第12話 分断
第11話 敵影HOME第13話 相互


「近衛兵団を援軍に向かわせるのは中止だ」
 意地が悪いと評されても仕方ないほどに、唐突にそれだけ断言して、フォイスはエイデガル皇城内にて腕を組んでいた。
 彼の目前に控えているのは、エイデガル皇国を支える最高幹部達の顔ぶれである。
 緊急を告げる狼煙が上がったと思うと、馬を潰す程の勢いでアデル騎士団からの伝令が駆け込んで来た。それらは二つとも、皇女アティーファの危機を知らせるものであったので、対策を講じるべく一同が会したのである。
 にも関わらず、話し合いなど一切行われない状態で、フォイスが唐突に断言した。
 近衛兵団を向かわせないというのは、危急を迎えている皇女に助けないという事だ。当然のように臣下達は慌てている。
「そろそろ慌てるのに飽きてくれんかな」
 フォイスの断言に隠された意味があるのではなかろうかと、健気な検討を続ける臣下を可愛いとは思わないらしい。最大にして最強と恐れられる国家の皇王は、短く言ってただ溜息を付く。
「しっしかし、皇王陛下」
 いち早く意見進上をするまで混乱を収拾した、フォイスの母慈母王マリアーナの親友であり宰相である老人が言った。
「皇女殿下からのご報告によれば、レキス公国の異変は魔力者によって起こされるものであるといいます。その上ザノスヴィア王国の動きも警戒せよ、との事。ならば皇女殿下の置かれる状況は危険以外のなにものでもないはず。援軍を送ることも許されないで、我々に落ち着けというのは無理な要望です」
「なぜだ?」
「……なぜだ、と申しますと? なにが、なぜだ? なのでしょうか?」
「分からんかな。なぜにそこまで落着きを失わねばならない? やることは明白であり、焦ることは何一つとてない。そしてやらねばならない出来事の中に、近衛兵団を援軍に送るという事項はないのだ」
 それは余りに酷い仕打ちです、と思わず宰相は呟く。
「……ご息女たる姫君が危機に陥っているというのに、動揺せぬ皇王陛下の胆力には感歎いたします。けれど焦ることはない、という言葉には」
「納得できぬか?」
「何度結果のみを告げられようとも」
 頑なな返事に、フォイスはまるで子供のように頬杖をついた。
「ようするにだ。アティーファが連絡をよこしてきたのは、事態があまりに深刻であったからだろう」
「見解に異存はありません」
「その上、派遣した人員ではレキス公国の動乱を収めることが難しくなっている」
「まったくもって、おっしゃる通りです。ならば!!」
 援軍を送るのが当然ではありませんかと、宰相は白い眉をあげ声を張り上げる。フォイスは、はっきりと辟易した表情を浮かべた。
「そうだ。ゆえに、近衛兵団を差し向けることはしない」
「―――――― は!?」
 頷いたくせに、結局フォイスの決定に変更は何一つとてない。
「いいか。良く聞け」
 どよめきが再び起こるのは分かりきっていたので、先手を打って、皇王は広げられた地図に指を伸ばした。
「我が娘が連れて行ったのはアデル公国、ティオス公国の選りすぐりの精鋭達だ。その騎士団を、アティーファはレキス公城内にいれることはなく、ザノスヴィア王国との国境であるアポロスの警戒と、本国に状況を報告に走らせるために使った」
「なにゆえその事柄が、レキス派兵を中止にさせた理由につながるので?」
 無骨な声がフォイスの言葉を遮る。眼差しだけをやると、真剣な表情で口を真一文字に結んでいる、いかにも強情そうな青年が首を傾げていた。名をキッシュ・シューシャといい、今年近衛兵団長に大抜擢された、市民出身の将である。
「なるほど。キッシュにも分からんか」
「残念ながら。我々は皇王ほどに賢くはないようです」
