第13話 相互
第12話 分断HOME第14話 獣魂


 だが、如何に辛い過去を持っていようとも、十八にもなる男が何時までも他人を頼っているのは、そろそろまずいとカチェイは思う。
 自慢にもならないが、彼自身、ひどく不幸な過去しか持ち合わせていなかったのだ。
 満身創痍の母が自分を守ろうとしていた日々。それを救う力を持たない自分に歯噛みをした挫折。
 懸命に生き延びた時間の中、少しでも味方が出来れば身代わりのように全てを殺された。―― 常に精神を張り詰めていなければならなかった幼い頃の想い出は、今は辛くはないが楽しくもない。
 けれど幼いころが不幸だったからといって、自分の存在の意義や生きていく希望を、他人に託したことはなかったのだ。
 リーレンとて、己の不幸に酔って己が可哀想だなどと思ってるわけはないのだろうが。
 考えれば考えるほど面倒になってくる。
 他人を頼る癖を持つ人間を側に置くということは、相手の命に対する責任の発生を意味した。アデル公国民に対してならば、どれほど大きな責任であろうとも背負う心積もりは当然ある。エイデガル皇国に対しても、絶対の忠誠を誓っているし、皇王フォイス、皇女アティーファのことも護りたい。―― 親友に対してならば、お互いを護るという感情より、何が何でも生き延びていてやろうという意思を持っているのが事実だ。
 そしてリーレンは護らなければならない無力な子供ではない。
 現在の状況では、守らねばならないどころか、解決方法を探し出す確立も、生き残る確率も高い、高度な魔力者であるのだから。
「……まったくなぁ。そろそろ単なるお付きから、姫君を護る騎士ぐらいにはなってくれんもんかな」
 歩きながら唐突にカチェイが言ったので、当然言葉が発せられるまでの過程を知らぬリーレンが不思議そうに首を傾げた。―― いい気なもんだ、と。口には出さずにぼやく。
 視界に広がっているのは一面の荒野。
 最重要で護らねばならない皇女の姿はなく、相談し得る見なれた親友の姿もない。
 ―― ならば向かうべき場所は一つしかなかった。
 レキス公妃ダルチェが生きのびているとすれば、恐らく天馬宝珠が置いてあったレキス公国城の最上階付近に潜伏しているだろう。そして彼女の記したとおりに、レキス公国の正当な血脈をダルチェの夫が滅ぼそうとしているのならば、レキス公王グラディールは敵の影響下にあると考えるのが打倒だった。
 そして―― 間違いなくダルチェを殺すために動くだろう。
 ならば、今向かうべき場所は―― ダルチェが立てこもっている可能性の高い場所だ。はぐれた二人も、同じように考え、そこに向かっていると信じるしか術はない。



 ゆるやかな覚醒に向かいつつある意識の中で、アティーファは身体中に倦怠感が残っていることに気付いていた。けれどこのまま眠っているわけにはいかないだろうと、虚ろな意識のまま考える。重い瞼を必死に持ち上げ、ぱちりと翠色の双眸を開いた。―― そして視界いっぱいに飛びこんで来た、空。
 青いな、と。何故か当たり前のことを最初に思ってしまう。
 日暮れの気配はなかった。どうやら意識を失っていたのは、それほど長い時間ではなかったらしい。急速に回転を開始した脳細胞が、気を失う前に何がおきたのか、そして共にいた者達はどうなったのかと、考え始める。
 確か閃光となって飛来してくる刃に対抗するべく、めいめいが、出来得る範囲での防御体勢を取ったことは記憶にあった。その直後―― 突如翠色をした閃光によって、視界が塗り潰されていったことも。
 ―― けれど翠色の光が全てを満たした後、なにが起きたのか?
 肝心要の部分が分からない。苛立たしいと感じながら、とにかく行動を開始しなくてはと、動きの鈍い身体を叱咤して、ようやくアティーファは首を動かす。
 自分と同じように倒れている者が居るかもしれないと思ったのだ。
 ―― 人の影は特になかった。
 ただ。代わりに影があった。倒れたままの自分の元まで伸びる影が。そして広がっていたのは赤い色。
 ―― 影と、赤い大地と?
