第07話 疑惑
第06話 猛禽HOME第08話 展開


 緊張を双眸に宿してエイデガル皇王の執務室を目指し走るアティーファを、本人がおっとりしていると信じる艶麗な眼差しで見やって、ザノスヴィア王女リィスアーダ・マルチナ・イル・ザノスヴィアは溜息をついていた。
「アティーファは本当に太陽のような人。わたしも、あのように生まれてきたかった」
 血を宿すような艶めかしい唇を幾度となく舐めながら呟き、向かいで落ち着きのない様子を見せる黒髪黒眼の青年に視線をやる。
 ザノスヴィア王国の使者が仕掛けた稚拙な外交戦が、フォイスとアティーファによって軽くあしらわれた結果、マルチナはこうしてエイデガル皇国に滞在を続けていた。
 使者団にしてみれば王女ともども国に帰還したいのだろうが、マルチナはアティーファの私室でもある蒼水庭園におり、強引に連行する事が出来ない。
 本来、苦吟する部下の立場を慮って自ら脱出せねばならないマルチナだったが、出て行こうと思っている節は一切なかった。
 だからこそ、協力的なマルチナが話し相手になってくれという他愛ない誘いを、リーレン・ファナスが拒否できないのは当然の成り行きだった。
 傾国の器と名高い美姫マルチナの側近くに侍る。
 普通ならば神に感謝したい程の幸運であろう。けれどリーレンは神に感謝していなかった。なにせ少数派の見本のような彼は、この状況が嬉しくない。
 アティーファ皇女はどうされたのか、と考えるとすぐに胸が苦しくなる。だからリーレンは幾度も席を立とうと試みているが、マルチナの巧みな我が侭さと傲慢さに翻弄され出来ないでいた。
「マルチナ姫さま、リーレンさま。お茶に致しましょう」
 焦りと困惑と心配とで飽和しかけていた彼を救うように、侍女のエミナが猫科の猛獣である凛毅をつれて蒼水庭園に入ってくる。
 声に振り向いたマルチナが、山猫に気付いて相好を崩した。応えるように、凛毅が喉を鳴らす。
 必要以上に妖艶なザノスヴィア王女は、可愛いものや動物に目がない。これは逃げ出すチャンスかもしれないと中腰になったリーレンに、心得たようにエミナが目配せをした。
 どうやら凛毅をわざわざ連れてきてくれたらしい。
 エミナにはありがとうを、マルチナにはすみませんの言葉を忙しく心で繰り返しながら、そっと凛毅の首に抱き着いている王女の背後を通り過ぎ、外に出て、一気に走り去る。
 凄い速さと目を丸くしたエミナの目の前で、マルチナが肩を落とした。
「リーレンは。本当に、アティーファのことがすきなのね」
 そして凛毅の首筋に顔をうずめたまま、ぽつりと呟く。
 彼が駆け去っていく足音が、どうしようもなく寂しかった。同時に、身体の奥底から何かが首をもたげて来るような感覚に、眉をひそめる。
 最近いつもこうだった。
 アティーファとリーレンが側から離れると、凄まじい違和感と共に、目には見えぬ何かの気配が、じっとりとした重みを伴って忍び寄ってくる気がする。
 まるで、自分を取り込もうとでもいうかのように。
 どこまでも寂しげな様子に変わったマルチナを、エミナが驚いたように見詰めていた。



「父上!」
 側近に入室すると宣言した後、息を切ったままエイデガル皇王の執務室に飛び込んだアティーファは、のんびりと紅茶をすする父王フォイス・アーティ・エイデガルに向かって声を張り上げていた。
「どうした、アティーファ。大変なことがあった、と顔に書いておるな」
 紅茶の器を、飲むか?というようにフォイスが掲げたので、アティーファは首を振る。彼女の眼差しに宿るのは緊張感そのもので、父親である彼はそっと笑んだ。
「アティーファ。大変だと顔に書いても、相手にはそうそう伝わらんぞ? 皇王家に名を連ねる以上は、常に他人に正確に意思を伝達できるようにせんとな」
