第14話 獣魂
第13話 相互HOME第15話 剣戟


   天馬がゆるりと光の翼を広げる。
 その光景を忌々しげに見やって、エアルローダは舌打ちをした。
「つまらないな。あれだから、エイデガル皇王家の血に繋がる人間達ってのは、長生きする確立が高いんだよ」
 少年が立っているのは、レキス公国城の城門の上だった。
 そこからは、はっきりとこちらに向かって歩いてくるアティーファたち四名の姿を見ることが出来る。―― そう、四人の姿が。
「…さてね。君たち四人がまた、再会できることは可能なのかな。それを考えるのはちょっと楽しいけれど。レキス公妃があの有様で居続けるのは、楽しくなさすぎるんだよ」
 呟いて、エアルローダはまた右方向の頭上を見やる。
 光の翼を広げる天馬。
 その正体は、レキス公国城と共にある塔の上に安置されていた、天馬の彫像であった。
 天馬宝珠を奪われた天馬が何故、突如光を発し上空に舞ったのか。
 おそらく、近づいて来ている同胞の―― アティーファならば水竜、アトゥールならば風鳥、カチェイならば金狼の ―― 気配を感じ取って、天馬の寄依として安置された像に、力が憑依したということなのだろう。
「ようするに、今でも宝珠に封じられた気高い獣たちは、主と認めた人間の末裔をそれは健気に守ろうとしているというわけだ。お涙頂戴話にはもってこいだけど、面白くないな」
 吐き捨て、悪意を通り越した殺気を宿して、エアルローダは上空を睨む。
 光によって守られているのは、レキス公族唯一の直系、ダルチェなのだ。
 当然近付こうとしたが、僅かな力しか取り戻していないはずの彫像に宿った天馬が、威嚇するように光を伸ばして来たので、面倒になって実力行使は控えている。
「ようするに。天馬に攻撃を受けない人間が、ダルチェを起こせばいいわけだ。そうすれば、楽しい催し物を実行に移せるから一石二鳥だ。そうだろ? グラディール」
 猫のように咽喉で笑って名前を呼ぶ。仄暗い青年が操られているようにぎこちなく、頷いた。
「感動の夫婦対面ってわけだよ。なら、ちょっとは手助けしておこうかな」
 呟いて、エアルローダは左手を軽く前に伸ばす。硝子が割れるような音が遥か前方で響いた。
「さあ、アティーファも知恵者のアトゥールも居ない中で。どうやって助ける? アデル公子、そして呪縛に囚われ続ける僕の同朋は」
 囁きながら、少年はまたもや笑い出していた。