 二つの符号が意味することを理解した瞬間、アティーファは飛び起きた。突然の動きに、身体中が悲鳴を上げたが今は無視する。広がっていた黒ずんだ赤を見せる血の海に佇み、影を作り出していた彼をはっきり確認した。
「アトゥール!!!」
 上げた声は思いの他悲鳴のようになってしまった。当然思い切り大きく息を吸い込んだので、全体的なだるさが消える。
 名を叫ばれて、初めてアティーファの目覚めに気付いたのだろう。―― 普段気配にはひどく敏感な彼らしくもない。それでも驚いた様子だけはみせず振り向いて、アトゥールは少女の元気な姿を確認する。
「アティーファ…怪我は? なかなか目覚めないから、どこか頭を打ったのではないかと心配した」
 ほっと安心するような風情が声の中にあった。 
 閃光のように激しく仕掛けられた攻撃を、ティオス公国に伝わる至宝の剣である大剣紅蓮を大地に突きたて、咄嗟に彼女を庇い込んだまではよかったのだ。けれど、反動でアティーファは体勢を崩し倒れてしまった。外傷がないにも関わらず目覚めぬのは、その際に頭を打ったのかと心配するのも無理はない。
 だが、目に見えて心配が必要なのはアトゥールの方であって自分ではないと、アティーファは強く思って首を振った。
「見てのとおり、私はなんともない。アトゥールが守ってくれたから、大丈夫だ。ありがとう。それより、アトゥールのほうは?」
 飛び起きた体勢のままで乱れた衣服を正しながら、少女は素早くアトゥールに近付いた。血の海に佇んでいた青年は咄嗟に一歩下がろうとしたが、間に合わない。
 ―― なんて怪我だ…。
 気配に尤も敏感な彼が、他人の意識の覚醒に気付かなかったのも肯ける。そして怪我を直視させまいとアトゥールが動こうとしたのも納得だった。
 右肩関節近くに、ひどい怪我を負っている。まとっていたらしい布地を裂いたもので、すでに血止めの応急処置がされているのだが、溢れ出る鮮血が止まる気配はなかった。押さえ付けている指の隙間からも、とめどなく赤い色が零れ落ちて行く。
「どうみたって、出血多量だ」
 きっぱりと断言した皇女に、アトゥールは思わず苦笑した。
 そんなことを気の弱い人間に断言してしまったら、ショック死することも有り得るのではないかとも思う。まあ、自分達以外の人間にそんなことを言うことはないだろうが。
「確かに、血液が充分たりてると言い切ると嘘吐きになってしまうかな」
「どれほどならば耐えられる? 公国城から出ることが出来たとしても、物資のある船までは遠い。いっそ、公城前には必ず設置させている施薬院までいったほうが早いし確実でいいかもしれない」
「まだ切羽詰ってもいないようだから、時間的には大丈夫だよ。確かに…ここに留まり続けるのはあまり得策じゃない」
「ちょ…ちょっと待て、アトゥール! 私は、アトゥールの怪我を心配して言いってるんだぞ? どうして今後の行動についての意見に切り替わってしまうんだ?」
「先決すべきは、分断された現状を打開する術を見つけることだったと思ったんだけどな」
「……そりゃあ、たしかに。リーレンはカチェイと一緒に居るだろうし。カチェイが一緒なら、無闇に私たちを探すよりも、当初の目的を唯一果たす可能性が高いレキス公国城に向かうだろう。先手を取られてしまった私たちには、ゆっくりとしている時間がないって事も分かっている。でも……少しぐらい、心配させてくれてもいいはずだろう? その怪我は、わたしを庇う為におったようなものなんだから」
 訴えるように述べて視線を落とせば、喋りながらも歩き出した自分達の後を追うように、赤黒い染みが点々と続くのが見える。アトゥールには自殺願望など存在していないから、大丈夫は大丈夫なのだろう。けれど―― 心配なのは当たり前だ。
「アティーファ?」
 憮然というより、拗ねている自分を心配して掛けられた声は優しかった。けれどその優しさが、どうしようもなく今は悔しい気持ちに自分をさせる。