「父上は他人ではない」
「よく知っておったな。そうとも。お前は可愛い娘だ」
 おちょくるように答えて、フォイスは娘を見やる。
 一瞬むくれたアティーファだったが、文句は言わずに、頭の中で報告したい事柄と問題点とを整理してみた。
「父上。伝書令にレキス公国からの書が舞いこんできたんだ。使者は、勇敢な隼一匹。内容は、助けを請うレキス公妃ダルチェ直筆の文面と……同封された天馬宝珠」
「天馬宝珠?」
 面白そうに娘の言葉を聞いていた父王の表情に、注意深く観察しなければ分からない程度の驚きを認めてアティーファは頷く。そして手を伸ばして天馬宝珠を机上に置いた。
「アトゥールが、サインは確かにダルチェのものだと言っていた」
 付け加えるようにサインの信憑性の高さを父に告げる。
 ふむ、と一度肯いて、フォイスはどこか少年じみた仕種で首を傾げ椅子に背を預けて腕を組んだ。
「なるほどな。五公国一の勝気娘のダルチェが助けを求めてくるとは。たしかに確実な危機が訪れておるのだろうよ。それにしてもだ。物事は簡潔に伝えよと常に指示してはいるが、いかにもこれは簡潔すぎだろう」
「父上。暢気に文章を添削している場合じゃないと思うんだけど」
「ところでアティーファ。鑑定しみせたアトゥール本人はどうした?」
 ひょいと話題をずらされて、娘は目に見えて唇を尖らせる。曲者のように父親は笑った。
「私が父上に報告に行くと言って走り出した時には、付いて来る様子はなかったけれど」
「……なるほどな」
「それがなにか?」
「いや、こちらの話しだ。気にするな、娘よ」
 一人勝手に納得すると、フォイスは無造作に放り出されていた報告書の一枚を取り出して娘に差し出す。
「レキスに派遣している外交担当の者からの連絡が、昨日から途切れていると、この通り報告が先程あった」
「えっ!?」
 慌てて、アティーファは渡された紙に視線を走らせる。
 みるみる真剣な眼差しになっていく娘を確認した後、フォイスは壁に貼ってある重厚な地図の前まで歩み、エイデガル皇国とそれを支える五公国とを指差してみせた。
「アティーファ。わがエイデガルと五公国とは、危険時に迅速な対策を取れるようにと、決まりごとがいくつかあったな? 一つは、おまえがたった今立ち寄ってきた伝書令の設置。そしてもう一つが」
「午前と、午後に一度ずつ。狼煙を上げること。それを各中継地ごとに繰り返し、皇都に各公国の無事を……常にしらしめること」
「よく出来た。その通りだ。この仕組みによって、今まで幾度もの危機が回避されて来ている。その狼煙が、今日絶えた。すぐに確認させたところ、レキス公国の国境近くまでは確かに上がっていたらしい。続報を待っているところに、お前がレキス公妃ダルチェからの助けを求める書を持ってきた。やはり抜き差しならぬ事態が起きている」
「父上、この事態どう対処されるおつもりか?」
「エイデガル近衛兵団を向かわせるつもりでいたのだが。……なるほど、どうするかな。じゃじゃ馬娘が、好奇心と責任感に顔をいっぱいにしおって。……ところでな。効果的な登場など狙っておらんで、とっとと入って来い、二人とも」
 唇をゆがめて意地悪そうに笑うと、フォイスは突然視線と声を扉へと投げた。
 驚いて目を見開き、父の視線を追って振り向いたアティーファの目の前で、扉がゆっくりと開く。
「相変わらずお人が悪そうで。ご拝謁を賜り、いたく光栄に存じます。陛下」
「別に聞き耳を立てていたわけでは、ないのですけれどね」
 めいめいの個性をよく現した発言と共に、二人の青年が姿を見せる。
「アトゥールにカチェイ?」
「それで。ティオスとアデル両公国はどう判断する。今回の事件」