「いちいちおだてんでいい。アティーファがわざわざ戦力となる騎士団を遠ざけたのは、レキス公城内で起きた異変に対して騎士団の兵力が意味を持たないことに気付いたからであろうよ。ならば決断を下させた原因は一体なんだ? 魔力者の存在だけか? ―― 違うな。アティーファが懸念したのは、おそらく魔力者の質だ」
「質―― まさか……レキスの異変を操る魔力者というのは」
 ようやくある一つの原因に思い当たることが出来て、キッシュは驚愕の表情になる。
「理解がちと遅いが、まあ合格だな。キッシュ。いまだ分からぬ内政担当たちはよく聞いておけ。かつてエイデガル皇国を建国する際、伝説ともなった覇煌姫レリシュの軍勢は、他国が非人道的な手段で集め構成させた魔力者たちの軍勢と幾度となく戦火を交えたといわれている。その敵の中でも、最も恐ろしく、かつ厄介であったのが、―― 他人の精神を軽々と操る能力の保持者であった」
 破竹の勢いで進軍し続けるレリシュと、鬼才の軍師ガルテの策を持ってしてもなお、押さえ切れなかったという、魔力者たちの攻撃。
 炎をおこされ風をおこされ。大地を割られ軍兵を損なわれながらも。最もガルテが恐れたのが、戦死した兵士達を屍人として操り兵力にする上、生きた人々の心をも自在に操った、精神呪縛の能力であったのだ。
「……現在のレキス公国に、魔力の抵抗力が弱い軍が赴けば、敵に精神を操られ、敵兵力を増やす手伝いをするはめになると。だからこそ、出兵は出来ぬと…」
 ようやく納得して呟きながら、キッシュは自国の皇王に対する尊敬の思いを深めていた。
 たしかに魔力者は恐れられていた。歴史の中でも、幾度となく天下分け目の戦いを左右してしまったことも一度ならず存在する。
 けれど、その恐怖を。今、現実に起こり得ると考えられる者は少ないだろう。ここ百年近く、魔力者たちが表立った戦争に姿をあらわしたことはない。特にエイデガルは魔力者と非常に良い関係を作り上げることに成功している。だからこそ、魔力者イコール危険と考える得る者は、皆無であったのだ。
「その通りだ、キッシュ。だからこそアティーファは騎士団員を遠ざけた。というのに、父親のほうが馬鹿のように近衛兵団なんぞ差し向けたら、一生の笑い種にされるぞ。報告をよこしたのは、別の対策を練れと警告を与えたかったからにすぎまい。具体的に命ずるならば、アデル、ティオス公家に、ザノスヴィア以外の国の動静を警戒させると共に、兵力の半数をエイデガル本国に出兵をさせる。および、天領を挟むとはいえレキスに隣接するガルテ・ミレナ公家は、至急レキス公国からエイデガル皇都に続く水路部分に派兵。近衛兵団は、側臨戦体勢をとって皇都にて待機だ」
「……陛下!?」
「他国が必ず攻めて来る筈だ。魔力者相手では威力を持たぬが、他国の兵力に対しては、我がエイデガル及び五公家の軍事力は威力を発揮する。レキスは捨て置け。アティーファが、当主たるダルチェかグラディールを救い出してくれば、魔力者に対する対処方法を取り戻すことも可能だ」
 矢継ぎ早に言い切ると、フォイスは椅子を立ち上がり、なぜか羽織っていた長い衣を音も高く脱ぎ捨てる。―― そして露になった凛々しい軍装に、改めて緊急事態が訪れようとしている現実を自覚して、人々は背筋を正した。
 その威厳の余りに、なにゆえダルチェないしはグラディールを救い出すことが、魔力者の対処方法を取り戻すことになるのかと、聞ける者はいなかった。
 一人、慌しく去って行った人々の背を見送った老宰相は、質問はせずに、ただ皇王に視線をやる。
「陛下……」
「心配するな。大丈夫だ。エイデガルは潰させん」
「……国の行く末など。最初から大丈夫だと思っておりますので、懸念してませんな。私が懸念しているのは、国王としての責務を完璧に果たす、親としてのフォイス様の心痛のほうです」
「……やれやれ。年よりの目はごまかしにくいものだな。まあ懸念するな。最悪の事態は既に考えてあった。覇煌姫を持たせ、同行も願い出た二人もまた、氷華と紅蓮を持ち出したという。魔力者の仕業であるならば、リーレンも役にたつだろうさ」
