第11話 敵影
第10話 魔力HOME第12話 分断


 ゆえに異変の直中にあるというのに、思考を巡らせる。なぜ、このタイミングで事件が連続して発生しているのかと。
 ザノスヴィアでは謎の出兵が繰り返されている。様子がおかしい王女が使者団と共に荒唐無稽の要求を押し付けて現れた。殆ど同時に国境沿いにかかる石橋アポロスからの苦情連絡はとぎれ、レキス公国からは助けを求めてダルチェが至宝である天馬宝珠を、猛禽に託し本国に送りつけてくる。
 ―― そして訪れたこの公国で広がっていたのは、この無人の廃虚。
 これらが無関係であるとはどうしても思えなかった。
「アトゥール。どうやら安穏としてはいられないみたいだぞ」
 思考を破るように注意を促してきたカチェイの声に、無意識に口元に指を添えて考え込んでいたらしいアトゥールが顔を上げる。
「…出迎えが派手なのは嫌いじゃないけれど。趣味が悪いのは願いさげだね」
 とりあえず酷評を忘れないのは癖のようなものだ。
 通行そのものを遮るように、無人の都の路地裏から闇に同化したような存在が這い出て来ている。
 趣味が悪いとアトゥールが切って捨てたのも、いわば当然だった。
 現れた敵は―― あらゆる意味で異常の塊だったのだ。
 眼窩から瞳をこぼれ出したままの者がいる。腐りはてた内臓に、食事にありつこうと群がる虫達を衣服代わりに纏っている者もいる。皮膚が破れ、頭髪が流れ落ち、それでも立って動いている者がいる。
 全て、かつて善良な市民であったはずの慣れの果ての屍人だちだ。
「これで魔力者が関係してる証明がでやがったな! しかも屍人を操ることが出来るということは。能力がかなり高い上に!!」
「性格も悪すぎる」
 怒気も顕にカチェイが吼えた。抜刀した親友と息もぴたりと背中合わせになって死角をなくすと、アトゥールも低く言いきる。同時に大剣と細剣が空をり裂いた。布に包まれたままの至宝の剣を、抜くことはせずに。
「カチェイ! アトゥール!」
 慌てて響いた凛としたアティーファの声に、カチェイが余裕で右手をあげて応える。戦闘に突入した二人の公子と、城門前で佇むアティーファ達の距離はまだそれほど離れていはいない。ただ、現れた敵影はかなり多く、手間取っていては合流出来ない事態も考えられた。
 アティーファははっきりと次に取るべき行動を悟り、一方現れた敵の余りのむごさにリーレンは息を呑み腐臭に耐えかねて口元を押さえてしまう。
 屍が立ち上がって攻撃を仕掛けてきたのだから、リーレンの反応は当然であるはずだった。アティーファ、カチェイ、アトゥールの三名に動じていないのは、エイデガル皇国の戦術史の中に「魔力者が数の劣勢を補う為に死体を操り尖兵とした」と記録が残されていた為だ。それなりの覚悟は最初からある。
「リーレン! 分断される前に、公城内に入るっ!」
 一声青褪める幼なじみを激励し、突然のことに怯える馬から飛び降りてアティーファは走り出す。リーレン葉必死に続き、控えていたティオス・アデルの両騎士団も続こうとした。
 それらの動きを戦いながら正確に把握し、アトゥールが振り返る。
「騎士団は門内部には入るな!! 我がティオスの騎士団は、国境である石橋アポロスまで撤退し、ザノスヴィアの動静に備えよ。アデルの騎士団は至急狼煙台に走り、危急をエイデガル本国に伝えるように!」
 柔らかな響きのまま器用に声を張り上げつつ、飛びこんできた高貴な少女の腕を掴んで胸元に引き寄せ庇いこむ。戦場に来るなと命じられたティオス、アデルの騎士団の者たちは、思いがけない命令に驚愕した。
 守るべき主君を、守れぬことは屈辱なのだ。
「どういうことです!! 公子!?」
「レキス公城内に入ってしまえば、いかに訓練されたお前達でも、裏で糸を引いている魔力者に精神を縛られてしまうことになる。事実、レキスの天馬騎士団員たちは全て、公城に取り残されたダルチェとグラディールを救おうと中に入り、精神を操られたようだからね」
 庇い説明をしながらも戦闘を続け、アトゥールは剣を一閃する。
 屍人を三・四人ほど挟んだ先で、カチェイが豪快に一刀両断した屍人は、確かに天馬騎士団の軍装をしていた。
「ようするに、お前達が入ってくるとな。単に敵の数が増えることになるだけで、なんの意味もないってことだ!」
 カチェイも補足の為に説明しながら、間に割って入ってくる屍人たちの動きに舌打ちをする。どうやら敵は、自分とアトゥール、アティーファとリーレンとを切り離すべく動いているらしい。
 人間は、息の合う相手と組んでいる時には通常以上の能力を発揮してみせる事が多い。その相手を―― 敵は知っているというのか?