 妹のように大切にされていた。そして、エイデガルの次期皇王となるべくしても育てられてきた自分。だからこそ、彼らに守られるべき存在であることは事実だから悔しくはない。
 けれど、アトゥールを心配することぐらいの権利はあるはずなのだ。
 にも関わらず、兄と慕うアトゥールもカチェイも、その弱さを見せてくれようとはしない。思い出の中でも、怒ったり、泣いたり、己の無力さに震えていたりするのは、いつも自分だった。
『…奴等は、人間としての弱みや脆さを、何があっても他人に見せたくない我侭な性格だろうよ』
 彼らと自分との間に、そこはかとなく壁が存在しているような気がして、悔しくて寂しかった。だから泣きじゃくった昔の自分に、父はかつてそう言ったのだ。
 確かにその通りだと、今、アティーファは思う。
 少年時代、アトゥールは冷たい眼差しで常に世界の方を冷笑しているような子供だったという。カチェイの方は一見明るい少年だったが、その社交性は完全な演技で、本当は警戒心剥き出しで世界の全てを敵だと思っていたらしい。
 そんな二人がなぜ、自分にだけは優しくしてくれたのか。その理由はアティーファには良く分からない。口さがない者達の言葉を借りれば、エイデガル皇国の第一皇位継承権を邪険にする馬鹿など誰もいない、ということになるのだろう。けれど―― それだけではないとアティーファは思っている。
 記憶の中で。過ぎ行く今という時の中で。時折二人が寄せてくる眼差しの、切ないほどの優しさは、上辺だけ作って出来るものではないと信じていたのだ。
「私は、悔しいんだ、アトゥール」
 駄々をこねている自覚があった。
 行動を起こすべきであるのに。現状を改善するために動かねばならないはずなのに。それをしないで立ち尽くし彼を困らせるのは、単なる子供の我侭だ。
 けれどやはり悔しくて、彼らを心配する権利を持たない自分が情けなくて、全てを割りきることなど出来ない年齢の少女は、唇を噛み締める。
「ありがとう」
 思いつめて顔を伏せてしまったアティーファに、アトゥールが静かに言う。
 礼を言われる理由が分からなくて、慌てて顔を上げた彼女の頭を、血を拭い取った左手でアトゥールは撫でた。―― ささやかな仕草に隠されている、真摯すぎるほどの優しさ。答えを持たない中で、アティーファが信じられるのはその事実だけ。
 気持ちを切り替えて、疑問を抱えたまま少女は一つ笑った。
「いつか、アトゥール。守られるだけじゃない権利を私にも譲ってくれ。私にだって、その隠している弱さを見せれるようになって欲しい。そう思う」
「………」
「それまでは、素直に守られているから」
 言葉に対してアトゥールは無言のままだったが、否定の為の沈黙ではないことが分かったので、アティーファは目的地となるべき場所を真っ直ぐ指差した。
「じゃあ。行こう。公城は、この坂を登ればすぐのはずだったな」
 まだ傷口を押さえておいたほうがいいからと、アトゥールが持っていた至宝の剣を両手に持って、少女は歩き出す。彼女を見送る形になって、青年は僅かに目を細めた。
 アティーファは何も覚えていない。
 かつて、エイデガルにて皇王に面会を果たした後。あまりに陰鬱な精神しか持ちあわせていなかった二人の子供の有り様に、フォイスは呆れて溜息を吐いたのだ。それから”純粋に守ってやらなければならん存在があれば、ま、少しはマシになるだろうさ”と言って笑い、アティーファの背を押した事を。
 無邪気に自分達を慕って、小さな手を伸ばしてくるアティーファに、どれだけ救われてきたか…。
「私たちの弱い部分など。本当は、アティーファが一番知っているし、見て来てもいるんだけれどね…」
 聞こえぬほどに小さく呟く。
 兄代わりを勤める身としては、情けなかった部分のことを忘れていてくれているのは、少しばかり都合の良い事ではあったので、楽しげに笑った。



第13話 相互
第12話 分断HOME第14話 獣魂