「……確かに」
「さて。敵はどういう手に出てくるかな」
 楽しむように呟いてから、フォイスは眼差しを遠くに投げる。
 その、見えるはずもない遠い隣国―― ザノスヴィアでは、アティーファ、フォイスの判断の通りに、ちゃくちゃくとエイデガル攻略の為の軍勢が、威を揃え始めていた。
 


 最後に見た光景は、たしか白い閃光と、突如煌いた翠色の閃光であったと思う。
 背を圧迫する感覚に気付き、重いな、と感じながらリーレン・ファナスが考えていたのは、置かれた状況を把握しようとするのではなくて、そんな事だった。
 ―― …エアルローダ……。
 低く、まるで歌っているかのような笑い声と共に落ちてきた、非常識な自己紹介の声が今も耳に残ってる。覚醒しつつある身体にも、はっきりとした痛みを与えてきた白き閃光の刃の感触があった。
 ―― 凄まじい魔力だった。
 リーレンはそう認識している。
 魔力者同士であるがゆえなのか。攻撃を受けた四名の中でも、最もリーレンはエアルローダの能力に怯えを感じている。
 実際、攻撃が来ると分かった瞬間、防御しようと魔力を解放する為に先に動いたのは自分の方だったはずなのだ。にも関わらず、現実では防御壁が出来るよりも、あの刃のほうが先に自分達に牙を剥いた。
 そして。何より、自分は防御壁を発動させることが結局出来なかったのだ。
 何が起こったのか、一瞬分からなかった。
 確かに熱い奔流のような力の流れが集まって来ていたのだ。解放すれば、すぐに薄く透明な、膜にも似た壁は張られたはず。
(翠色の…閃光、だった…)
 視界にぎりぎり入る端で。突如発生したもの。それが見えた瞬間に、魔力発動の為に集めた力の全てを奪い取られるような脱力感に襲われたのだ。
 自分と、エアルローダと。―― 魔力者の気配は確かにこの二つしかなかった。にも関わらず、凶刃を奮うエアルローダの白刃を突如相殺してみせた翠色の閃光は、魔力の発動以外考えられないのだ。
 けれどそれは一体どこで起きたというのか。攻撃を仕掛けるエアルローダが相殺するわけがない。魔力を奪われた自分は何も出来なかった。―― そう、なんの役にも自分は立たなかったのだ。
 それを考えると、悔しさと屈辱とで胸が潰れそうだった。―― ひどく情けない気持ちになってしまって、リーレンは目覚めを迎えているはずの意識を、もう一度白濁した眠りの中に戻そうとする。
「リーレンっ!」
 再び怠惰な夢の中に陥ろうとしていた耳元で、いきなりの大声がした。同時に、ひどい鈍痛が頭を襲う。―― 間違いない。殴られたのだ。
「……はっ!?」
「この怠け者。人より先に意識は戻りかけておきながら、もう一回寝ようたぁいい度胸だよな。リーレン」
 本気ではないのだろうが、呆れているのは事実だった。カチェイはふんぞり返るようにして、子供のように丸まりこんで眠ろうとするリーレンの腹部を足で蹴り付ける。
「あ、あの。カチェイ様。痛いんですけど…」
「当たり前だ。痛いように蹴ったんだ」
 断言されて、ひどく情けない表情に魔力者である彼はなる。ふんっと小さく言って、アデル公子は足を離した。
「いいかげん回りの状況を認識しろ。寝てていいような状況では、少々ないぞ」
「周りを…」
 離れた足のおかげで、ようやく上体を起こしたリーレンは、立ちあがって周囲を見詰めた。
 ―― 無残な光景が広がっていた。
 巨大な穴を幾つも穿たれた大地がある。形を取り留めていたはずの無人の家は、今はどのような形であったのかさえ分からぬほどに崩れて残骸だけになっていた。―― おそらく、あの少年が放った真空の刃によって破壊し尽くされたのだ。
 最後に視線を、すでに立ちあがって何かをしていたカチェイにやって、リーレンは驚愕する。
「カチェイさま!? そ、その怪我は!!」
