルの皇族たちの詳しすぎる実情を知りうることが出来たのか。考えるが答えは出ず、ダルチェはほどけてしまった髪を押さえながら眉をひそめた。
 考える彼女の眼差しの前で、二つの魔力が衝突し凌ぎを削り合っている。
 はっきりとした光景を見ることは出来ないが、攻撃を仕掛けてきているのはエアルローダの魔力で、防ごうとしているのがリーレンの魔力だということは知っている。
「どんなに普段、普通にしていても。やはり魔力者は…魔力者なのね」
 吹き荒れる暴風は、残酷なほど自由に周囲を巻き込もうとしている。それを防がんと隆起するのが、足元にあるはずの大地だった。おかげで発生した土煙の為に、視界は最悪の状態にある。
「リーレンの体力は持つのかしら」
 魔力を発生させる際には、多大な大量の消耗が強要される。
 カチェイの力を借りてダルチェが目覚めた時には、既にリーレンは魔力を発現させていた。あれから短くもない時間が既に経過している。
 せめて加勢することが出来ればよいのだが、と悔しさにダルチェは双刀風牙の柄を強く握りこんだ。
 アティーファ、アトゥール、カチェイの三名は、それぞれの持つ魔剣の主として認められている。ゆえに戦闘の意思を強く持ったときに、魔剣は応えるのだ。―― けれど彼女の風牙はなんの反応も見せていない。
 二人なければ何も出来ない、半分だけの公王。それがダルチェ・ハイル・レキスと、グラディール・ハイル・レキスの関係だ。
 二人揃っているならば、アティーファやカチェイ、アトゥールといった面々と同じく、魔力を持つ剣の力を解放することも、魔力者に対して防御体制を取ることも、天馬を覚醒に導くことも、僅かに力は落ちるが出来るのだ。
 結局一人では何も出来ない。レキスを救わねばならぬのに、その力を持たぬのだ。
「私がグラディールと戦わなくちゃいけないわ」
 唐突に断言して、ダルチェはアデル公子の腕をつかんだ。未だに確認したい出来事があるのだろうカチェイは真剣な眼差しのまま振り向いて、レキス公妃を見やる。
「グラディールは生きているか?」
「生きてるわ」
「何故断言出来る?」
「―― 双刀風牙が教えてくれてる。本来風牙は、二刀流にて使用する剣だわ。でも、能力が足りない私は二刀を同時に使うことが出来ない。私と、グラディールがそれぞれ一刀ずつ持たなければ、魔剣としての能力を発揮できないの。―― だからね、風牙は呼んでいる。力を発揮させるに必要な人間を」
 双刀風牙は意思持つ剣。主を選び、主を求め、主を守る。
 風牙が主を求め泣くならば、グラディールが生きたまま操られているのが事実だった。
「グラディールが生きてるんだったら、早い段階で取り戻す必要があるだろうな。……よし、道は俺が切り開く。レキス公城に一人で向かえ。―― エアルローダがグラディールの側にいる可能性が今は低いはずだ」
「低い? ちょっと待って。彼らは今、目の前で対決しているでしょう。だから、エアルローダがグラディールの側に居るはずがないわ」
「俺にはあれは一人芝居にしか見えんな」
「一人芝居?」
「ちょっとばかり見てたんだけどな。攻撃と反撃のパターンがどうも同じすぎる。ということはだ。―― エアルローダ自身が仕掛けて来た攻撃は第一撃目だけってことになる」
 戦闘に対する天性の勘を保持するカチェイらしい言動に、ダルチェは改めてリーレンが戦っている方向を見つめた。極度の視野が悪い為に具体的な戦闘は分からないが、確かに攻撃と防御で繰り出される魔力の気配が単調にすぎる気がする。
「ここから立ち去るわけにはいなかいってことね、カチェイ。でも、出来そこないでしかない私にグラディールを任せること、後悔しないっていえる?」
「その程度は信用するさ。なにせお前は公王でもある」
「……公王、ね。それで、道を作るっていうのはどういう事? 私たちには、攻撃を仕掛ける能力はないはず。―― たとえ獣魂の力を引き出したとしてもね」
