第06話 猛禽
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 翼を広げて、隼が碧空を舞う。
 眼下に広がる豊かる大地を、無限の空から眺め得る者がどんな感慨を抱くのかは分からぬが、隼は、雄大な翼を広げ羽ばたいていた。
 雄々しい翼を旋回させ、荒ぶる魂を宿すエウリス河の上空を舞い続ける。途中河は内陸から流れ込んでくる死者を誘うエウリスの双子神、命を運ぶ処女神ウリエヌの名を冠する河と合流した。
 隼は内陸に続く河へと方向を切り替える。
 ウリエヌ河を溯ると、水源である神秘の湖アウケルンと、湖の中ほどに浮かぶ荘厳な白亜の城、エイデガル皇国城に辿り着く。
 五公国を統べるエイデガル皇国は、アウケルン湖、ウリエヌ河の両水路の他に、国境沿いに天領を挟んで並ぶ五公国を繋ぐ五つの運河も保持していた。
 陸路ではなく水路によって繋がれる水の皇国。
 水竜旗を掲げる水軍国家。それがエイデガルなのだ。
 すべての水路が交わる湖、碧玉のアウケルンに聳え立つエイデガル皇国城。隼はひたすらに城を目差して飛び続ける。そして眼前に広がったアウケルンの壮大な姿に、隼は高く鳴いた。
 城はもう眼前に迫っている。
 隼が目差す皇国城を住まいとするエイデガル皇女アティーファは、丁度、ティオス公国の後継者で柔らかな風貌を持つ青年アトゥールに依頼した隣国の動向に関する資料に目を通していた。
 ザノスヴィア王ノイル直属の親衛隊がここ三ヶ月の間に、不審な出撃を繰り返している。十人編成の小隊が武装し、矢や火薬などの消耗武具の類を使い切った状態で帰還しているというのだ。だが、戦利品を持ち帰った様子はない。
 アティーファは髪を指で遊びながら、眉をしかめた。
「中途半端な話しだな。諜報行動を取るにしては動きが大胆すぎる。侵略を企てているには数が少ない。演習行動もしかりだ。国内警備の為と判断するには、毎回消耗武具を使い切っている事実の説明がつかない…」
「その上、城下の刀鍛冶に調べを向けた所、六度とも帰還後剣を鍛え直させている。ならば刃こぼれを生じさせるような事柄、ようするに白兵戦が行われたと考えるべきだろうね」
 アトゥールの静かな指摘に、皇女は唇を尖らせる。
「わっからないなあ。武器を…武力を行使しているのならば、血が流れているということだろう? なのにそんな話は一切聞こえてこない。ならば緘口令が引かれているとしよう。けれど緘口令が引かれるほどの暴挙ならば、国を脱出しようとする流民が増えて当然なんだ。だが、増えたという報告はついぞ聞かない」
「ここ三ヶ月での亡命者の数は、一ヶ月に約五名。平均値といえるだろうね」
 抜かりなく皇女の疑問に答えると、さらにアトゥールは紙面をめくった。
「補足だけど、アティーファが気にしていたリィスアーダ姫の件。結局、彼女が本物であるという回答しか出ないね。出生当時から乳母を務めている女は解雇されていないし、他の古参の者が退けられた様子もない。エイデガル皇国に出立する前も、彼女は堂々と国民の前に姿を現している。偽物をたてているのならば、おかすはずのない危険だと思うよ」
「結局ないないずくしなんだな。それでも、ザノスヴィア王国ノイル王の親衛隊は武力を行使している。マルチナからは不思議な違和感が漂っている。説明できない事実だけが、現実として広がっている」
 会話を打ち切る為に手をあげて、アティーファは立ち上がると気分転換をと軽く伸びをした。ついでに窓枠に手をかけ蒼天を見上げる。
 風が舞いこんで、彼女の亜麻色の髪をそよがせた。
「ん……?」
 ふと、アティーファは目を見開く。