「……今更気付くなよ、張り合いのない……」
 面倒そうに答えながら、カチェイは勢いのよい音を立て、まとっていたはずのマントを包帯代わりにするべく引き千切っている。作業を行っている彼の両手は、真紅に染まっていて、今尚音を立て鮮血を溢れさせていたのだ。
 リーレンといえば、かすり傷以外の大きな外傷はみられない。
 ようするに突き放しているように扱いながらも、カチェイはエアルローダの攻撃を防御する為に至宝の剣―― 氷華 ――を頭上に掲げた際に、怪我をせずにすむというのに力を受け流す術を取らなかったのだ。
 理由は至って簡単だ。背後には魔力発動を阻止されて呆然とするリーレンがいる。力を流せばその彼が大怪我をするだろう。だからこそ、カチェイは怪我を覚悟に真正面から攻撃を防御する道を選んだのだ。
「カチェイさま!! 手当て、私がしますから」
「うるさい。触るな」
 唐突に空気が凍る。それどころか一瞬殺気さえ覚えてしまって、リーレンは三歩ほど後退した。
 彼が知っているカチェイは、こんなにも剥き出しの殺気を出すような男ではない。ない―― はずなのに。
 まるで知らない男に出会ったような心細さに、リーレンが表情を曇らせる。カチェイは一度肩を竦めて、先程の表情が嘘だったかのように苦笑した。
「まったく。一々なにを深刻な顔で騒いでる。見た目が派手なだけだ。傷口はたいしたこともないのに、派手に出血する場所があるだろ。だからすぐに止まる。問題は俺が怪我をした、ということじゃない」
「と…言いますと?」
 先程の態度を追及するほうが恐いことになるような気がしたので、リーレンはカチェイの問いかけにだけ返答をした。
「気づかないのか? リーレン」
「え?」
「お前の大事な大事な姫君は、一体どこにいるんだよ」
「………!!!アティーファ皇女!?」
 何故指摘されるまでそれを考えなかったのか。
 リーレンは焦って再度周囲を探す。―― けれどやはり広がっていたのは、無残に破壊されたレキス公国の町並みだけで、あれだけ群がっていたはずの屍体さえもが、なに一つなかった。
「そんな…」
「あのエアルローダとかいうガキの思惑に、まんまと嵌められたわけだ。ちっ」
 口惜しげに吐き捨てると、カチェイは乱暴に包帯代わりの布を巻き込んだ手で至宝の剣を握りこみ、歩き出した。それはいかにも明確な目的を持っているような足取りであったので、リーレンは先程公子に対して怯えを抱いたはずであったにもかかわらず、安堵する。
 ―― 行動をまかせてもいい相手を得たときの、安心感。
 一言で言ってしまえば、今のリーレンの安堵はそこに起因する。
 幼い頃。武器と同じように扱われていた。使用する魔力をあげることだけを求められ、感情を消さなければ生きてもいけなかった日々。―― その地獄の環境と命を使い捨てされるはずだったの日々は突然に幕を閉じる。
 本来ならば口を聞く事さえなかったはずの雲上人である二公子と、王族らしい輝きを抱いていたアティーファに出会った事で。
 人を守り導く存在である彼らは、全てを預けてしまいたくなるような誘惑を受け手に与えるところがある。そんな彼らに、どん底の人間不信の中で出会い、以後も接し続けて来たのだ。リーレンが無意識に誰かに己の心の一部を預けるようになったのも、責められないかもしれない。
 ―― 人を頼る癖。己でなにかを決定することを無意識にさけ、生きてしまう癖。
 だからこそ、年齢にそぐわないほどの懸命さと必死さで、リーレンがアティーファを求めるのではないだろうかと、アトゥールが言ったことがある。
 リーレンは確かに真っ直ぐで、相手が誰であろうが意見を口にすることがあるが、それは全て自分自身の為の必死さではなく、アティーファの為に必死になっているだけだと、続けて皮肉屋の親友は言った。


第12話 分断
第11話 敵影HOME第13話 相互