 二人の名を呼んだアティーファと殆ど同時に、フォイスが質問を投げつける。二人は何かを確認するように顔を見合わせてから、人一倍切れる頭脳を持つアトゥールが口を開いた。
「おそらく、この事態は。ザノスヴィアが微妙に関わっていると考えます」
 およそアトゥールらしくない、直接的で性急な切り出し方だった。それに気付いたのか、フォイスは返事もせずには傍らの紅茶に口をつける。早口になっているアトゥールを、らしくないと阿諛しているような態度だった。
「それで、ザノスヴィア王国が絡んでいると考える根拠は?」
 黙ったままのフォイスに変わって、アティーファが尋ねる。アトゥールは長い睫毛が影を落とすほどに眼を伏せてから、一つ苦笑し、顔を上げた。
 今度は完全に、普段通りの態度に戻っている。
「皇女のご依頼で、ザノスヴィアを調べた際に。一つ、気になる情報がありました。レキスとザノスヴィアの国境に掛かる橋、石橋アポロスに関することです」
 実を言えば、今回レキス公妃が危急を告げてくる前から、アトゥールはなんとなくザノスヴィアとレキスのことが気になっていたのだ。
 けれど何故気になるのかが分からなかった。だから結局、情報を集めるだけであったところに危急が飛び込んで来たのだ。気付けなかった事実に、アトゥールは己の落ち度を認識しているのだろう。―― 僅かに彼自身を嘲っている節がある。
 それに一人気付いたカチェイが口を挟んだ。
「情報を単体でみると、余りに些細なことの羅列にしか取れない。幾ら細かいつっこみが得意な鬼姑のようなアトゥールでも、見落とすのも仕方ないと俺は思うが」
「……。カチェイ、それでフォローをいれたつもりなのか? それとも私を馬鹿にしているのか?」
「当然。その両方だ。お得だろ?」
 爽やかというより確信犯の笑みを浮かべて、カチェイは睨んでくるアトゥールを無視してさらに口を開く。
「ようするに。アポロスに隣接するレキスからの連絡は途絶えたというのに、国境沿いの石橋からは連絡はかわらず来ている。が、一方苦情の方はというと、まったく寄せられて来ていない」
 よどみない発言から考えるに、カチェイは前もってアトゥールから、異変を感じたという情報を聞かされていたのだろう。皇王の手前ということで幾分か丁寧になった口調で、事件性など皆無にみえる情報を述べて見せる。
 けれど情報を披露し終って、いきなりカチェイは黙り込んだ。
「どうせならば。最後まで説明してみせれば良いんだ」
「アトゥールの役どころを全部とるのも悪いんでね」
 二人、囁くように悪態をつきあう。
 琥珀色の紅茶がゆれる陶器に口をつけたまま、沈黙を守っていたフォイスが二人の公子を見やった。
「やれやれ。五公国の公子、公王は、揃いも揃って、他人を無視するのが好きと来た。アティーファ、不敬罪で、二人の足を踏んでやれ」
 音を立てずに器を置くと、大袈裟に頭を押さえ首を振る。まるで無実の罪をきせられた哀しい物語の主人公のような風情なので、アティーファはおかしそうに笑い出した。
「カチェイ。アトゥール。父上は寂しがり屋なんだ。ひそひそ話は厳禁な。……それで、どうしてアポロスからの苦情がよせられないことが、ザノスヴィアが何か絡んでいることに繋がるんだ?」
 一人真面目に事態を把握するべく勤めていたらしいアティーファに、真面目な顔に戻ったフォイスが手招きをする。
「アティーファ。人はどんなに便利な環境を与えられたとしても、常に不満を持つ生き物だな」
「……うん。その不満が、人の向上心を煽り、文化を発達させているといえるのだろう?」
「模範解答だな。ようするにだ。アポロスの開通によって、人々は簡単にザノスヴィアへと赴くことが出来るようになった。が、仮にも国境だからな。当然ながら検問は厳しい。時間もかかる。それに不満を覚え、訴えてくるものが居なかった日があるか?」