「攻撃はリーレンにやらせるさ」
「手伝わせる!? 貴方が、アトゥール以外の人間を頼るって言うの!?」
「俺ごときのプライドを考慮してる場合じゃない」
 口調だけはおどけているが、双眸は全く笑っていない。カチェイのらしくない真剣さに、ダルチェは改めて危機の深さを悟った。同時に、彼をここまで焦るということは、皇女アティーファやアトゥールが命の危険に晒されている可能性の高い事も知る。
「―― 了解したわ。一瞬でいい。レキスへの道のりをあけて」
 これ以上の問答は時間の浪費だった。
 手短に了解して、ダルチェは握る一刀の双刀風牙に力を込めた。腹に宿った我が子に、力を貸してとも小さく祈る。瞬間、カチェイは氷華をレキス公国城正門に向かって付きつけた。
 金色の焔がゆらめく。
 神秘というよりも、金の焔は激しい威圧感だけを与えて、周囲を支配した。


 
 背筋を凍えさせるような瞬間の衝撃に、はっと目を見開いたのはリーレンだった。
 第一撃を阻止して以来、敵がどの位置にいて攻撃を繰り出しているのかも分からないまま、魔力を相殺し続けている。おかげで浮いた汗のせいで、額の上で普段はゆれている前髪が張り付いていた。心臓は狂ったような激しい鼓動を続けている。
 だが、疲労したといって魔力放出をやめるわけにはいかなかった。そのような事をすれば、背後にいるカチェイやダルチェといった公族たちが危機に落ちかねない。
 人を無意識に頼ってしまうのが、本人が気付いていない欠点だった。
 だがリーレンが無意識に頼ってしまう程に敬愛し、共にありたいと望む人々を守る機会があれば、純真さが驚くほどの底力を発揮させる。 
 カチェイやアトゥールは、アティーファに対する時だけリーレンは必死になると判断していたが、それは少し違う。兄のように優しくも厳しい彼ら二人を守りたいと思う気持ちも、リーレンには強くあったのだ。
 だから必死になって、急激な体力消耗と疲労に耐えていた。背筋を凍えさせていった、不快なほどの衝撃を感じる寸前まで。
 威圧。いや…何かに強制的に額ずかされる不愉快さだった。同時に何かを奪われていく喪失感に、血液の全てが凍りついて行く気がする。―― しかもこの感覚に覚えがあった。
 ひどく露骨すぎる喪失感は、確か最初にエアルローダが攻撃を仕掛けてきた瞬間に、感じたものと全く同じだ。
 ―― 防御の為に展開させようとした力、けれど消えた力。
 ―― そして喪失感。
 ―― 代わりに持ち上がった……
「翠の閃光!?」
 指先から消え去ろうとした魔力、防げずに目の前まで迫ってきた攻撃。それを突然に防いだ、魔力としか思えぬ翠色の閃光。―― それらの記憶が一瞬に蘇って、リーレンは嘘だと否定して欲しくて振り向く。
 そして見た。
 金色の輝く焔。無骨な彼の手に治まると小さすぎて玩具のような氷華を前方に指し示し、狼に見える圧倒的な存在を従えた男。―― 彼が知っているカチェイではない。皇女に、自分に、結局のところ甘かった彼ではない。
 普段は威圧など誰にも与えようとはしなかった男が、今、傲慢なまでの高貴さで佇んでいる。
 言葉を口に出来ないリーレンを捨て置き、カチェイは前方に突き付けた剣を天に指し示した。刹那、視界を焼く閃光が空を走り、氷華へと収束されていく。―― 金色に輝く狼はあわせ咆哮した。
「まさか……この、脱力感は…」
 ―― カチェイが今、何をしているのかが分かる。
 振りかざされた氷華が奪い取るのは、放っていた魔力そのものだ。
「なぜ、なぜそんなことが出来るんですか!? 貴方たちは魔力など持っていないはずなのに!」
「……説明は後だ! リーレン、伏せてろ!」
 混乱に耐えられずに叫んだ彼をカチェイが一喝した。迫力に負けてリーレンは後退する。
 同時にもう一つの異変に気づいた。
 ―― 先程まで自分たちに襲い掛かって来た攻撃は何処に行った?