 皇女に走った緊張を素早く見てとって、アトゥールも窓に体を寄せた。
「なにか?」
「しっ! 今、なにか聞こえた」
 左手で青年を制し、皇女は感覚を済ませる。意識さえすれば、普段は聞き落とす微かな音でも拾える自信が彼女にはあった。
「伝書令の方だ。鳥が鳴いてる!」
 聞こえた音の正体を悟った瞬間、アティーファは窓枠に片手を付き、そこを軸に外へと踊り出る。彼女の部屋は城の最上部に位置していたが、勿論自殺を試みたわけではなかった。
 外から彼女の執務室を見れば分かるが、窓から真下二メートルほど下がった部分に、幅五十センチほどの張りが出ている。それが外壁伝いにぐるりと弧を描き、一応通路になっていたのだ。
 当然それは単なる装飾ではない。エイデガルを含む諸国が群雄割拠の時代であったおり、外壁に投石器を配置するために作られたものだった。上れば狼煙や緊急を伝える役目を持つ鳥が飛来する伝書令に、下れば裏門前の広場に続く道に合流する。
 侍女のエミナに部屋を見張られていたアティーファが、誰にも悟られずに外出できている理由がこれだった。
 大体こんな危険な通路を、好んで使う人間がいるとは誰も思わないだろう。とにかく高い。地上にて美を競うアウケルン湖の碧い色より、天の青がより近いほどだ。
 にも関わらず、走るアティーファに臆する様子は微塵もない。
「リーレンが見たら、絶叫したかな? それとも腰でも抜かしたかな」
 全く動じずに皇女の行動を見守ったアトゥールが、青緑の瞳を細めて静かに呟く。本来は大慌てでアティーファを止めるべきなのだろうが、結局は彼も変わり者揃いの公家の一員なのだ。素直に焦る可愛げがあるわけもなく、優雅な動きで窓枠を飛び越え、アトゥールは少女の後を追った。
 高く、高く。今度ははっきり鳥の鳴き声が空に響く。
「なんだって伝書令に人がいない!?」
 正式な通路に身を躍らせて後、伝書令に駆け込んだ皇女が発した第一声はそれだった。
 伝書令は、急な連絡に備える役目を担っている為、平時でも最低二人を常駐させている。にも関わらず石造りの物見台は閑散としていた。当番の者が勝手に何も起こらぬと判断し、持ち場を離れたのだろう。
 エウリス・ウリエヌ両河を越えて飛来した隼は、ようやく現れた人間―― 高貴な少女アティーファに抗議するように、激しく羽根を羽ばたかせる。
「悪かった。お前は必死に役目を果たしたのに、こちらの不手際のせいで辛い思いをさせて」
 皇女は真剣に謝ると、猛禽に腕を伸ばした。そうされて、現金なことだが機嫌を直し、隼は威嚇を収め少女の腕で翼を休める。
「―― 天馬の紋章。レキス公国からの伝書のようだね」
 アティーファに追いついたアトゥールが、隼の足に括り付けられた書簡入れに視線をやって、静かに告げた。アティーファは頷いて紋章の施された書簡入れを外し、掌の上で逆さにする。
 きらり、と。
 一瞬、燦然と輝く太陽の光を受けて、眩しく皇女の手の上が光った。
 二人の視線が、空中でぶつかり…そして同じ一点を凝視する。
「……て…天馬宝珠?」
 呆然と同意を求めたアティーファに、アトゥールが辛うじて頷く。
 エイデガルの血に繋がる剛毅なる二人を呆然とさせたのは、蒼天を封じ込めたような色を持つ豪華な宝珠だった。
 天馬宝珠。―― 世界に六つだけ存在する、獣魂の宝珠の一つだ。
 エイデガル皇国建国史に登場する、国宝中の国宝で、本来門外不出の扱いになっているはずである。
 建国史を紐解くと、エイデガル皇国が名実ともに覇者として名を轟かせるようになったのは、今から五百年前のことだった事が分かる。