「………ない」
「それが絶えた。本来、苦情をエイデガル本国へと伝えるのは、元々定められていた任務ではない。本国への報告を怠るなとは、アポロスに派遣された者ならば、任務として義務付けられているだろう。だがな。苦情を伝えろとは、どこにも書いていない。あれはいわば、イレギュラーで発生し、習慣化した風習のようなものだ。そして今。任務は通常通りに行われているのに、風習は破棄されている。その上、アトゥール。もう一つ程度は、気になっていた事があったのだろう?」
 余り説明を押し付けるなといわんばかりに水を向けてきたフォイスに、呼ばれたティオス公国公子は優雅に肯く。
「アポロスからの正式な連絡も、僅か一日ではありますが絶えています。一日後に通常通り連絡は復旧された。ゆえに誰も気に留めなかったようですが。私には、一日といえども連絡が断たれたこと。そして、風習が破棄されている現実が気になります」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。父上、アトゥール。カチェイまで、なんだか分かったような顔をして。私だけが分かってないのは、少々楽しくない。考えるから、ちょっと待って……」
 言葉を最後まで言わず、眉をひそめて考え出した皇女を見やって、見守る大人たちは微笑ましげな顔で言葉を止める。
 フォイスはあきずに紅茶に口をつけ、二人の公子は何かを話し始めていた。
 そんな中、アティーファは必死に考えていた。
 恐らく、大人達が異変がありと判断し、なおかつザノスヴィアが関与すると答えを出すに至った情報は、全て自分にも与えられているのだろう。
 レキスからの報告。絶えた連絡。ザノスヴィア王国とエイデガルを分けるエウリス川にかかる国境の石橋アポロスから、寄せられなくなった苦情。一日だけ、絶えた正式の連絡。
 めまぐるしく、与えられたばかりの情報が脳裏を駆け巡っていく。そして最後に、任務と習慣の事実を考えて、アティーファは引っかかるものを感じた。
「恐らく。明日にでもなれば、レキスからの定期連絡も、異常無し、の報告はあげてくると考えられますね」
 やんわりと、アトゥールの柔らかな声が響く。おそらくどこまでもアティーファに甘い彼らだから、少しでもヒントをと思ったのだろう。
 復活するはずの報告。これはおそらく定期連絡の事だ。
「……アトゥール。レキスから、商人達が出た様子はあるのか?」
 不意にアティーファが聞いた。父王が、不敵な笑みを浮かべて口を挟んでくる。
「その件に関しては、今調べさせておる。旅行者が出たか、商人が出ているのか、手紙はかの国を出ているのか、とな。だがおそらく、答えは一つだろう」
「……誰も。出ていない……」
 答えに近い言葉を呟いた後、ふと、もう一つの疑問も頭をよぎる。
 王族の雰囲気をまったく持たず、偽者のようにさえ見えた正真正銘の本物である王女マルチナ。彼女が国を出立したのは、一週間ほど前。そして、アポロスからの苦情が寄せられなくなったのも一週間ほど前だという。
「……まさか…」
 ぱっちりと、覇気に満ちた双眸を見開いて、少女は大人達を睨んだ。
「今現在。アポロスを始めとしたレキス公国は。閉じられ、閉鎖されている状態に在るかもしれない? そして、なんらかの支配を受けた人々は。動かない……いや、動けない状態に陥った?」
 ――そして、マルチナに異常が見られたのは…。
「……人々が……何らかの力によって、操られている…と?」
 己が呟いた事柄の余りの重大さに、アティーファは、僅かに震えた。 
第07話 疑惑
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