 厄介だと思わず大きな舌打ちをした。事実、アトゥールはアティーファを庇って動き、一人になったリーレンを補佐する為に自分も動いた。おかげで距離が出来てしまっている。。
 不満を表に出しながらも、騎士団員たちが現実を把握し説得を聞きいれ、二手に分かれて動き出していく。
 恐らく彼らの目的地にも、数は減っているだろうが屍人か動物かが襲ってくるはずだ。念のために騎士団の中でも精鋭揃いを集めておいて良かったと、冷静にカチェイは思っていた。
 恐らく敵の最初の目的は、やってきた自分達の戦力の把握と、分断のはず。―― そして。
「レキス公国は囮にされたにすぎないはずだから」
 カチェイの思考に返事をするかのように、視界の端になってしまったアトゥールが短く言い切る。偶然に皇女と切り離されてしまったと思っているのだろうリーレンが、目を見張った。
「囮にされたって、どういうことですか!?」
 叫んで身体をねじまげてアトゥールを見ようとするものだから、周囲の警戒がおろそかになる。隙を見て取って切り込んで来た大量にいう屍人の一つを蹴り倒し、襟首を強引に掴み引き寄せて、カチェイは怒鳴った。
「リーレン! 俺はお前の面倒をみてるほど暇じゃないからな。ここだったら目撃者は屍人と敵の黒幕であるはずの人間だけだ。いい機会だ、なんかあったら魔力を使っとけ」
「魔力を!?」
 仰天したリーレンを、言葉では面倒など見てやらないといいながらも、結局は庇ってやりながら剣を振るってカチェイは豪快に笑う。
「せっかく使っても誰も困らない場所なんだ。使えるもんは使っとけ」
 いとも合理的で正しい意見ではあるが、子供の頃、魔力を持つ為に武器として扱われ虐待された過去を持つリーレンは、魔力そのものに抵抗がある。――魔力を使うイコール過去の記憶が蘇ってしまうという図式だ。
「ちっ!三つ子の魂百までも、とは良く言ったもんだ」
 カチェイはぼやいて、確実に分断されて行く現実に舌打ちをした。アトゥールが敵の思惑にはまって分断されつつある状況を理解していないわけがない。―― ならば、分かっていながらも現状打破が出来ないという事だろう。
 どうするべきかな、と未だ余裕を残しつつ考えた瞬間に、アティーファが声を張り上げた。
「リーレン! 後悔したくないのなら、迫った危険を排除するため程度には魔力を使うんだ! 法を気にするのは皇国民として立派な心がけだとは思うが、今は邪魔になる! 許しが欲しいなら、私が許可する!」
 恋より愛より本能で皇女を大切に思うリーレンは、勇ましくも凛々しいアティーファの命令に、無意識に威儀を正した。
「分かりましたっ!」
「よしっ!」
 幼なじみの快諾に笑顔を浮かべて、アティーファは握りこんだ剣に体重を乗せて、前に突き出す。無意識に、使い慣れた普段持つ剣を手にしていた。
