第09話 予感
第08話 展開HOME第10話 魔力


 ひゅうひゅうと鳴く風が、抉るような形でレキス公国城の膝元に辿り着く運河に碇泊した船から降り立った大地の上を、駆け抜けて行った。
 壊れたガラクタを思い出させるその音に、アティーファはふと目を伏せる。
「…大体、静かすぎるんだ。異変が起きているのならば、いっそ派手なことが起きているほうが対処しやすいと思わないか?」
 不満にしては淡々とした声に、先に下りて周囲を確認していたアデル公子カチェイが振り向く。
「まぁな。そのほうが楽といえば楽だろうよ。荒治療になる予感がするけどな」
 どこか泰然とした返事に肯いて、少女はさらに一歩足を進めた。
 視界に今あるのは、何かを探す素振りで走り出したリーレンの後姿と、瓦礫の前で膝を折ったアトゥールの薄茶の髪の色。――そして遥かに続く荒れ果てた無人の都だ。
「異変を起こしたのが特定の人物の野心から発していると前提して考えると。相手は余程趣味が悪い人間だろうな」
 穏やかながら、はっきりとした怒りの含まれる声を出してアトゥールが立ちあがった。その動きを自然と目で追う形になったアティーファは、首を傾げる。
「なにがあったんだ?」
「人の慣れの果てが何体か」
「……そうか」
 溜息を落とし、少女は穏やかな容貌の青年が屈んでいたあたりに眼を向けた。
 けれど視界を上手い具合に遮られて、瓦礫の下に埋まっているという、既に人間の形も残っていない死体を確認することは出来なかった。
 見せたくないと、年上の者達が思うのも当然だろう。無理に確認するのはやめて、アティーファは悔しさに拳を握り締める。
 対応が遅れたつもりは無かったのだが、どうやら判断が甘かったらしい。
「アティーファ様。やはり、どこにも人の気配がないようです」
 随分前に進んでいたリーレンが、振りかえって報告してくる。
「……ようするに。道中みた状態と同じというわけなんだな」
 レキス公国の領地内に入ってから後、人の姿が完全に消えてしまっていたのだ。
 中継港や街も全て無人で、補給船を同行させていなければ進むことも不可能だっただろう。当然ながら一切の情報を手に入れることが出来なかった。
 せめてレキス公都に辿り着けば、人も居るかもしれないと希望を繋いでいたリーレンの声が心なしか暗いのも、仕方ないだろう。
「とにかく進もう。状況を分からなければ、対策も取れないからな」
 ティオス、アデル両公国の騎士団にも出立を伝えて、アティーファは船酔いせずに出番を待っていた愛馬の手綱を手に取る。
 凛々しさを失わない皇女の後姿を、一人痛ましげに見つめ続けたせいで、見送った形になってしまったリーレンが慌てて馬の方へと走り出す。
 二人が自分たちの声が届かない距離になったことを見届けて、カチェイはアトゥールに視線を投げた。
「ところで無事か?」
「まあ、今現在に限定するなら。問題に感じるほどでもないかな」
「今だけ保証してなんの意味があるよ。まったく」
 珍しい溜息をカチェイが落とすと、アトゥールは皮肉げに顔を上げた。
「保証しようにも、保証できる材料が少なすぎるよ。一方の気配は弱りつつあり、一方は確実に強くなってきている。だから……保証は出来ない」
「他人事のようにいうな、馬鹿が」
「他人事のようにしか言えないと思うけれどね」
 ひどく声を低めてアトゥールが言い放った時に、馬を連れて戻って来たリーレンが深刻そうな二人に気付いて、なんとなく凝視した。それで、ある事に気付く。
「……? お二方とも、その剣はどうされたんですか?」
 常に保持している剣の他に、二人がらしくない武器を持っているようだったのだ。
 カチェイが振り向いて、曰くありげに眉を釣り上げる。
「――リーレン」
 低い声で名を呼ばれて、リーレンは自分の態度が失礼すぎたことに気付き、思わず焦った。その彼の肩を、カチェイは武骨ばった大きな手で叩く。
「アティーファと随分離れちまってるぞ」
「………え? え、え、え……あああ! アティーファさまぁぁぁぁぁ!!!!」
 深刻な表情で言われた意味を理解した途端絶叫し、リーレンは風鳥騎士団員顔負けの手綱さばきで馬を走らせる。すぐにでも視界から消えそうな猪突猛進ぶりに、カチェイは呆れて肩を竦めた。
「あいつの精神年齢って、一体、いくつだよ…」
「10才程度だと思ってるけどね」
 静かにアトゥールが答える。流石にカチェイは硬直した。
「そういう事をあっさり言うお前の精神年齢は、さしずめ、100歳以上ってところか?」
「なら、お前は100歳以上の相手と親友になる、120歳というわけになるね」
 アトゥールの返答に、カチェイは肩を竦める。そして、珍しく穏やかな表情を消している親友の様子を目で追った。
「使わないですむなら、使いたくもないんだけどね。―― 疲れるから」
 視線に気付いて、アトゥールは短く言う。そしてリーレンが目撃したらしくなさすぎる武器、布に包まれている大剣を支え直した。カチェイも薄く笑って、同じく布に包まれた自分の細剣に視線をやる。
「行くか」
 これ以上遅れるわけにはいかない。すばやく馬を走らせ始める。
 昇る太陽によって生まれ影を落とすその影に。
 折り重なるようにして、有るはずのないもう一つの影が落ちていたことを。
 ―― 知るよしがなかった。
 
 

 高い足音と同時に、床をする独特の布の音が響いている。
 少なくとも、二人以上の人間が歩いていることを示す音は、どこか緊張に満ちていた。
「陛下!! 陛下お待ち下さい!! 気は確かなのですか!?」
 文官らしい痩身の男が、必死に叫んでいるのだが、切れ長の眼をした壮年の男が足を止める様子はなかった。
「……一々煩いぞ。なにゆえに、貴様ごときの指示をこの儂が受けねばならん」
 エイデガル皇王フォイスか、皇女アティーファか。この二人のどちらかが同じ場所に居合わせたならば、男の口調の中に、無機的な印象を受けて眉を潜めただろう。
 ―― ザノスヴィア王女マルチナを、フォイスが人形と評したのと同じ何かが、この男にはあるのだ。
 壮年の男に叱咤された男は、無機的な印象を持たせる声ではあったが、怯えたらしかった。大げさに一歩下がり押し黙る。ただ僅かに、小声で「今だ戻られぬリィスアーダ姫はどうなさるおつもりか」といっているのが、唯一の反抗のようだった。
 一瞥することもなく、縋る男がいなくなったことで幾分か歩みを速めて。
 壮年の男。ザノスヴィア国王。ノイル・アルル・ザノスヴィアは前方をただ見やる。
 ―― まるで人形の顔、人形の眼、人形の動きで。
 同日。ザノスヴィア王国軍に、正式な行軍命令が下される。
 エイデガル皇国への攻撃を開始するという、命令文であった。


第09話 予感
第08話 展開HOME第10話 魔力