 魔力攻撃による危機が訪れたからこそ、対抗するべく魔力を出したのだ。
 カチェイは混乱しているだろうリーレンを捨て置き、ひたすらに頭上にかざした氷華に意識を集中していた。表情の厳しさ以外に変わった様子はないのだが、実は凄まじい疲労に蝕まれつつある。
 こんなのは情けなさすぎるな、とカチェイは口の中で呟いていた。
 魔力は使えないはずだ、とリーレンが叫んだのは聞こえている。
 確かにそうだった。エイデガルの皇族、五公国の公族たちは、魔力は使えない。
 なにせ魔力者というのは、自らの能力のみで魔力を構成し、発露可能な者の事を指すのだ。だから、魔力は使えない。
 けれど魔力者の定義によって発生した矛盾をついて、一つの秘密が存在するのだ。
 魔力者に近い能力を持ちながら、決して魔力者ではない者。
 エイデガル皇国、そして五公国を継いだ者にのみ伝えられる真実。
 ―― 唯一存在する、対魔力に最大の能力を発揮する力。
 それを公子にすぎないカチェイが知っているのは、鋭利過ぎる頭脳を保持するがゆえに、明かされる前に秘密に気づいてしまったアトゥールを親友に持つ為だ。
「魔力封じの力、というべきなのか、相殺というべきなのか分からないんだ」
 当時露骨な困惑を隠せずに、紅蓮を手にしたままアトゥールは当時言ったのだ。
「なにがだよ?」
「カチェイ、不思議に思ったことはないか? なぜにエイデガルのみが魔力者に対してこうも寛大でいられるのか。―― 自信を持っていられるのかをね」
「思ったことはあるがな。確たる答えなんぞ出たためしもないな」
 だから考えるのはやめたさ、と続けてカチェイは座っていた草原に寝転がる。親友の動きを視界の端に収めて、アトゥールは抱えた膝の上に顎を乗せて表情を隠した。
「私も今までは分からなかったんだ。この―― あまりにも単純な統計に隠された事実に気付くまではさ」
「統計? なんのだよ」
「エイデガルで確認され登録されている魔力者の能力レベルの統計」
 良くもまぁそんな数字の羅列を見る気になったなと冷やかしながら、カチェイは目の前に突き出された紙に視線をやる。―― ひどく平均的な魔力の数値の羅列が書類の中で続いていた。
 魔力を数値で表すことを可能にさせたのは、かつて魔力者たちを戦争の道具として使おうとしていた時代の遺産技術による。獣魂の宝珠に近い特殊な石を加工し、魔力の高さに反応して色が変じるようにしてあるのだ。
「別段気になるもんには見えないけどな。ま、小姑なアトゥールにしか分からんことが俺に分かるわけがない」
「ああ、ごめんごめん。嫁に逃げられるまでは愛想つかされてることも分からないような鈍感な君には、分からない事だったかもしれないよね」
 決まりごとのように軽口に応酬を成した後、アトゥールは陽に透かせば金にも見える薄茶の髪を揺らし手を伸ばす。紙の中にあった名前の一つを指し示すためだ。
「リーレン?」
 フォイス皇王直接の指示によって救われ、アティーファの側近として仕えることを許された少年の名。彼の能力を示す数値もまた、特記するほどには高くない。
 ―― そう、高くなかった。
「おい、ちょっと待て。この数値、信用がおけるのか?」
 初めて声に不審げにカチェイが言う。
「信用が置けないとはいえないだろうね。なにせ、この数値はエイデガル皇王の命令によって、毎年行われる魔力者を対象にした戸籍調査によって出されたものなんだから」
「細心の注意が払われて行われるっていう、あれか」
 起きあがると、筋肉に覆われた腕を組んで考えこむ。外見には似合わぬが、カチェイが意外に綿密な思考回路を持ち合わせていることをアトゥールは知っていた。だからこそ、アトゥールは続けて別の紙を思案中の親友の前に突き出す。
 ―― エイデガル皇国王の名前で、持ち出し不可の印がなされている書簡入れだった。
「………お前ねぇ、これ、どっから盗んできたよ」
「人聞きの悪い。少々拝借してきただけだよ」
「夜中に忍び込んでか?」
「残念。早朝さ。エイデガルは伝統的に、朝に弱い人間が多いからね」
 しれっと言い切ると、アトゥールは書簡入れの中から黄ばんだ紙を一枚取り出す。
 リーレンの名前がそこにもあった。
「……数値が随分と高いな」
 魔力者の基本能力は、生涯変わることはないと言われている。