 まだあどけない少女の年頃とはいえ、アティーファはフォイスに師事し才能を開花させたカチェイとアトゥールの二人に剣技を教え込まれている。腕前もかなりのもので、戦闘に危なげはなかった。
「それにしても、アトゥール。私たちは今…分断させられているのではないか?」
 リーレンが中々魔力を使えないでいる葛藤に気付いていたが、かまっている暇が少女にはなかった。敵の数がひどく多い。倒す敵の数が減れば減るほどに、自分を庇ってくれているアトゥールに負担が掛かってしまうだろう。
 持久戦になれば、確実に人数が少ないこちらの不利だと考えて、思わずアティーファは腰に下げたままの覇煌姫に視線をやる。
「アティーファが考えている通りだね。あまり歓迎したい情況ではないかな」
 死ぬ直前まで余裕ある態度をしてみせるのが、エイデガルとそれに繋がる血筋の者の癖だ。だからアティーファは穏やかなアトゥールの声に、大丈夫だと安心することは出来ない。
「アトゥールと一緒に戦うのは私は愉しいが。アトゥールにしてみれば、全てを私にあわせねばならず、戦いにくいだろう? どうにしかして、再合流出来ればいいんだ……―――― !?」
 アティーファらしくなかった。
 言い掛けた言葉を途中で飲み込み、打たれたように気高き皇女が上空を仰ぐ。
 つられて―― というよりも、突然の衝撃に弾かれたようにカチェイ、アトゥール、リーレンの三名も手にした武器を僅かに下ろして顔を上げた。
「―― 本当に、愉しいことばっかりだよ」
 舞い降りて来る声。
 不似合いでアンバランスなまでに清らかな響きを持つ。―― 少年の声音。
「ありがとうと、言ったほうがいいのかな。こんなにも楽しませてくれるのだから」
 頭上高く。空に浮いた状態で腕を組み、長い前髪と不揃いの後ろ髪とを風に揺らし現れた少年が、同じ言葉を二度繰り返したのを聞いて、アティーファは歯噛みしていた。
「う、浮いてる!?」
 リーレンが咄嗟に異常を叫ぶ。二公子といえば、珍しいほどの緊張を眼差しに走らせ、稀なる至宝の剣を包んでいた布を捨て去り、構えを取っていた。
「……ふぅん」
 叫び声に、空を浮いたままの少年は、アティーファに向けていた視線を剥がして、自らと同じ魔力者であるリーレンに憐れみの視線を投げる。
 ―― まるで。この程度のことで驚かなければならない彼に、同情するように。
「話では聞いていたけどさ。まさかこんなにも、エイデガルが作り上げた呪縛の糸の精度が高いとは思っていなかったよ。まさに敬意を表するに値するな」
 澱みなく言葉を募らせる少年の声を聞きながら、リーレンは唐突にひどく混乱していた。 
 エイデガルが作り上げた呪縛の糸、と少年は言った。
 ―― 苦痛を跳ね除けてしまうほどに、皇女の側にいたいのは何故だ?