 当時は群雄割拠の時代であり、強き国が栄え弱き国が滅びるのが当然の理の世界だった。その弱肉強食の戦乱の最中に、生を受けたのが当時のエイデガル王家の末姫、後世に覇煌姫(はこうき)と仇名されることとなるレリシュだ。
 生まれ落ちた瞬間から、彼女はあらゆる意味で特別であったらしい。
 豊かな才能と、溢れ出る魅力にて人を惹きつける天性のカリスマを保持したレリシュは、四名の兄姉及び父王をして、戦乱をまとめるべくして生まれてきたと言わしめ、若干二十歳の時に父王から玉座を譲り受ける。
 一年間国土の充実に辣腕を奮った後に彼女は軍を起こし、まさに生きた神話といえる、凄まじい快進撃を歴史に見せ付けたのである。
 その後エイデガル王国は領地を三倍以上に広げ、戦乱史上最大の国家にのし上がった。当然軍力、国力共に最強となったエイデガルは、各国に対して巨大な発言権を持つに至る。こうして事実上の大陸統一を成し遂げたエイデガルは、王国から皇国に名を改めたのだ。
 レリシュが起こした奇跡の快進撃は、当然多くの人々に支えられて実現している。
 特に彼女の長兄レキス、長姉アデル、次兄ティオス、次女ミレナの兄姉達。そして生涯をレリシュに捧げた若き軍師、本来はエイデガルと敵対し滅ぼされた国の王子であったというガルテの存在がなければ、この覇業は為し得なかっただろう。
 建国後、レリシュは己を支えた者達に独立権を保持する領地を封土する際に、夢で神から賜った、高貴な獣の魂が封じられているとされる、獣魂の宝珠を贈ったのだ。
 レキスに天馬宝珠。アデルに金狼宝珠。ティオスに風鳥宝珠。ミレナに銀猫宝珠。ガルテに獅子宝珠。そしてレリシュ自身は水竜宝珠を持つ。
 宝珠は国そのものを―― そして建国戦争が事実であったことを証明する象徴なのだ。
 だからこそ、生半可なことでは呆然としない二人が、隼の足などに無造作に括り付けられた書簡入れから天馬宝珠が転がり出て、驚愕したのだ。
「天馬宝珠を送り付けてくるなんて、一体なにがあったっていう?」
 少々上ずった声で猛き覇煌姫レリシュの子孫であるアティーファは言い、慌てたように宝珠と共に転がり出た蝋で封の施された紙片を広げる。
「レキス公国の正式な血脈が、現当主グラディールに滅せられる危険あり。天馬宝珠を一時的に皇家に返上すると共に、願わくば援助を賜りたく、書を認める…」
 読み終えて、アティーファは文の最後に添えられたサインに眉をしかめた。
 ダルチェ・ハイル・レキス。
 前レキス王の実の娘であり、現レキス王であるグラディールの妻である女の名だ。
「サインは本物に間違いない。紋章入りの透かし紙も使用している。事実関係の正確さはともかくとして、公妃からの手紙であることに間違いはない。ならば現在レキス公妃が、正式な使者を立てられないほど、切羽詰まった状況にあると考えるべきだろうね
 絵画や書簡の鑑定までこなすアトゥールの断言に、アティーファは緊張を宿す瞳を上げた。
「父上に報告してくる」
 独断で対処してよいレベルの出来事では決してない。
 己の能力や権限を過信せぬ皇女はきっぱりと判断すると、身を返して駆け出した。空に舞う若草色のケープが風を受けてはためき、彼女の腕から飛び立った隼が、騎士を気取ってか皇女を追う。
 常に白の長衣をまとうアトゥールは、彼女を追わずに眉をしかめた。
「なんらかの異変が起きていると考えられるザノスヴィア王国と、異変を知らせるレキス公国。両国はエウリス河を挟んで隣同士…嫌な…符号だな…」
 呟いた青年の眼前で、エイデガル皇国は常と変らぬ穏やかさと美しさを顕示している。

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