 鍛錬次第で、魔力発現時の威力を増大させることは出来るが、あくまで使用の仕方による増減にすぎず、基本能力までが変化することはないのだ。
 にも関わらず、エイデガル皇国に来た時と現在とで、リーレンの魔力は大きすぎるほどの変動を見せている。―― 数値が少なくなりすぎなのだ。
「特別過ぎる原因が有り得ない限り、こんなことがあるわけがない。だから不思議に思って調べてみた。他国にて、正式に存在が確認されている魔力者の能力平均数値と、我がエイデガルおよび五公国内で生活している魔力者たちの平均数値をね。―― 結果は、これになる」
「……なんだぁ? 俺らの国の方が断然低いな」
「信じられない、そう最初に思うのが当然だと思うよ」
「そうだな。なにせエイデガルは、率先して魔力者の保護に努めている。他国で狙われるほどの魔力を持った人間なら、一番に保護していて当然なんだ。―― 使用を許していないからバレてないけどな、本来、高能力の魔力者を大量にかかえてるのが、エイデガル…ってことになるハズだからな」
 一体どういうことだ?と首を傾げる親友の横顔をみやりながら、アトゥールは物思うように空を見上げた。 
 不思議に思っていることは、実はもう一つ有る。
 エイデガル皇国内にて魔力使用が禁じられているのは、自明の理だ。
 けれど、咄嗟の出来事―― たとえば魔力を使えば、自分ないしは自分が大切に思う者の命を守れる事態に追いやられれば、禁じられていたとしても、人は無意識に使うものではないだろうか?
 実際、もし自分自身が魔力を持っていたと過程した場合、魔力の使用で大切な誰かを守ることが出来るならば、禁じ手を使うことに躊躇いはしないと思う。
 けれど現実には、魔力者達が能力を行使した事実は殆ど存在していない。
「……カチェイが魔力を使えるとして、目の前で大切な人間の上に岩でも落ちてきたらどうする? 物質的な行動ではなにも出来なくとも、魔力ならば手が打てる状況に陥ったら」
「そりゃ使うだろ。相手が死んじまったら、それでしまいだ。だったら法律破って怒られる方がマシだな―― って、まてよ。そういや……」
 やはりそういう結論になるものだよね、とアトゥールが静かに呟く。
 奇妙なほど真面目な顔になって、カチェイはうなった。
「……どういう事だ?」
「楽して、解答だけ貰おうとしないで欲しいよね」
「考えんのはお前の役目ってことにしとけよ」
 だから仮定のままでもいいから意見を聞かせろと目で伝え、他人に意見を言う際には慎重になる傾向のある親友の肩を叩く。アトゥールは諦めて息を一つ吐いた。
「二つ。考えた仮説がある。一つは―― エイデガル皇国内では、なんかの魔力抑制の力が働いていて、自由に魔力を使えない状況にあるということ。そしてもう一つが、皇国内に長く居続けた魔力者たちは、能力が下がっていくということ。特に―― 皇王を始めとする、生粋の皇族達の側にいる者は、その傾向が顕著になるということ、かな」
 そう考えれば説明が行くだろう。
 フォイスが自ら、保護すべきと指示した魔力者の子供―― リーレン。
 それだけでも随分と稀なことが起きると思っていたというのに、フォイスはリーレンを、アティーファの側近にした。いかに身分差別をしないエイデガルの国風とはいえ、異様である感は否めない。
 何故に、リーレンを特別扱いする必要があったのか。アティーファの……言いかえれば、エイデガルの皇公族の側に居なくてはならない理由は一体何であったのか?
「もし、エイデガル皇国内に、魔力を抑制する力があるのならば。魔力者に対して唯一友好的態度を取れた理由は説明がつく。そして―― その力を生み出すものが。私達、エイデガルの血に繋がる皇公族にあるとすれば。なにもかも、疑問なんてなくなるんだよ」
 恐らく危険視するほどの能力をリーレンは持っていたのだ。だから皇王は彼を保護し、そして彼を皇女の側においた。誰にも疑われることなく、彼を皇族の側に置きつづける必要があったから。
 ―― 魔力を、抑制しなければならなかったから。
「……だから、もしやと思ったんだ。こんなことを可能にしている力。それは―― 」
 風が唐突に吹く。
 ゆれる薄い色の髪の向こうで、何故かひどく嫌悪しているような顔をアトゥールはしていた。  


第17話 兆候.
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