「カチェイ公子!!」
 両手で己の頭を押さえ付けながら、突如リーレンが叫んだので、カチェイは振り向く。
「なんだ? アティーファでも見付けたのか?」
 揶揄する為の言葉ではない。リーレンが焦るということは、アティーファ関係のことだと思いこんでいたゆえの、返事だった。
「皇女がいらしたのでしたら、公子を呼ぶ前に走り出しています!」
「そりゃ、まあ、そうかもなぁ…」
 かなり失礼なことを言われたと自覚したが、茶化すのはやめた。かわりに魔力者であるエアルローダがいつ姿を見せるか分からぬ状態を警戒し、軽すぎる細剣―― 氷華を握り直す。
「今、魔力ではられた力の場が、一部壊れた音がしたんです」
「力の場?」
「はい。前に、アトゥール様から聞いたことがあったんです。高度な魔力者というものは、空間に対しても能力を行使出来るのだと。―― そうして魔力の影響を受けて作られた空間は、術者にとって都合の良い空間になるのだと聞きました。無論、全世界に張ることは不可能なのですが、一つの集合体―― 家や、城や、町といった単位を構成している場所にならば、かなりの影響を及ぼすことが出来るそうです」
「ああ、そういう事か。それなら俺も知識としては知ってるな」
「私も知識としてしか知らなかったのですが。今、実感として理解しました。私たちは、エアルローダと名乗った魔力者にとって都合の良い空間の中に閉じ込められているんです。カチェイ公子には分からぬかもしれませんが、あの少年の能力は底知れぬほどに強い。なのに織り上げられた空間の一角が確かに壊れたんです。偶然というより、故意としか思えないほどあからさまに」
「罠を張ったから、試しに来いとでも挑戦してきているんだろうさ。同等ではなく、格下相手をからかって遊ぶときに良くやる心理の一つだろうな。しかしなぁ、そこまで能力が高いとリーレンが力説するんだ。俺達は今、エアルローダの作り出した空間―― 有り体にいえば幻を見せられているわけだ。例えるなら……」
 氷華を持たぬ左手を戯れのように伸ばし、カチェイは何かを掴む素振りをする。
「伸ばしたこの先に。俺達に見えていないだけで、本当は分断させられたはずのアティーファの腕があるかもしれないってわけだな。にしても、リーレン。突然頼り甲斐があるようになって、どうした?」
「どうした、って。カチェイ様。もし立てた仮説が正しいのなら、魔力者が共に居ないアティーファ皇女はひどく危険な状態にある、という事なんですよ!? たった今、私達のすぐ隣で皇女が怪我をしているかもしれないのに! 落ち着いてなんていられるわけがない!!」
「……威張るなよ。ったく。お前を働かせるには、アティーファで釣るのが一番だな。まあ足手まといと組み続けるのは趣味じゃなかったからな。良しとしてやる。ところでな、リーレン。開いた空間ってのは、あそこのことなんじゃないかな」
 さりげない事実を披露するように、カチェイがあっさり言ってリーレンの背後を指差す。
 アティーファが危機に陥る可能性を重ねて力説しようとしていたリーレンは驚いて振り向いた。―― 広がった視界。その先に、光り輝く翼を広げる天馬がはっきりと飛び込んでくる。
「……光……違う、魔力の……つば…さ?」
 織り成される魔力によって作り上げられた、芸術にも似た繊細な空間。
 架空の動物、天馬。純白の姿に、真紅にさざめく瞳に自愛を宿し眼下を見下ろして、ソレは光の翼を雄大に広げ空中に佇む。
 その天馬の背の上に、娘が崩おれていた。二つにわけて長く編まれた髪を揺らして。
「………ダルチェに天馬を起こすことが出来たのか……」
 隣に立っていたリーレンが絶句する中、カチェイは呻く様に呟く。
『一方の気配は弱りつつあり、一方は確実に強くなってきている。だから……保証は出来ない』
 レキス公国に辿り着いたばかりに、親友が口にした言葉が警告の意味を持って点滅している。
 エイデガル皇国と、それに連なる五公家の人間達。それらは皆、実は一つの秘密を持って生まれてくる。―― その証明のような光景に、カチェイは無意識に解説を求めて左隣に一瞬視線をやった。
 常ならば、必ずその位置で最も冷静に状況の把握に努めただろう親友を求めて。
 ―― けれど分断されたのだから、そこにアトゥールがいるはずもない。
「ダルチェさまの顔色がひどく蒼褪めていらっしゃいます。早く、助けて差し上げないと!」
 命の危機にはひどく敏感になるリーレンが、慌てたように走り出した瞬間、カチェイは勢いよく振り返る。―― そこにあるのは、今はもう見慣れてしまったレキス公国の荒れた光景。異変はなにもない。けれど危機感は募ってくる。
「リーレン!!」
「はい!?」
「魔力を解放させて盾を作れ!!!」
 視界に異変がないのならば。それでも感覚は危機を叫ぶならば。
 ―― 訪れる危険は、普通の人間が感知しきれぬ魔力によるものに他ならない。
 突然のカチェイの言葉に、リーレンは慌てて立ち止まり振り向いていた。そして遅れて空気に緊張が走る感触に身体を震わせる。
「…エアルローダ……っ!」
 激しすぎるほどの、魔道の気配。
 風の咆哮が響き渡る。―― エアルローダが操り仕掛けてきた、殺意を抱く風。
「カチェイ公子!! 下がってください!!」
 咄嗟に叫んだ瞬間には、リーレンはカチェイを押しのけて前に走り出て手を伸ばしていた。
 魔力を高める為に、精神集中に便利だからと適当な言葉を詠唱する事が意外と多い。けれどそれを排除してのけて、魔道を発動させる。漆黒の髪は下から持ちあがり、伸ばした指先が空間を指し示すように青白い閃光を放った。
 大地という大地が震え、異様に隆起する。そして巨大な岩石の刃を作った。
 リーレンが咄嗟に発動させた魔力が、防御の盾ではなく、風魔法と相殺させるべく大地魔法を発動させたのは偶然ではない。人は、咄嗟の判断を求められた時には、最も得意とする事柄で処理しようとする傾向があるのだ。
 ようするに、彼の能力は防御よりも攻撃にこそ威力を持つということだろう。
「……これが、リーレンの魔力ってやつか」
 常識を軽々と覆してしまう魔力者同士のぶつかりあいを目前にして、カチェイは恐怖ではなく呆れた声を出していた。派手過ぎる、とでも思ったのかもしれない。けれど彼はただの傍観者でいるつもりはないらしく、軽やかに身を翻す。
 魔力の発生によって大地と風が衝突した余波で、視界は異様に狭くなっていた。
 今ならば―― 何をしても誰に見られる懸念はない。
「アトゥールのほうが本当は上手くやるんだがな。どこまで俺に起こせるやら」
 上空にて、発生した魔力の干渉からダルチェを守る天馬の位置を瞬時に見定め、カチェイは足元に大型犬が佇んでいるような仕草で膝をつき、右手を空に置く。
 そして、唐突に叫んだ。
「目覚めろ、金狼!!」
 ゆるやかに持ちあがった金の焔。
 それは確かに―― カチェイが空に置いた右手から発生していた。
 



 
 ―― おきて。おきて。
 …… 私を呼ぶのはだれ? 起こすのは誰? 
 ―― 死んでしまわないで。
 …… 子…供……?
 ―― お願いだから。死なないで。
 …… どうして。私、この声が愛しい…
 ―― 目覚めて、戦って、そして助けて
 …… 助ける? 誰を?
 ―― お願い。お願い。
 …… 誰を助けるっていうの?
 ―― お母さん!!