(呪縛の――)
「リーレン!!」
 名を叫ばれると同時に乱暴に襟首を掴まれて、遠慮なく後方に引かれた。バランスが崩れたリーレンを、怒気を含んだ眼差しでカチェイが睨み付ける。
 カチェイとリーレンの身長差は実はそれほど大きくもない。ゆえに、幼い頃と違って見下ろされることなど殆どなくなっていたので、思わず恐怖を感じる。
「な、なにか? カチェイ公子」
「精神年齢十歳程度のガキが、一人前に悩んでる暇なんてないぞ」
「………せ、精神年齢十歳!?」
「文句があるなら、とっととアティーファと再合流できるチャンスを作れ。なにせ十歳って言ったのは、俺じゃなくてアトゥールだからな」
 しゃあしゃあと言ってのけて、カチェイはリーレンに気取られぬほどに自然な動きで、空を浮く少年の眼差しを遮ってやる為に前に出る。
 くすり―― と。少年は確かに笑った。
「本当に、エイデガル皇王家の血に連なる者たちってのは面白いよ。ごまかすのも随分と上手だ。いっそ、高貴なる血筋なんてものに固執するのはやめて、役者にでもなるほうが良さそうじゃないかい?」
「……光栄な申し出かもしれないが。謹んで辞退申し上げるしかないね」
 今までは口を挟むのを控えていたアトゥールが、ここぞとばかりに反論をぶつける。カチェイが少年の視線を嫌ったように、彼もまたアティーファが視線に晒されるのを嫌って、身体を前に出して防いでいた。
「そう。残念だよ―― 折角の良い案だと思ったんだけどね」
「役者になれば、女役が来ちまうのが分かりきってるんだ。アトゥールが頷くわけがない」
 会話に横入りしたカチェイの声が響く。
 彼とリーレン、アティーファとアトゥール、という形にすでに完全に分断されている。ゆえに距離はかなりのものがあるのだが、あまり距離を感じさせる会話ではなかった。
 くつくつと咽で笑って、少年は闇のように蒼い瞳をカチェイに投げた。
「じゃあ、君はどうなのかな。アデル公国公子、カチェイ・ピリア・アデル?」
「願い下げだ」
「―― どうせ乱暴者で成敗されて終わりの役しかこないだろうからね」
 女役がくるのが分かりきっていると言われた仕返しとばかりに、アトゥールが口を挟んでくる。さらに少年が喉を鳴らした。
「こんなにも楽しいのは生まれて初めてかもしれないな。しかも、漫才をやりながら、必死に合流するチャンスを伺うしたたかな所、僕は結構好きだね」
 どうにかして距離を縮めようとする二人の公子を牽制する言葉だった。
 少年はするりと動き、視界から外されたアティーファが見える位置を取る。
「初めましてと、言わなければならない事実が不思議だよ。君のことは、随分と昔から繰言のように聞かされ続けてきたから、なんだか旧知の仲のように思っていたんだ」
 相変わらずに楽しそうな声。―― にも関わらず、異常なほどの威圧感がそこを渦巻いている。
「…私は、お前など知らない」
 低くアティーファが言った。尤もさというように、少年が肯く。
「そうだね。君からしてみれば、僕という存在など、気に止める必要のない無駄なものであったから。知らなくて当然であり、それがまた懸命であるだろうさ」
 青く。どこか蒼褪めた印象を抱かせる双眸と、揺れるその青みのある黒髪。あどけない少年の面差しをしていながら、清々しい命の躍動を完全に拒絶する忌々しい暗さを、彼は完全に抱き込んでいる。
「知らないですむのは、今日この日を持ってお終いだろうけれどね」
 つと、少年が目を細める。
 その青白い両手が、不意に大きな力を集め始めたのを感じ取って、リーレンは敏感に目を見開いた。
「アティーファ様!!! なにか攻撃がきます!!伏せて!」
 叫びながらも片手を上げて、彼も力を集めようとする。繰り出されるのだろう魔力の攻撃を防ぐ為に、リーレンが防御の膜を張ろうというのだ。
「警戒が遅いよ」
 さらりと言い切った少年の両手が勢い良く空に差し伸べられる。直後、視界を白い閃光の刃が埋め尽くした。
「そうそう。自己紹介がまだだったよ!! 僕の名前はエアルローダ・レシリス。覚えておく必要は、きっと今後はあると思うよ」
 両手から次々と白刃を地上に向けて放りながら、歌うように少年―― エアルローダが叫ぶ。
 剣を頭上に掲げるカチェイと、身を盾にするべくアティーファを抱きしめたアトゥール、そして遅れて魔力を必死に解放させようとしたリーレンとを正確に把握しながら。血煙が、視界を遮るように周囲に走る。その濁った視野の中で、少年はアティーファの動静を確認しようとしていた。
 ―― エアルローダ・レシリス。
 アティーファ・レシル・エイデガルという。第一皇位継承者である皇女を意味するレシルと同じ、第一皇位継承権を保持する意味を持つ「レシリス」を苗字に持つ少年が。


第11話 敵影
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