 はっと目を見開いた瞬間に、長く編んでいた髪は風の音と共に、ほどけそして空を舞う。
 銀色の残像を残し、白き天馬の背に佇む娘。その、銀色が広がりゆく。
 足元に、確かな感触はなかった。おぼつかない空だけがそこに広がっている。
 人を守り育む大地のかわりに、自分を支えていたのは―― 優美な天馬。
「まさか…私には、天馬を起こすだけの能力はなかったはず……だから」
 ―― お母さん
 声。同時に、下腹部に疼痛が走る。
 はっと、両手が思わず痛みを感じた場所を守るように動いた。―― まるで意識しない仕種だった。
「私を呼んだのは…天馬が起きたのは…」
 呆然と、己の行動が意味した事実に気づいて、ダルチェは目を見開く。
 ―― 赤ちゃん?
 悟り、そしてダルチェはきつく唇を噛み締めた。
 自分も、夫も、そして公国民も、願ってくれていたはずの事実を、どん底のような現実の中、知ることになろうとは。
「エイデガル皇国の血につながる者には相応しい、波乱な事実だわね」
 皮肉を言っている場合ではないのだが、ダルチェは口元にかかってくる銀髪を払いのけながら、不遜な笑みを浮かべていた。
 魔力者が敵にあると夫と共に判断した瞬間から、どんな事態が起きても動じない覚悟はすでに出来ている。
 懐妊していたのは驚きだったが、これは単に嬉しい出来事だ。悲しむわけがない。
「グラディール。絶対に戻って来てもらうからね。私、父親のいない子供にしたくなんてないわ」
「目覚めろ、金狼!!」
 同時に耳朶を打った、激しい男の声。
 目の前に光が飛び込んでくる。金色の……まさに狼の形をした力の塊。それが自分を守っている天馬と触れ合い、魔力同志のぶつかり合いから、さらに強固に周囲を守り始めた。
 自分と、叫んだ男―― カチェイとの間のに広がる空間が、穏やかな無風になる。ダルチェはすぐに下を確認し叫んだ。
「カチェイ!! 来ていたのね、それにしても何時から金狼を呼べるように!?」
「天馬宝珠なんてもんをよこして、呼び付けたのはどこのどいつだ? その上、五公家で最も、獣魂を起こせないはずのお前に、俺が呼べることをとやかく言われるいわれはないぞ!」
「天馬が起きたのは偶然にすぎないわ。私が一人で呼べるわけじゃない。それに、呼び付けたかわりに、歓迎ぐらいしたでしょ? 異常状態が、ね」
「ダルチェ、歓迎の方法としたら、そりゃあちょっと低俗すぎだな。性格が悪すぎると、アトゥールが呟いてたぞ」
「貴方だけじゃなくって、アトゥールも一緒? なら駆けつけてくれたのは、フォイス陛下ではなくて、アティーファ皇女殿下なのね」
「その通りさ」
 唇の端を歪めるようにして、カチェイが笑ったのが僅かに分かる。
 思えば、随分と長い日々だった。
 最後まで魔力者の術中に落ちることなく、自分に従っていた猛禽に天馬宝珠を託し、絶望に彩られた日々を、食料も水も味方もない中で、待ち続けていた―― あの、孤独な時間の流れ。
(でも、天馬を起こす手伝いをしてくれたのは、貴方ね?)
 ゆっくりと手を下腹部に添える。
 まだ生まれたばかりの命。本当は意思表示の手段など出来るはずもなかっただろう小さな、小さなそれが。自分を呼び、助けを求め、そして父を求め泣いている。
「私の代わりに泣いていて、愛しい子。私は泣かない。この国を取り戻すまでは。グラディールを取り戻すまでは。私は戦うわ!! カチェイ!」
「分かってる。魔力を相殺している今がチャンスだ。どうせ天馬を操ることはできんのだろうが。受け止めてやる、飛び降りろ!!」
「了解っ!」
 高すぎれば恐怖はマヒし、低すぎれば恐怖する必要もない。
 けれど今、天馬が佇むのはひどく中途半端な位置だった。恐らく、人が心理的に最も恐怖を覚えてしかるべき場所。―― にも関わらず、ダルチェは逡巡を一切みせない。しかも、お腹に子供がいる危険な状態だと訴えようとする素振りもみせなかった。
(元々、こんな状態に陥った原因は、レキス公王家が情けなかった事に起因している。助けを求める権利もないのに、来てくれた彼等に必要以上の負荷を押し付けるわけにはいかない)
 ―― そう、思う。
 神秘の瞳で彼女を天馬が見詰める中。
 ダルチェは天に身を躍らせた。


第14話 獣魂
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